青山七恵「ひとり日和(びより)」(「文藝春秋」2007年03月号)。
若いフリーターの女性の感覚をそのまま文体にした小説である。「小説」というより「日記」を読んでいる感じがする。登場人物が、「陽平」「吟子さん」「ヤブヅカさん」「ホースケさん」「藤田君」「イトちゃん」と敬称(?)や漢字表記の差を残したまま文章になっている。その敬称や漢字かカタカナかということのなかに、主人公と相手との関係の濃密さ、大切と感じているかどうかが漂っている。行間にそういう「感じ」を漂わせることを狙って書いている小説なのだろう。
一か所、とても気に入った部分がある。
特に「手を振っていると、足の裏から何か温かいものが満ちてくるような、いい気持ちがする。」が好きだ。ことばにならない安心感、幸福感のようなものが肉体にどんなふうに広がっているかを丁寧に描いている。ここでは「感じ」を漂わせるのではなく、しっかりと肉体のなかに掴んでいる。
そして、この肉体の内部へ深く入っていく視線が、主人公の孤独を浮き彫りにしている。「自分」というものを受け止めるのは結局自分しかいないのだということを、そういうことばをつかわずに、静かに、しかししっかりと浮かび上がらせる。
若いフリーターの女性の感覚をそのまま文体にした小説である。「小説」というより「日記」を読んでいる感じがする。登場人物が、「陽平」「吟子さん」「ヤブヅカさん」「ホースケさん」「藤田君」「イトちゃん」と敬称(?)や漢字表記の差を残したまま文章になっている。その敬称や漢字かカタカナかということのなかに、主人公と相手との関係の濃密さ、大切と感じているかどうかが漂っている。行間にそういう「感じ」を漂わせることを狙って書いている小説なのだろう。
一か所、とても気に入った部分がある。
夕食のあとすぐに藤田君は帰って行った。玄関先でわたしが頼んだとおりに、ホームの一番後ろまで歩いてきて手を振ってくれる。こんな夜がこれから何度もあるだろう、と感じさせる別れ方だった。手を振っていると、足の裏から何か温かいものが満ちてくるような、いい気持ちがする。隣で手を振っている吟子さんでさえ、不思議といとおしく感じる。
特に「手を振っていると、足の裏から何か温かいものが満ちてくるような、いい気持ちがする。」が好きだ。ことばにならない安心感、幸福感のようなものが肉体にどんなふうに広がっているかを丁寧に描いている。ここでは「感じ」を漂わせるのではなく、しっかりと肉体のなかに掴んでいる。
そして、この肉体の内部へ深く入っていく視線が、主人公の孤独を浮き彫りにしている。「自分」というものを受け止めるのは結局自分しかいないのだということを、そういうことばをつかわずに、静かに、しかししっかりと浮かび上がらせる。