詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(39)

2020-04-24 15:38:59 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (だれもいないとき)

泪はすがたをあらわす

 この「泪」は、だれの涙か。ふつうは嵯峨の涙(筆者の涙)を想像する。しかし、嵯峨は、こう書く。

だれがながしたのか泪は小さな玉を結ぶ
それでも一言が生まれるにはまだほど遠い

 「他人」の涙だ。だれかが泣く。しかし、この「だれが」は複雑である。ほかの「だれか」ではなく自分であるけれど、それを「だれが」と客観化している。
 「一言」を「生む」のは嵯峨にほかならないからだ。
 詩のなかでは「主客」は融合してしまうのだ。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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新型コロナ転換点

2020-04-24 09:31:21 | 自民党憲法改正草案を読む
新型コロナ転換点
       自民党憲法改正草案を読む/番外341(情報の読み方)

 2020年04月23日の読売新聞(西部版・14版)の一面。新型コロナをめぐるニュース。

軽症者はホテル療養/厚労省通知 自宅併用から転換

 「やっと」というか、病気になったら入院・治療があたりまえ、感染症なら「隔離病棟」で治療するのが当然だろう。病院建設が間にあわないから「ホテル」を利用する。おそすぎる対応だ。中国が病院を建設したとき、日本もすぐに病院を建設すべきだった。韓国が検査を徹底したとき、日本も検査を徹底すべきだった。隣国に「お手本」があるのに、3か月近くも「独自路線」にこだわった。
 その「独自路線」の総括(?)が一面のトップ。

感染者集団125か所/本紙調査 31都道府県2698人/医療機関41 福祉施設27

 「クラスター」を追跡することで、感染者の封じ込めを狙った。その「結果」、判明した「クラスター」が、この数字。読売新聞は、記事の前文で「各地に広がるクラスター追跡の必要性があらためて浮き彫りになった」と安倍の手法の「正当性」の証のように書いているが、この評価はどうか。
 全国の感染者数は24日0時現在「1万2281人」(26面の一覧表)である。「2698人」は四分の一にもならないではないか。これは、安倍の「追跡作戦/封じ込め作戦」が大失敗であったという証拠である。
 視点を変えて、客観的に事実を語る必要がある。
 クラスターの追跡が無駄とは言わないが、それよりも大切なのは、クラスターにとらわれずに、検査を徹底することである。
 クラスター追跡は、初期の初期には意味があっても、「市中感染」がはじまってしまえば、ほとんど無意味だ。
 重要なのは、見出しにとっていない次の部分だ。

沖縄県では、累計感染者は130人にのぼるが、感染者集団としては、沖縄市の会議室に関係する7人のみ。東京都も、大規模な集団が複数確認されてはいるものの、3000人以上いる累計感染者のうち感染者集団に含まれる人は約500人にとどまり、感染経路不明の人も多い。

 「感染経路不明の人も多い」ではなく、「感染経路不明の人が多い」のだ。特定されている人が少ない。「結論」を変えてはいけない。感染経路(感染集団)にとらわれずに、「市中感染」そのものを把握しないといけない。
 「集団感染(クラスター)」にこだわるから、自宅療養中に容体が急変、死亡するという事故も起きる。「集団感染」であろうが「個別感染」であろうが、人は重症化もすれば、死んでしまうこともある。自宅療養を強制され、治療を受けることもできず、そこから感染が拡大していくことが増えるのだ。
 毎日新聞のウェブ記事(04月23日19時28分更新)によれば

自宅療養者数、病院外の死者数「現時点で把握せず」官房長官認める

 ということだが、いままで発表されてきた「感染者、死者」は一部にすぎないのだ。クルーズ船のときから「現時点」まで、すでに3か月近くたつ。3か月近くも、安倍政権は「クラスター」は追跡したが、「市中感染」は放置したということだ。
 「数字」が公表されていないだけで、「公表できない数字」はとんでもない数に違いない。多くの「責任者」は、その「実数」を知っているのだろう。あるいは「実数」を推測できるだけの「資料」を持っているのだろう。
 だからこそ、小池・東京都知事は、こう言うのだ。

買い物「3日に1回に」

 だれもが「市中感染」を広げる。だれもが「市中感染」させられてしまうという状況なのだ。

 来園者の密集状態が懸念されていた都立全82公園については、利用自粛を要請した上で駐車場や遊具施設を閉鎖する。/小池知事は会見で、「本当に大事な2週間になる。とにかく、家にいてください」と訴えた。

 家にいないと感染してしまう(家にいても、すでに感染してしまっていて、家族に感染を広げるかもしれない)という状況になっているのだ。
 抽象的な言い方ではなく、「私が把握している数字では、感染者は〇人、死亡者は〇人。死にたくなかったら家にいなさい。必要食品は、都が調査し、個別に配達するから、家から出るな」と言わない限り、事態は改善しない。「正確な情報」を隠していては、何もわからない。国民はどう行動していいかわからない。

 しかしなあ。
 このコロナ政策の「大転換点」(クラスター追跡では対応しきれなくなった)というときに、発表が加藤厚労相や菅官房長官まかせというのは、変じゃないか。小池まかせ、というのは変じゃないか。
 「軽症者ホテル療養」に関する記事(26面)には、こう書いてある。

都は、国の方針転換に先駆けて軽症者をホテルに一本化する方針を決めている。と医師会の幹部は「医師らが常駐するホテルで療養する利点は大きい」と方針転換を歓迎する。

 「方針転換」と明確に読売新聞は「断定」している。いままでやってきたことは、「非常事態宣言」を含めて、クルーズ船の対応の「延長(追認)」であって「方針転換」ではない。「自粛(家からでないようにする)」は「クルーズ船から出ない」の拡大版にすぎない。
 「数字」を安倍の都合のいいように操作するという「方針」も大転換し、「事実をすべて公表する」。そうしない限り、何も改善しない。
 「8割は軽症者」。自然に回復する。「自己管理」に任せるでは解決しない。「隔離」し、急変に備える。ヨーロッパの多くの国では、感染したら1割以上が死んでいる。初期に報道されていた「事実」とは違うことが起きている。
 感染者は急拡大している。ひとりでも死亡させてはいけない、とやっと、「現場に近い人たち」はそれを語らなければいけない気づいた。しかし、それを明確に語る人がいない。安倍は、ひたすら「雲隠れ」を決め込んでいる。
 ほんとうに、ひどい。むごい。私は、怒りを語ることばを知らない。

 安倍の「情報隠し」はいままでも何度も繰り返されてきたが、今回の「情報隠し」では、国民の多くが死んでいくのだ。安倍の「未必の故意」が問われる。











#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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いままで何を

2020-04-24 08:07:25 | 自民党憲法改正草案を読む
いままで何を
       自民党憲法改正草案を読む/番外341(情報の読み方)


https://mainichi.jp/articles/20200423/k00/00m/040/182000c?fbclid=IwAR3yJjDGvfDeNjIMao5AEqeleOVOPwej0rjMMlKWoH7Odr637SzoIR-tC6U

自宅療養者数、病院外の死者数「現時点で把握せず」官房長官認める
↑↑↑↑
いままで「公表」されている数字はいったい何なのか。
それにしても。
「現時点で」とは、まったく国民をばかにしている。
ある出来事が発生したときなら「現時点」は通用するが、クルーズ船からすでに2か月以上たっている。
「現時点」まで、何をしていたのか。
うそをつき続けたということではないか。
慶応大病院での、別の病気で入院・手術予定患者の6パーセントが、新型コロナに感染していたという数字を基本にすれば、日本人の6%は感染しているということになる。

https://johosokuhou.com/2020/04/23/29962/?fbclid=IwAR0socwmcZ2RiGVIE1Jlp7082zd2Igu_sTxK-sL50jLwVuRmdFMGGBAvSno

「4月23日に加藤厚生労働大臣が新型コロナウイルスの感染者について、軽症者はホテルなどの宿泊施設での療養を基本にするとして、自宅療養は推奨しないと表明しました。」
↑↑↑↑
いまごろ、やっと、がここにも。
クルーズ船のとき、中国をみならって隔離病棟(病床)を建設していれば、状況はずいぶん違っていたのではないか。
韓国をみならって検査を徹底していれば、状況は違っていたはずだ。
さらに「布マスク」を配るよりも、その金で病棟を造った方がどれだけ多くのひとが助かるだろう。
「自宅で待機(静養)」とか「マスクで自己防衛」よりも、「感染しても大丈夫。病院で手当てするよ」と言われた方が安心するだろう。
コロナ感染が終息したら、絶対に、安倍を相手取った賠償訴訟が起きる。
安倍の「未必の故意」が問われる。
コロナウィルスで死んでいく例を、私たちは感染当初から知っている。安倍は「知らなかった」とは言えない。知っているのに、対応をとらなかったばかりか、検査をさせないという方法をとった。
「未必の故意」ではなく、明白な「殺人」行為ということになるかもしれない。

(facebookから、再掲載)




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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(38)

2020-04-23 10:17:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (水辺へぼくは石段を下りていった)

言葉は夕方までに生き返らずに
雨は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 「言葉」と「雨」は不思議な関係にある。異次元的につながる「比喩」になっている。「言葉」は「空白」とつながっている。
 つまり、

言葉は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 と書き直せば、これはこれで詩になる。
 このときの「言葉」は、もちろん「生き返らない言葉」である。死んだというよりも、「不能の言葉」といえばいいのか。
 「不能の言葉」の前にあるのは、「ひろがり」である。それは「空白」よりも広い。



*

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実態がわからない

2020-04-23 09:22:33 | 自民党憲法改正草案を読む
実態がわからない
       自民党憲法改正草案を読む/番外340(情報の読み方)

 「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」の「東京の感染者はもっと多いかも」(https://www.covid19-yamanaka.com/cont3/16.html)に貴重な情報が載ってる。
 日々の感染者(増加、死者)は新聞で確認できる。しかし、いったい何人検査したのかは確認できない。検査母数を知らされず、検査結果だけが公表されている。検査結果だけを見ると、感染のピークは過ぎたように見える。しかし、実際は検査がされていないために、感染者が発覚していないだけなのである。2020年04月23日の読売新聞(西部版・14版)によれば、23日午前0時現在の東京都の感染者は3439人、前日比132人である。一時200人を超えていたことを思うと、感染者が減少しているように見えるが、検査している人数が少なければ、当然感染者も少なくなる。ほんとうに減少しているかどうかはわからない。
 さらに慶応大学病院の調査によると、別の病気で入院、または手術予定患者を調べたところ6%がコロナウィルス検査で「陽性」だったという。(読売新聞)単純に考えれば、国民の6%は「陽性」かもしれないのだ。しかし、もちろん違うかもしれない。これは実際に検査しない限りはわからない。

 で、ここから思うのだが。
 なぜ、検査をすすめないのか。実態を明らかにしようとしないのか。検査数を減らすことで「陽性」のひとを少なくみせようとするのか。

 私は、安倍が、国会解散、総選挙を狙っているのではないかと疑っている。感染が拡大すれば、もちろん総選挙どころではない。しかし、感染が縮小していると「装えば」、総選挙ができるだろう。
 すでに書いたことだが(https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/1ac1fd0ec6d259c9c282ca75360b97ac)、安倍は自民党の役員会(04月13日)で「接触削減 議員は地元で徹底を」と訴えている。議員に「地元に帰れ、そこで支持者と接触しろ」と呼びかけている。「接触削減」を国民に呼びかけながら、議員には「地元で有権者に接触しろ」と言っている。矛盾しているが、これは、総選挙に備えて顔を売っておけということだ。
 安倍のコロナ対策は、ことごとく不評である。ここで総選挙をすれば自民党は敗退するかもしれないというのは、表面的な見方だと私は思う。選挙に勝つには「知名度」が必要だ。
 いま選挙をすれば、知名度があるのは「現職」である。新人は知名度が低い。知名度を上げるには、集会などを開きアピールすることが重要になる。しかし、いまは、コロナ対策のため「3蜜」は禁じられている。集会もできなければ、街頭演説もできない。聴衆が集まってきては危険だからである。ビラ配りも、濃厚接触になる。「新人」が勝つ要素は、非常に少ない。
 安倍は批判を承知で総選挙を強行するだろう。そして、「大勝」する。その結果を前面に押し出し、安倍の政策は支持されたと主張する。そのまま非常事態事項を盛り込んだ改憲へと突き進む。(選挙期間中も、政府に非常事態を指揮する権限があれば、コロナ対策はもっとスムーズに進んだと訴えるだろう。)
 憲法を改正し、「独裁者」になる(ぼくちゃんがいちばん偉い、と主張する)ためなら、安倍は何でもするだろう。国民がコロナに感染し、死んでいくことなど、なんとも思わない。安倍を批判する人間が少なくなる、としか思わないだろう。
 「アベノリスク」と揶揄されるいまを乗り切るには、安倍には総選挙しかない。そして、総選挙を実施するためには、感染者は「減少」傾向をしめさないといけない。感染者を増やさないいちばんの方法は、検査をしないことである。検査をしない限りは、感染していても、感染者と認定されない。

 安倍の野望のために、国民は死の危機にさらされている。


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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(37)

2020-04-22 11:03:03 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 

ぼくは未知のところで生れ ぼくの知っているところで終るだろう

 「知る」は「体験する」と言い直すことができる。
 生まれることで体験がはじまり(知るがはじまり)、死ぬことで体験が終わる(知るが終わる)。
 しかし、逆に考えてみることもできそうだ。
 「どこで、いつ」生まれたか、ひとは知っている。しかし「どこで、いつ」死んだかは、その人は知らないのではないのか。少なくとも、それを「語る」ことはできない。だから、それは「知識(知る)」にはなり得ない。
 ひとが「自宅で死にたい」というのは、死の先は何もわからないから、わからなくなる瞬間までは「知る」のままでいたいということかもしれない。
 こんなふうに「知る」ということにこだわりつづけなければならないとしたら、人間というのは、なかなかつらい生きものだと思う。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(36)

2020-04-21 21:51:38 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (数かぎりないぼくの文字綴りから)

新しい酸素は発生する

 「酸素」はだれもが知っていることばである。だが、それを「見る」ことはむずかしい。「聞く」ことも、手で「つかむ」こともできない。
 そういうものを、どうやって「理解」するか。
 激しく走った後、あるいは泳いだ後。荒い息をする。そのとき「肉体」のなかを「酸素」が走る。「血管」のなかを。息が整ってくる。それを支えてくれるのが「酸素」だと、だれかが教えてくれる。そして、「理解」する。
 それは、「ことば」によって可能になることだ。「ことば」を身につけることが「理解」する、ということだ。
 遅れて「肉体」がついていく。
 だが、「肉体」がことばをつかわずにつかみ取ったことを、「ことば」が後からととのえるということがあるかもしれない。
 力強い比喩は、後者である。
 この詩では「酸素」よりも「発生する」という動詞の方が、強い。「酸素に、なる」のだ、嵯峨のことばは。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(35)

2020-04-20 10:06:13 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (われわれは未知の手のうちに在るものではない)

飛躍の召使いでもない

 「未知」と「飛躍」は、きのう読んだ「死」に通じるだろう。
 「召使い」ということばも、きのう読んだ「所有」につながる。

われわれは、死の召使い(所有物)ではない

 という「意味」になるかもしれない。しかし、「意味」は詩ではない。だから、嵯峨はこの二行を詩集には収めなかったのかもしれない。









*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(34 )

2020-04-19 19:16:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (死という言葉には)

ただ所有だけがある

 何を所有するのか。「意味」か。

 抽象的なことばは、その抽象性ゆえに、どんなふうにでも「論理」になりうる。「かなしみ」も「よろこび」も死ということばはもたらすことができる。そのとき「死という言葉」は「かなみしみ」も「よろこび」ももっていたことになる。
 「希望」「絶望」「拒絶」も、あるいは「非所有」さえも。
 こういうとき、読むのは、嵯峨の「ことば」ではなく、読者自身の「肉体」(時間)ということになる。
 ひとはだれでも自分を読むことしかできない、と知らされる。







*

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2週間でいいのか

2020-04-19 09:43:24 | 自民党憲法改正草案を読む
2週間でいいのか
       自民党憲法改正草案を読む/番外340(情報の読み方)

 私は疑り深い人間である。新型コロナに関係して、安倍は「緊急事態宣言」を拡大した。そのとき、こんなことを言っている。(2020年04月19日の読売新聞・西部版、14版、1面)

「私たち全員が不要不急の外出を避けることで、2週間後の新規の感染者を劇的に減らすことができる」

 17日から「2週間後」は5月1日、それにすこし余裕を見て連休が終わる5月6日までを「緊急事態宣言」の期間としたということだろうが、この「余裕(予備)」をとるという姿勢には賛成である。2週間過ぎた、さあ、遊ぼうと一斉にひとが集まれば、まだ完治していないひとや潜伏期間のひともいるだろうから危ない、という「慎重姿勢」である。
 私が疑問に思うのは、安倍の考えている「予備」の期間が短くないか、ということである。
 感染者、潜伏者、平常者の3パターンを組み合わせて考えないといけない。潜伏期間2週間、治療開始から完治まで2週間かかると仮定し、治療期間中にも感染が起きると仮定すると、6週間必要ではないのか。


6週間すぎれば、感染者はいなくなる。つまり、感染が拡大するおそれはなくなる。
ただし、これもうまくいったとき(理想的に実現されたとき)のことである。
中国・武漢では2か月半かかっている。10週間である。
安倍のやっているような、中途半端な対策では、新型コロナ感染は終息しない。ニューヨークを上回る惨劇が繰り広げられるのではないかと私は不安になる。

中途半端といえば、布マスクも10万円給付も頼りない。布マスクは「笑い話」にすぎないが、10万円の「後遺症」は絶対に起きる。
まず、支給がすぐではないということが問題だが、それ以上に「額」がこころもとない。仕事がなくなったひとは10万円では生きていけない。それだけではなく、困ったときに政府が助けてくれるのは10万円か、という印象を国民に植えつけた。つまり、生きていくためには、自分で常に生活費を貯蓄しておく必要があるという印象を強烈に植えつけた。
 コロナ感染がおさまったとき、ひとは、いままでのようには暮らさない。金をつかわない。ただでさえ年金が減っている。医療にも金がかかるし、その医療もたらい回しにされることがわかった。自衛のための貯蓄がはじまるだけである。景気は決してよくならない。コロナ以前に戻るには50年はかかるだろう。そして、その50年の間に、日本人は中国に出稼ぎにゆき、そこで金を稼ぐしかなくなるだろう。



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感染治療か高度医療か?

2020-04-18 10:04:43 | 自民党憲法改正草案を読む
感染治療か高度医療か?
       自民党憲法改正草案を読む/番外339(情報の読み方)

 
 2020年04月18日の読売新聞(西部版・14版)の1面に「新型コロナ/医療現場から」という連載が載っている。きょうは「中」。その見出し。

感染治療か高度医療か

 読んだ瞬間に思うのは、なぜ「か」なのか。
 感染治療「も」高度医療「も」、両方とも行えばいいじゃないか。なぜ、どちらかを選ばないといけないのか。
 ここに書かれている「感染治療」は「新型コロナ対策の治療」を言うのだが、最初の疑問は「感染治療」の「治療」は、「高度医療」の「医療」とどう違うのか。

 読売新聞は、記事中で「高度医療」ではなく「高度治療」ということばを、こうつかっている。

 (大学病院や国立がんセンターなどの病院は)、難治性のがんや難病の治療といった一般病院でできない高度治療も行う。

 では、新型コロナウイルス患者は「難治性」ではないのか。ヨーロッパの多くの国では感染者の1割が死んでいる。それも感染から短期間に、である。これは私の感覚では、治るのが難しい病気に見える。また、一般病院では治療できないとも思う。実際に、「かかりつけ医」で治療できないからこそ、いま、問題になっている。
 だから、私は新型コロナの診断・治療を「高度治療(医療)」と読んでも何の問題もないと考える。

 さらに、この連載には写真がついていて、その写真説明には、こうある。

体外式模型人工肺(ECMO=エクモ)を使い、重症者の治療を行う医師ら。重症者の診療は高度な技術や設備が必要だ

 「高度な技術、設備」が必要な場合、それを「高度治療」というらしい。だのに、新型コロナは「高度治療」にはなっても、「高度医療」ではないらしい。
 なぜ?

 「高度(感染)治療」と「高度(難病)医療」はどう違う? 「感染」と「難病」が違うは違うが、新型コロナが「簡単な治療ではない」のなら、この場合「感染=難病」ではないのか、と考えると、ますますわからなくなる。
 まず、そのあたりから考えないといけないようだ。でも、素人には、どう考えていいか、わからない。
 逆に考えてみる。「高度治療」はわきにおいておいて、「高度医療」って、なに?から考える(ほかにも「先進医療」ということばも聞くが、ここでは、それも脇に置いておく。)
 私は私の知っていることば、日常でつかうことばで考える。
 たとえば「脳外科手術」「心臓移植手術」は、街中の「かかりつけ医」ではできない。だから、「高度医療」だな、と思う。それから事故にあった人の緊急手術、すぐに手術しないと死んでしまうひとへの治療も「高度医療」だろうなあ、と思う。「町医者」ではできないからね。
 で、そういう「医療」は「高度」な技術、設備が必要であると同時に、たぶん「高額」の治療費がかかる。よく子どもが心臓移植手術を受けるための「資金集め」のような記事が新聞に載っている。幼いいのちを助けるために協力しよう、ということだ。金が「高額」なのだ。それは医者に対して、高額な報酬が支払われるということでもあるだろう。
 新型コロナウイルスの場合、どうなのかな?
 エクモをつかうから、それなりの負担があるのかな? それは、つかう機器への使用料であって、その機器を操作する医師への報酬はどうなっているのかな? わからないから想像するだけなのだが、そんなに高くないのかもしれない。
 どうも、新型コロナ治療は、危険が多いけれど、高額の報酬(収入)につながらないから、かかわりたくない。もっと感染症への不安が少なくて、実入りのいい仕事がいい。コロナ対策に手を取られて、そういう高額収入のチャンスを逃すのはおしい。そういうと露骨になるので、新型コロナ患者が殺到しては、「脳外科手術」「心臓移植手術」など緊急を要する医療が行えなくなる、「高度医療」が行えなくなる、「医療崩壊」が起きる、と言っているように聞こえる。
 たしかに脳の手術、心臓の手術は1分1秒をあらそう「緊急治療」かもしれない。交通事故でもそういうことが起きるかもしれない。でも、新型コロナでも、1分1秒とはいわないまでも、あっという間に死んで行くひともいる。死んで行くひとには、それが1週間でも、1分1秒とかわらない。重要な時間だ。ほったらかしにされたくない。

 なぜ「感染治療」か、「高度医療」か、を選ばなくてはいけないのか。両方ともやれないのか。感染治療「も」高度治療「も」やれないのか。
 感染治療には、まず、隔離施設が重要になる。中国は、あっというまに病院を建設した。このとき必要になるのは病院の建設費である。これを医者の「報酬」に上乗せするのは難しいね。
 韓国では検査を徹底した。検査のための器具(薬剤)、検査技師が必要になる。器具は企業の収入。検査技師にも収入がはいる。でも、医師には? 入るは入るが、そんなに「魅力的な額」ではないのかもしれない。
 あまり収入につながらないひとを診察するよりも、高収入につながる患者を診たい。どうも、そういう「心理」が動いているように見えてしようがない。

 「医療崩壊」の前に「医療倫理崩壊」が進んでいる。そしてそれが国民の「健康崩壊」を拡大している。
 いのちを重視するなら、隔離病棟をたくさん建設する。検査を拡大し、感染者を発見し、病院に隔離し治療する。それがいちばん的確な対処方法だろう。感染しているかどうかわからないから、感染していると仮定して、ひとりひとりが自己責任で家にとどまる、というだけではだめだろう。ひとりひとりが外出しないというだけではなく、症状のある人をしっかり検査し、陽性とわかれば、家ではなく、専門の病棟に入院させ、治療することが大切だ。布マスクを配るよりも、絶対的に効果があるだろう。
 軽症の感染者を隔離し、治療するというのは「高度医療」ではないかもしれない。医師の収入にはあまりつながらないかもしれない。けれど効果的な「感染症」対策ではないだろうか。感染したら1割の人は死んでいく恐れがある。その1割のひとを基準に、新型コロナ対策は構築されるべきではないのか。

 ふつうにつかわれていることばの背後にもたくさんの「意味」がうごめいている。めったにつかわないことばの裏には、それよりももっと「意味」がうごめいている。
 「医療崩壊」ということばは、「医療」も「崩壊」も中学生くらいならわかることばなので、「意味」がわかったつもりになる。「感染治療」も「高度医療」も同じ。でも、私は日常ではつかわない。私が「医療関係者」ではないことも理由だが。
 私は、こういう「専門用語」がつかわれはじめるとき、背後には、かならず私の知らない「意味」が隠されていると考える。そして、その「意味」を問いただそうとすると、かならず、こういう反撃がかえってくることを知っている。「何も知らない人間が何を言うか(専門家の言うことを聞け、おれの言うことが正しい)」である。
 カタカナ用語に多いのだが、今回はなせか「漢字」だった。そのために、多くのひとが、その「意味」をあまり考えていないように思える。カタカナ用語のときは、あ、わからないな、という顔をするのに、「医療崩壊」はすぐに納得する。
 「緊急事態宣言」も同じだな。
 このあとすぐに「緊急事態事項」と言い直され、憲法改正が必要という動きになるぞ、と思う。すでに安倍は議員に「地元に帰れ(有権者に訴えろ)」と役員会で言っている。新型インフルの「緊急事態」と自民党改憲案の「緊急事態事項」の違いを自分のことばで考え直すということは、あまりないだろうなあ。
 すると、すぐに戦争がはじまる。「新型コロナウイルスは武漢の研究所から漏れた」というような「噂」を利用して、中国への攻撃、同調しない韓国への攻撃という具合に、安倍の「侵略戦争」がはじまる。
 あ、これは、書きすぎかもしれない。きょう書きたいと思ったことから脱線してしまったが。












#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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細田傳造「サカモトリョウマ」、阿部日奈子「影身」

2020-04-17 11:49:51 | 詩(雑誌・同人誌)
細田傳造「サカモトリョウマ」、阿部日奈子「影身」(「ユルトラ・バルズ」33、2020年04月10日発行)

 細田傳造は「サカモトリョウマ」と「タイラノマサカド」を書いている。どちらもおもしろいのだが、「タイラノマサカド」にはむずかしい漢字があるので引用できない。だから、じいさんぽい「サカモトリョウマ」について書く。「じいさん」と書いたついでに書いておくと、私は「おばさん詩」が大好きなのだが、細田はどうやら「おばさん詩」に拮抗する「じいさん詩(ジジイ詩)」を確立している。そうか「おじさん詩」はげんなりするが「ジジイ詩」という方法があったか。
 細田が何歳か知らないが、「後期高齢者」の時代が詩にもやってきたのだ、と思う。

 細田の「ジジイ詩」は、ジジイとはいうものの、リズムがとってもいい。舌がもつれない。音に緩みがない。

×は町の子田舎の子
伏見のいなかから七条新地
みやこへ急ぐ龍馬よ
武蔵一宮の参道を
キンダーガルテンに急ぐ×よ
背嚢に
メリーズのビッグサイズのオムツを二枚
ビニール袋に詰めてぶら下げている

 この書き出しには、いろいろな「音」があふれている。美空ひばりの歌から歴史(学問ではなく、常識、というか口伝だな)、ドイツ語、戦時中(?)、アメリカ風俗(英語?)、単なる日常。そして、それがうるさくならずに、「活気」として動いている。借り物の「音」ではなく、細田が、そういう「音」を生きてきた「手触り」のようなものがある。言い換えると繰り返されること(たとえばひばりの歌)によってなじんでくる「工芸品」に似た味わいだ。「時間」、言い換えると「暮らし」を感じさせるのだ。「キンダーガルテン」さえも。

リョウマがゆく
腰に
だらりと下がった常陸守吉行の大刀
鯉口は固く結んである
鞍子(りょうこ)さんに会ひにゆくのだ
幼稚園のひまわり組の
タンニンの桃子先生に会いに急ぐ×よ
ゆっくり ゆっくり あぶないよ
後を追う付き添いの爺やが叫ぶ
ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない
この国の将来の事を考えて
みどりようちえんへ急ぐ
朝の子どもよ

 「会ひ」という突然の旧かなも、ここでは「時間」そのものを噴出させてくるのでおもしろい。細田は、ひとそれぞれが「独自の時間」を生きているということを肯定している。そして、その「独自」を「音」のちがいとして把握している。とても音楽的だ。耳がいいから「桃子先生」というような固有名詞もしっかりとおぼえている。
 「ゆっくり」からつづく行に「爺」ということばがあって、私は、実はここから「ジジイ詩」と思ったのだが、

ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない

 ここなんか、いいなあ。「時間」の変化は「人間の変化(成長)」である。それを大げさに言わずに「ほーっ」という感じで息抜きした後、「この国の将来の事を考えて」という飛躍。笑えるけれど、この幅の広さが「音域」の広さなのだと思う。
 年をとると、人の声帯は硬くなる。けれどことばの「声帯」は細田のようにどこまでも柔らかさを保ち続けることができる。
 とは、いえなくて。
 これは細田の強さなのだ。



 阿部日奈子「影身」は、一行のなかの文字数が「図形」を描くように変化している。横向きの三角形が、蝶の羽のように広がった形をしている。
 全部引用するのは手間がかかるので、最初の三行を紹介すると、

袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち
 あなたの書評は私の解釈そのままで頭の中を覗かれてるよう
  だから一行も書けなくなって白紙をまえに放心している

 こういう詩の場合、リズム(音)が大事だと思う。「視覚的」だから「視角」が安定していればいいというものではなくて、音が不安定だと、うるさい感じがするのである。音の好みというのは色の好み、形の好みのようにひとによって違うから簡単にはいえないが、私は阿部の「音」が好きである。
 阿部の音は細田の「音」と違って、「耳」から入ってくる音ではなく目から入ってくる音である。本を黙読したときに聞こえてくる音。言い換えると、最初から「統一」された音。本というのは「日常」と違い、たいてい「ひとり」の声でできている。だから、自然と統一されてしまう。整えられてしまう。そして、そこには単に整えられるという「窮屈さ」を超えて、鍛えられた「強さ」のようなものがある。
 音程、リズムに狂いがないのだ。
 だから、

驚異の書物
 を編む
  私
 の死を
待ち望む君

 三角形の頂点がぶつかる部分の、一行としては「完結」しない部分、「を編む」「の死を」さえも、「を」の対比、行の先頭と行の末尾という組み合わせとして、不思議な「和音」のようなものを感じさせる。
 書き出しの二行目では「あなた」だったものが、鏡に映って反転した世界では「君」にかわって、最終行、

袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち

 と書き出しの行に戻るまでの運動に、音の揺らぎ(緩み)がないのが、とても気持ちがいい。





*

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想定問答集がないと答えられない安倍

2020-04-17 09:22:20 | 自民党憲法改正草案を読む
想定問答集がないと答えられない安倍
       自民党憲法改正草案を読む/番外338(情報の読み方)

 
 2020年04月17日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

緊急事態宣言 全国拡大/来月6日まで 首相発令/13都道府県「特定警戒」

 新型コロナ問題が新局面に入った。きのうは仕事の関係でテレビを見ることができなかったのでよくわからないが、この発表をしたのは安倍ではなかった。
 なぜなんだろう。
 記事を読むと、首相は首相官邸で政府対策本部をひらき、全都道府県への宣言を発令した」とある。そして、こう書いている。

首相は17日に記者会見を開き、国民に向け説明する。

 私は、あきれかえってしまった。テレビや新聞で「緊急事態宣言 全国拡大」と知らせておいて、つまり、国民にそのことを知らせておいたあとで、記者会見をする。何の意味がある? もう、ほとんどの人間が知ってしまっていることを聞かされる。
 だいたい、これでは「緊急事態宣言」の「緊急性」がどこにも感じられない。決めたらすぐに記者会見をする。そして記者の質問に答える。
 安倍には、そういうことができない。

 きのう、国民に向かって呼びかけなかった理由は何か。
 緊急なら、緊急に呼びかけるべきだろう。
 1日間を置くことができるなら、もう緊急ではない。

 一晩かけて、「想定問答集」をつくるのだろう。もちろん事前に質問事項を提出させる。「3月中にマスク6億枚」という記者会見のように、安倍から記者に「こういう質問をしてくれ」という依頼もする。それに時間がかかるのだ。その調整をしないことには何も答えられないのだ。
 「まだ質問があります」に答えるためには、いままでよりももっと「想定問答集」づくりに時間がかかる。それに「練習」もしなければならない。

 さらに。
 こういう「工作」をするのには、ほかにも理由がある。「緊急事態宣言」がどういうものか、いきなり安倍が発表し、その場で記者会見にうつると、単に安倍が答えられないという以上の問題が発生する。
 記者の方も、即座に内容を判断し、質問するということがむずかしい。その結果、質疑応答が入り乱れる。収集がつかなくなる。突然の緊急事態拡大への質問よりも、直前に話題になった「10万円給付」や「安倍昭恵の大分旅行」の質問も飛び出す可能性がある。わからないことをわからないまま聞くより、わかっている疑問を聞いておこうとする記者もでるだろう。そういう動き、昭恵問題を追及する動きを封じ込めようとしているのだ。
 一晩寝かせて、「緊急事態宣言拡大」にだけ焦点を絞らせようというのである。全国に宣言が拡大されるということは、全国民が対象ということである。新聞によれば、感染者の少ない知事からは「不満」も出ている。そういうときに、緊急事態宣言をわきにおいておいて、昭恵問題を追及するのは、「同調空気」が支配する日本ではなかなかむずかしい。「いまは、それを質問するときじゃない」という批判が起きる。たぶん、これが狙いだな。
 露骨にいうと「昭恵批判封じ」(国民に自粛を呼びかけておいて、昭恵は出歩いていいのか、という批判を封じる)が目的。私は、緊急事態宣言の発令や、自粛要請をしたのは安倍であって昭恵ではないのだから、そして旅費や宿泊費を「公費」から出したということが問題になっているでもないのだから、そんなことはほっておけと思うが、安倍はこういう批判を気にするだろう。週刊誌に書かれるのがいやなのだろう。
 そうでもない限り、いま、なぜ「緊急事態宣言」を「全国拡大」する必要があるのか。もめつづけた「10万円給付」もめどがついた。感染者の数字は操作され続けているのだと思うが、東京の感染者の増加は急加速しているわけではない。それが「事実」なら、自慢するところだろう。「東京では効果を上げつつある。ほかの国民もみならってほしい」くらいですみそうである。そうしないのは、ひとつは「数字」が事実に基づかない(感染者の実数を隠蔽しきれなくなってきている)ということがある。そして、もうひとつが、昭恵問題を叩かれたくない、があるのだ。
 記者会見では、昭恵について木か内までも、
①なぜきのう(16日)に安倍が「緊急事態宣言を全国拡大」ということを安倍自らが国民に向かって発表しなかったのか
②なぜ記者会見を即座に開かなかったのか
 ということを問いただしてもらいたい。

 それにしても、読売新聞の1面に書かれている「情報発信 きめ細かく」という解説記事はなかなかおもしろい。

「大きく構えて、小さく収める」は危機管理の鉄則だ。

 これはクルーズ船のときにいうことである。すでに「小さくみせる(隠蔽工作)」が失敗し、事態が大きく破裂してしまった状態だ。もう「小さく収める」ことなどできない。「大きい事実」を正確に伝える。情報を正確に公開する。いま、隠しきれなくなった感染拡大が少しずつ「全貌」をみせ始めたところだ。日本はニューヨークになるのだ。最悪の場合、日本での死者は「40万人」と予想されているようだが、いまのような状況ではどんなに抑制しても40万人なのではないか、と心配になる。
 やっていることがあまりにも手ぬるい。せめて中国のように、専門の隔離病棟(隔離病床)を建設するくらいのことを即座にやるべきだ。韓国に見習って、検査を拡大実施すべきなのだ。















#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(33)

2020-04-16 08:53:29 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どんな光りをあたえても)

蛇をたちあがらせることはできない

 「蛇」は現実の蛇か、それとも比喩か。
 もし比喩ならば、「光り」も比喩になるし、「与える」「たちあがる」も比喩になるだろう。
 比喩ではないのは「できない」という不可能性だけだ。
 しかし、どんなときでも、ことばを動かすこと、考えることはできる。もう考えることはできないとさえ、ことばにできる。
 ことばの絶望は、そこからはじまる。そして、それは希望というの名の絶望である。
 






*

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Estoy loco por espana(番外篇49)Luciano Gonzales Dias の作品

2020-04-16 08:27:53 | estoy loco por espana


私は私の命を生きる。
君も自分のいのちを生きてくれ。

そうすれば、世界はつづいていく。

いつの日か、
また私たちは抱擁できる。

いま、私は家にとどまる。
遠い君を思って。


Yo vivo mi vida
Vive tu propia vida también.

Entonces el mundo continuará.

Algun dia
También podemos abrazarnos.

Ahora me quedo en casa.
Pensando en ti muy lejos.
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