詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

正津勉「さらばさるべしさようなら」

2006-12-18 23:57:09 | 詩(雑誌・同人誌)
 正津勉「さらばさるべしさようなら」(「現代詩手帖」12月号)。
 ふるさとを詩にするとどうなるだろうか。今、どんなふるさとの詩を書くことができるか。
 「おもうことはわすれること」という1行に揺り動かされて、思わず詩を読み返した。「おもう」で正津が言いたかったことは何だろうか。

奥越はいまだ残雪ふかくして
死ぬような退屈さにもう堪えられなく
外気とちょっとばっか眺望がほしくなって
マフラーに深く頸を埋めてひとり

その亀甲めく形から呼んで亀山になる
城址のある頂上までえっちら上がって茫然
ぼうっと灰白にけむるような眼下をぼうっと
眺めやるともなく目をあそばせること

曇天のような生涯のような曇天
なんて感傷的にもあまりに感傷的なること
絶望のような愛情のような絶望
だとか駄洒落にもならない駄洒落しばらく

へらへらと腹の皮を捩るのだった
一昨年末に九一歳で母が大往生し一安心
数年後はあらかた知った顔もなくなり余所者
もうここに帰ることは多くあるまい

われらが高校の運動場や校舎のあった
あたりががらんと雪の捨て場の山となったまま
風景ぜんたいが寒貧としたふぜい

おもうことはわすれること
そろそろ戻って一風呂浴びて温かくして
さらばさるべしさようなら
きゅーっと熱燗いっぽん爆睡しようかと

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)の「思ふ」は感情の動きである。想像するというより、感じると言い換えた方がいいだろうと思う。遠きあって、なおかつ、遠くのふるさとは感情的には一体になっているのが犀星の詩である。
 正津の「おもう」は「感じる」ことではない。「感じる」ことを拒否して、「考える」。「感じる」とは対象との「距離」をなくすことが条件である。対象と一体になる--それが対象を感じる最高の至福である。「考える」は対象と一体ではできないことである。対象と離れ、対象から自由になる。そこから「考える」という動きが始まる。
 「距離」を埋めるのは何か。笑いである。

曇天のような生涯のような曇天
なんて感傷的にもあまりに感傷的なること
絶望のような愛情のような絶望
だとか駄洒落にもならない駄洒落しばらく

 正津自身が「駄洒落」と呼んでいるが、笑いが「駄洒落」に終わっているのは、たぶん対象との「距離」のとり方が、「亀山」にのぼるというような、ふるさとを考えるにはちょんっと中途半端な位置と関係があるのだと思う。「亀山」はふることの一部であって、完全にふるさととは離れていない。どこかでふるさとにひっぱられているから、その重力のようなもの(引力のようなもの)の影響で、笑いが笑いに完全に昇華せずに、駄洒落になるのである。こうしたことばの正直な動き方に、なんともいえない「詩」がある。

一昨年末に九一歳で母が大往生し一安心

 この「一安心」も「感情」ではあるまい。あれやこれやの親類づきあいだとか、さまざまなことがらを「考え」、ああ、もうそういうことに頭を悩ますこと、気配りをする必要がなくなることを、「頭」で判断し、「頭」が「一安心」しているのである。「考え」が一安心しているのである。
 この正直さが、詩をさっぱりさせている。美しくさせている。

 そして、「おもうことはわすれること」。これは感じることは忘れることではない。感じることは忘れないことである。感情がよみがえるから、私たちは忘れていないと思うのである。
 正津の、この「おもうことはわすれること」は、考えること、頭で整理することは忘れること、という意味である。ふるさとの母が大往生し、もうふるさとと正津を結びつけるものはなくなった。「知った顔もなくなり」ということばがあるが、頭で「知っている」ことがなくなると、「考え」は判断することができる。知っていることと知らないことを整理し、どういうつながりがあるのか判断し整理する。そして「一安心」。「知っている」の反対が「忘れる」に通じる。忘れていいものが何かを判断するために、私たちは「考える」のだともいえる。

 そうやって、「おもうことはわすれること」ときれいに整理したあと、正津は初めて感情にかえる。ゆったりと自分の肉体を解き放つ。風呂に入って体をほぐし、酒に酔って、眠ってしまう。「忘れる」とこに拍車をかけるのである。

 単純というか、平明なことばで、「おもう」ことの違いを明確にし、「哲学」の領域にまで達したおもしろい詩だと思った。



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松本圭二「1989」

2006-12-17 23:44:43 | 詩(雑誌・同人誌)
 松本圭二「1989」(「現代詩手帖」12月号)。
 松本の作品にも繰り返しが出てくる。中村稔の「雪はふる」、長谷川龍生の「撫でる」とはまた別の種類の繰り返しだ。

ロックバンドの方がわかりやすいということかゾンビ
しかし楽器もできない歌も歌えない友達もいないでロックバントゾンビ
なんてできるはずがない24歳にもなってやりたくもない何もやりたくもないゾンビ
めんどくさい想像もできないアホじゃないか何がロックバンドでもやればなんてゾンビ
ふざけやがってそんな手紙書くヒマがあったら金くれゾンビ
金振り込んでくれ金くれ金、米やら蜜柑やら送ってくるな腐るだけゾンビ

 引用部分では特に2行目と3行目の渡りがおもしろい。一瞬「ロックバンドゾンビ」というものがあるかのように思ってしまう。これが「ロックバンドなんてゾンビ/できるはずがない24歳」、あるいは「ロックバンドなんてできるはずがないゾンビ/24歳にもなって」だったらおもしろさに欠ける。意味が先に立ってしまい、ことばを読むのが苦痛になる。
 「1989」に書かれている内容は、とても暴力的である。そして、その暴力が非常に軽い。軽快である。スピードがある。そのスピードが生み出した音楽が「ロックバンドゾンビ」に凝縮している。
 意味を超えて、音として輝く。その音が新しい照明になって、それまで見えなかった領域を照らしだす。「ゾンビ」があらわれるたびに、前の行に書いてあったことを突き破っていく。決して前の行には戻らない。ただひたすら、ことばが動ける間中、ただひたすらにことばを動かしていく。
 その先に、たとえば

手のひらの甘皮をむいて食べていた鼻くそを食べていた時々

というような、繊細な輝きが噴出する。肉体が、まるで生まれた瞬間の赤ん坊のように、湯気を立ててあらわれてくる。この狂暴さは、暴力を超越する。無防備である、という意味である。
 松本は、無防備へむけて、ことばを走らせる。激しい強暴のあとに、新鮮な無防備な力が、その力をもてあましたまま立ち現れる。
 それをどんなふうに生かしていくか--というようなことは、松本はもちろん考えない。そんなことを考えれば、強暴さは、単なる組織化された暴力、軍隊のように人間を否定するだけのものになってしまうだろう。


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伊藤信一『豆腐の白い闇』

2006-12-17 14:17:19 | 詩集
 伊藤信一『豆腐の白い闇』(紙鳶社、2005年07月10日発行)。
 「朝」の3連目。

停留所のいたんだ鉄の板の数字とは無関係に
バスが別の場所の朝の空気を運んできて止まった

 これはバス停の時刻表通りではない時間にバスがやってきた、という意味かもしれない。「板の数字」は時間、「無関係」はその時間とは無関係(つまり、違った時間)ということかもしれない。
 けれども私は、そこに意味ではなく、意味を拒絶して存在する何かを感じた。「詩」を感じた。「無関係」ということばに「詩」を感じた。
 バスが時刻表通りにバス停にやってこないということは、日常的にはありふれたことである。正確に到着しなかった(出発しなかった)ことを、「板の数字とは無関係に」とことばにするとき、そこには正確に到着しなかったということ以上のものがふくまれている。「意味」を超越したものがふくまれている。
 それは何か。
 何かなんて、もちろん私にはわからない。ことばを書いている伊藤にはわからないのだと思う。わからないからこそ、ことばをつづける。
 「バスが別の場所の朝の空気を運んできて止まった」の「別の場所」とは意味の近似値としては「前のバス停」になるが、伊藤が感じているのは、そういう連続性とは「無関係」の「別の場所」であるだろう。こことは「別の場所」というよりも、それを超えたもの、それがほんとうは夢見られているのだと思う。現実を超越したものを見ているのだと思う。
 だからこそ、先の2行は次の3行を呼び込む。

朝はここでもとぐろを巻いている
電柱の影が長く伸びて
バスを串刺しにした

 バスの上に電柱の影がかぶさる。そうした風景を描いていることは、ことばの奥を読み取ろうとする努力をしないでも、だれにでもすぐわかる。
 だが伊藤のことばは、現実を描写する普通のことばからちょっと浮遊している。少しだけ「無関係」に動こうとしている。その現実とことばの不連続性のなかに、私は伊藤の「詩」を感じる。
 現実を少しだけ引き剥がし、その引き剥がした部分から、伊藤の肉体・感性が見えるような気がする。

 「野球のような」の最後の連。

不意にコーチに肩をたたかれている
これがこの時代のヒューマニズムなんだな

 打ち込まれたピッチャー。交代をつげるコーチ。肩をたたかれる--というのは実際の行動なのだろうけれど、これが「肩たたき」(退職の勧め)と重なる。退職の勧めとしての「肩たたき」とピッチャーの交代は本来は「無関係」であるが、それが「肩たたき」ということばのなかで出会うとき、そのことばが(動作ではなく、というのが重要なことかもしれない)、野球から浮遊する。その隙間に「ヒューマニズム」がするりと滑り込んでくる。
 この行には、伊藤が引き剥がしたものと、その引き剥がしのあわいにのぞく伊藤の肉体・感性がくっきり見える。「肩たたき」ということば、人生の交代をつげることばの、なんともいえないいやらしさを批判し、同時にそれを受け入れるしかない人間の悲しみが見える。

 ことばと現実の関係を、すこしずらして、ことばをじっくり見つめる。するとことばが、ちょっと違ったふうに動いていく。その動きにつきあう。そのていねいさのなかに伊藤の「詩」がある。


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長谷川龍生「持続的(サスティナブル)に撫でる」

2006-12-16 11:37:28 | 映画
 長谷川龍生「持続的(サスティナブル)に撫でる」(「現代詩手帖」12月号)。

 長谷川龍生の「持続的に撫でる」には「撫でる」ということばが繰り返し使われている。中村の「雪がふる」は常に視線を風景と心理を往復させ、そこに人間と自然との一体となった世界をつくりだす働きをしていたが、長谷川の「撫でる」はどんな世界をつくりだすのか。

生命は尊い
自己にも他者にも
心根を撫でる いつまでも
やわらかく撫でる つよく撫でる
愛が生れてくる
脳を撫でる 胸のうちを撫でる
手と足とを撫でる 指さきまで撫でる
日本人よ 疲れている
このままでは 持続可能ではない

 中村の「雪はふる」の繰り返しは私を安心させる。帰るべき場所がある、という安心感がある。雪が見えれば、それが、今、ここ、なのだと感じることができる。
 長谷川の「撫でる」からはこういう安心感は生まれない。どこへ動いていくかわからない。「心根を撫でる」というが、そんなものが撫でられるのかどうかわからない。「比喩」として書かれているのだろうけれど「やわらかく撫でる つよく撫でる」とつづけられると、なんだか肉体が反応してしまう。「愛が生れてくる」とさらにつづけられると、セックスを思い出してしまう。
 不思議なのは、「撫でる」順序が、実際の私の肉体の動きとは逆である、ということだ。「撫でる」ことから始まるセックス、そしてそれが愛に変わる。その順序が、この詩に書かれていることばとは逆なのだ。逆であるから、一瞬、どこへ動いてゆくかわからないと思ってしまうのだ。
 私は手と足を撫でることができる。指さきも撫でることができる。実際に撫でることができるのは、そういう相手の具体的な肉体である。肉体を撫ででいる、肉体の表面に触れる。その繰り返しのうちに、何となく、相手の脳(頭のなか、考えていること)にも触れるし、胸のうち(感情)にも触れることができる。そして、それを愛撫することができる。そのとき愛は生まれる。そして、そこからやさしさ(やわらかな対応)や強さも生まれる。愛のなかで人間の「心根」は育っていく。生命は尊い、という思想もそこから生まれる。
 なぜ長谷川は、そういう普通のセックスと愛の関係を書かないのか。なぜ逆の順序なのか。肉体と、それがたどりつく思想の到達点を、なぜ逆から書き始めるのか。
 
 これは長谷川からの「警告」なのだろう。
 私たちは(日本人)は肉体を失っている。「生命は尊い」という抽象的な思想は頭で理解しているが、肉体では理解していない。相手の肉体に触れる、触れて、撫でることを覚える。撫でることから始まる肉体のコミュニケーションがある。それは脳やこころを刺激する。脳やこころを開かせる。愛が生まれる。人間は肉体を持っており、命は肉体とともにつづいているということがわかるようになる。その感覚が、今、日本人の失っているものだ。「生命は尊い」ということばは知っていても、それを肉体として実感し、肉体として(今、ここにない未来の肉体へと)、つないでゆく(持続させてゆく)という力を失っている。肉体の内部の力を失っている。
 「手と足とを撫でる」から書き始めれば単純な恋愛詩、セックスの詩になってしまう。長谷川は、そうではなく、逆向きの詩を書くことで、私たちが「手と足とを撫でる」という肉体の動かし方さえ忘れてしまっている(頭で理解している、ことばで理解しているだけである)ということを強調したいのだと思う。
 その行為、その行為が含む力(肉体がことばを通り越してつかみ取るあたたかさの持続)を取り戻せ、と警告している。この警告は「生命は尊い」という抽象的なことばから発しないと通じないくらい、日本語は力を失っている。日本人の肉体は肉体そのものを失っている--そう嘆いている。そう怒っている。

 怒りでしか語れない「愛」というものがある。「逆説」が、この作品に含まれている「思想」である。「詩」である。

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中村稔「雪」

2006-12-15 14:23:39 | 詩(雑誌・同人誌)
 中村稔「雪」(「現代詩手帖」12月号)。
 各行の終わりが「雪はふる」で押えられている。

山裾にひろがる平原に、雪はふる。
川面に、雪はふる、立ち騒ぐ浪に、雪はふる。
点在する家々の屋根に、雪はふる。
小止(おや)みなく、音もなく、雪はふる。

私の心の底の暗がりに、雪はふる。
私を傷つけている悲しみに、雪はふる。
私の遣り場のない嘆きに、雪はふる。
すべてを忘れよと囁くように、雪はふる。

山並を、林を、墨色にけぶらせて、雪はふる。
白と墨色の濃淡だけの視界に、雪はふる。
人間と風景を溶けこませて、雪はふる。
静けさが世界を領して、雪はふる。

私にあたえられた時間の終りのとき、雪はふる。
悲しみも嘆きもふかく沈めて、雪はふる。
いとしい者たちの仄かな明るみの上に、
しきりに雪はふる、雪はふりつむ。

 1連目は実際に眼に見ることのできる風景である。平原、川、川の波、家、家の屋根と視点がだんだん一点に集中していく。この動きを感じさせない工夫として(その動きが強調されないようにするために)、「雪はふる」は繰り返される。一点への集中が、とても自然に、見えないようにして、おだやかな印象を引き出す働きをしている。
 その視線は自然に2連目で「私の心」へとつながっていく。しかも単に「私の心」ではなく、

私の心の底の暗がりに

 この「の」の繰り返しによる連続性--そこに中村の「詩」がある。「の」によって世界を連続的に、しかも広いところから徐々に狭いところというか、一点へと向かう。1連目には「の」は「点在する家々の屋根」と一か所しか出てこないが、2行目の「川面」は「平原の川面」である。街中の川面ではない。つまり、そこには平原から川へと視界を集中させるための「の」が省略され、隠されている。「点在する家々」も「平原」の「点在する家々」である。ここにも視線を集中させるための「の」が省略されている。
 2連目にも同じように「の」が隠されている。2連目2行目の「悲しみ」は「私の心の底」の「悲しみ」であり、同様に2連目3行目の「嘆き」は「心の底」の「嘆き」である。
 そして、ここで「の」が省略されているのは、その「の」による連続性が、一点への集中であると同時に、集中しながら拡大するものだからである。「暗がり」と「悲しみ」と「嘆き」は心の濃淡である。揺らぎである。それは一点(心の底)に集中しようとするとき、初めて見える濃淡である。
 この心理的な様態は、3連目の、現実の「風景」を描きながら「濃淡」(2行目)ということばそのものとしてあらわされている。3連目は現実の風景を描いているようでありながら、実は、こころをいったんくぐり抜けた風景、心象風景である。そういう意味で1連目の風景とはかなり違った意味合いを持っている。
 中村は、3連目で「濃淡」ということばを(いわば「の」の連続による世界が描き出す哲学を)浮かび上がらせて、その連続性によって人間と風景が溶け込むというありようが始まると書いている。人間(心、心の底)と風景が「の」の力によってつながり、同時に、そのつながりが消えて一体になる。融合する。その「静けさ」(4行目)。
 その「静けさ」は中村の思想そのものであり、だからこそ願い(祈り)でもある。4連目は、「祈り」として書かれた「静けさ」である。

 ところで、この詩の「雪はふる。」は先に簡単に書いたように、「の」による集中と拡大(あるいは深まりといった方が表現としては正しいのかもしれない)へと動く心理の視線を具象へ(現実の風景へ)かえすという働きをしている。そのことによって、人間と自然の溶け込んだ世界(日本人の心象世界?)をよりいっそう鮮明に浮かび上がらせるという働きをしている。
 ことばの一語一語にむだがない。選び抜かれたことばだけが書かれている。詩のことばはこうであらねばならない、という中村の強い意志が感じられる。
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マーティン・キャンベル監督「カジノ・ロワイヤル」

2006-12-15 00:56:12 | 映画
監督 マーティン・キャンベル 出演 ダニエル・クレイグ

 前半、つまり、ジェームズ・ボンドがテロ組織を利用して金を稼いでいる男をポーカー勝負で勝つまでが非常におもしろい。
 ダニエル・クレイグが人間業とは思えないくらいに走りまくるのだが、その走りがマラソンではなく 100メートル競走の走りである。そんな走り方で人間が走れるのはオリンピックを見ていてもせいぜい 400メートルが限度であるが、ジェームズ・ボンドはそういうことを気にしないのである。トラックのように整備された場所ではなくても、路地でも障害物があっても、何がなんでも 100メートルダッシュで駆け抜ける。そうやって肉体を見せる。
 ここに映画の基本がある。
 もちろん映画だからいくらジェームズ・ボンドが 100メートルダッシュを繰り返しても、それがそのまま現実ではないことは観客は知っているが、それでも人間の肉体がそんなふうに動く--その動きそのものを見せるというのは、やはり映画の醍醐味である。
 走りのほかに、素手での格闘もある。銃を使うよりも素手で戦う。ひたすら肉体を酷使する。走って走って走りまくる。殴って殴って殴りまくる。こんなことができるのはどんな肉体だろうか--と思わせておいて、ちゃんとオールヌードの体も見せる。そうか、やはりスパイの肉体というのは普通の市民(観客)とは違った肉体をしているのだ、と実感させる。(ふきかえかもしれないが。)
 肉体の特権で君臨するのが映画スターである。それを引き出すのが映画監督である。そういう単純な構図がここにある。明快で、とても気持ちがいい。
 ハイテクは情報収集・分析のパソコンが登場するくらいで、奇妙な新兵器は登場しない。基本の兵器(武器)はあくまで肉体である。肉体とともにある頭脳である。そういう基本へ立ち戻ったのが、この映画のおもしろいところである。
 後半は走り疲れたのか、ちょっともたもたする。肉体から、感情の戦い(?)へと主戦場が移動する。これも、これはこれでおもしろい。人間は走り続ける肉体だけでできているわけではない。感情があり、それが肉体を鋭敏にもすれば鈍らせもする。このとき、肉体と頭脳は同じものである。感情が目を覚ましているあいだ、頭脳と肉体は遊び呆けるのであろう。そうしたことも描いていて、これは、まるで「007 」の人間復活宣言のような映画である。
 続編がどれくらいつくられるのか知らないが、これまでの「007 」を全部肉体で洗い直してもらいたい、という期待が生まれるおもしろい映画である。



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田中佐知「(たとえば/一本の木が……)」

2006-12-14 23:51:18 | 詩(雑誌・同人誌)
 田中佐知「(たとえば/一本の木が……)」(「現代詩手帖」12月号)。
 「詩」は意味ではない。しかし、ことばには意味がどこからともなくやってきて自己主張する。感情もやってきて自己主張する。意味と感情が出会うとき、抒情詩が生まれる。そうした典型のような作品が「現代詩手帖」12月号に乗っていた。田中佐知「(たとえば/一本の木が……)」。その全行。「永遠」と「わたし」の関係が書かれている。

たとえば
一本の木が 空の高みに憧れるように
わたしも届かぬ 永遠に
熱い眼差しを投げかけている
その時
永遠という世界の神秘は
わたしの ひそやかな眼差しを感じて
かすかに
ふるえてはくれないだろうか?

 「高み」と「永遠」。その「意味」と「感情」がこの作品では溶け合っている。
 一本の木を見る。その木が、空の高みに憧れている。まるで永遠に憧れるように。そう書いたとき田中は木になっている。木といっしょになって(木と一体になって、つまり木そのものになって)、空の高みを眺め、憧れている。永遠を見つめたいと思っている。そして、ただ「永遠」を見つめるだけではなく、「永遠」の方からわたし(田中)を発見してくれることをも期待している。そんなふうに「永遠」と一体になることを願っている。
 そんなふうに作品世界を理解した上でのことなのだが、私は、この詩に実はびっくりしてしまった。椅子から跳び上がりそうになってしまった。
 永遠の方が「わたしの ひそやかな眼差しを感じて」震える。その「感じて」ということば。これに、私はびっくりしてしまった。
 「永遠」は田中にとって、人格なのである。感覚を持った存在なのである。

 一本の木--その目の前の実在に自分を投げかける。そして自分を一本の木と思い、私が木であったならこんなふうに感じ、こんなふうに思う、と感情として木と一体になり、木の思想(意味)を語るということは、詩の世界ではよくあることである。
 そしてこのとき、私と木は別個の存在であるのに、同じ感情・意識を持つということを通じて、その同じ感情・意識という「永遠」に触れる。「同じ」ということが「永遠」なのである。「同じ」は「ひとつ」に通じる。木と私(田中)は「同じ」感覚・意識を持つということは、感覚・意識として「ひとつ」ということである。「ひとつ」は真理であり、真理は「永遠」である。
 これを田中は「永遠」にまで拡大する。
 私(田中)と木が一体になり「永遠」に触れるなら、「永遠」の方でも、私と木が一体になっている、その一体感のなかで人間であること、木であることを超越しているのだから、「永遠」の方でもそれを「感じて」しかるべきだと田中は感じる。(ただし、この考えは「かすかに/ふるえてくれないだろうか?」と遠回しに語られるのだが……。)

 田中は「感じる」力がとても強いのだと思う。田中自身の「感じる」力が強いから、ほかのひとも(読者も)感じる力は強いにきまっている、「永遠」も感じる力を持っている。--そいうふうに、無防備に感じている。信頼している。
 その信頼感に驚くと同時に、あ、これは「現代詩」が失ってしまった力だなと思った。反省した。

 「感じる」こと。それが田中にとって「詩」である。そして田中が「感じる」とき、「永遠」の方でも田中を「感じる」。その「感じる」というありようが重なって「かすかに/ふるえる」。世界が、そして宇宙が。その「ふるえ」が田中にとっての、「届かぬ永遠」のさらに向こうにある「詩」そのものなのだろう。

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大崎千明『未完成の一日』

2006-12-13 23:45:49 | 詩集
 大崎千明未完成の一日』(花神社、2002年12月25日)。
 「子宮」という作品の中に「つながる」ということばが出てくる。

子宮のように
この家のなかで
わたしたち兄妹は育った
子宮は
光の世界と 闇の世界に
つながる臓器

 「つなぐ」ではなく「つながる」。これと非常に似通ったことばに「延長」がある。「分離」の中に出てくる。

今はわかる
おとこの子ら-兄たち-は特別で
わたしはおかあさんの延長なのだと
わたしはあなたの内臓で
あなたは わたしの皮膚

 「つながる」「延長」。そのふたつのことばから感じるのは、大崎の力ではどうすることもできないものが存在するということだ。大崎には「つなぐ」意志も、何かにむけて「のばす」意志もない。しかし、他の何かが「つなぎ」、他の何かが「のばし」てくる。その結果、「つながり」「延長」が生まれる。
 大崎の意志ではなく、他人の意志がつくりだしてくる関係の中に「つながる」。「延長」の中にのみこまれていく。ここに大崎の苦悩と悲しみがある。
 より具体的にいえば、暴力を振るう父、それに耐える母、その両親を見る大崎という家族関係、肉親のつながり、血の延長。それを大崎は切りたくても切れない。大崎自身が自らの意思で「つながる」ことを求めたのではなく、「延長」にあることを求めたのではなく、うまれたときから、それはあったからだ。
 そして、そのつながりと延長は、大崎が成長すればするほど、強烈になっていく。濃密になっていく。理解できなかったものが理解できるようになっていく。感情と精神、そして肉体が住む「家」になっていく。つながり、延長という二次元の世界から立体へ、そして時間(歴史)を含んだ世界へとかわっていく。そして、つながり、延長はそれにともない複雑化し、強靱になり、切っても切れないものになってしまう。
 どうすればいいのだろうか。何ができるのだろうか。大崎は大崎自身を殺してしまうのである。つながりという関係、延長という関係、そのものになり、私を消す。つながりも延長も両端があって初めて成立するものだが、大崎は大崎自身を殺すことで一方の端をたちきるという方法を選ぶ。
 「子宮」の全行。

わたしがない
台所にも 茶の間にも
どこをさがしても
わたしがない

あの家に
大事なものを置いてきたのだ
見つけなければ
わたしがうすくなって消えてゆく

おとうさんも おかあさんも
そんなものは知らないと言うから
ふらふらと ころげながら
やってきた
忘れものをさがしに
帰ってきた

ここには もう
だれもいない
何もない
静かに暗いかすんだ家

ひしめくように暮らしていたのに
だが この家の 足音や
もの音が きこえてくる

子宮のように
この家のなかで
わたしたち兄妹は育った
子宮は
光の世界と 闇の世界に
つながる臓器

ここだ
この押入れだ
押入れは いつも
不意に異界の口をぱくりとあけた

隠れたままなのだ
あの子を押入れのなかに
隠したままなのだ
闇からとり出さなくては
あの子の 闇を
解き放たなくては

あの子が
闇にとてけ消えてしまう

手を伸ばし
わたしは
ふすまを引く

あった
それは一個の腐乱死体だった

 だが、わたしを消して関係を解消すればそれでいいのだろうか。わたしは「ない」ままでいいのだろうか。わたしが消滅しそうになって、大崎はそれではいけないと気がつく。そして、「手を伸ばす」。
 終わりから2連目の「手を伸ばし」の「伸ばし」。この瞬間、大崎の意志が初めて動く。殺してきたわたし(大崎)は、「家」とつながってはいない。「家」の延長にはない。その向こうにある。「家」のなか、「押入れ」の中だが、それは母も父も知らない内部(大崎のこころの内部--「家」とは先に書いたように、こころの比喩でもあるのだから、「押入れ」とはこころのさらに内部になる)だからである。
 手を「伸ばす」のは「つながる」とは違うのだ。手を伸ばし、「つなげる」のである。「つなぐ」のである。わたし(大崎)と殺してしまったわたしを「つなぐ」のである。
 それは新しく命を吹き込むということでもある。それが腐乱死体であっても、大崎には命を吹き込むことができる。「子宮」があるからだ。「子宮」でもう一度、その子を育て直すのである。産み直すのである。そして、新しく生まれてくる子として大崎は生まれ変わるのである。
 「子宮」は平明なことばで書かれているが、ひとつひとつのことばが互いに比喩となり、実在のものとなり、交錯しながらひとつの世界になっている。その動きなのかで、人間の再生を描いた、とてもいい作品だ。「つながる」から「手を伸ばす」へという変化のなかに、人間の再生の瞬間をくっくきりと描き出したいい作品だ。

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山本哲也「生きているふりをしなければ」北川透「ウイルス」

2006-12-12 11:56:59 | 詩(雑誌・同人誌)

 山本哲也「生きているふりをしなければ」北川透「ウイルス」(「現代詩手帖」12月号)。
 さらに逸脱について。
 山本哲也の「生きているふりをしなければ」は入院(あるいは病院)につていの詩である。「生きているふりをしなければ/生きられない。」という逆説めいた論理に抒情がある。この逆説には清水哲男の「なあんてね」に通い合うものがある。「いのり」のようなもの、ひそかな「ねがい」のようなものが、ことばにならないまま漂っている。そういう「空気」をより明確に(?)するために、山本が選んだ逸脱は……。

(昭和十二年四月二十日夕刻
鎌倉の妙法寺の境内、
小林秀雄と中原中也の二人、
海棠の花がしきりに散っている
小林秀雄がいう
「あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ」)

 有名な小林秀雄と中原中也のエピソードである。山本は「文学」へ逸脱していく。しかも「文学」そのものというより、「文学の周辺」へ逸脱していく。「文学」をめぐる、ことばをめぐる思いへと逸脱していく。なぜ、小林秀雄は、あるいは中原中也は、なぜそういうことばをつかったのか。ことばの奥に何があるのか、どんな命が動いているのか……そしてそれが、少しずつ、山本自身の現実と重なる。山本哲也は「文学」を通って「文学の周辺」へと向かうことで「文学」から離れ、山本自身の現実へと引き返してくる。

あのとき、なんで
中也は、もういいなんて言ったのか
「もういいよ、帰らうよ」だなんて
(あれはおそらく中也の嘆息だった)
レトリックはもういい、
せめて生きているふりをしなければ
薄い胸のうちの
小暗い森のなにもないという空虚にむけて
           (谷内注「もういいよ」の2度目の「い」は送り文字)

 この「文学」の向こうへ行って、そこから自分の現実へ引き返すという意識の動きがわかるだけに、しかし、私には奇妙な印象が残る。
 ことばはレトリックである。文学はレトリックである。そう断定して、そこから遠く離れる中也のこころにつき従って、その文学から遠く(?)離れた場に自分自身の生を重ね合わせる--そのときの「生きているふりをしなければ」は、私から見れば、やはりレトリックである。レトリックを拒否する「ふり」をしたレトリックである。(この点でも、清水哲男の「なあんてね」に非常に似ている。)
 そして、この「ふり」こそが、たぶん山本哲也の現実と肉体の関わり合い方なのだと思う。私はふいに「桃」という作品の書き出しを思い出す。

男がビールを飲んでいる
くだらない仕事でも
心をこめてやるしかなかった

 ここでの仕事のこなし方は「ふり」というには、ちょっと違和感があるかもしれない。(だからこそ、山本哲也の「ふり」につながるのだが。)ほんとうは違うことがしたい。しかし、したくないと頭は判断するけれど、それに向けてこころを動かしていく。頭とこころの乖離が、山本の「ふり」にはあるのだ。
 頭ではレトリックを拒否する。しかし、こころはレトリックをていねいに仕上げる。そこから、こころの、何とも言えない悲しみのようなものが流れてくる。
 小林秀雄の「あれは散るのじやない、散らしてゐるのだ」は頭で仕上げたレトリックである。そこを通り抜け、そこから遠く遠く離れて、こころのレトリックを目指す。
 生きているのは頭ではなく、こころなのだから。

 しかし、なんだか濾過されすぎている。生きているのは頭ではなく、こころだ、という考え方自体がすでに頭で濾過されたもののように思えてくる。
 山本の詩の中に、たとえば蜂飼の「坂鳥 朝越え 砂丘のにおい」のような、どこからともなく生まれてきた肉体の発する音があれば、そのこころは頭ではなく、肉体(肉)そのものと絡み合うのになあ、と思ってしまうのだった。



 北川透「ウイルス」はどこかへ逸脱していくということはない。最初から逸脱していて、その逸脱した「場」から「文学の周辺」へことばをぶつける。こころを頭で濾過する、というような抒情を拒絶している。頼るべきは自分の肉体だけである。

 ウォー 階段を降りながらぶよぶよしているおれは
 ウォー きょう一日 どんな牝馬どんな特売市場
 ウォー どんな遺産相続と交配させられるのだろう
 ウォー 吠えているおれを 空っぽの卵が笑っている
 ウォー 世界はいまいましいほどぶよぶよしていて
 ウォー 詩と死の開かれない頁につながれている

 ことばがどこまで動いていくか(つまり、どこへ動いていけば「文学」になるか)、ということを北川は想定していない。ただ「ウォー」と叫んだときのあまった力(余剰の力)が肉体の中からことばを引き出すのに身を任せている。そして、あふれてきたものを「文学の周辺」とその奥にある「文学」にむけてぶつける。
 「文学」がその声に気づくか。そうなる前に北川の声が尽きてしまうか。そんなことは、たぶん北川の意識にはない。ただ、今、この「場」で北川のことばを肉体化することだけが、北川にとって「詩」なのである。

 北川の逸脱は、完全に孤立した逸脱である。そして完全に孤立しているがゆえに、不気味なことに、それがどこかとつながっているように感じられる。だれと、と名指しはできないが、ときどき、そういう孤立した声を、詩を読んでいて感じることがある。
 清水哲男の抒情、山本哲也の抒情が、それぞれ孤立しながら、どこかでそっと触れ合って、それがしっかりした抱き締めあいではないがゆえに、「孤立していますよね」とひそかに確認している抒情なのに対して、北川の孤立は触れ合うことを拒絶することで、見えない力で遠くの存在と強烈に抱き締めあっている。そういう印象がある。それはだれか、というよりも、文学の奥の奥の奥の、ことばを発する力かもしれない、とも思う。

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クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」

2006-12-11 23:35:20 | 映画
監督 クリント・イーストウッド 出演 渡辺謙二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童

 「父親たちの星条旗」につづき、この映画でもスクリーンは不思議な色に染まっている。草の緑も浜辺の砂も海も色も、これがほんとうに硫黄島の自然の色とは思えない。だが、私の判断が正しいかどうかはわからない。ほんとうに、スクリーンに映し出された通りの色かもしれない。私は硫黄島について何一つ知らない。
 始まってすぐにそう思い、そしてその瞬間から私はスクリーンに釘付けになった。何も知らない。それがすべてである。
 硫黄島が太平洋戦争の激戦地であったことは知っている。しかし、いったい何人の人間が死んだのか知らないし、また彼らが硫黄島をどんなふうに見ていたか、そこで戦い死んでいった兵士たちにとって硫黄島がどんなふうに見えたか、そんなことはまったく知らない。草は緑だったか。砂は白かったか。海は青かったか。違うかもしれない。彼らには草はくたびれた茶色だったかもしれない。砂は黒ずんでいたかもしれない。海も灰色だったかもしれない。太陽が輝く南の島だからといって、草は緑に、砂浜は白く、海は青く見えるとは限らない。特に、なんのために戦っているのだろう、こんな戦争なんかいやだ、生きて帰りたいと願っている人間に、草の緑、砂の白、海の青が輝いて見えたと誰に断言できるだろうか。この映画で再現された色--それはそこで戦った兵士たちが見た色そのものなのだと思えてくるのだ。
 特にストーリーが進めば進むほど、この色のない世界が兵士の見た世界だと実感できる。渡辺謙は草の緑も砂の白も海の青も見てはいない。ただどこからアメリカ兵が、どのように攻めてくるか、それに対してどう戦えるかということしか見ていない。それしか見えていない。二宮和也には、渡辺謙がどういう人間であるか、他の上官がどういう人間であるか、仲間の兵士がどういう人間であるか、しか見えていない。見ていない。二宮和也にとっては、アメリカ兵はひとりひとりの人間には見えていない。(ほかの日本兵にとっても、だが。)見ているのは自分がどうやって生きて帰れるか、だけである。
 そしてそこから「真実」が見えてくる。
 戦うということではなく、生きるということが見えてくる。最善のことをする、ということがみえてくる。「正義」が見えてくる。だれが「正義」を、つまり自分にとって正しいといえることをしているかが、はっきりと見えてくる。
 この「正義」を、カメラはクライマックスで二宮和也の視線の動きと一体になって動く。渡辺謙の遺品のピストル。それがアメリカ兵の腰にある。不当に奪われたものである。その瞬間、あれほど、ただただ生き延びていたいと願っていた二宮和也が我を忘れてスコップでアメリカ兵に襲いかかる。人は人のものを、そんなふうに奪ってはいけない--それが二宮和也の「正義」である。その、人は人のものを奪ってはいけない、という単純な思いは、そして国が人間を兵として奪い、戦わせることへの批判につながっていくものだと思う。そして、ここから、奪われたものの悲しみが、まっすぐに、ただひたすらまっすぐに立ち上がってくる。噴出してくる。
 戦争とは、日常生活を奪われ、命を危険にさらすことである。なぜ戦わなければならないのか、ひとりひとりには何もわからない。戦っている相手がどんなことを考えているのか、感じているのか、そういうことすら思いめぐらすこともなく、つまり、そういうごく普通の人間性を奪われた状態で生きていくのが戦争である。だが、貴重なものを奪われながらも、今、ここにはいない家族を守ろうとする、そのきわめて個人的な思いが、生きてし帰って再びいっしょに暮らしたいという個人的な思いが、兵士たちの人間性を唯一支えている。
 そうしたこころを、自分の中に残る人間性を守るために(そういう意識が明確あったかどうかはわからない。たぶん、何もわからないまま、本能として)、手紙を書く。(そういう思いがあることを肉体で感じているからこそ、二宮和也は仲間たちの手紙を地中に埋めて残そうとしたのだろう。--だれかか発見してくれることを願ったのだろう。)

 この映画の色は不自然である。硫黄島の風景はとても現実の色とは思えない。しかし、それがそこで戦った兵士たちの見た色なのだ。兵士たちは、ふるさとの山の緑、野原の、畑の緑、ふるさとの浜辺の砂の輝き、ふるさとの青い青い海の色しか見ていない。その色、再び家族と、愛するひとといっしょに見たいと切実に願っている兵士たちには、硫黄島の草は緑に、浜辺は白に、海は青には見えないのである。
 クリント・イーストウッドは、不思議な色の硫黄島を描くことで、観客に、そこで戦って死んでいった兵士たちが見たふるさとの風景の色が見えますか、想像できますか、と静かに問いかけているのである。

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蜂飼耳「波の実」八重洋一郎「嘆き村」

2006-12-11 22:33:42 | 詩(雑誌・同人誌)
 蜂飼耳「波の実」八重洋一郎「嘆き村」(「現代詩手帖」12月号)。
 再び逸脱について。蜂飼のことばは「意味」とは無関係に逸脱する。
 江代充の「譲歩」も清水哲男の「なあんてね」も「意味」での逸脱である。頭に働きかけてくる。「意味」に出会って、その「意味」の気まずさに、頭がひっかかれる。どうして、ここで、こんなことばで「意味」をつくろうとするのだろうか。「意味」をはぐらかそうとするのだろうか。なぜ、そんな具合に逸脱するのだろうか。--感じるのではなく、頭で考え始める。頭で考えたことを、感情が追いかけていく。江代充も清水哲男も「抒情詩」を書いているのだが、その抒情詩は感情へ直接訴えかけてくるというよりも、頭へ訴えかけてくる。そしてそのとき、泣くのは感情(こころ)ではなく、頭である。そんな感じがする。
 蜂飼のことばは頭へは訴えかけてこない。これは悪い意味ではなく、いい意味で言っているのだが、頭とは無関係なところ、肉体へ働きかけてくる。そこが非常におもしろいし、また、どんなふうにおもしろいか、説明するのが非常に難しい。説明とはたいてい頭で理解するために有効なものであって、肉体で納得するのには向いていないからである。
 「波の実」で肉体に働きかけてくるのは、たとえば……。

おばあさんが研がれた刃のやわらかさ
ふたつに割れて ざらざらと重く回る実は
だまって東と西を切り出し 切り出す
坂鳥 朝越え 砂丘のにおい

 特にその4行目。おばあさんが包丁でさばいている何か(イカだろうか)とは無関係に、つまり唐突に「坂鳥 朝越え 砂丘のにおい」という音楽が挿入される。それは「意味」になる前に、「さ」の音の入れ替わりが音楽として耳に入ってきて、その音楽が風景にかわる。
 そのつづき。

その先へ腰 かがめる男 さらされて
中年でも老年でもない 灼けた指で
烏賊を 大中小に分けている 選(よ)る
大は ひろげられ おとなしく干され
中は ひろげられる先から力なく丸まり
小は 待機の緊張を溶かしまだまだこれから
坂鳥 朝越え 砂丘の裏へ

 烏賊をさばいて干している(干烏賊をつくっている)作業が見えてきたと思ったときに、再び「坂鳥 朝越え 砂丘の裏へ」という「さ」の音の音楽。
 おばあさんや、さらに年取って海へ出ることはなくなった男(おじいさん?)が海辺で仕事をしている風景が浮かんでくる。砂丘がつくりだす坂を、朝早くから越えて浜辺へやってくるのだろうか。私の想像が正しいかどうかではなく、私の肉体の中に眠ってめざめるのをまっている朝の浜辺の労働の感覚が「さ」の音がつくりだす音楽とともに、リズムになって動きだす。
 蜂飼のことばは、なんというのだろうか、みんなで共同作業をするときのリズムをあわせるための民謡(?)のような、肉体に深く根付いた何かをひっぱりだしてくる。今、ここにはないけれど、かつてだれもが体験した肉体のリズムの記憶へとことばの音楽が逸脱し、そこから再び、今、ここへもどってくることによって、私たちの肉体を元気づけるような印象がある。

 八重洋一郎「嘆き村」にも似た印象がある。

真肉親子(マシシウェーカ)は
一番近いしんせき
一番やわらかい肉を食べ
脂肪親子(ブトゥブトゥウェーカ)は
あまり近くないしんせき
肉のまわりのアブラを舐める

アア ファリンドゥ ファリンドゥ
アア ファリンドゥ ファリンドゥ

棒をふりまわし鉈をふりかざし遺体のまわりを泣きさけぶ
これは
直系親族の悲しみの声

ああ
食べられてしまうねえ
ああ
食べられてしまうねえ

 葬儀とは人が集まってくる「場」である。集まってきた人は、ことばになりきれない感情のようなものを囲む。囲みながら、その感情が育っていく--つまり、私たちの肉体になじんでいくのを確かめあう。そうした「場」の共有--現代の生活が拒絶してきた近代の(?)感情のようなもの、それが肉体のなかで確かなものになっていくのを互いに見つめ合う。そうやって人間になっていく。
 これは「頭」の仕事ではない。
 葬儀において泣こうが泣くまいが、悲しもうが悲しまなかろうが、ひとりの死が何かにかわるわけではない--というのは「頭」の論理である。みんなで、それを取り囲み、泣いたり悲しんだりすれば、そのとき何かがかわることを肉体は知っている。感情の共有という喜び(愉悦)が、そのリズムが、人間をどこかで支えている。その力につながるものを八重や蜂飼のことばは呼吸している。頭ではとらえきれない何かへ向けて、逸脱し、そして肉体へかえってくるときの「空気」を呼吸している。


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江代充「鳥一羽」清水哲男「ウィンドウズ」

2006-12-10 23:58:50 | 詩(雑誌・同人誌)
 江代充「鳥一羽」清水哲男「ウィンドウズ」(「現代詩手帖」12月号)。
 逸脱、ということについて考えた。09日の日記に書いた飯島耕一の「通天橋」の逸脱は非常にわかりやすい。菅茶山の神辺を訪問する。そこで江戸時代の詩人の空気を吸う。「天」を感じる。その帰り、京都で意識がパンプローナの牛追い祭りへ飛ぶ。菅茶山と無関係の世界へ逸脱する。そして、その逸脱が「天」そのものへと通じる。通天橋は「さっと眺めて」帰ってしまう。「通天橋」には逸脱の笑いもこめられている。逸脱が飯島にとっての「詩」である。
 ところが、江代充「鳥一羽」の場合は、ちょっとわかりにくい。逸脱は「違和感」の「感」とうい部分にあらわれる。書き出しの3行。

道は過去に歩いた既存の田舎道をモデルとして
わたしたちの夢の中に
初めからある特定の幅をもって譲歩されていたが

 これは、夢で道を見たということを書いているのだと思う。夢の中の道は、過去に歩いた田舎道のように見える。しかし、実際に歩いた道そのものではない。幅が微妙に違う。(だからこそ、それは夢なのだとわかるのだが……。)--簡単に言えば、そういうことが書かれているのだろうけれど、ことばの印象がしっくりこない。普通の会話で使うような使い方がされていない。江代充の「逸脱」はことばの使い方の中にある。この詩の場合、特に「譲歩されていたが」という表現に「逸脱」が著しくあらわれている。こんなときに「譲歩」ということばを日常では使わない。--そういうところに、「詩」がある。日常のことばをねじまげてでもいわなければならないもののなかに「詩」がある。「逸脱」が「詩」である理由がここにある。
 さまざまなことに対する「譲歩」。そのときほんとうの気持ちと、そうではない気持ちがこころのなかに存在する。ふたつの差異を眺めながら江代充は存在している。そのことを意識しながらつづきを読むと、江代の見ているもの、「差異」に目をこらして感覚をとぎすましている苦しいような息づかいが見えてくる。
 最後の5行。

一人の人間の内側にある
したがう者と抗(あらが)うひととの身ぶりを
自然界の形体や
身近な空気のわずかな動きなどを真似ることで
その光の前に表すことができた

 「したがう者」と「抗うひと」が「譲歩」によって見えてくる「差異」である。譲歩しながら、私たちは実際の行動を起こす。そして、それが「譲歩」されたものであることは、「わずかな動き」のなかに痕跡として残る。
 そうしたわずかな「差異」に向き合って、誠実さを鍛えている文体。鍛えてしまうという「逸脱」をするのが江代充である。

 清水哲男は江代充が「譲歩」ということばであらわしたものを、「なあんてね」という口語ではぐらかす。「ウィンドウズ」には「なあんてね」を含む行が2度繰り返される。そして、その反復のなかで「差異」をつくりだし、それに向き合う。

なあんてね
これは実際にあったことだけれど
もはやあったことには思えない
(略)
なあんてね
これはまだ実際にないことだけれど
もはやあったことに思えている

 「なあんてね」に先立つことばは「なあんてね」と言ってしまっていいような内容には思えないが、そうした口語ではぐらかすことで清水哲男自身のこころと向き合うことを避けるというよりも、それは読者が重いことがらと向き合わなくてすむようにしている「配慮」である。「配慮」であるがゆえに、それは江代充の「譲歩」に通じる。そして、それが「逸脱」である。
 そのような「配慮」(逸脱)をしてしまったがゆえに、実際にあったことがあったこととは思えない。実際にはない(起きていない)ことなのにあったことのように思えるという事態が生まれる。「差異」はふたつの精神の動きが逆方向ということにあらわれるが、この「差異」は向きは逆だが、「どっちがどっちかわからない」という点でいえば「差異」ではなく区別がない、つまり「混同」である。「配慮による混同」が清水の「逸脱」である。
 そして、この「混同」(逸脱)のなかで静かに、読者を驚かせないように「配慮」しながら、ことばを動かす。「思えない」「思えている」--「思う」ということばの中に閉じ込めるようにしながら。
 「思う」ということばゆえに、清水哲男の詩は抒情詩の領域にとどまる。


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ホウ・シャオシェン監督「百年恋歌」

2006-12-09 23:17:59 | 映画
監督 ホウ・シャオシェン 出演 スー・チー、チャン・チェン

 スクリーンの広さは限定されている。その限定された広さをいかに広く見せるか。ホウ・シャオシェンは昔から、広さを拒否し、かわりに奥行きを描く。第2話の室内の描写がいちばん説明しやすいが、ホウ・シャオシェンは主人公たちがいる室内だけを描写するのではない。その部屋とつながる隣の部屋を描く。ちらりの見える奥の部屋の動きを描くことで、画面に奥行きをあたえる。障害物による遠近感、ある存在の向こうに別の存在が見えることによって引き起こされる遠近感を描く。ひとつの室内を描くときでも、たとえば主役の二人のあいだの空間を小間使いがお茶をもって横切る。そうすることで、主役の二人のあいだの広がりを立体的に浮かび上がらせる。
 また横の広がりを描写するときでも必ず障害物を取り入れる。第1話。ビリヤードの台全体が写されることはない。壁(戸?)によって半分は隠されている。その見えない部分へと人は動いて行く。そんな描写をすることで、今スクリーンに映し出されている映像は、ほんとうはもっと広いのだと知らせる。
 こうした描写の工夫は日本人にはなじみやすい。近景、中景、遠景という空間構造は狭い日本に住む日本人の描く絵に多い。(オーストラリア映画では、砂漠などは、突然遠景だけである。そういうものを見ると日本人である私には広さがどれだけ広いのか見当がつかないが、たぶん広大な土地に住んでいるオーストラリア人なら微妙な光の変化などで広さが把握できるだろう。)ホウ・シャオシェンの台湾も日本と同様島国なので、限られた空間をどうやって広く見せるか(広く描くか)というときに、似たような構図をとるのだろう。
 はじめてホウ・シャオシェンの映画を見たとき(「恋恋風塵」だったと思うが)、その繊細な空間描写に親近感をおぼえたが、今となっては、また同じ描写か、と思ってしまう。繰り返し繰り返し、同じ近景、中景、遠景という構図。見える部分を限定することによって、見えない広がりを暗示させるという方法は、もはや繊細な感覚を感じさせない。マンネリである。
 ほんとうに描かなければならないのは、室内の遠近感ではない。人間ひとりひとりの遠近感である。人間は誰でも見せている部分と隠している部分がある。それが交錯することによって人間存在に奥行きが出る。こういう奥行きは、室内の遠近感(あるいは室内と外との遠近感)に頼って画面をつくっているかぎりは、こころに迫ってくるものにならない。室内よりも人間を描かなければならない。そこのところをホウ・シャオシェンは手抜きしている。
 百年のあいだの三つの恋。50年置き同じ人物が演じることによって時代の「奥行き」を描いたつもりらしいが(特に、女性の変化を描いたつもりなのだろうが)、そうした時代の大きな隔たり(時間の遠近感)に頼ること自体が、ひとりひとりの人間存在と正面から向き合っていない証拠である。百年も時代に違いがあれば、そこに遠近感が生まれるのはあたりまえである。そうではなくて、ひとつの時代、たとえば現代において、若い男と女が恋をするとき、その内部にどんな遠近感が生まれるのか。そして、その遠近感が相手をどんなふうに自分の奥へと誘い込むのか、あるいは相手の奥へと誘い込まれるのか、ということを役者の肉体をつかってきちんと描かないと映画にはならない。
 構図の作り方、繊細な光の感覚にはあいかわらず感心するが、それだけの映画であった。時代とともに変化する「歌」(流行歌)など、あたりまえすぎて遠近感にすらなりえていない。

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飯島耕一「通天橋」

2006-12-09 13:55:27 | 詩(雑誌・同人誌)
 飯島耕一「通天橋」(「現代詩手帖」12月号)。

黄葉山前(こうようさんぜん) 古郡城(こぐんじょう)
鞆ノ浦の瀬戸内の浜から北へ
神辺(かんなべ)に
菅茶山の跡を
訪ねる
長いあいだ
行きたいと願った土地だ
黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんじゃ)の
山や川 そして


茶山先生に一目だけでも と
江戸から西へ
九州から京へ はるばると旅する
江戸中期の詩人たちは
神辺への道を辿った

いまはただその山川の
天を仰ぐのみ

翌朝 京都で眼ざめると新聞に
北スペインのパンプローナの牛追い祭りの写真が出ている
今年の七月は青舌病という牛の病気で
闘牛も祭りも中止かという

京都駅に近い寺で
通天橋を さっと眺めて この旅は終わった

 とても不思議な作品である。「通天橋」「黄葉山前」ということばから秋の詩だとばかり思って読み始めた。秋に、菅茶山のふるさと神辺を訪ねて旅したのだと思って読み始めた。すると突然

翌朝 京都で眼ざめると新聞に
北スペインのパンプローナの牛追い祭りの写真が出ている
今年の七月は青舌病という牛の病気で
闘牛も祭りも中止かという

 と「今」が7月だと知らされる。より正確には7月6日(パンプローナの牛追いが始まるのは確か7月6日である)より以前であることがわかる。
 そして、この瞬間、世界が大きく動く。

 飯島は想像力で「黄葉山前 古郡城」を見ている。「長いあいだ」夢見ていたので、今が7月であろうが何月であろうが、飯島には黄葉が見えるということだろう。そして同時に、菅茶山にあこがれて、菅茶山を訪ねた多くの人のこころも見えるのだ。それは今、神辺の「天」にある、空気の高みにある、と飯島は感じている。
 この「天」ということばは、飯島の「空」ということばを連想させる。飯島は「空」の詩人。空気の高み、精神の高み、「高さ」の詩人だ。神辺で、飯島は多くの詩人の呼吸した空気(空)の高みを呼吸した。それが飯島の旅だった。
 いったんそういう高みを呼吸したあと、飯島はさっと現実に帰る。帰るといっても、いったん高みを呼吸したあとでは、視点が違ってきている。近くではなく、どうしても遠くまで視線が動いて行ってしまう。高いところから遠くが見えるように、飯島は、京都にいるのに地球の裏側のスペインにまで視点が動いて行ってしまうのだ。
 このとんでもない(?)視線の拡大、視野の拡大が、いっそう、「天」(空の高み)を感じさせる。

 ばかみたい、といえば、ばかみたいだ。なんだこれは、といえば、なんだこれは、としかいいようがない。しかし、そんなふうにして視線が自由なのは詩人の証明なのだといえば、そうだろうなあ、としかいえなくなる。
 菅茶山とパンプローナの牛追いにはなんの関係もない。関係もないものを結びつけて、そこに世界を繰り広げるのが「詩」である、といえば、たしかに「詩」である。

 そういう「高み」を存分に遊んだからこそ、飯島は

京都駅に近い寺で
通天橋を さっと眺めて この旅は終わった

と黄葉の名所「通天橋」(東福寺)を「さっと眺めて」過ぎ去って行く。この「さっと眺めて」が「詩」である。詩人である。7月、紅葉の季節でもない。「天」なら、神辺ですでに見た。わざわざ通天橋で時間をつぶす必要もない、ということだろう。
 見たいものは見る、見たくないものは見ない。この単純性に飯島の美しさがある。




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清岡卓行論のためのメモ(8)

2006-12-08 23:58:48 | 詩集
 現代詩文庫「続・清岡卓行詩集」(思潮社、1994年12月10日発行)。
 初期詩集『円き広場』(1988年)から「円き広場」。

わがふるさとの町の中心
美しく大いなる円(まる)き広場
そは 真夏の正午の
目覚めのごとく
十条の道を放射す
即(すなは)ちまた そのままにて
十条の道を吸収す
おお 遠心にして求心なる

ふるさとの子 二十歳(はたち)
幼き日より広場に
はじめて眩暈(めまい)し 佇む
意識の円き核の
かくも劇的なる
膨張(ふくらみ)と同時の収縮(ちぢまり)を
かつて詩にも 音楽にも
恋にも 絶えて知らざりき

 この作品には清岡の「詩」の要素が凝縮している。すべてそろっている。この詩を読むことは、清岡の詩集全部を読むのに等しい。
 「と」は一か所のみ使われている。「膨張と同時の収縮を」。「と」によって膨張と収縮という反対の概念が結びついている。そしてそれは「同時に」ということばで結びつきを強いものにしている。
 これに先立つ「遠心にして求心なる」と「遠心と同時に求心」と書き換えても意味は同じである。「にして」は「と同時に」と同じ意味を持っている。
 また「十条の道を放射す/即ち そのままにて/十条の道を吸収す」の放射、求心の関係は、やはり「と」によって置き換えることができる。放射「と」求心。そして、「即ち そのままにて」は「にして」と同じ意味である。「放射にして求心」と言い換えうる。
 「と」とは「と同時に」という意味であり、「にして」という意味であり、また「即ち そのままにて」という意味である。それは「と」によって結びつけられるものが正反対のものでありながら一体(ひとつ)になっていることを指す。「と」は正反対のものをひとつにする力である。
 「と」にによって成立するこの世界は「詩」「音楽」「恋」を超越する完璧なものである。
 そしてこの「と」は「広場」として具象化されている。その広場には十条の道がある。「広場」を通って、人は「十条」(全方向)へと行くことができる。「広場」へはどこからも来ることができ、また「広場」からはどこへでも行くことができる。それはあらゆる可能性の「場」である。
 清岡は、その全体的な可能性、「劇的」瞬間に「眩暈し 佇む」。放心し、自己自身ではなくなる。
 清岡に「詩」の原風景というものがあるとすれば、この「円き広場」がそれである。清岡の「詩」はこの「円き広場」に始まり、「円き広場」に終わる。常に「円き広場」をさまざまな形で繰り返している。



 『円き広場』の詩集に含まれる「と」、あるいは「と」の言い換えを含む詩行の例をいくつか。

鉄橋にてつなげられたる
新と旧ふたつの小さき市街
            (「馬車」)

 「新と旧」。「鉄橋」と「円き広場」の変形である。そこを通って人はどちらへも行くことができる。そして、この「にて」は漢字で書けば「以て」であり、また「以て」は「即」でもある。「即」は「同時」でもある。凝縮した「一瞬」、切り離すことのできない「瞬間」でもある。

おお
コロンブスの夜よ
なんぢのいかに甘く悲しきかな
          (「商船の夜」)

 「甘く悲しき」には「と」が隠されている。「甘さ(甘み)」と「悲しさ(悲しみ)」が「と」さえも省略された形で強く強く結びついている。「甘く悲しき」は「甘さ即、悲しさ」である。「と」が省略されているのは、それが切り離すことのできないもの、融合し、一体となっているものだからである。こうした瞬間に、清岡は「眩暈」を感じ、それを書き留めるのである。
 同じく対立する概念が「と」を省略された形で表現されたものに、

甘き苦さもと悟れとや
           (「札」)

というものもある。
 対立する概念を同時に抱え込む人間の感情--それは「円き広場」なのである。あるいは、ひとつの感情を対立する概念で描写してしまう人間の理性--それが「円き広場」なのである。人間そのものが「円き広場」なのである。そこでは感情(感性)と精神(理性)とが自由に交錯する。行き交う。そして、それぞれを深めあう。高めあう。それが清岡の「詩」である。

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