小松弘愛「ひせくる」(「火牛」第五十七冊)。小松は、昨日取り上げた山田と同様、自分が育った土地のことばにこだわっている。
「ひせくる」は土佐方言。標準語では「泣き叫ぶ、号泣」。
なぜ、小松は、子規を読んで「ひせくる」と思ったのか。子規が四国・松山の出身だからか。それだけではないと思う。(松山の方言で「号泣」を何というか私は知らない。)子規の「何とも形容することのできない」ということばが、小松の体の奥から「ひせくる」をひっぱりだしたのだと思う。
方言は、もともと「何とも形容することはできない」ニュアンスを持っている。標準語では説明できないニュアンスを持っている。
子規が「絶叫。号泣。」と書いていたから小松は「ひせくる」を思い出したのではない。そのときの痛みを「何とも形容することはできない」と書いていたから、「ひせくる」を思い出したのだ。人にはそれぞれ形容できない痛みの体験があるだろう。そして泣き叫んだ体験もあるだろう。そのときの痛みを何と呼べばいいのか。思い出すのは、たぶん、その痛みで泣き叫んだとき、誰かがなぐさめ、手当てしてくれた記憶であろう。
「そんなに泣き叫ぶな」
土佐方言で何というのだろう。「そんなに、ひせくるな」だろうか。
小松は幼いとき、「えがま」で指を切った。泣き叫んだ。それを祖母が昔ながらの方法で手当てしてくれた。「そんなに、ひせくるな。こうすれば大丈夫」と。そのときの「痛み」。同時に、それを手当てしてくれる祖母の存在。そうしたものを含めて「ひせくる」ということばがある。単に泣き叫ぶではない何かがある。人と人を結びつける何か、何とも形容のしようがないものが、そこにはある。
「親身」ということかもしれない。「ひせくる」というとき、その痛みを「親身」に感じる人がいるのだ。祖母は幼い小松の痛みを「親身」に感じ、「ひせくるな」と言いながら、手当てをする。それと同じように、小松は、『病牀六尺』を読みながら、子規の痛みを親身に感じたのだろう。だから「ひせくる」ということばが肉体の奥から沸き上がってきた。「絶叫。号泣。」ということばで感じる以上の共感がそこにはある。
そのときの共感は、指を切ったとき、ひせくったかどうか、「記憶があいまい」であるのと同じように、今はあいまいかもしれない。しかし、何かが残っている。共感した何か、形容しがたい何かが残っている。だから、小松は、子規庵を訪ねた。
「何とも形容することはできない」何か。そういうものが、いつも、どこかにある。それは幼いとき、意味もわからず聞いたことば、肉体で覚え込んだことばのなかに生きていることもある。そして、そこには生きている人間のあたたかな触れ合いがある。ひとりではなく、誰かと触れ合って、そのなかでつかみ取ったことばのあたたかさ、確認したことばのあたたかさ。そうした場に踏みとどまり、そうした場を今に呼び戻そうとする小松を感じる。
*
同じ詩誌の粒来哲蔵「五右衛門偽伝」は傑作である。石川五右衛門を描いている。漢文体のリズムが、感情(情緒)を排除していて、とてもおかしい。漢字とカタカナの交じり書きを引用するのがとてもややこしいので、引用しやすいところを引用する。(本当はもっと楽しいことろがあるのだが、それは作品に直接あたってください。)
「坊主来ラズ。」がすばらしい。「臍ノ上デ小サキ葬イ」は「嘘」というと語弊があるかもしれないが、一種の「嘘」である。その「嘘」を「坊主来ラズ。」という事実が本物に変えてしまう。こういうスピード感ある展開の妙は漢文体にしかないかもしれない。
5段落目の末尾「捕方去ッテ褌乾ク。」6段落目の末尾「没年不詳也。」(谷内注、没は原文は旧字体)感情が入り込むのを拒絶した断定が、非常にすがすがしい。笑いとは、何よりもスピード感覚が必要なのだと教えられた。
台東区根岸二丁目五-十一
「子規庵」
糸瓜のぶらさがる庭が見える座敷に立つ
「絶叫。号泣。益々絶叫する。益々号泣する。その苦しみそ
の痛み何とも形容することはできない」(『病牀六尺』)
晩年の
脊椎カリエスからくる激痛の記録
わたしが『病牀六尺』に触れたのは三十代だったか
そのとき 思った
子規は
毎日「ひせくり」ながらものを書いていたのだ
と
「ひせくる」は土佐方言。標準語では「泣き叫ぶ、号泣」。
なぜ、小松は、子規を読んで「ひせくる」と思ったのか。子規が四国・松山の出身だからか。それだけではないと思う。(松山の方言で「号泣」を何というか私は知らない。)子規の「何とも形容することのできない」ということばが、小松の体の奥から「ひせくる」をひっぱりだしたのだと思う。
方言は、もともと「何とも形容することはできない」ニュアンスを持っている。標準語では説明できないニュアンスを持っている。
子規が「絶叫。号泣。」と書いていたから小松は「ひせくる」を思い出したのではない。そのときの痛みを「何とも形容することはできない」と書いていたから、「ひせくる」を思い出したのだ。人にはそれぞれ形容できない痛みの体験があるだろう。そして泣き叫んだ体験もあるだろう。そのときの痛みを何と呼べばいいのか。思い出すのは、たぶん、その痛みで泣き叫んだとき、誰かがなぐさめ、手当てしてくれた記憶であろう。
「そんなに泣き叫ぶな」
土佐方言で何というのだろう。「そんなに、ひせくるな」だろうか。
小松は幼いとき、「えがま」で指を切った。泣き叫んだ。それを祖母が昔ながらの方法で手当てしてくれた。「そんなに、ひせくるな。こうすれば大丈夫」と。そのときの「痛み」。同時に、それを手当てしてくれる祖母の存在。そうしたものを含めて「ひせくる」ということばがある。単に泣き叫ぶではない何かがある。人と人を結びつける何か、何とも形容のしようがないものが、そこにはある。
「親身」ということかもしれない。「ひせくる」というとき、その痛みを「親身」に感じる人がいるのだ。祖母は幼い小松の痛みを「親身」に感じ、「ひせくるな」と言いながら、手当てをする。それと同じように、小松は、『病牀六尺』を読みながら、子規の痛みを親身に感じたのだろう。だから「ひせくる」ということばが肉体の奥から沸き上がってきた。「絶叫。号泣。」ということばで感じる以上の共感がそこにはある。
そのときの共感は、指を切ったとき、ひせくったかどうか、「記憶があいまい」であるのと同じように、今はあいまいかもしれない。しかし、何かが残っている。共感した何か、形容しがたい何かが残っている。だから、小松は、子規庵を訪ねた。
「何とも形容することはできない」何か。そういうものが、いつも、どこかにある。それは幼いとき、意味もわからず聞いたことば、肉体で覚え込んだことばのなかに生きていることもある。そして、そこには生きている人間のあたたかな触れ合いがある。ひとりではなく、誰かと触れ合って、そのなかでつかみ取ったことばのあたたかさ、確認したことばのあたたかさ。そうした場に踏みとどまり、そうした場を今に呼び戻そうとする小松を感じる。
*
同じ詩誌の粒来哲蔵「五右衛門偽伝」は傑作である。石川五右衛門を描いている。漢文体のリズムが、感情(情緒)を排除していて、とてもおかしい。漢字とカタカナの交じり書きを引用するのがとてもややこしいので、引用しやすいところを引用する。(本当はもっと楽しいことろがあるのだが、それは作品に直接あたってください。)
平常獰猛ナルモ、ソノクセ蟻ンコノ仄歩ヲ踏マズ、蚤(ノミ)、虱(シラミ)ヲ養イ、誤ッテヒネリ潰スヤ終日涕泣。臍ノ上デ小サキ葬イヲ出ス。坊主来ラズ。
「坊主来ラズ。」がすばらしい。「臍ノ上デ小サキ葬イ」は「嘘」というと語弊があるかもしれないが、一種の「嘘」である。その「嘘」を「坊主来ラズ。」という事実が本物に変えてしまう。こういうスピード感ある展開の妙は漢文体にしかないかもしれない。
5段落目の末尾「捕方去ッテ褌乾ク。」6段落目の末尾「没年不詳也。」(谷内注、没は原文は旧字体)感情が入り込むのを拒絶した断定が、非常にすがすがしい。笑いとは、何よりもスピード感覚が必要なのだと教えられた。