詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

橋場仁奈「駅まで二十五分」ほか

2007-03-02 20:45:05 | 詩(雑誌・同人誌)
 橋場仁奈「駅まで二十五分」ほか(「まどえふ」8号、2007年03月01日発行)。
 橋場仁奈「駅まで二十五分」の途中におもしろい部分があった。

ほそく裂けた姉さんの舌、
ほそい神経の舌先、

くんと血の球になってつ、つぶれているよまた血の球になってつ、つ
ぶれてぶれているよぶれてつぶれてぶれてくたびれはてて
くび、くび、くび、れて、いる記憶そうして裂け、つづ
ける姉の舌先、姉の私の、
私の姉の裂ける舌先、逃げる舌、逃げ回る
舌、
したした噛み、噛み、切って、はりついているの

 ことばが吃音のように抵抗しながら先へ進んでいく。そのこともおもしろいといえばおもしろいのだが、それよりももっとおもしろいことがある。「姉さん」が「姉」にかわっている。(引用の前の部分では、やはり「姉さん」なのである。また、詩の後半では再び「姉さん」になるのだが。)
 意図的なのか。無意識なのか。たぶん無意識なのだろう。
 そして、無意識である点に私は興味をそそられる。
 何を書くか--ということを忘れてしまって、いま書いていることばに夢中になっている。吃音のようにことばを分断し、その分断の瞬間に次のことばが見えてくる。それを追いかけることに夢中になっている。ことばを追いかける喜びにあふれている。



 大澤蓉子「永遠と書き、とわと囁き囁く」も、途中がおもしろかった。書道の授業について書いているのだが、その2連目。 

すでにタテの廊下から横に入る
時間の流れの奥行きには微に入り細に入るほど
墨の匂いが立ちこもっている

 学校特有の不思議な感じが濃密に漂っている。荒川洋治のことばのように、ことばのふくらみが、ことばを超えるものをつつんでいる。

コメント
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