福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

日本からの精神的独立

2007年09月01日 |  〇文化・歴史

「韓国社会が現在もなお日本文化や日本製品の安易な模倣を
続けているのは、精神的に日本から完全に独立できていない
からだ。韓国の将来を考えれば、今のような状況を続けていては
いけない」。

「ヲタク」なりに少々乱暴に要約すると、上記のような辛らつな
批判的内容のコラム記事が、執筆者の顔写真付きで「毎日経済
新聞」に掲載されていた。

実に気合の入った警鐘だと思う。

正直、随所に日本語訳の難しい(不可能な?)文章がある
記事なのだが、全文の翻訳練習に挑戦してみた。なお、紙面の
都合で韓国語原文の引用は省いた。

・・・・・・・・・・

■ [デスクコラム] 
日本のマネと国産品愛用マーケティング
(毎日経済新聞 9月1日)


△ジョン・ホリム流通経済部部長

「モク(のど)ノムギミ(越しが)チョッタ(よい)」

数年前から流行っているお酒の広告コピーだ。はじめはビールの
広告にだけ使われていたが、最近では韓国民の哀歓がこもった
焼酎にまで堂々と使われている。

この広告コピーは「ノドゴシガヨイ(のど越しがよい)」という日本の
お酒の広告をそっくりそのまま直訳したものだ。

日本人には自然な表現なのかもしれないが、韓国人の言語感覚
からすれば、どことなくしっくりこない言葉だ。まるで誰かの口の中に
ビール瓶を無理やり突っ込み拷問でもするようにビールをゴクゴク
飲み込ませておいて、横で「よく飲み込んでいるな」と感心でも
するかのようなサディスティックなニュアンスさえ感じられる。(※)

(※)「넘기다」(ノムギダ)には「越す」と同時に「飲み込む、流し込む」と
いう意味がある。

そういう不自然な言葉をあたかも名言か何かのように広告コピーで
使ったため、今ではインターネットの掲示板でも「このお酒は実に
モクノムギム(のど越し)がいい」などというような書き込みが
普通になされるまでになった。

過去、日本が我々の思考を支配する言語を抹殺したのには、
それなりの理由があったのだ。

韓国語はこのコピーのように人為的ではない。「スル(お酒)は
スールスール(すうっと)のどを通り、トック(餅)はトックトック
(ぐぐっと)のどに詰る」ものなのだ。

近頃、よく目にする「チッカ」焼きも無分別な日本語直訳表現だ。
「チッカ」とは「直接、火にあぶって焼く」という意味を持つ日本語
「ジカビ(直火)」の韓国読みだ。韓国でも牛肉やジャガイモ、
サツマイモなどを直接、火で焼いて食べているので、あらためて
「チッカ」などという言葉は必要ない。

いわゆる「倭色(日本式)」表現は他にもある。ジャージャー麺や
うどんの麺などを「特別に」手でこしらえたことを強調するために
使われる「スタ」麺もそうだ。「スタ」は手で麺をこしらえるという
意味の日本語「テウチ(手打)」の韓国読みだ。

機械でこしらえた麺とは違い真心がこもった高級麺であることを
強調したいのなら、韓国人も日本人がやっているように新しい
用語を作って使うべきなのだ。

日本人たちが近代化の初期にぶつかった最も大きな困難が、
まさにそうした「新用語作り」であった。大量に押し寄せてくる
西欧の文物を日本語に翻訳し国民が簡単に理解できるように
することが当時の最大の課題でもあった。

外国語はそのまま持ち込んで使っても時間が立てば自然と理解
される独特の生理を持っているが、日本はそうした方法をとらな
かった。新しく出会った思想を自分たちの「思考の枠」の中で咀嚼し
物理的、化学的に変形させた後、新しい用語を作り出すコースを
選んだのだ。ちょうどポップコーンマシーンを使い固いとうもろこしの
実をおいしくて食べやすいお菓子に加工するように。

この過程で日本人が座右の銘としたのが「和魂洋才」だった。
西欧の文物を取り入れはするが、その中に日本の魂を込めると
いうものだった。

こうした精神のおかげで日本は第2次大戦の頃には、すでに
原子爆弾を除いてはアメリカにひけを取らない技術力を持つに
至った。さらにトヨタやホンダなどの企業は、車作りのイロハを
アメリカから学んだが、今ではアメリカを追い越そうとしている。

生まれて初めて目にする事物や制度に名前を付けようと思えば、
まずそれを分解し、内部を詳しく観察し、全体のメカニズムを
一つ一つ解明して行かなければならない。

この過程こそが科学の目を開き大きな創造力を生み出す原動力に
なるのだ。

日本で「Democracy」が「民主主義」と翻訳されるころには、彼らは
英米での民主主義運用の土台はもちろん、近代国家の作動原理を
完全に把握していた。

残念にも韓国は自主的な近代化の機会を日本に奪われ、思考の
枠となる韓国語まで抹殺された。

創造性を画期的に高める機会を失ってしまった韓国近代史の不幸を
思う時、誰もが断腸の思いを禁じえない。

今年で解放62周年。人間の年で言えば還暦もゆうに過ぎている。
それにもかかわらず、韓国人はいまだに創造性を発揮する
どころか、日本の尻ばかり追いかけ回している
。自分たちの
言葉ではお酒の広告一つ作り出すこともできず、お菓子や清涼
飲料水などの開発でも日本製品を模倣している。

1971年に誕生した「セウッカン」は日本のカルビー社の「えびせん」
(64年)と味も包装も瓜二つで、「国民ドリンク」の「バッカス」(63年)
は日本の大正製薬のリポビタンD(62)と味や瓶の外見がそっくりだ。
お菓子の「ペペロ」(83年)はグリコの「ポッキー」(67年)そっくりだ。
「チョコパイ」や「カロリーバランス」も日本製品の模倣品だと批判
されている。日本の「十六茶」に原料を1種類加えた「17茶」も
事情は似たりよったりだ。

韓国の食品メーカーはことあるごとに「身土不二」(国産品愛用)を
スローガンに消費者の愛国心に訴えている。しかし、その実、
裏ではこっそり日本製品を模倣し続け国民精神に深刻な害を
及ぼしてきた

外国の製品に韓国の魂を込めるどころか、植民地時代の精神性を
現代にまで延長させる役割の一端を担っている
のだ。こうした
行為は歴史に対して恥ずかしいばかりではなく、創造性が勝負を
決する現代にあって国家の将来まで暗澹とさせてしまうものだ。

(終わり)


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