惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

昼の月

2021-01-25 20:44:20 | 

 朝から締切原稿に取り組んでいて、午後3時ぐらいに書き終え、メールで送稿。
 その後、いつもより早めに散歩に出ました。

 締切は終えたし、天気は良くて暖かいし、コロナの感染者数も少なくなり始めたようだしということで、気分よく歩けました。

 いつものようにハケの坂道を上って中央自動車道を越え、植物公園の裏へ。関連施設に「植物多様性センター」があり、好きな場所なのですが、2月8日までは休園。中へ入れません。
 ぐるっと回って植物公園の駐車場から、東の空高くに月を見ました。

 月齢12ぐらいの「昼の月」。

 「昼の月」というと、必ず思い出すのが美空ひばりさんの「越後獅子の唄」(詞:西条八十、曲:万城目正)。
 2番の歌詞に「空見上げれば、泣いているよな昼の月」というところがあるのです。

 これ、泣いているのは月ではなくて、本当は、見上げている獅子舞いの子どもなんですね。
 芸がまずいと親方に撥でぶたれ、泣き顔を見せたくなくて、上を向いているのです。想像するとこちらまで泣きそうになります。

 美空ひばりには好きな歌がたくさんありますが、「越後獅子の唄」はその中でも1、2を争う愛唱歌。
 他には「あの丘越えて」、「港町十三番地」、「東京キッド」、「悲しき口笛」、「りんご追分」……書き切れませんねぇ。

 話を「越後獅子の唄」にもどすと、これを聞いたのは大学生になってから。個人的に、美空ひばり再発見のきっかけとなった曲です。
 「柔」とか「真っ赤な太陽」とか、時流を追いかけた頃の彼女の歌は、好きじゃなかった。少女時代と晩年とが、私にとっての美空ひばりといえるでしょうか。


聞き比べ

2020-01-12 20:53:57 | 

 今日も昨日と同じような一日。
 陽射しがほとんどなかったので、2階には上がらず、1階の仕事部屋で過ごしました。

 例によって音楽を聞きながらの仕事となりましたが、今、バディ・ホリーにちょっと興味があって、彼の楽曲をいくつか。
 バディ・ホリーは飛行機事故で亡くなったアメリカのロックンロールミュージシャン。享年22。ドン・マクリーンが「アメリカン・パイ」でこの飛行機事故のことを歌っています。

 事故の直前、彼が吹き込んでいたのが、名曲「 It Doesn't Matter Anymore 」。
 ユーチューブで彼の歌唱を聞くことができます。

 同じ曲を、リンダ・ロンシュタットはまったく異なった曲のように歌い上げていたりします。

 さらに、オーストラリアのフォークグループ、シーカーズだとこう。明るく弾ける彼らの特徴が出ています。

 聞き比べると、歌手によって楽曲の魅力の引き出し方が違うことに驚かされます。

 もともとバディ・ホリーのためにこの曲を作ったのはポール・アンカ。
 ご本人も後にシングル盤を出しているようですが、ここではバディを偲びながら歌ったステージを。涙なしでは聞けません。


「ドミニク」

2019-11-26 20:15:50 | 

 とても寒い一日。
 朝はそんなに寒いとは感じなかったのですが、外気がどんどん冷えてきて、最低気温を記録したのは、午前11時26分で 6.6℃(隣町アメダス)。
 夕方の散歩も躊躇してしまい、かわりに庭で焚き火をしました。地面でそのまま燃やすのではなく、鉄製の簡易炉を使いましたけどもね。

 今日、思い出した歌はスール・スーリールの「ドミニク」

 スール・スーリールはベルギーの修道院にいた尼僧。自らギターをとって自作の歌を歌うシンガーソングライターで、この歌は1963年、全米ヒットチャート(ビルボード)№1となりました。
 日本ではペギー葉山さんやザ・ピーナツがカバーしましたね。私は「ドミニク、ニク、ニク、粗末ななりで~」というペギー葉山さんの歌の方に親しんでいました。

 この歌を思い出したのはフランシスコ教皇が訪日なされたせいかもしれません。それにしても、これは異色のヒット曲。

 スール・スーリールのことは、この曲をヒットさせたことしか知りませんでした。ウィキペディアの彼女の項目を読んで、その後、大変な苦労をし、悲劇的な最期を遂げたことを、今日初めて、知りました。
 歌のイメージでは、質素ながら明るい生涯を送ったように感じられていたのに、とても意外でした。なんだか、つらい。


「遠くこだまをひいている」

2019-11-20 21:05:52 | 

 昨夜は仕事をしていました。サッカー日本代表の試合は見ていま――ほんの少しだけ、見ました。
 年末進行ということで、締切などがきつくなっているのです。

 今日、散歩の時に口をついた歌は「夜と朝のあいだに」。1969年のピーターのデビューヒット曲ーですね。昨日、ラジオで聞いて耳から離れない感じ。

 ただね、歌おうとしても、うまく音程がとれないところがあります。
 これは再現力が衰えているのか。それとも、記憶力がそこなわれているのか。どっちなんでしょう?
 昔は、たいがいの歌は一度聞いたら、歌えるようになりました。歌に関する記憶力・再現力は人なみ以上だという自信があったのですが……。

 特に「鎖につながれたむく犬よ」の「むく」の音が決まらない。
 帰宅して、YouTubeを見てみたのですが、第三倉庫さんのこのビデオのピーターの妖艶なこと! 歌を聞くのを忘れて、じっと画面に見入ってしまいました。

 それはともかく、この歌は歌詞も凄いですね。美しく、寂しく、そして怖いような世界。
 書いたのはなかにし礼さん。ひとつひとつの言葉が印象的です。


「私に人生と言えるものがあるなら」

2019-11-05 21:19:24 | 

 きれいな青空が広がった一日。でも、朝、市民農園に出かけた後は、家でずっと仕事――というか読書に励んでいました(もったいない)。

 今日、不意に思い出した歌は「私に人生と言えるものがあるなら」
 高石ともやさんとナターシャセブンの歌で覚えているのですが、元はアメリカの曲('Faded Roses'――「色褪せた薔薇」というタイトル)で、日本語歌詞は笠木透さんなんですね。

 笠木さんは中津川フォークジャンボリーを企画・運営なさった方で、5年前に77歳で亡くなられています。ご自身もフォークシンガーとして活躍していて「私の子どもたちへ 」という、ずっと歌い継ぎたい歌も作られています。

 話を「私に人生と言えるものがあるなら」に戻すと、これは愛した人との日々を思い出し、可能ならばあの日をとりもどしたいと歌っています。
 原曲はトム・アシュリーとテックス・アイズリーで聴くことができました。こちらはさらに切々と、愛する人との再会を願っていて、地上でダメなら天国で会っておくれ、と歌っています。

 個人的には、タイトルといい、歌詞といい、笠木さんのものの方が好き。人生を振り返る視点がいいと思います。