秋吉敏子/谷川俊太郎/Monday満ちる『希望』
秋吉敏子の曲・演奏に谷川俊太郎が詩をつけ、Monday満ちるが歌っている。発売からすでに何か月もたっている。感想を書こう書こうとして、書けなかった。
「希望」というより「祈り」に聞こえるのである。何度聞いても、いつ聞いても輝かしい夢があふれているという感じではなく、祈りとしか聞こえない。祈りの奥には不安のようなものもある。希望が人間を力強くしてくれるというような感じではなく、何もない、いやたとえ今が苦しく悲しくても、いのちを遠くへ遠くへと運んで行ってほしい、運び続けてほしいという祈りのように聞こえる。
聞いていて元気になる、という感じではない。しかし、聞いていて、とてもこころが清らかになる。
谷川の詩に「あふれる」(あふれやまぬ、あふれて)ということばが2回出てくる。あふれでていくものがある、ということが「希望」なのだ。あふれでていくものが、そのあふれでる力のまま動いていく、ということが自由であり、そこに「希望」がある、ということかもしれない。
あふれでていくものを見つめ、それがそのままの輝きで動いていってほしいという祈り。祈ることで「希望」をみつめている曲なのだ。詩なのだ。
秋吉敏子にも谷川俊太郎にも「希望」はあるだろう。しかし、彼らは今、自分の「希望」ではなく、子どもたちの「希望」、その「あふれる」いのちが、あふれるまま自由に動き、育っていくことを祈っているのだろう。そんなことを感じさせる曲である。
秋吉敏子の曲・演奏に谷川俊太郎が詩をつけ、Monday満ちるが歌っている。発売からすでに何か月もたっている。感想を書こう書こうとして、書けなかった。
希望 それはこころ
あふれやまぬ ひとのいのち
よみがえる草木 朝日とともに
明日へとこころは かがやいて
忘れられぬ 日々も
子どもたちの 未来のため
こころよ飛べ 夢みる世界へ
希望 あふれて
「希望」というより「祈り」に聞こえるのである。何度聞いても、いつ聞いても輝かしい夢があふれているという感じではなく、祈りとしか聞こえない。祈りの奥には不安のようなものもある。希望が人間を力強くしてくれるというような感じではなく、何もない、いやたとえ今が苦しく悲しくても、いのちを遠くへ遠くへと運んで行ってほしい、運び続けてほしいという祈りのように聞こえる。
聞いていて元気になる、という感じではない。しかし、聞いていて、とてもこころが清らかになる。
谷川の詩に「あふれる」(あふれやまぬ、あふれて)ということばが2回出てくる。あふれでていくものがある、ということが「希望」なのだ。あふれでていくものが、そのあふれでる力のまま動いていく、ということが自由であり、そこに「希望」がある、ということかもしれない。
あふれでていくものを見つめ、それがそのままの輝きで動いていってほしいという祈り。祈ることで「希望」をみつめている曲なのだ。詩なのだ。
秋吉敏子にも谷川俊太郎にも「希望」はあるだろう。しかし、彼らは今、自分の「希望」ではなく、子どもたちの「希望」、その「あふれる」いのちが、あふれるまま自由に動き、育っていくことを祈っているのだろう。そんなことを感じさせる曲である。