清岡卓行『パリの五月に』(思潮社、1991年10月20日発行)。
「マロニエの花」はパリに着いた翌朝のホテルからみた光景。マロニエが花盛りである。
この光景は清岡を困惑させる。
「美しすぎる」ことが清岡の困惑である。「美」は清岡が常に求めているものである。「美」に陶酔し、放心し、そのとき清岡は清岡であることを忘れ、美と一体になる。美をつくりだしている存在そのものになる。
ところが「美しすぎる」とその一体感がない。
清岡は「美」となじむために、どうしたのか。「わたしは 自分の貧しい知識のなかから/この空間のかつての惨状や寂寥を告げる/歴史の事実をいつのまにか呼び戻そうとしていた。」マロニエを太陽で輝かせる、朝露のなごりで飾るのではなく、惨状や寂寥によって緩和しようとする。
その結果……。
こうした精神の変化を清岡は、次の連で言い換えている。
「美」と清岡の外にある。しかし、その「美」に対して清岡の精神が働きかけるとき、「美」は立体的に、内発的になる。「美」に対して清岡が接近して行き、その接近の過程が「美」を立体的にし、清岡との関係を内発的にするのである。
そして、清岡は、この状態からさらに一歩動く。
最後の「忘れてしまった」は意識することができなくなったという意味だろう。なぜ意識できなくなったか。マロニエと一体になってしまったからである。マロニエの花となって、清岡は、いま、そこで咲いている。さまざまな情景が、そのときどきで展開されるが、マロニエにとってはそういうことはどうでもいい。人間が繰り返す日常である。マロニエはただただ5月になれば繰り返し咲く。それだけのことである。「美」ではなく、マロニエの命そのものと清岡は一体になっているのである。自分の肉体(痛風への心配)さえも忘れてしまう。
「放心」とは心が解き放たれ、その心が清岡とは違う何かと一体となるだけではない。実は、心ではなく、肉体そのものが対象と一体となることである。自分の肉体が対象と一体になってしまうので、心は自分本来の肉体を見失うのである。
そして、ここまで考えてきたとき、私は清岡がマロニエの「美」を緩和するためにしてきたことの「意味」を再発見する。清岡は「美」を緩和するために惨状や寂寥を思い描いたと書いていた。「貧しい記憶のなかから」そういうものを探し出してきたと書いていた。
だが、ほんとうは、こういうべきなのだろう。
清岡は記憶のなかから「美」を拒絶するような惨状や寂寥を拾い集め、それを捨て去ったのだ。清岡の精神のなかにあるマロニエ以外のもの、そういうものを全部捨て去ることで、清岡はマロニエと一体となる。
ここには一種の「矛盾」がある。
マロニエの「美」を緩和するためと清岡は意識して記憶を動かしたか、それは実際には記憶を捨て去ることであった。記憶は、それを記憶と意識しないかぎりは捨てることができないのである。そのために書くのである。
詩は書かれたことばのなかにある。
しかし、その書かれたことばは、実は捨てるためのことば、あるいは捨てたことばである。「詩」はそのなかにはない。書かれたことばは「詩」に到達するための「道」のようなものであって、ほんとうはそこにはない。「詩」はその「道」をたどったものの、そのたどった先にある。書かれていないところ、「道」をたどることで見える「目」のなかにのみある。
清岡の詩のことばは、いわゆる抒情詩のようにあいまいではない。あくまで明晰である。主語と述語が呼応している。散文と言い換えていいくらい整然としている。なぜ、それが整然としているか。それは、そこに書かれたことばが捨て去ったものだからである。それまで清岡をつくっていることばを、言い換えれば、記憶を、精神を捨て去る。脱ぎ捨てる。裸になる。そのために清岡はことばを書く。
捨てることばがなくなったとき、「美」をすっかり忘れてしまい、「美」ではなく、その「美」を成り立たせている存在そのものになる。たとえばマロニエの花の「花ざかり」そのものになってしまう。
清岡の詩は、ことばを捨て去る方法として読むべきものである。
「マロニエの花」はパリに着いた翌朝のホテルからみた光景。マロニエが花盛りである。
わたしが斜めに左に顔を向けて
青空のなかの太陽を探すと
まだずいぶん低い位置にいた。
おお そのとき
マロニエの並木三本ほどの緑の円頂における
円錐花序の白い花房の群ら立ちが
真後ろからの日光に照らしだされ
眩しくも魅惑的に輝いていたのである。
朝露の湿りをたぶん少し残した
それら逆光のなかの白い花びらは
なかば透明な匂わしさのなかで
まるで自分をはじらっているようにも見えた。
この光景は清岡を困惑させる。
これでは美しすぎる!
と わたしは唸った。
どうすればいいの?
「美しすぎる」ことが清岡の困惑である。「美」は清岡が常に求めているものである。「美」に陶酔し、放心し、そのとき清岡は清岡であることを忘れ、美と一体になる。美をつくりだしている存在そのものになる。
ところが「美しすぎる」とその一体感がない。
清岡は「美」となじむために、どうしたのか。「わたしは 自分の貧しい知識のなかから/この空間のかつての惨状や寂寥を告げる/歴史の事実をいつのまにか呼び戻そうとしていた。」マロニエを太陽で輝かせる、朝露のなごりで飾るのではなく、惨状や寂寥によって緩和しようとする。
その結果……。
美に弱い自分の感動を抑えようとして
なかば無意識的に求めた
さまざまな解熱剤ふうな情景。
しかし それらは
肉眼で眺めたものにしろ
想像で描いたものにしろ
わたしのおぼろげな意図を潜って
マロニエの花ざかりの美しさと
すぐさま親しく結びついてしまった。
こうした精神の変化を清岡は、次の連で言い換えている。
皮肉な逆効果というか
いや それをこそ無意識的に求めていたというか
これらの情景は 堅固な背景や地盤
あるいは奥深い陰影となることによって
マロニエの花ざかりの魅惑を
いっそう立体的に いっそう内発的にしたのである。
「美」と清岡の外にある。しかし、その「美」に対して清岡の精神が働きかけるとき、「美」は立体的に、内発的になる。「美」に対して清岡が接近して行き、その接近の過程が「美」を立体的にし、清岡との関係を内発的にするのである。
そして、清岡は、この状態からさらに一歩動く。
五月のパリの色彩の音楽
その早朝のあるひそやかな場合によって
幸福感におちいったわたしは
パリになにをしにきたか忘れた。
自分の痛風の発作への心配を忘れた。
そして 放心のなかで
マロニエの花ざかりの美しさ
そのものまで忘れてしまった。
最後の「忘れてしまった」は意識することができなくなったという意味だろう。なぜ意識できなくなったか。マロニエと一体になってしまったからである。マロニエの花となって、清岡は、いま、そこで咲いている。さまざまな情景が、そのときどきで展開されるが、マロニエにとってはそういうことはどうでもいい。人間が繰り返す日常である。マロニエはただただ5月になれば繰り返し咲く。それだけのことである。「美」ではなく、マロニエの命そのものと清岡は一体になっているのである。自分の肉体(痛風への心配)さえも忘れてしまう。
「放心」とは心が解き放たれ、その心が清岡とは違う何かと一体となるだけではない。実は、心ではなく、肉体そのものが対象と一体となることである。自分の肉体が対象と一体になってしまうので、心は自分本来の肉体を見失うのである。
そして、ここまで考えてきたとき、私は清岡がマロニエの「美」を緩和するためにしてきたことの「意味」を再発見する。清岡は「美」を緩和するために惨状や寂寥を思い描いたと書いていた。「貧しい記憶のなかから」そういうものを探し出してきたと書いていた。
だが、ほんとうは、こういうべきなのだろう。
清岡は記憶のなかから「美」を拒絶するような惨状や寂寥を拾い集め、それを捨て去ったのだ。清岡の精神のなかにあるマロニエ以外のもの、そういうものを全部捨て去ることで、清岡はマロニエと一体となる。
ここには一種の「矛盾」がある。
マロニエの「美」を緩和するためと清岡は意識して記憶を動かしたか、それは実際には記憶を捨て去ることであった。記憶は、それを記憶と意識しないかぎりは捨てることができないのである。そのために書くのである。
詩は書かれたことばのなかにある。
しかし、その書かれたことばは、実は捨てるためのことば、あるいは捨てたことばである。「詩」はそのなかにはない。書かれたことばは「詩」に到達するための「道」のようなものであって、ほんとうはそこにはない。「詩」はその「道」をたどったものの、そのたどった先にある。書かれていないところ、「道」をたどることで見える「目」のなかにのみある。
清岡の詩のことばは、いわゆる抒情詩のようにあいまいではない。あくまで明晰である。主語と述語が呼応している。散文と言い換えていいくらい整然としている。なぜ、それが整然としているか。それは、そこに書かれたことばが捨て去ったものだからである。それまで清岡をつくっていることばを、言い換えれば、記憶を、精神を捨て去る。脱ぎ捨てる。裸になる。そのために清岡はことばを書く。
捨てることばがなくなったとき、「美」をすっかり忘れてしまい、「美」ではなく、その「美」を成り立たせている存在そのものになる。たとえばマロニエの花の「花ざかり」そのものになってしまう。
清岡の詩は、ことばを捨て去る方法として読むべきものである。