福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

口足画家

2006年09月05日 |  〇語彙と表現

今日、韓国の新聞(電子版)で、一人の「구족화가(口足画家)」が
大学の教授に就任したという記事を目にした。

韓国語では、一般的に口や足で絵を描く障害を持った画家の
ことを漢字語で「口足画家」と呼んでいる。

さしずめ、星野富広さんなどは日本を代表する「口足画家」と
いうことになるだろう。

ただ、個人的には手で描こうが口で描こうが、あるいは足で
描こうが、絵は絵だし画家は画家だと思っている。

そういう意味では、何となくしっくりこない表現ではある。

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■ 구족화가 오순이씨 단국대 전임교수로
足で絵を描く画家、オ・スニ氏、檀国大専任教授に
(韓国日報 9月5日)

사고로 두 팔을 잃고 발로 그림을 그리는 화가
오순이(40)씨가 모교인 단국대 예술대학 전임
교수로 임용됐다. 단국대 관계자는 5일 "오 교수가
그동안 초빙교수로 열심히 학생들을 가르쳐왔고
문인화와 수묵화 부문에 전문지식을 갖고 있어
1일자로 전임교수로 임용했다"고 밝혔다.
事故により両腕を失い足で絵を描く画家、オ・スニさん(40)が、
母校である檀国大芸術学部の専任教授に就任した。檀国大の
関係者は5日、「オ教授は、この間、招聘教授として熱心に
学生の指導にあたってきたし、文人画と水墨画の分野に専門
知識を持っているので、1日付で専任教授に任用した」と語った。

세 살 때 집 앞 철로에서 기차에 치여 두 팔을
잃은 오 교수는 1986년 단국대 예술대학에 입학해
학과 수석으로 졸업했다. 2004년 중국미술학원에서
문학박사 학위를 받았으며 그해 9월부터 모교
초빙교수로 일해왔다.
3歳の時に家の前を通る線路で列車にひかれ両腕を失った
オ教授は、1986年、檀国大芸術学部に入学し学科を主席で
卒業した。その後、2004年に中国美術学院で文学博士の学位を
取得し、同年9月より母校で招聘教授として教壇に立っていた。

(終わり)

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福岡を記憶せよ(2)

2006年09月05日 |   〇日本を読む

(2)
하지만 정말로 행사장을 감동시킨 것은 한국과 일본의
우정을 호소한 다혜양이었다. “각자가 각자의 나라에
자부심을 가지고, 어른들의 고정 관념을 부수고…
세계평화에 한 발 다가설 수 있도록 (후쿠오카에) 기회를
주세요.” 큰 박수가 나왔다. 다혜양은 여름방학 중
후쿠오카에서 열린 ‘일본의 차세대 리더 양성’ 프로그램에
참여해 일본 학생들과 보름 동안 숙식을 함께 한 것이
계기였다. 다혜양은 “(일본 학생과 숙식을 하면서)
서로 얘기하면 이해할 수 있고, 서로 인정할 수 있다는
걸 알았다”고 말했다.
しかし、選考会場を真に感動させたのは韓国と日本の友情を
訴えた高校生のチェさんだった。「みんながそれぞれ自分の国に
誇りを持って、大人たちの固定観念を打ち破り、世界平和に一歩
近づけるよう、福岡にチャンスを下さい」。チェさんの演説に大きな
拍手が沸き起こった。夏休みの間、福岡で開かれた「日本の
次世代リーダー養成プログラム」に参加し、日本の学生たちと
2週間あまり寝食を共にした経験が彼女の福岡応援のきっかけに
なった。彼女は「日本の学生たちと寝食を共にしながら、お互い
話をすれば理解しあえるし、お互い認め合えることがわかった」と
語った。

후쿠오카가 ‘집안 행사’에 한국인을 내세운 것은
‘이념’을 호소하기 위해서였다. 다혜양을 연사로 초청한
후쿠오카측 관계자는 “아시아적 가치를 강조하기
위해서”라고 말했다. ‘이시하라’가 상징하는 ‘폐쇄적
일본’에 ‘열린 일본’으로 대항했다는 것이다. 위암
수술로 연단에는 못 올랐지만 오 사다하루(王貞治)
감독도 녹화 영상물을 통해 후쿠오카를 응원했다.
대만계인 오 감독은 도쿄가 고향이지만 후쿠오카
프로야구팀 소프트뱅크 호크스 감독. 호크스 구단주 역시
한국계 손정의(孫正義) 사장이다.
福岡市が身内の行事とも言える国内選考会議の場であえて
韓国人を代表に立てたのは「理念」を訴えるためだった。
チェさんに応援演説を要請した福岡市の関係者は「アジア的な
価値を強調するためだった」と語った。福岡市は「石原」が
象徴する「閉鎖的な日本」に「開かれた日本」の理念で対抗した
のだ。胃がんの手術で演説に立てなかった王貞治監督もビデオ
出演し福岡を応援した。台湾系の王監督は東京出身だが、
福岡に本拠地を置くプロ野球球団、ソフトバンク・ホークスの監督を
務めている。ホークスのオーナーも、やはり韓国系の孫正義
社長だ。

압승은 막았지만 아쉽게 기적은 일어나지 않았다. 도쿄가
후보지로 결정됐다. 하지만 후쿠오카가 이날 보여준
행동과 이념은 일본의 달라진 측면을 보여주는 증거로
기억될 만했다. 외국인 여고생의 호소에 큰 박수를 보낸
행사 참가자들의 수준도 놀랄 만했다. 다혜양이 경험한
것과 같은 ‘풀뿌리 교류’가 수십 년 동안 축적된 결과다.
東京の圧勝は防いだものの、惜しくも奇跡は起きなかった。
候補地は東京に決まったのだ。しかし、この日、福岡市が
示してくれた行動と理念は日本の変化した側面を示す証しとして
記憶されるに値するものであった。外国人の女子高生の訴えに
大きな拍手を送った選定会議参加者たちの度量の広さも驚きに
値するものだった
。これも、チェさんが経験したような「草の根
交流」が数十年間、積み重ねられてきた結果だろう。

2016년 올림픽 개최도시 대항전에서 이시하라의 도쿄가
이긴 것을 보면서 우리는 다시 한번 일본에 대한
선입관을 굳힐지 모른다. 하지만 한국인과 함께
이시하라와 싸운, 한국 여고생까지 열렬히 응원한
후쿠오카도 분명 일본이다. ‘고이즈미 시대’를 끝으로
우리도 이처럼 다양한 일본을, 다양한 측면에서 바라보는
시각을 키웠으면 한다.
2016年のオリンピック招致合戦で石原都知事の東京が勝利を
収めたことで、私たちは日本に対する先入観を再度、強めることに
なるかもしれない。しかし、韓国人とともに石原知事と闘い、
韓国の女子高生までもが熱烈に応援した福岡市も、間違いなく
日本なのだ。「小泉時代」の幕切れを機に、私たちもこうした
多様な日本の姿を、多様な側面から見ていく視点を育てて
行きたいものだ


(終わり)

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福岡を記憶せよ(1)

2006年09月05日 |   〇日本を読む

8月30日開かれたJOCの選考会議で、2016年夏季オリンピック
招致に向け、東京を国内候補都市とすることが決まった。

「ヲタク」は当然、福岡を応援していたが、そう単純な問題でも
ないし、特に入れ込んで応援していたわけでもないので、この
結果に対しては大きな感慨も湧かなかった。

しかし、候補地決定後、プレゼンテーションで福岡の応援演説に
立った姜尚中教授に対してなされた石原知事の心無い暴言には
あきれてしまったし、怒りさえ憶えた。

「私はあなたの意見に反対だ。しかし、私は命を賭けてあなたが
それについて発言する権利を守るであろう」。これは、フランスの
啓蒙思想家、ボルテールの言葉だそうだ。

論理には論理で対抗すべきだと思う。暴力はもちろん、差別的な
罵りで他人の発言を攻撃し排除しようとすることは許されないと思う。

自分に都合の悪い意見を述べる人を、まるで犯罪者のように
あしらい感情的に罵る傲慢な人物が、日本の首都の知事を
務めていることに、「ヲタク」はあらためて怒りを感じたのだ。

氏が心底、軽蔑していると思われる中国や韓国、北朝鮮の
政治家でも、こうも露骨な感情的発言をする人はめずらしい
のではないだろうか?

その口調から察するに、「ガキ大将」でも気取っているのかも
しれないが、あまりに度量が狭く幼稚にすぎるのではない
だろうか?

いや、子どもの世界でも、少なくとも福岡では、強さだけでは
なく、やさしさもなければ真の「ガキ大将」とは呼ばれない。

最近の日本では変に攻撃的なマザコンっぽい政治家や
いじめっ子のような保守政治家ばかりが目立ちすぎると思うが、
どうなのだろう。

選考会議を取材した韓国人特派員が福岡市の「健闘」を称えた
コラム記事に興味深く目を通した「ヲタク」は、なおさらのごとく、
そうした感を強くした。

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■ [특파원칼럼] 후쿠오카를 기억하세요
[特派員コラム] 福岡を覚えていて下さい

(朝鮮日報 9月5日)

지난 30일 2016년 올림픽 개최를 위한 일본 후보도시
결정 회의. 일본 ‘집안 행사’를 6시간 동안 죽 지켜본
것은 거대도시 도쿄와 맞붙은 후쿠오카(福岡)의
인상적인 프리젠테이션 탓이었다.
先月30日、2016年のオリンピック招致に向け日本の国内候補
都市を決定する会議が開かれた。6時間もかけて行われた
他国の身内の行事とも言える国内選考会議を私が最後まで
見届けることになったのは、巨大都市、東京と一戦交えた福岡市の
プレゼンテーションが印象的だったためだ。

행사 개막부터 ‘도쿄 압승’이 뻔했다. 이런 분위기에서
막판까지 손에 땀을 쥐게 한 것이 선정위원들의 마음에
직접 호소하는 두 도시의 막판 승부수였다. 도쿄와
후쿠오카는 6명씩 연사를 내세웠다. 도쿄는 국수
주의자 이시하라 신타로(石原愼太) 지사를 비롯해
프로야구 선수, 중견 희극배우 등 도쿄 토박이 유명인을
동원했다. “일류도시 도쿄, 일본의 자랑 도쿄, 1964년
올림픽 영광을 다시 한 번.”
会議開始前から「東京の圧勝」が予想されていた中、最後の
最後まで手に汗を握らせる展開となったのは、選定委員らの
心に直接訴えかける両都市の最後のアピールが効いたからだ。
東京と福岡を応援するためそれぞれ6名の人物が演説に立った。
東京は国粋主義者の石原慎太郎都知事をはじめ、プロ野球
選手や中堅の喜劇俳優など、東京生れの有名人を揃えた。
「一流都市、東京。日本の誇り、東京。東京オリンピック(1964年)
の栄光をもう一度」という訴えだった。

하지만 후쿠오카는 달랐다. 프리젠테이션 절정기에
한국인 연사 2명이 등장했다. 4번째 연사는 재일한국인
2세 강상중(姜尚中) 도쿄대 교수, 5번째 연사는 서울
한영외국어고등학교 2학년에 재학 중인 최다혜
(崔多慧)란 여고생이었다. 주위에서 의외라는 속삭임이
들렸다.
しかし、福岡は違っていた。プレゼンテーションのクライマックスに
2名の韓国人が登場したのだ。応援演説に立った4人目は在日
韓国人2世の姜尚中東大教授、そして5人目はソウルのハンヨン
外国語高校2年に在学中のチェ・タヘという女子高生だった。
周りからは「意外だ」とでも言うようなささやきが聞こえた。

“1964년 도쿄올림픽을 한 번 더? 이것으로 세계인을
설득할 수 있다고 생각하십니까?” 강 교수는 도쿄
올림픽을 “부자의, 부자에 의한, 부자를 위한 올림픽이
될 것”이라고 세차게 공격했다. 행사가 끝난 뒤 ‘망언꾼’
이시하라가 다시 “수상한 외국인” “건방지다” “저 녀석”
이란 막말을 토해냈을 정도다.
「1964年の東京オリンピックをもう一度?これで世界を説得できると
思いますか?」。姜教授は東京開催を「金持ちの金持ちによる
金持ちのためのオリンピックになる」と強く批判した。これに反発した
暴言癖のある石原都知事は、会議終了後、またもや「怪しげな
外国人」、「なまいき」、「あいつ」などという感情的な暴言を口にした
くらいだった。

(終わり)

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