詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

トニ・モリスン「ジャズ」

2006-07-28 13:08:41 | 詩集
 トニ・モリスン「ジャズ」(早川書房)に美しい文章がある。

 陽射しは、建物を半分に切り裂く剃刀の刃のように斜めに射しこむ。建物の上半分に、わたしは下のほうを見ている顔を見るが、どれが本当の人間で、どれが石工の仕事か、見分けるのはむずかしい。下の半分は影になっていて、そこではありとあらゆる人生に倦んだ事柄が行なわれている。クラリネットの演奏や、愛の交歓、拳骨の殴り合いや、悲しげな女の話し声。この街のような都市にいると、わたしは大きな夢を見たくなり、いろんなものに感情移入してしまう。わかっている。わたしをこういう気持ちにさせるのは、下の影のちょっと上で揺れている、まぶしい鋼鉄だ。川を縁どる緑色の細長い草地、教会の尖塔を眺め、アパートの建物のクリーム色と銅(あかがね)色のホールをのぞきこむと、わたしは強くなる。

 「わたしは大きな夢を見たくなり、いろんなものに感情移入してしまう」と「わたしは強くなる」は呼応している。大きな夢をみる、わたしは強くなる、をつなぐものが「感情移入」である。
 その感情移入のあり方は、26日、27日に触れた松浦寿輝の「川の光」と大きく違う。松浦は足元の植物、石ころなどの自然だが、「ジャズ」の主人公は「まぶしい鋼鉄」「教会の尖塔」などの人工物だ。「川を縁どる緑色の細長い草地」と自然も登場するが、それは人工の建築物などによって「細長」く閉じ込められた人工的な自然だ。また、松浦の視線が「坂」を移動するようにゆっくり、ジグザグに動くのに対して、この小説の主人公の視線は大きく飛躍する。その飛躍の大きさがニューヨークの街の大きさそのものに重なる。
 大きな飛躍の中では、感情も大きく振幅する。揺らぐことができる。

 強くなる、とは、大きな感情を生きる、振幅の大きな感情を肉体に抱え込み生きるということだ。
 つづきが読みたくなる書き出しだ。
コメント
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