大阪市立美術館「プラド美術館展」。
ムリーリョ「貝殻の子供たち」は私のような素人から見ると構図がちょっと面白い。左下の羊は体が少し切れている。そのぶん右側に余分な空間がある。何か全体的に不安定である。それなのに目は自然と貝殻で水を飲む子供の口元に吸い寄せられる。
しばらく絵の前に立って眺める。想像上の対角線を引いてみる。するとちょうど対角線が交差するところの貝殻が来る。視線を貝殻に集めるように構成されているのだ。というより、最初に貝殻の位置が決定されていて、そこから構図が決定されたのかもしれない。
ついでに想像力を働かせて右側の空間をカットしてみる。すると目は貝殻ではなく押さないキリストの顔に動いていく。
ムリーリョはなんとしても貝殻に鑑賞者の視線を集中させたかったのだろう。
余分に見える空白(絵の場合、それが白であるとは限らないが)は視線を動かすもう一つの要素である。
ムリーリョ「貝殻の子供たち」は私のような素人から見ると構図がちょっと面白い。左下の羊は体が少し切れている。そのぶん右側に余分な空間がある。何か全体的に不安定である。それなのに目は自然と貝殻で水を飲む子供の口元に吸い寄せられる。
しばらく絵の前に立って眺める。想像上の対角線を引いてみる。するとちょうど対角線が交差するところの貝殻が来る。視線を貝殻に集めるように構成されているのだ。というより、最初に貝殻の位置が決定されていて、そこから構図が決定されたのかもしれない。
ついでに想像力を働かせて右側の空間をカットしてみる。すると目は貝殻ではなく押さないキリストの顔に動いていく。
ムリーリョはなんとしても貝殻に鑑賞者の視線を集中させたかったのだろう。
余分に見える空白(絵の場合、それが白であるとは限らないが)は視線を動かすもう一つの要素である。