詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

藤維夫「秋のフーガ」

2008-11-12 10:12:49 | 詩(雑誌・同人誌)
藤維夫「秋のフーガ」(「SEED」17、2008年11月01日発行)

 藤維夫「秋のフーガ」の1連目。

秋が深まって
岸辺を走る道に佇み
そこに冷えた地平が見えてくる
淡白な遠い波もある
共鳴する地図は近くに誰もいない場所
いくつもの言葉を失って
空虚な孤独の秋を告げるだろう

 3行目の「そこに」に詩を感じた。
 「そこ」って、どこ? わからないね。かろうじて、「岸辺を走る道に佇」んだときに見える場所、ということがわかる。そして、もっと限定すれば「佇む」ときに見える場所なのだ。
 ひとは誰でも佇むときがある。その佇んだ場所が「ここ」。「そこ」は「ここ」から離れた場所。「ここ」と「そこ」には距離がある。隔たりがある。その隔たり、距離と「孤独」は強く関係している。私は「ここ」にいる。そして私以外は「ここ」にはいない。他の存在は「私」から離れている--それが孤独だ。

 でも、「そこ」って、どこ? また疑問が生まれてくる。何か、よくわからない。それは、たぶん藤にもよくわからない。「そこ」と「ここ」の距離がわからない。わからないから、とらえどころのないものが「そこ」と「ここ」のあいだ(間--魔かもしれない)に忍び込んでくる。そして、「そこ」と「ここ」の間(ま)があいまいだから、なにかが忍び込んできても、その間が埋まったかどうかはわからない。
 この、間が埋まったかどうかわからない感じ--それを「空虚」と呼ぶ。藤は「空虚」と呼んでいる。(1連の最終行)

 藤の詩は「抒情詩」に属する。(たぶん)そして、その抒情が清潔なのは、3行目の「そこ」ということばのように、彼のことばの運動がいつも論理的だからである。論理がセンチメンタルを洗い清める。
 強い論理があるとき、ことばは美しく響く。



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田母神・前航空幕僚長に対する参院外交委参考人質疑

2008-11-12 09:44:48 | その他(音楽、小説etc)
田母神・前航空幕僚長に対する参院外交委参考人質疑(「読売新聞」2008年11月12日参考)

 読売新聞に掲載されている「参考人質疑の要旨」を読みながら、日本の政治家の国語力に疑問を感じた。国会議員が質問し、それに田母神が答える。そのあと、その発言に対して再質問をするという形をとっていないようなので(新聞の要旨からだけではよくわからない)、追及のしかたに限界があるのかもしれないが、もしそうなら、そういう限界を設けていること自体、討論に対するい認識力が低いということになるだろう。
 浜田昌良(公明)の、「どういう意図で(懸賞論文を自衛隊幹部に)紹介したのか」という問いに、田母神は次のように答える。

日本の国は良い国だったという(歴史の)見直しがあってもいいという論文を募集しているから、勉強になると紹介した。今回びっくりしたのは、日本は良い国だったと言ったら解任された。ちょっと変だ。

 一番の問題は、田母神が「日本が侵略戦争をしたかどうか」という問題を、「日本がよ良い国だったかどうか」ということばにすり替えていることだ。「良い国」の定義はあいまいである。「あいまい」な言語を利用して、田母神は自分の発言をごまかしている。日本が侵略戦争をしたというのが「濡れ衣」であると主張することと、日本が「良い国だった」と主張することはまったく別の論理である。田母神が主張するように、たとえ日本が誰かにだまされて結果的に中国に侵略してしまったのだとしても、だまされたから「よい国だった」ということにはならない。だまされるような「おろかな国」だったということにしかならない。「侵略」という事実は消えない。
 問題になっていることが、日本が「良い国」だったかどうかではないという点を明確に指摘できないのは、田母神を追及する国会議員の論理力・国語力が極端に低下しているためである。
 この問題のすり替えをだれも追及しないからこそ、井上哲史(共産)との質疑が次のようになってしまう。井上は「統幕学校の一般課程で、『国家観・歴史観』の科目創設を主導したか」と質問する。それに対し、田母神は答える。

はい。日本の国を良い国だと思わないと頑張る気にならない。悪い国だと言ったのでは自衛隊の士気もどんどん崩れる。きちっとした国家観や歴史観なりを持たせなければ国は守れないと思い、講座を設けた。

 ここにも巧妙な論理のすり替えがある。田母神は日本は「良い国だった」と浜田に対して答えていた。「だった」とは過去形である。しかし、井上には「良い国だと思わないと」と現在形で答えている。
 現在形はもちろん、歴史的事実を述べるときにもつかう。歴史的事実は現在形で語ってもいい。というか、現在形で語るのが普通である。この文法を利用して、田母神は論理をすり替えている。
 日本が過去に侵略戦争という間違ったことをしたという過去の事実と、日本が現在、「良い国である」という現在の事実は別個のものである。過去に間違っていても、現在が正しい(良い)ということは、いくらでもある。過去の間違いを間違いと認めることは、現在が過去とは違って「良い」状態であるという証拠でもある。そして、自衛隊が守るべきものは、「過去」ではない。現在生きている日本人である。将来生きていく日本人である。国家である。守るのは現在と未来であって、過去ではない。「現在の良い国を、そして未来の良い国を守る」と言えば、自衛隊の士気は崩れるのか。そんなばかなことはない。逆だろう。現在の悪い国、将来悪くなっていく国を守らなければならない、と言ったときこそ自衛隊の士気は下がるだろう。だれだって望みのないことをしなければならないとなれば士気が崩れる。

 国会議員でさえ、田母神の「良い国」論の問題点を指摘できない。国会は、田母神に利用されただけである。
 こんな権論論理の低下してしまった国では、詩は存在し得ないかもしれない。詩は論理を超えるもの、超越するものだが、超越するものがなければ、超越しようがないからである。

 政治的言語と文学的言語は別のものかもしれないが、別のものであるなら、それをどんなふうにたたき壊せるかを考えるのは楽しいことかもしれない。言語の破壊、再創造(再生)は詩の仕事だろう、と思う。

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リッツォス「証言B(1966)」より(5)中井久夫訳

2008-11-12 00:20:35 | リッツォス(中井久夫訳)
同じ夜   リッツォス(中井久夫訳)

スイッチをひねって自分の部屋に明かりを点けた。人目で分かった。
これが自分だと。自分専用の空間にいて、
涯のない夜と、その夜から伸びる枝から離れているのだ、と。
自分を確認しようと鏡の前に立った。だが
汚いヒモでクビから下がっているこの鍵束は一体何だ?



 リッツォスの孤独。それは私にはいつもなつかしく感じられる。それは、そこに描かれるものが質素だからかもしれない。多くの「もの」が登場しない。かぎられたものが、ひそかに手を伸ばしている。その感じが孤独を強く感じさせる。

涯のない夜と、その夜から伸びる枝から離れているのだ、と。

 この美しいイメージは、末尾の「、と」によって、いっそう強くなる。「、と」によって、そこに描かれているものが、いったん突き放され、離れたところから見つめているのだ、という感じを呼び起こす。
 これは、それに先だつ

これが自分だと。

 とは、ずいぶん違う。「これが自分だと」は一気に吐き出されたことばだ。「、と」は、そういう一気に吐き出された呼吸とは別のものである。吐き出して、そこでいったん立ち止まる。そして、つづける。そのとき、孤独は深くなる。
 なぜか。
 その読点「、」の呼吸のあいだに、何者かが入り込むからである。呼吸の一瞬の空白が、何者かを呼び寄せ、それが「自分」を遠くする。遠ざける。

汚いヒモでクビから下がっているこの鍵束は一体何だ?

 疑問が、「自分」さえも、「自分」から遠ざけてしまう。そのときの冷たい孤独。その、冷たい感じがとてもなつかしい。存在するのは、「もの」と「自分」。そして、そのあいだにさえもつながりがない。「もの」の非情さ、人間の感情とは無関係に存在してしまう力が、人間のいのちを「つめたい」ものにする。

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