詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(15)

2021-12-23 10:42:14 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(15)

(悪は)

悪は
ヒトのもの
天地を
他所にして

手足は
具体
ココロは
抽象

地を掘り
天に焦がれる
ヒトの生き死に

朝の汀に
詩の
足あと

 足跡ではなく「足あと」。なぜ、ひらがなにしたのだろう。「跡」という具体的なものが消えて、「音」が広がる。具体的なものをもとめて。そのとき「足」が「肉体」として見えてくる。砂に触れて、砂がくぼむ。

 

 

 

 

(言葉は騙り)

言葉は
騙り
手足は
黙々

星辰に
疎く
人事は
不断

功を誇り
嫉視を
斥け

自我を
祀る
無恥

 「騙る/語る」「星辰/精神」「無恥/無知」。音で聞けば、私はきっと間違える。「不断/普段」も間違えるかも。「疎く」が「有徳」なら、「嫉視」にも同音のことばがあるか。「ある」と語れば、騙るになるか。

 

 

 

 

 

(気持ちが)

気持ちが
淀む

私は
何を
待っているのか

一日は
遅々として
明日は
迅い

言葉に
囚われて
言外へ
亡命する

 「亡命する」。「難民」の方が私にはしっくりくる。「政治難民」ということばがあるが、「難民」が「亡命(者)」より多いからだろう。「難民になる」ではなく「難民する」という動詞が生まれてくるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(14)

2021-12-22 09:28:55 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(14)

(これを)

これを
好み
それを
嫌う

ヒトは選ぶ
物を事を
人を
自分を

唯一の
太陽に灼かれ
己れに迷い

無数の
因果の網に
かかって

 「ヒト」と「人」、「自分」と「己れ」はどう違うか。「因果」ということばに誘われて因数分解(?)をしてみたくなる。(ヒト×己れ)÷(人×自分)=0のとき、詩を顕現させる感情と肉体の値を求めよ。

 

 

 


(誰もが私なのに)

誰もが

なのに君が
いる

私の
言葉を
人々とともに
生きて

君の
言葉に
私はいるか?

意味とともに
無意味を
喜んで

 自分と他者の問題は難しい。私は「君」は「私の必然」と考える。「必然問題」が「君」だ。「君」をどれだけ語れるかという問いが「絶対的無」として「私」に帰ってくる。「誰も」では「絶望的虚無」が残る。

 

 

 

 

 

(本を閉じる)

本を閉じる
緑が
目に沁みる

風が吹いて
揺れる葉が
今ここを
告げるから

人がすることを
今日も
する

必要は
不要
自足する
宇宙

 「する」。それは「自足」と、どう関係しているか。「必要は/不要」を「不要は/必要」と言い換えるとき、「不要」は「無意味」に変わり、「無意味は/意味」ということばのなかで「自足/する」だろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(13)

2021-12-21 10:19:30 | 詩集

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(13)

(もし死が)

もし死が
あるのなら
そこから
始める

私は
もう
いないが

虚空は
在る
到る所に

目に見えず
耳にも聞こえぬ
ものに
満ちて

 谷川が「虚空」と呼んでいるものは、私には「無」に見える。まだ名づけられぬもので満ちている。「私」はいつでも「生まれる」可能性があるが、それは輪廻転生とは違う。そのつどの、一回限りの誕生があるだけだ。

 

 

 

 


(手で書き)

手で書き
目で読んで
言葉が
現場

身を
怠って
心は迷う

日々の

一瞬の
天使

どこで
詩は
成就する?

 二連目。「怠る」と「迷う」。しかし、そのとき「主役」が変わる。怠るのは「日々」、迷うのは「一瞬」か。ここでも「主役」がするりと変わる。ふたつの動詞、ふたつの時間。詩は、そのあいだで瞬くのか。

 

 

 

 

 

(静寂が沈黙を)

静寂が
沈黙を抱きとめる夕暮れ
書類が
白紙に帰る

子守唄の
旋律の
消えない記憶

明日が
捨ててある
道端

言葉は
枝先に留まっている
天と地の
隙間で

 「捨てる」ことができるものは、なんだろうか。記憶は捨てても捨ててもよみがえってくる。ことばも。たしかに「明日」(まだ存在しないもの)だけが、捨てることができるものかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(6)(思潮社)

2021-12-20 17:29:33 | 詩(雑誌・同人誌)

「現代詩手帖」12月号(6)(思潮社)

多和田葉子「冬服」

重たく 濡れて うつむく
しずく じゅくじゅく じしゅく
に蓋をして 終わりにしたい

 音のつながりがおもしろい。

廿楽順治「富山のくすりや」

おまけの
おそろしい風船をあげよう
詩をやめられるよ

 どうせなら富山弁で言ってもらいたい。標準語で言えば、嘘の上塗りになる。「おっとろしい風船やっちゃ/詩、やめられるっちゃ」。でも、まあ、そんなことは言わない。
 でも、この詩の最後の一行、必然性があるんだろうか。
 私の偏見かもしれないが、富山の薬売り(くすりや、というのは初めて聞いた)は、詩のことに口をはさまないだろう。

中村稔「月の光」

川の流れを、これ、と云って、一滴掬いとったとしても
川はとどめようもなく流れているから、その一滴も
流れ去った水の一滴、川には漣が立ち、せせらぎが聞こえるが、
その音はすべて失われたものたちの囁きなのだ。

 「失われたものたち」。中村が書きたいのは、このことばだろう。さらに突き詰めて言えば「失われた」。「失う」という動詞というよりも、「失われた」という状態。「失われて」、なお、そこに存在するもの。こういうことを語ることばは、静かに、丁寧でないと響かない。中村は、実に丁寧に、静かに、ことばを動かしている。

広瀬大志「毒御伽」

軽々しい愛は
ありふれた言い回しで叙情的に感染する

 「軽々しい」がほんとうに軽々しく聞こえる。それが狙いなのかもしれないけれど。

柳本々々「距離」

好きな窓辺をいつもさがして見つけては指さした。
わたしもその窓辺を見て、いいかも、といったりした。

 「指さした」「いったりした」。過去形であることが全てだ。記憶である。「距離」とを「時間の距離」といいなおせば、「過去」になる。

 谷川俊太郎の『虚空へ』の短い感想を書いていたら、現代詩手帖の作品の感想も短くなってしまった。

 


*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年8、9月合併号を発売中です。
200ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2002171">https://www.seichoku.com/item/DS2002171</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(12)

2021-12-20 15:50:24 | 詩集

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(12)

(有ると無いが)

有ると
無いが
空に
溶けている

雲は
雲の時間を
楽しんでいるから

ヒトは
歴史に
遅れても
いい

子どもに
手を
引かれて

 「遅れる」は、どういうことだろう。「楽しむ」を手がかりにすれば、ヒトはヒトであればいい。「歴史」にならなくてもいい。無名のヒトのまま、ヒトである時間を楽しめばいい。子どもに手を引かれる「楽しみ」。

 

 

 

 

(目覚めない朝を)

目覚めない朝を
夢見ながら
目覚める

天も
地も
不確かだが

知と
情は
生きている

庭の
ツツジの
真紅の
自恃

 「自恃」の意味は? 私は「不確か」を手がかりに考える。「不確か」の反対、「確か」なもの。自分で確かだと信じることができる、頼ることができる。ツツジは「真紅」であると確信し、生きている。

 

 

 

 

 

(黄昏は)

黄昏は
言語を忌む

事実は
薄れ
顕れる
真実

音楽に
なだめられ
数字に
欺かれて

明日の夢を
ヒトは
眠る

 「忌む」。しかし、「忌む」さえも言語にしなければ「忌む」にならない。「動詞」は言語によって仮定され、肉体によって実証される「論理物理学」かもしれない。この仮説を詩は「忌む」か。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青柳俊哉「編み靴」、徳永孝「お昼」、緒方淑子「天気雨 AM」、池田清子「若い?」

2021-12-19 12:42:47 | 現代詩講座

青柳俊哉「編み靴」、徳永孝「お昼」、緒方淑子「天気雨 AM」、池田清子「若い?」(2021年12月06日、朝日カルチャーセンター福岡)

 カルチャー講座受講生の作品。

編み靴 青柳俊哉

内省的に踏みしめる  
アベベ・ビキラの 裸足の甲州街道を 
夜 男がひた走る 天秤棒の先に
多摩川の鮎をぶらさげて 母の粉( こ) 引き唄を
想う吉原の女の耳は 月の兎のように恋しい 
リンゴ唄をうたう 津軽の娘たちの頬が
ほんのり白く咲く頃 大橋あたけの夕立に 
裾を乱して走り出す 写楽の女の鼻がぬれる
船頭の背も 瓢箪のとっくりも 雨にかすんでいく
蓑笠をすっぽりかぶって 深い雪に立ちつくす
眠る少女の 柔らかいカンガルーのポケットの
黄色い編み靴の中の 素足の想いが美しい 

 これまで馴染んできた青柳の作品と趣が違う。イメージがさまざまに展開していくのは同じだが、何か印象が違う。それを「人がたくさん出てくる」と受講生が指摘した。風景が変化していくだけではなく、人が次々に変わっていく。そして、それぞれの人が印象深い。日常的な想像とは違うものが結びつけられているからだ。「アベベ」と「裸足」は馴染みのあるものである。この馴染みのあるものを最初に書いて、「走る」のつながりとしてあらわれる男は「天秤棒」と結びつけられる。「吉原の女」は「月の兎」、「写楽の女」は「鼻が濡れる」。この変化にスピードがある。その加速の先に、「眠る少女」と「編み靴」があらわれる。
 ひとつひとつ書かなかったが、この変化、ことばのスピードは楽しい。

お昼 徳永孝

ヨーグルトにカシスジャムを入れて
よく混ぜる
この甘さと酸っぱさがたまらない

サラダも食べようね
うさぎさんのように

次はかたパンにしよう
ライオンさんは
大きな骨をバキッ バリバリ ガリガリ

ぼくは
かたパンをバキッ バリバリ ガリガリ

牛乳と一緒にね
山羊さんもお母さんのお乳を飲んでいるよ
牛乳よりも山羊さんのお乳の方がおいしそうだな

最後は
カカオ92%のチョコレートとりんご

あーあよく食べた
ナッツとドライフルーツはもう止めにしておこう
また今度食べられるからね

お腹がいっぱいになったら
お昼寝だね

 昼食の光景。ことばの末尾の「ね」「よ」「な」に注目した受講生がいた。口語のリズムがいかされている。口語の印象が「ウサギさん「ライオンさん」ということばを引き寄せる。「山羊さん」の連がおもしろいが、この具体的な部分が自然に動くのも、口語のリズムを引き継いでいるからだろう。印象が「浮いてしまう」のをうまく遠ざけている。
 「幸福感」ということばで詩をしめくくった受講生がいたが、この幸福も、人生論的ではなく、口語の、日常的な幸福である。統一感がある。

天気雨 AM

音楽をかけていたから
換気扇はつけたくなかったから
小窓を開けて
お湯を沸かした

洗濯物を洗濯機に突っ込みながら
いつまで経っても沸かないな……
……見たら火は点いてなくて
換気扇がついていた


窓ごしにびわの葉が笑ってた
そんなこともあるよって
びわはカーテンに影を落として
影はもうひとつ
窓の向こうの光の中に

そんなこともあるよって

お湯が沸いた

 台所で湯を沸かす。ふつうの風景。「びわが笑って、窓の向こうに花かある、という描写が美しい」と三連目に注目した受講生がいた。だが、もう少し違う読み方ができるのではないか。三連目は、単純な「風景描写(日常の報告)」ではないのではないか。
 びわはカーテンに影を落としている。その向こうの影はびわの影ではない、と私は読んだ。そこに緒方は何を見たのだろうか。そのことを考えた。繰り返されていることばがある。
 「そんなこともあるよって」
 これは、だれが言ったことばだろうか。緒方自身ではない。「びわの葉」か「びわの葉の影」か。そうかもしれない。しかし、ふつう、びわの葉はことばを発しない。すると、それは何かの比喩、何かの象徴と考えていいのではないか。
 人はいつでも、そこにいない人を思いだす。そのときはもちろん姿も思いだすのだけれど、「声/ことば(口癖)」を通して思いだすこともある。湯を沸かしたつもりが火がついていなかった。これはよくある日常の光景。それに対して「そんなこともあるよ」ということばをかけるのもよくある光景。きっと緒方は、だれかを思いだしているのだと思う。ただ、風景を見ているだけではなく、だれかを思いだしながら風景を見ている。そこに、生きている「時間」がある。他人の「生きている時間」と私の「生きている時間」をことばのなかで重ねてみる。
 美しい描写、気にかかったことばがあったときは、それを他のことばと結びつけてみることが重要だ。重なり合うことで、書かれていないことが浮かびあがる。それを読者が発見したとき、その詩はより美しくなる。

(私の感想の、「びわはカーテンに影を落としている。その向こうの影はびわの影ではない」という部分に、緒方は「カーテンに映った影か、反射して壁に映っている。それを書きました」と説明した。窓ガラスの光の反射が壁に映る。そのときびわの葉の影もいっしょに映る。そういう「二重の世界」を書いたと説明した。そのことは、とてもよくわかる。わかって上で、私は、その「先」を読みたい。書かれているのは、日常のそそっかしさ、ふと見た風景だけではない。「そんなこともあるよって」ということばが二回繰り返されている。つまり、ここにも「二重の世界」がある。「朝の風景、朝の描写」というだけに世界を限定するのは、もったいない気がする。人を思いだしている、と私は読みたい。)

若い?  池田清子

また 渋柿をつるした
お正月飾り、梅干し作り
少しずつ 取り上げられ手放してきた作業が
いっぺんに帰ってきた
忙しいこと

居間の天井のライトが故障
テレビ、プリンター、洗濯機も壊れた
修理か、買い替えか
決断

二人の時は
そうねと相づちをうてば良かった
こっちがいいと選べば良かった
一人になると
ささいなことでも 全て決断を
もう大変

経験とは若い時にするものだと思っていた
違う
最後の最後には
みんな究極の初体験
若!

 作品を書いてくるとき、何か申し合わせるわけではないのだが、不思議と印象が重なり合うことがある。
 池田の詩にも亡くなった夫が出てくる。二人でいたときは分担できたことがひとりになると全部ひとりでしなければならない。その忙しさ、苦労が書かれている。
 この作品でも、受講生が見落としていたことがあった。
 「最終連の、初体験、ってどういうこと?」
 「自分ひとりですること、決断を自分ですること」
 「最後の最後、と書いてあるね。どいういう意味だろう」
 「死ぬこと?」
 「他人が死ぬことは経験している(夫を亡くすことは経験している)。でも、自分が死ぬということは誰も経験していない。自分の死は、誰にとっても初体験だね」
 それはもちろん決断してできることではない。
 詩だけに限らないが、書かれていることばがあれば、一方に書かれていないことばがある。そのことばは作者にはわかりきっていること。その作者にはわかりきっているけれど、書かれていないことばを探して読むと、詩は身近になる。自分のものになる。

 私たちが詩を読むだけではなく、詩の方が、読者を読む。この人は、どんな人だろう、と思って詩は私たちの前にあらわれてくる。


*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年8、9月合併号を発売中です。
200ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/item/DS2002171


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(11)

2021-12-19 10:32:45 | 詩集

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(11)

 

 

(育んだものは)

育んだものは
胎内で
育まれていたもの

体の
自然が
心を
満たして

愛は
意味なく
優しく

あなたは
ひとり
私に
来る

 「あなた」は私(谷川)、「私」は母、と思って読む。母の立場で谷川の誕生を書いている。そのとき、母が谷川のところへやってくる。書く、読むとき、ことばの方が谷川を読む、ということも起きる。

 

 

 

 

(どの一生も)

どの一生も
言葉に
尽くせない

一輪の
花と
同じく

唯一の
星の
頭上に
開き

誰の
哀しみの
理由にもならずに
宙に帰る

 でも、誰かが「宙に帰る」とき、残された人は哀しむ。その人が「歓び」や「愛」の理由になっていたからだ。だが、谷川はなぜ「どの」一生と書いたのか。「誰の」ではない。なぞだ。「どの詩も」と読むべきか。

 

 

 

 

 

(ゆっくり)

ゆっくり
ゆっくり
老いの
道行

路傍の
花に
目を細め

動の
得より
不動の

だが転ぶ
痣を
名残に

 「動の得より不動の徳」。「より」は比べるときにつかう。「老い」も「若い」と比較しているのか。「路傍の花」も何かと比較している。「転ぶ」も。また、「より」は原因を表すときもある。転ぶことに「より」痣。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩を読むと、何が起きるか。

2021-12-18 23:38:32 | 考える日記
日本語で読んでいるときは気がつかなかったが。
詩は、やっぱり、難しい。
なんといっても、詩には5W1Hがない。
つぎにどんなことばが来るか予測がつかない。
だから。
詩を読んでも、ぜったいに日常会話は上達しない。
しかし、詩を読みこなせれば、日常会話を超えて会話できる。
考えてみれば、日常会話に「通訳」はいらない。
何語でも、その場にゆけば、なんとか通じる。
そうしてみると、ことばは意味をつたえるためにあるのではない、ということだな。
そういうことが、はっきりわかる。
何のためにあるか。
ことばは、自分で何かを考えるためにある。
自分の(個人の)考えなんて、他人につたわるわけがない。
ただ、自分が納得するために考えるのである。
というようなことを、スペイン語を教えてもらいながら考えたので、頭の中が、ことばでいっぱい。
抱え込んだままでは、寝つけそうにないので、とりあえず、書いて、ことばを吐き出しておく。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Palabras archivadas

2021-12-18 21:32:02 | 

Palabras archivadas

 

Hay una foto en tu libro.

Hay algo escrito con letras familiaresen la parte de atrás:

" Llena mi vacío con tu gigante".

¿Ese sueño se hizo realidad?

 

"Tu caliente vida corre por mi cuerpo, y

Se florece en una gran flor blanca en mi mente ".

¿Cuándo sucedió eso, hace diez años o ayer?

¿Es una habitación con sol del oeste o en una cama con las luces apagadas?

 

"Un olor fuerte se desbordará de mi cuerpo durante todo el día.

Todos me miraran y me culparan”.

Tienes ojos salvajes en la foto.

Conozco esos ojos, aunque algunas veces me parece no conocerlos.

 

"Quiero ser odiado por todos mis amigos,

Quiero ser único tuyo".

¿Ese sueño se hizo realidad?

¿De quién son las lágrimas que borraron las letras?


yachishuso

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(10)

2021-12-18 10:34:38 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(10)

(分別の罪を)

分別の
罪を
言葉は
負う

無名に
色はあるか
透明には?

空に満ちる
自然は
無尽

なおヒトは
語と語で
色を
切り分ける

 「分別(する)」は「切り分ける」と言いなおされ、「言葉」は「語」と言いなおされる。言い直しは「罪」のひとつか。地上の罪はそうやって「無尽」に近づくのか。「語」がヒトを「切り分ける」こともあるだろう。

 

 

 


(書いた言葉を)

書いた言葉を
読む
私から離れる
意味

私有できないのに
負う

語が
語に絡んで

行と行の
間も

かな?

 私がことばを書くとき、ことばが私を書く。私がことばを読むとき、ことばが私を読む。私が谷川の詩を読むとき、谷川の詩が私を読む。どう読んだか、谷川も私も知らない。ことばの肉体だけが知っている。

 

 

 

 

 

(文字で)

文字で
読みたくない
声で
聞きたくない

言葉の
意味から
滲み出すものを
沈黙に探る

山の
無意味の
静けさ

死に向かう
人間の
無言

 「静けさ」と「無言」は違う。無言は外面的には静かだが、内面は音に満ちている。山にはいろいろな音があるが、内面は静かである。内面とつながるものしか音にならないと知っているからだ。言う必要がない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(9)

2021-12-17 12:01:05 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(9)

(刻々の今を)

刻々の
今を
ヒトは憂い
泣き笑う

内臓の
無言の知を
血に
読んで

内は昏く
外は
明るい

遠近を
問わずに
歩む

 「知を/知に/読んで」。この「読む」は「読み替える」であるか。私は「誤読」を好む。「精読」「深読み」という言い方もある。「外は/明るい」という改行の、呼吸のようなものが「読む」瞬間に動く。

 

 

 

 

(私が)

私が
終わると始まる
見知らぬ
あなた

言葉がつなぐ
いのち
断つ
いのち

浮き世に
沈む

日月に
甘んじて
いる

 「いる」。私は「いる」か。「甘んじる」という動詞が、人間のように「いる」のか。私が「終わる」、あなたが「始まる」の「断つ」と「つなぐ」のあいだに、ことばにならない動詞が生きて「いる」のかもしれない。

 

 

 

 

 


(言葉の殻)

言葉の殻を
剥くと
詩の
種子

詩の種子を
割ると

何も
無いのに
在る

問えない
答えない
ものの
予感

 「空」は名詞、「無い」は形容詞。「無」と言えば、名詞になる。どんな違いがあるか。「空」がある、「無」がある、と言えるのはなぜか。ことばがなければ、考えることができない。この「ない」は助動詞か。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy loco por espana(番外篇125)Jose Enrique Melero Blazquez

2021-12-17 09:59:52 | estoy loco por espana

Jose Enrique Melero Blazquez
la rana

La rana rana, seguramente es una rana.
La rana es fea.  Pero....¿Por qué me atrae esa fealdad? Probablemente porque tiene poderoso de para vivir.
Lo que puede existir allí, independientemente de la belleza.
Esta obra me dice claramente que su fealdad nació de un caos amorfo o indefinido.
No sé si la rana se pondrá de pie como esta estatua, pero esta rana se ha levantado del caos. La cabeza, los hombros, la espalda y las manos (antepié) tienen forma, pero de cintura para abajo, las patas traseras aún no están en forma.
No es la rana completa, es la poderoso de vida para convertirse en rana. Esta es la vida que nace. 
En la parte inacabada de la forma, la vida se mueve para tomar forma.
Y el movimiento es muy rápido.
La rana sabe que es una rana.
Al mirar esta obras, creo que el mundo no tiene belleza y fealdad, sino solo genial y no-genial.
La definición de lo genial cambia con los tiempos, al igual que la definición de belleza y fealdad.
En los tiempos modernos, lo genial es velocidad.
Este obra es muy rápido.

La rana 蛙、そうたしかに蛙である。
蛙は醜い。その醜さに引きつけられるのはなぜか。醜さを生きる命があるからだろう。
ふつうに言われる美とは無関係に、そこに存在しうるもの。
この作品は、その醜さが、不定形の、まだ形の定まらない混沌のなかから生まれてきたことを如実に語るからだろう。
蛙が、この像のように立ち上がるかどうかは知らないが、この蛙は「素材(混沌)」のなかから立ち上がってきた。頭、肩、背中、手(前足)は形になっているが、腰から下、
後ろ足はまだ形になっていない。
完成した蛙ではなく、蛙になろうとする命が動いている。
形が未完成の部分では、命が形になろうとうごめいている。
そして、その動きは非常に速い。
蛙は蛙であることを、わかっている。
こういう作品を見ていると、世界には美と醜があるのではなく、かっこいいとかっこ悪いがあるだけなのだと思う。
かっこいいの定義は、美や醜の定義と同じように時代とともに変わる。
現代では、かっこいいは、スピードがあるということだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(8)

2021-12-16 11:33:10 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

 

 

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(8)

(言葉にならないそれ)

言葉にならないそれ
それと名指せない
それ
それがある

いつでもどこにでも
なんにでも
誰にでも

癒しながら
傷つけるそれ
決して失くならないそれ

名づけてはいけない
それを
惑わしてはいけない
言葉で

 「癒しながら」という形で一回だけつかわれる「ながら」。「ながら」を挟んで反対のことばが向き合う。不思議な接着剤。惑わしてはいけないと書き「ながら」惑わす。そういう働きを「それ」と呼ぶ、と書いてみる。

 

 

 


(遠く離れた)

遠く離れた
時と
所から
滲んでくる

それを
哀しみと
呼びたくない

記憶の中の
仕草と
言葉

決して
凍らない
小さな

 なぜ「凍らない」なのか。「滲んでくる」の対極にあるのは「凍る」か。「涸れない」と書かなかったのはなぜなのか。「涸れる」と書くと「哀しみ」になってしまうのか。滲む、流れる。動くものは、凍らない。

 

 

 

 

 

(日々の現実だけが)

日々の現実だけが
真実だと
生まれたときから
知っていた

言葉は
移り気な
風に舞って

嘘はいつも
タンポポのように
愛らしく

地平へと
這っていく
無言の蛇の
未知の豊かさ

 「無言」と「未知」は同義語か。知らないものは語れない。もし、ことばが生まれてくれば、それはこの世界を「豊か」にする。それが哀しみや苦しみのことばであったとしても。現実を真実にかえるのは、ことばだ。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(7)

2021-12-15 09:52:55 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(7)

(赤児の笑みが)

赤児の
笑みが宇宙へ
開く

花の
秘密と
ひとつになって

ヒトに
ひそむ
知り得ぬ

死ねば
この星の
大地が
償うだろうか

 「秘密」にふたつの意味がある。人間の知り得ない絶対的真理。人間の知られたくない揺れる心理。赤ん坊は、それを区別しない。未分節。謎のまま、世界を開いていく。そして、ことばと人間は、いつでも「ひとつ」。

 

 

 

 

(オナカそれとも)

オナカ
それとも
セナカ
かな?

寂しさが
澄む
ところ

秋の陽を
浴びて
歩く

無色の
幸せ
遥かな

 「寂しさが/澄む」は「寂しさが/住む」。「棲む」と書くとより寂しくなる。オナカとセナカは「ナカ」という音を持っている。「すむ」は「澄む/住む/棲む」を持つ。「遥かな」は「かな?」という疑問を誘う。

 

 

 

 

 

(自然に生まれ)

自然に生まれ
自然に
還る

簡素な
いのちの
複雑精妙

畏れ
慄き
戯れ
歌って

罪なく
消え失せ
ヒトは
自失

 「自然」は「しぜん」か「じねん」か。「自由」という意味につかえるのは、どちらだろう。こういうことは断定しない。分離、分節しない。先に読んだ「セナカ/オナカ」のように「ひとつ」のものとして生きていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(6)

2021-12-14 10:05:57 | 詩集

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(6)

(意味ではなく)

意味ではなく
歓びと
哀しみが
ある

苦しい
日々に
一生に

解釈しない
計算できない
カラダと
ココロ

永遠から
今が
こぼれる

 「ある」。「こぼれる」ものがある。「こぼれた」ではない。過去形ではなく「今」。それを何と呼ぶか。喜怒哀楽ということばがあるが、谷川は「怒り」を書いていない。「怒り」は「今」を否定する「意味」なのか。

 

 

 


(海を見下ろす崖)

海を見下ろす
崖に建つ
小屋で
私は暮らす

遠くから
誰かが来る
実一つ土産に

腐るのか
芽吹くのか
その実は
泥にまみれて

丘で
仔羊が跳ね回る

 「実」を「身」と読み替えてみる。「身ひとつ」でやってくる。何も持っていないようだが「ことば」を持っている。それは「仔羊」になって「跳ね回る」。有朋自遠方来。いいね、理想の友だ。

 

 

 

 

 

(ミエテキコエテ)

ミエテ
キコエテ
サワレル
ダケジャナイ

カンジル
マンナカニ
イルノガ
ボク

ナンニモ
ワカラナイカラ
スゴイ

ウン
コワイクライ
スバラシイ

 「ウン」は肯定のことば。否定の「ウウウン」と比べるととても短い。「イヤ」と比べても短い。ほんとうの肯定は考えない。「カンジル」、直感する。「ワカラナイ」けれどではなく、「ワカラナイカラ」こそ。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする