詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

倉田良成『東京Boheme抄』

2007-02-14 22:40:47 | 詩集
 倉田良成『東京Boheme抄』(私家版、2007年02月04日発行)。
 「ドルチェ・ヴィータ」という作品の終わりの方に出てくる文章。

横浜の繁華街を指してみんなで歩いたことがある。ふだんは電車で乗り過ぎてしまう風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開し、われわれは見たこともなかった午後深い池を過ぎ、木陰に出現する知らないバイパス道路を十字路に曲がり、見えない星のきらめきを躰の奥処(おくが)に感じはじめる時刻に、横浜の街角に立つ。

 「ふだんは電車で乗り過ぎてしまう風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開」ということばは、そのままこの詩集の世界をさしているように感じる。青春から現在までいくつかの断片で綴りあわせた、いわば個人史のような詩集だが、できごとをストーリーに従属させるのではなく、瞬間瞬間に立ち止まる。ある瞬間瞬間を、一枚一枚はがすようにして奥行きを描き出す。そして、合わせ鏡のようにして、文学作品が「反歌」の形でそえられる。そのとき、ことばの乱反射が起きる。その乱反射は、「見たこともなかった」「深い池」、あるいは「見えない星」を体の奥に存在させる。
 この詩集の作品は、それぞれ独立して読むよりも、ひとつづきの「人生」として読むようにできていることがわかる。読み進むにしたがって、倉田の体が抱き込んでいる「池」や「星」が見えてくるのである。それこそ、ページの1枚1枚をめくるたびに、ストーリーを追うだけでは見逃してしまうものが、ある奥行きをもって、ことばの奥に広がるのである。詩が積み上げられていくことで、倉田の体とことばが一体となり、奥行きが出てくる。
 詩集全体の「反歌」として「森戸海岸で」という作品が掲載されているが、その前の「舟泊て」が、そういう「奥行き」の到達点として、とてもおもしろい。いつもは利用しない湘南新宿ラインで池袋から横浜まで直通で行くときの様子を描いている。
 倉田はふたつの風景を目撃する。体験する。

埼京線の軌道は山手線とほぼ同じ。どんなに沿線が変わったかと思ったが、そこに見たのは晩夏の光を浴びた三分の一世紀ほど昔の東京の街と異ならない。ただ少しずつ、劣化し褪色し、沈んでゆく太陽のような。

 ひとつは「昔」と変わらない、といっても少しは「劣化し、褪色」した風景。なじみがあるだけに、ちいさな違いも意識される。そういうことは、車窓の風景に限らず、過去の記憶でも起きるだろう。新しい一歩、どこかへ進むとき、そんなふうにして「昔」は姿をあらわす。--この描写は、そのまま、倉田がこの詩集の作品を書く理由でもあるだろう。
 生きてゆくということは、過去を思いだすことなのである。自分がどういう生活をしてきたか、何を考えてきたかを思いだすことが生きてゆくことなのである。過去の1ページを、さらにその1ページのページをはがすようにめくる。そこにストーリーではとらえきれない「奥行き」があり、それが過去の1ページに陰影を与える。その陰影が、その「奥行き」が、「昔」へはもどれないということを決定づけるのである。「奥行き」「陰影」は「劣化」「褪色」という断絶の形で「いま」を突き破って存在するのである。

普段は使わない横須賀線の、西大井を過ぎたあたりから、どこを走っているのか方向と時間の感覚がおかしくなる。

 倉田が体験するもうひとつの風景がこれである。これは、とても特徴的な体験である。見知らぬ線路を走るために「方向感覚」がおかしくなるということは誰でも体験することかもしれない。しかし「時間」はどうだろうか。「時間」の感覚はおかしくはならない。電車が進めば進むだけ「時間」も過ぎてゆく。それがふつうの感覚だろう。しかし、倉田は「時間の感覚がおかしくなる」と書いている。
 たしかに、生きることが過去を思いだすことだということを強く意識すれば、そこでは「時間」の感覚は混乱する。生きることは現在から未来へ進むことである。しかし、その前進の過程で、意識は過去を思い浮かべる。過去を思い浮かべた瞬間、たしかに過去へ進んでいるのか、未来へ進んでいるのか、わからなくなる、ということはありうるのだ。
 倉田にはこの感覚が非常に強いのだろう。未来へ進めば進むほど、遠い過去が1枚ずつめくれるようにして奥行きをあらわす。

 ここから倉田は風景ではなく、不安のなかへと突き進む。

住宅街を走っているのだが神社や児童公園や小さな墓苑のようなものも見える。やがて多摩川の渡河に至って神奈川県に入ったことを知るが、京急川崎駅から見てだいぶ北のところを走っているほかは皆目見当がつかず、見知らぬ土地をゆく孤独感みたいなものが身に添う。ほんとうにわれわれは横浜へ行くのか。

 この「見知らぬ土地」(風景)は「昔」の風景(三分の一世紀ほど昔の東京の街)との対比によって鮮明になる。そこがただ「見知らぬ土地」であるだけではなく、知っている土地(過去)と地続きであることが倉田を不安にし、「見知らぬ土地」を経由するがゆえに、これからたどりつく場所が「見知らぬ土地」かもしれないという不安に倉田を誘い込むのである。「ほんとうにわれわれは横浜に行くのか。」
 このときの「孤独」は、いま通過している土地が「昔」(記憶)をもたないこととも関係している。先へ進む。そのとき思い出す「昔」。そこには1枚ずつ奥行きを広げるものがあり、「昔」を1枚ずつめくるたびになつかしい知人が立ち現れる。孤独ではない。一方、昔(記憶)とつながらない土地を行くとき、そこには知人は誰一人として立ち現れない。孤独である。

妻とわたしはホームに立つ。だが、私たちが到着したこの横浜とは、ほんとうは何処なのか?

 知らない土地を通ることは知らない時間へ進むこと。そして、そういう体験をしてしまったあとでは、知っているはずの場所へはたどりつけないのである。その場所は、かならずかつての場所とは違っている。不思議な体験をしてしまったあとでは、既成の場所は既成のままではいられない。そこはもう「横浜」ではありえないのである。
 こういう苦しみのなかで、つまり生きること、生きることで知らない時間と場所を通ることで、「私」は「私」ではなくなり、目的地は目的地でなくなるという苦しみのなかで、倉田は「昔」を思い出し、自己を立て直そうとしているのかもしれない。過去を書く意味があるとすれば、そういう立て直しと関係があるかもしれない。しかし、過去は過去で、1枚ずつページをめくるように「奥行き」を新しくする。書けば書くほど、矛盾してしまう。不安は大きくなる。だが、だからこそ書かずにはいられない。--それが倉田なのだと思った。
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清岡卓行論のためのメモ(22)

2007-02-14 08:30:14 | 詩集
 『一瞬』(思潮社、2002年08月20日発行)。
 「選ばれた一瞬」は岡鹿之助の『滞船』に寄せて書かれた詩である。この「一瞬」にはいろいろな意味がある。まず、岡が描いている絵の世界、絵として閉じ込められた一瞬。それは次のように描写される。(直接、絵に描かれている具体物ではなく、そこから受け取った清岡の「一瞬」の印象。)

なんとうい静けさ。
孤独でにぎやかな音楽が
いま終ったばかりであるかのように。
あるいは ひそかな郷愁の音楽が
まさに始まろうとしているかのように。

 この文体は「ある眩暈」の「やがては自分が無残に/敗れる兆しか。/それともそこから必死に/逃れる兆しか。」に似ている。「音楽のおわり」「音楽の始まるまえ」というふたつの極に挟まれた「一瞬」。清岡が「詩」を書くとき、必ずといっていいほど繰り返される構図である。
 次に、清岡が岡の絵にであった「一瞬」。

このタブローの前で私が茫然となった一瞬から
もう三十三年も経っている。
しかも その驚きの反芻が
いまもなおつづけられているのだ。

 「三十三年前」と「いま」の「一瞬」。それを同じ「一瞬」ということばでつなぐのは「茫然」と「驚き」。
 そして、ここに「一瞬」とは矛盾するもうひとつの重要なことばがある。「反芻」。
 「一瞬」はその瞬間に消え去るから「一瞬」なのではない。常に新しくそこに存在し、反芻するたびに新しくなるから「一瞬」なのである。
 清岡が詩を書くのは、「一瞬」を「反芻」するためである。「反芻」しながら、どんどん「驚き」「戦き」「眩暈」へ引き込まれていく。「茫然」として我を忘れてしまう。「放心」する。それが清岡の幸福だからである。悦びだからである。

 清岡はもうひとつ、とても重要な「一瞬」を思い描いている。岡の人生全体と重なり合う「一瞬」。岡の人生と、絵とが重なり合う「一瞬」。その「一瞬」を清岡が発見する「一瞬」。そのために、清岡は、岡の人生についていろいろ調べてもいる。だが、その絵を支えている核心、「魂のもっとも深い構え」はみつからなかった。それでもなおかつ、清岡は夢みる。

できることなら いつの日か
わたしは蓄積したそれらの知識を
うまく無意識化した状態のなかで
あの油彩の実物に再会してみたい。
そして あらためて
あの生生しい絵肌(マチエール)の全容に打たれ
かつて茫然となったあの一瞬を
感覚的に新しくしてみたい。
そのとき
わたしにどんな思いが生じるかはわからない。
しかし そのとき
わたしの新しい一瞬が
画家をあの油彩の制作へと駆り立てた古い一瞬に
いくらかでも重なるのではないかという
そんな望みが
あの滞船の行き先のように残っている。

 「古い一瞬」を「新しくする」。それが清岡の詩を書く理由だ。「反芻」とは新しくするということがあってはじめて「反芻」なのである。

 ところで、いま引用したこの作品の最後の連には、もうひとつとてもおもしろいことばがある。

わたしは蓄積したそれらの知識を
うまく無意識化した状態のなかで
あの油彩の実物に再会してみたい。

 「知識」をもったまま再会するのではない。「知識」のない状態で再会するのである。「知識」を否定する姿勢がここにある。「詩」の「一瞬」は「知識」(頭)では到達できない。むしろ、頭が空白になることが重要である。「茫然」のなかに「詩」は噴出してくるのである。清岡のことばの動きは整然としている。すべての行、すべてのことばが意識化されているよう感じる。それはたしかに意識化されている。しかし、その意識化は、意識することを忘れるための意識化である。意識を「無」にするための意識である。

 最初にもどろう。

なんとうい静けさ。
孤独でにぎやかな音楽が
いま終ったばかりであるかのように。
あるいは ひそかな郷愁の音楽が
まさに始まろうとしているかのように。

 ここに書かれた「音楽の終わり」「音楽の始まる前」というふたつのことばは、互いに正反対であることによって、それぞれを打ち消してしまうのだ。意識は一瞬浮かび上がり、その浮かび上がったものは即座に否定される。「無」になる。「無」になることによって、そのふたつの「音楽」の距離、隔たりは無限になる。
 「無」のなかで、清岡のことばは、つまり、感覚はというのに等しいが、それは再生するのである。詩になるのである。
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