詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

真田かずこ『あたらしい海』

2007-03-30 23:41:28 | 詩集
 真田かずこ『あたらしい海』(思潮社、2007年03月05日発行)。

冬のある日
わたしは
焼き場の裏の小道を
独り登った

突然目の前に
見たことも無い海が展がり
思いがけない高さの水平線と
聞こえない波の音    (「あたらしい海」)

 「思いがけない高さの水平線」がリアルだ。海は波の音が聞こえないくらい下にある。しかし、水平線を高く感じる。「小道を/独り登った」という思いが、水平線を高くする。
 「頭」で書かず、肉体で書いている。

暮れなずむ頃
わたしの庭はショパンが好き
心鎮め耳を澄まして
窓から聞こえるCDを聴き
息を呑む気配  (「暮れなずむ頃」)

 「わたしの庭はショパンが好き」がいい。「わたし」が「庭」になっている。「新しい海」の「思いがけない高さ」のあとでは、この「わたし」から「庭」への変身が、とても気持ちがいい。
 真田の肉体は、すーっと変身してしまう力を持っている。
 もの、というより、風景に変身してしまう力を持っている。
 とても気持ちよく感じられる。肉体が「わたし」から解放されて、宇宙にひろがっていく感じである。

わたしは一枚の薄い紙になって
テーブルに置かれている
手も足も頭もなく

窓から射す光を反射し
文字が消えた白い紙
陽にかざすと温もりが通り抜けていった  (「変身」)

 「手も足も頭もなく」。その「頭もなく」が、とてもいい。
 「頭」を放棄して、肉体を解放している。解放されているから、他のものと溶け合う。溶け合って、どこまでもひろがっていく。
コメント
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