真田かずこ『あたらしい海』(思潮社、2007年03月05日発行)。
「思いがけない高さの水平線」がリアルだ。海は波の音が聞こえないくらい下にある。しかし、水平線を高く感じる。「小道を/独り登った」という思いが、水平線を高くする。
「頭」で書かず、肉体で書いている。
「わたしの庭はショパンが好き」がいい。「わたし」が「庭」になっている。「新しい海」の「思いがけない高さ」のあとでは、この「わたし」から「庭」への変身が、とても気持ちがいい。
真田の肉体は、すーっと変身してしまう力を持っている。
もの、というより、風景に変身してしまう力を持っている。
とても気持ちよく感じられる。肉体が「わたし」から解放されて、宇宙にひろがっていく感じである。
「手も足も頭もなく」。その「頭もなく」が、とてもいい。
「頭」を放棄して、肉体を解放している。解放されているから、他のものと溶け合う。溶け合って、どこまでもひろがっていく。
冬のある日
わたしは
焼き場の裏の小道を
独り登った
突然目の前に
見たことも無い海が展がり
思いがけない高さの水平線と
聞こえない波の音 (「あたらしい海」)
「思いがけない高さの水平線」がリアルだ。海は波の音が聞こえないくらい下にある。しかし、水平線を高く感じる。「小道を/独り登った」という思いが、水平線を高くする。
「頭」で書かず、肉体で書いている。
暮れなずむ頃
わたしの庭はショパンが好き
心鎮め耳を澄まして
窓から聞こえるCDを聴き
息を呑む気配 (「暮れなずむ頃」)
「わたしの庭はショパンが好き」がいい。「わたし」が「庭」になっている。「新しい海」の「思いがけない高さ」のあとでは、この「わたし」から「庭」への変身が、とても気持ちがいい。
真田の肉体は、すーっと変身してしまう力を持っている。
もの、というより、風景に変身してしまう力を持っている。
とても気持ちよく感じられる。肉体が「わたし」から解放されて、宇宙にひろがっていく感じである。
わたしは一枚の薄い紙になって
テーブルに置かれている
手も足も頭もなく
窓から射す光を反射し
文字が消えた白い紙
陽にかざすと温もりが通り抜けていった (「変身」)
「手も足も頭もなく」。その「頭もなく」が、とてもいい。
「頭」を放棄して、肉体を解放している。解放されているから、他のものと溶け合う。溶け合って、どこまでもひろがっていく。