惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

少女マンガ

2021-08-25 20:43:54 | 本と雑誌

 最高気温 33.9℃(隣町アメダス)。湿度も高く、耐えがたい暑さ。
 夜になっても気温は下がらず、午後8時現在30.2℃。寝苦しい夜になりそうです。

 夕方、5時過ぎの西の空。

 積乱雲が形にならず、ぐじゃっと崩れたような感じ。
 これでは今夜のひと雨は期待できそうにありません。昨夜は少し降ってくれて助かったんだけどなあ。

 〈SFマガジン〉10月号が届いたのでパラパラと。

 特集は「ハヤカワ文庫JA総解説 PART2[502~998]」。
 私も1冊担当しています(谷甲州さんの『星は、昴』)。

 他の記事で目を留めたのは長山靖生さんの連載「SFのある文学誌」。続けていた小酒井不木の項を中断し、少女マンガの話になっています。「萩尾望都『一度きりの大泉の話』にショックを受け、この機会に一九七〇年代のSF少女マンガについて検討したくなりました」とのこと。

 詳細は長山さんの文章にゆずりますが、読みながら私が思っていたのは1970年当時の少女マンガ全体のこと。
 あの頃、日本の少女マンガは革新というか、新しいジャンル発生の時期を迎えていたんですよねぇ。それをリアルタイムで追いかけることができたのは、本当にしあわせでした。
 大学に入ったばかりで、〈少年マガジン〉も〈少年ジャンプ〉も読まず、〈別冊少女コミック〉や〈りぼんコミック〉、〈月刊セブンティーン〉といった雑誌を買い漁っていたものでした。SFマンガに限らず、多くの新しいマンガ家たちがそれぞれの個性を発揮した作品を発表していて、その熱気に巻き込まれてしまったのです。
 田舎の叔父が上京した際に私の部屋を覗きに来て、「少女マンガの山がある!」とあきれたことでした。

 その頃、萩尾さんと竹宮恵子さんは共同生活をしながら仲良く大活躍していたものとばかり思っていました。
 そんなお2人の間に、ご両人が書かれたような事情があったとは最近まで知らずにいたのですが、「嫉妬と憧れ」という竹宮さんの言葉に納得し、表現者同士の(ありがちな)軋轢と受け止めたいと思っています。