難波律郎『難波律郎全詩集』(書肆山田、2006年12月25日発行)。
『昭和の子ども』の表題作「昭和の子ども--きこえてくる あの歌--」。その書き出し。
私は知らないが「 昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌があるのだろう。その歌の記憶。そして昭和という時代が重なり合い、難波にこの詩を書かせたのだろう。そんなことを想像しながら詩を読んだ。
私が一番印象的に感じだのは、「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌から「 ボクタチ」が2行目に引き継がれていく部分である。「ボク」ではなく「ボクタチ」。複数形。時代を生きる人間はひとりではない。かならず複数である。しかし、複数であることを明確に意識するかどうかは個人によって違うだろう。また、その複数形をどういう形で意識するかも個人によって違うだろう。
この1行は、難波が同じ年齢の人間を意識していることを意味するだろう。満2歳も満4歳も、さらにはもっとほかの年齢の子どもも「昭和の子ども」には違いないけれど、「ボクタチ」と言うとき、難波はもっと身近な人間、身近な友達を思い描いている。抽象的な人間ではなく、顔を知っている、性格を知っている身近な友達を思い描いている。声を合わせて「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」と歌ったときの、ひとりひとりの声を知っている。覚えている。そのせつなさが、この詩にはある。
「ボクタチ」には死んだ友達と生き残った友達がいる。そのことが歌声といっしょに肉体を揺さぶるのだ。死んだ友達は生き残った友達ではありえない。死んだ友達は、また自分ではありえない。「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」といっしょに歌ったけれど、もう、その「ボクタチ」は「ボクタチ」そのものではなくなっている。
「ボクタチ」の「歴史」ではない。「ボクタチ」の「歴史」なのに、そう呼ぶことはできない。あくまで「じぶんの歴史」。「じぶんの歴史」のすぐそばに「じぶんの歴史」とは違って、途中で寸断された「歴史」がある。それを、どう語ることができるだろうか。
難波は、それをリズムに託している。
「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌。その歌をいっしょに歌ったときの声のリズム。肉体が覚えているリズム。そのなかにことばをとけこませていく。
一種、はつらつとした響きをもつ「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」のリズムそのままに、「友達死んだ たくさん死んだ」「天皇死んだら泣くだろう」と声にする。いっしょに歌ったリズムのなかで、難波は、「じぶんの歴史」を失ってしまった友達と「時間」を共有する。リズムのなかに、友達をよみがえらせるのである。
そんなふうに友達をよみがえらせながら、よみがえらせることで難波の苦悩はいっそう深くなる。
「集団」(ボクタチ)と「ひとり」(じぶん)。同じであって、同じではない。同じではないのに、同じなのだ。人間はひとりひとりなのに、あるときは「集団」(ボクタチ)にひとくくりにされてしまう、その悲しみと怒り。
「右カラ二番目ノ欅(けやき)ノ木」。そのなかほど。
難波がせつないのは、単に「一兵士」が「集団」にのみこまれてしまうからではない。その「一」は抽象的な数字ではなく、難波にとっては名前があり、顔があり、声があるからだ。具体的な肉体をもっているからだ。 そして、その具体的な肉体は「書かれる歴史」のなかでは消えてしまうことを、肉体そのものとして感じるからだ。「頭」が「書かれる歴史」を批判するのではない。「頭」ではそういうものを批判することは簡単である。だが問題は「頭」で知っている「一」兵士ではない。顔をもち、手足をもち、声をもっている友達の思い出が、「頭」で判断する「不条理」を拒絶するのである。「不条理」を批判してみても、「一」兵士の「一」は具体的な友達の名前にはかわらない。具体的な友達の手足、声、肉体としては戻ってこないのだ。そのことがせつない。それこそがほんとうに不条理なのだ。
そうした感覚を難波は「肉体」として書いている。「鰻の味が舌にとろけるとき」。鰻を食べる。うまいと思う。このうまいという喜び、肉体の喜びを、なぜ今自分だけが味わうことができるのか。友達といっしょに、歌を歌ったように、あるいは軍事教練をしたときのように、いっしょに肉体で感じられないのか。
こうしたせつなさをことばにし、「世界」をかえていく--ということももちろん可能かもしれない。難波は、しかし、そういう壮大な夢想をしない。「ただそれだけのことだ」とひ弱に引き下がる。
私はこのひ弱な引き下がりにも感動する。肉体のひ弱さを隠さない。正直である。「頭」で論理武装し、平和論をつくりあげていくとき、たぶん何かをなくしてしまうのだ。肉体のひ弱さを。ひ弱であるということを自覚し、そこに踏みとどまるという苦しさ、やりきれなさをなくしてしまうのだ。ひ弱である、何もできない。その声こそ、ほんとうは「昭和の歴史」のなかで欠落していたものではなかったか--そう言っているように感じるのである。 肉体は頭と違ってひ弱である。血を流し、死んでしまう。そのことを、もっと声にできたら……そう言っているように感じるのである。
*
「おじいちゃんの目」はビデオカメラで孫の成長を記録する祖父を孫の視線からとらえなおしたものである。そこにはおじいさんの姿は映っていない。おじいさんがカメラをまましているから映っていないのはあたりまえである。そのことに気がつき、孫は「この画面は/あなたの眼」と思う。そういう眼は抽象的なものではない。あくまで肉眼である。そういう肉眼が、実は、いつでもどこでも存在する。--ただし、そういうおおげさなこと、「頭」のなかなのことばを難波は繰り広げない。
「眼にいれても痛くないほどかわいい」。これは比喩ではない。レトリックではない。肉体がほんとうに感じていることなのだ。こういうことばを「頭」ではなく、肉体そのもので受け止める。そして引き継いで行く。
こうした肉体感覚が、難波のことばを、大元のところでしっかりと支えている。
『昭和の子ども』の表題作「昭和の子ども--きこえてくる あの歌--」。その書き出し。
昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ
昭和元年 満三歳だったボクタチは
やがてハナ ハト マメ マスで 字をならった
私は知らないが「 昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌があるのだろう。その歌の記憶。そして昭和という時代が重なり合い、難波にこの詩を書かせたのだろう。そんなことを想像しながら詩を読んだ。
私が一番印象的に感じだのは、「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌から「 ボクタチ」が2行目に引き継がれていく部分である。「ボク」ではなく「ボクタチ」。複数形。時代を生きる人間はひとりではない。かならず複数である。しかし、複数であることを明確に意識するかどうかは個人によって違うだろう。また、その複数形をどういう形で意識するかも個人によって違うだろう。
昭和元年 満三歳だったボクタチは
この1行は、難波が同じ年齢の人間を意識していることを意味するだろう。満2歳も満4歳も、さらにはもっとほかの年齢の子どもも「昭和の子ども」には違いないけれど、「ボクタチ」と言うとき、難波はもっと身近な人間、身近な友達を思い描いている。抽象的な人間ではなく、顔を知っている、性格を知っている身近な友達を思い描いている。声を合わせて「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」と歌ったときの、ひとりひとりの声を知っている。覚えている。そのせつなさが、この詩にはある。
昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ
戦争 戦争 戦争の
昭和の子ドモのボクタチの 友達死んだ たくさん死んだ
「ボクタチ」には死んだ友達と生き残った友達がいる。そのことが歌声といっしょに肉体を揺さぶるのだ。死んだ友達は生き残った友達ではありえない。死んだ友達は、また自分ではありえない。「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」といっしょに歌ったけれど、もう、その「ボクタチ」は「ボクタチ」そのものではなくなっている。
天皇死んだら泣くだろう
昭和ノ子ドモの ボクタチの じぶんの歴史を思うだろう
風にはためく旗のもと 天皇の名で無になった
老若男女の人生を 思って涙を流すだろう
「ボクタチ」の「歴史」ではない。「ボクタチ」の「歴史」なのに、そう呼ぶことはできない。あくまで「じぶんの歴史」。「じぶんの歴史」のすぐそばに「じぶんの歴史」とは違って、途中で寸断された「歴史」がある。それを、どう語ることができるだろうか。
難波は、それをリズムに託している。
「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」という歌。その歌をいっしょに歌ったときの声のリズム。肉体が覚えているリズム。そのなかにことばをとけこませていく。
一種、はつらつとした響きをもつ「昭和ノ子ドモヨ ボクタチハ」のリズムそのままに、「友達死んだ たくさん死んだ」「天皇死んだら泣くだろう」と声にする。いっしょに歌ったリズムのなかで、難波は、「じぶんの歴史」を失ってしまった友達と「時間」を共有する。リズムのなかに、友達をよみがえらせるのである。
そんなふうに友達をよみがえらせながら、よみがえらせることで難波の苦悩はいっそう深くなる。
「集団」(ボクタチ)と「ひとり」(じぶん)。同じであって、同じではない。同じではないのに、同じなのだ。人間はひとりひとりなのに、あるときは「集団」(ボクタチ)にひとくくりにされてしまう、その悲しみと怒り。
「右カラ二番目ノ欅(けやき)ノ木」。そのなかほど。
死んだものは 一兵士としては被害者で 全体では
加害者の一人にされてしまう
書かれる歴史の 不条理をしゃべれない
その哀れさは なにかの折
たとえば鰻の味が舌にとろけるときなどに 風のように
私の心を吹くのだが ただそれだけのことだ
難波がせつないのは、単に「一兵士」が「集団」にのみこまれてしまうからではない。その「一」は抽象的な数字ではなく、難波にとっては名前があり、顔があり、声があるからだ。具体的な肉体をもっているからだ。 そして、その具体的な肉体は「書かれる歴史」のなかでは消えてしまうことを、肉体そのものとして感じるからだ。「頭」が「書かれる歴史」を批判するのではない。「頭」ではそういうものを批判することは簡単である。だが問題は「頭」で知っている「一」兵士ではない。顔をもち、手足をもち、声をもっている友達の思い出が、「頭」で判断する「不条理」を拒絶するのである。「不条理」を批判してみても、「一」兵士の「一」は具体的な友達の名前にはかわらない。具体的な友達の手足、声、肉体としては戻ってこないのだ。そのことがせつない。それこそがほんとうに不条理なのだ。
そうした感覚を難波は「肉体」として書いている。「鰻の味が舌にとろけるとき」。鰻を食べる。うまいと思う。このうまいという喜び、肉体の喜びを、なぜ今自分だけが味わうことができるのか。友達といっしょに、歌を歌ったように、あるいは軍事教練をしたときのように、いっしょに肉体で感じられないのか。
こうしたせつなさをことばにし、「世界」をかえていく--ということももちろん可能かもしれない。難波は、しかし、そういう壮大な夢想をしない。「ただそれだけのことだ」とひ弱に引き下がる。
私はこのひ弱な引き下がりにも感動する。肉体のひ弱さを隠さない。正直である。「頭」で論理武装し、平和論をつくりあげていくとき、たぶん何かをなくしてしまうのだ。肉体のひ弱さを。ひ弱であるということを自覚し、そこに踏みとどまるという苦しさ、やりきれなさをなくしてしまうのだ。ひ弱である、何もできない。その声こそ、ほんとうは「昭和の歴史」のなかで欠落していたものではなかったか--そう言っているように感じるのである。 肉体は頭と違ってひ弱である。血を流し、死んでしまう。そのことを、もっと声にできたら……そう言っているように感じるのである。
*
「おじいちゃんの目」はビデオカメラで孫の成長を記録する祖父を孫の視線からとらえなおしたものである。そこにはおじいさんの姿は映っていない。おじいさんがカメラをまましているから映っていないのはあたりまえである。そのことに気がつき、孫は「この画面は/あなたの眼」と思う。そういう眼は抽象的なものではない。あくまで肉眼である。そういう肉眼が、実は、いつでもどこでも存在する。--ただし、そういうおおげさなこと、「頭」のなかなのことばを難波は繰り広げない。
あなたは或る日 ふっとその途中で消えてしまったけれど
今も大きくなったわたしを眼にいれて 痛がりもせず
どこかでファインダーをのぞいているのですね
「眼にいれても痛くないほどかわいい」。これは比喩ではない。レトリックではない。肉体がほんとうに感じていることなのだ。こういうことばを「頭」ではなく、肉体そのもので受け止める。そして引き継いで行く。
こうした肉体感覚が、難波のことばを、大元のところでしっかりと支えている。