倉田良成『東京Boheme抄』(私家版、2007年02月04日発行)。
「ドルチェ・ヴィータ」という作品の終わりの方に出てくる文章。
「ふだんは電車で乗り過ぎてしまう風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開」ということばは、そのままこの詩集の世界をさしているように感じる。青春から現在までいくつかの断片で綴りあわせた、いわば個人史のような詩集だが、できごとをストーリーに従属させるのではなく、瞬間瞬間に立ち止まる。ある瞬間瞬間を、一枚一枚はがすようにして奥行きを描き出す。そして、合わせ鏡のようにして、文学作品が「反歌」の形でそえられる。そのとき、ことばの乱反射が起きる。その乱反射は、「見たこともなかった」「深い池」、あるいは「見えない星」を体の奥に存在させる。
この詩集の作品は、それぞれ独立して読むよりも、ひとつづきの「人生」として読むようにできていることがわかる。読み進むにしたがって、倉田の体が抱き込んでいる「池」や「星」が見えてくるのである。それこそ、ページの1枚1枚をめくるたびに、ストーリーを追うだけでは見逃してしまうものが、ある奥行きをもって、ことばの奥に広がるのである。詩が積み上げられていくことで、倉田の体とことばが一体となり、奥行きが出てくる。
詩集全体の「反歌」として「森戸海岸で」という作品が掲載されているが、その前の「舟泊て」が、そういう「奥行き」の到達点として、とてもおもしろい。いつもは利用しない湘南新宿ラインで池袋から横浜まで直通で行くときの様子を描いている。
倉田はふたつの風景を目撃する。体験する。
ひとつは「昔」と変わらない、といっても少しは「劣化し、褪色」した風景。なじみがあるだけに、ちいさな違いも意識される。そういうことは、車窓の風景に限らず、過去の記憶でも起きるだろう。新しい一歩、どこかへ進むとき、そんなふうにして「昔」は姿をあらわす。--この描写は、そのまま、倉田がこの詩集の作品を書く理由でもあるだろう。
生きてゆくということは、過去を思いだすことなのである。自分がどういう生活をしてきたか、何を考えてきたかを思いだすことが生きてゆくことなのである。過去の1ページを、さらにその1ページのページをはがすようにめくる。そこにストーリーではとらえきれない「奥行き」があり、それが過去の1ページに陰影を与える。その陰影が、その「奥行き」が、「昔」へはもどれないということを決定づけるのである。「奥行き」「陰影」は「劣化」「褪色」という断絶の形で「いま」を突き破って存在するのである。
倉田が体験するもうひとつの風景がこれである。これは、とても特徴的な体験である。見知らぬ線路を走るために「方向感覚」がおかしくなるということは誰でも体験することかもしれない。しかし「時間」はどうだろうか。「時間」の感覚はおかしくはならない。電車が進めば進むだけ「時間」も過ぎてゆく。それがふつうの感覚だろう。しかし、倉田は「時間の感覚がおかしくなる」と書いている。
たしかに、生きることが過去を思いだすことだということを強く意識すれば、そこでは「時間」の感覚は混乱する。生きることは現在から未来へ進むことである。しかし、その前進の過程で、意識は過去を思い浮かべる。過去を思い浮かべた瞬間、たしかに過去へ進んでいるのか、未来へ進んでいるのか、わからなくなる、ということはありうるのだ。
倉田にはこの感覚が非常に強いのだろう。未来へ進めば進むほど、遠い過去が1枚ずつめくれるようにして奥行きをあらわす。
ここから倉田は風景ではなく、不安のなかへと突き進む。
この「見知らぬ土地」(風景)は「昔」の風景(三分の一世紀ほど昔の東京の街)との対比によって鮮明になる。そこがただ「見知らぬ土地」であるだけではなく、知っている土地(過去)と地続きであることが倉田を不安にし、「見知らぬ土地」を経由するがゆえに、これからたどりつく場所が「見知らぬ土地」かもしれないという不安に倉田を誘い込むのである。「ほんとうにわれわれは横浜に行くのか。」
このときの「孤独」は、いま通過している土地が「昔」(記憶)をもたないこととも関係している。先へ進む。そのとき思い出す「昔」。そこには1枚ずつ奥行きを広げるものがあり、「昔」を1枚ずつめくるたびになつかしい知人が立ち現れる。孤独ではない。一方、昔(記憶)とつながらない土地を行くとき、そこには知人は誰一人として立ち現れない。孤独である。
知らない土地を通ることは知らない時間へ進むこと。そして、そういう体験をしてしまったあとでは、知っているはずの場所へはたどりつけないのである。その場所は、かならずかつての場所とは違っている。不思議な体験をしてしまったあとでは、既成の場所は既成のままではいられない。そこはもう「横浜」ではありえないのである。
こういう苦しみのなかで、つまり生きること、生きることで知らない時間と場所を通ることで、「私」は「私」ではなくなり、目的地は目的地でなくなるという苦しみのなかで、倉田は「昔」を思い出し、自己を立て直そうとしているのかもしれない。過去を書く意味があるとすれば、そういう立て直しと関係があるかもしれない。しかし、過去は過去で、1枚ずつページをめくるように「奥行き」を新しくする。書けば書くほど、矛盾してしまう。不安は大きくなる。だが、だからこそ書かずにはいられない。--それが倉田なのだと思った。
「ドルチェ・ヴィータ」という作品の終わりの方に出てくる文章。
横浜の繁華街を指してみんなで歩いたことがある。ふだんは電車で乗り過ぎてしまう風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開し、われわれは見たこともなかった午後深い池を過ぎ、木陰に出現する知らないバイパス道路を十字路に曲がり、見えない星のきらめきを躰の奥処(おくが)に感じはじめる時刻に、横浜の街角に立つ。
「ふだんは電車で乗り過ぎてしまう風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開」ということばは、そのままこの詩集の世界をさしているように感じる。青春から現在までいくつかの断片で綴りあわせた、いわば個人史のような詩集だが、できごとをストーリーに従属させるのではなく、瞬間瞬間に立ち止まる。ある瞬間瞬間を、一枚一枚はがすようにして奥行きを描き出す。そして、合わせ鏡のようにして、文学作品が「反歌」の形でそえられる。そのとき、ことばの乱反射が起きる。その乱反射は、「見たこともなかった」「深い池」、あるいは「見えない星」を体の奥に存在させる。
この詩集の作品は、それぞれ独立して読むよりも、ひとつづきの「人生」として読むようにできていることがわかる。読み進むにしたがって、倉田の体が抱き込んでいる「池」や「星」が見えてくるのである。それこそ、ページの1枚1枚をめくるたびに、ストーリーを追うだけでは見逃してしまうものが、ある奥行きをもって、ことばの奥に広がるのである。詩が積み上げられていくことで、倉田の体とことばが一体となり、奥行きが出てくる。
詩集全体の「反歌」として「森戸海岸で」という作品が掲載されているが、その前の「舟泊て」が、そういう「奥行き」の到達点として、とてもおもしろい。いつもは利用しない湘南新宿ラインで池袋から横浜まで直通で行くときの様子を描いている。
倉田はふたつの風景を目撃する。体験する。
埼京線の軌道は山手線とほぼ同じ。どんなに沿線が変わったかと思ったが、そこに見たのは晩夏の光を浴びた三分の一世紀ほど昔の東京の街と異ならない。ただ少しずつ、劣化し褪色し、沈んでゆく太陽のような。
ひとつは「昔」と変わらない、といっても少しは「劣化し、褪色」した風景。なじみがあるだけに、ちいさな違いも意識される。そういうことは、車窓の風景に限らず、過去の記憶でも起きるだろう。新しい一歩、どこかへ進むとき、そんなふうにして「昔」は姿をあらわす。--この描写は、そのまま、倉田がこの詩集の作品を書く理由でもあるだろう。
生きてゆくということは、過去を思いだすことなのである。自分がどういう生活をしてきたか、何を考えてきたかを思いだすことが生きてゆくことなのである。過去の1ページを、さらにその1ページのページをはがすようにめくる。そこにストーリーではとらえきれない「奥行き」があり、それが過去の1ページに陰影を与える。その陰影が、その「奥行き」が、「昔」へはもどれないということを決定づけるのである。「奥行き」「陰影」は「劣化」「褪色」という断絶の形で「いま」を突き破って存在するのである。
普段は使わない横須賀線の、西大井を過ぎたあたりから、どこを走っているのか方向と時間の感覚がおかしくなる。
倉田が体験するもうひとつの風景がこれである。これは、とても特徴的な体験である。見知らぬ線路を走るために「方向感覚」がおかしくなるということは誰でも体験することかもしれない。しかし「時間」はどうだろうか。「時間」の感覚はおかしくはならない。電車が進めば進むだけ「時間」も過ぎてゆく。それがふつうの感覚だろう。しかし、倉田は「時間の感覚がおかしくなる」と書いている。
たしかに、生きることが過去を思いだすことだということを強く意識すれば、そこでは「時間」の感覚は混乱する。生きることは現在から未来へ進むことである。しかし、その前進の過程で、意識は過去を思い浮かべる。過去を思い浮かべた瞬間、たしかに過去へ進んでいるのか、未来へ進んでいるのか、わからなくなる、ということはありうるのだ。
倉田にはこの感覚が非常に強いのだろう。未来へ進めば進むほど、遠い過去が1枚ずつめくれるようにして奥行きをあらわす。
ここから倉田は風景ではなく、不安のなかへと突き進む。
住宅街を走っているのだが神社や児童公園や小さな墓苑のようなものも見える。やがて多摩川の渡河に至って神奈川県に入ったことを知るが、京急川崎駅から見てだいぶ北のところを走っているほかは皆目見当がつかず、見知らぬ土地をゆく孤独感みたいなものが身に添う。ほんとうにわれわれは横浜へ行くのか。
この「見知らぬ土地」(風景)は「昔」の風景(三分の一世紀ほど昔の東京の街)との対比によって鮮明になる。そこがただ「見知らぬ土地」であるだけではなく、知っている土地(過去)と地続きであることが倉田を不安にし、「見知らぬ土地」を経由するがゆえに、これからたどりつく場所が「見知らぬ土地」かもしれないという不安に倉田を誘い込むのである。「ほんとうにわれわれは横浜に行くのか。」
このときの「孤独」は、いま通過している土地が「昔」(記憶)をもたないこととも関係している。先へ進む。そのとき思い出す「昔」。そこには1枚ずつ奥行きを広げるものがあり、「昔」を1枚ずつめくるたびになつかしい知人が立ち現れる。孤独ではない。一方、昔(記憶)とつながらない土地を行くとき、そこには知人は誰一人として立ち現れない。孤独である。
妻とわたしはホームに立つ。だが、私たちが到着したこの横浜とは、ほんとうは何処なのか?
知らない土地を通ることは知らない時間へ進むこと。そして、そういう体験をしてしまったあとでは、知っているはずの場所へはたどりつけないのである。その場所は、かならずかつての場所とは違っている。不思議な体験をしてしまったあとでは、既成の場所は既成のままではいられない。そこはもう「横浜」ではありえないのである。
こういう苦しみのなかで、つまり生きること、生きることで知らない時間と場所を通ることで、「私」は「私」ではなくなり、目的地は目的地でなくなるという苦しみのなかで、倉田は「昔」を思い出し、自己を立て直そうとしているのかもしれない。過去を書く意味があるとすれば、そういう立て直しと関係があるかもしれない。しかし、過去は過去で、1枚ずつページをめくるように「奥行き」を新しくする。書けば書くほど、矛盾してしまう。不安は大きくなる。だが、だからこそ書かずにはいられない。--それが倉田なのだと思った。