鷹羽狩行『十五峯』抄(「ふらんす堂通信」118 、2008年10月25日発行)
第42回蛇笏賞、第23回詩歌文学館賞を受賞した『十五峯』から何句か紹介されている。気に入った句を上げる。
新年の朝の、あらたまった美しさが「位置に就き」で、楷書のように響いてくる。背筋がすっとのびる。ふいに、ふるさとの山河が目に浮かんだ。いま住んでいる街の山河でもいいのかもしれないが、やはり山河は、それぞれがなじんだ山河がいい。ずーっとなじんできたものが、それが朝の光に洗われている。
私は雪国で育った。そのせいか、雪を詠んだ句にはいつもこころがひかれる。
淡雪がはたと止む。その静寂。舞っていた華麗な姿--その華麗なものをみた興奮がまだ胸にある。その興奮をくっきりと浮かび上がらせる静寂。
「止み」という中途半端(?)なことばが、冒頭の「淡雪や」とのあいだを往復する。「止み」が淡雪を記憶のなかに呼び覚ます。そういう感じがする。
なんとなく、おかしい。「か行」の音の繰り返しが、なんとなく蚊の羽音のように耳元で鳴っている。
河に張った氷だろうか。それが「つつ」と動く。その動きが水とは違うので氷とわかる。「つつ」ということばが美しい。「すーっ」ではなく「つつ」。そのかすかな、ちょっとぎくしゃく(?)した--すーっとというなめらかさとは違った--動き。「わかりけり」という簡単で強い「切れ」がとてもいい。「つつ」の微妙さとの対比がとてもあざやかだ。
梅が花盛り。いや、これから満開になる前の、勢いのあるときだろうか。その力にぐいとひっぱられる感じがいい。自分から気づいて立ち止まるのではなく、梅が呼びかけて立ち止まらせる。紅白。そのどちらが呼び止めたのか。わからないことの楽しさが、ここにある。「呼び止めし」ということばの終わり方も余韻があっていいなあ。
第42回蛇笏賞、第23回詩歌文学館賞を受賞した『十五峯』から何句か紹介されている。気に入った句を上げる。
年迎ふ山河それぞれ位置に就き
新年の朝の、あらたまった美しさが「位置に就き」で、楷書のように響いてくる。背筋がすっとのびる。ふいに、ふるさとの山河が目に浮かんだ。いま住んでいる街の山河でもいいのかもしれないが、やはり山河は、それぞれがなじんだ山河がいい。ずーっとなじんできたものが、それが朝の光に洗われている。
淡雪や舞ひ納めたるごとく止み
私は雪国で育った。そのせいか、雪を詠んだ句にはいつもこころがひかれる。
淡雪がはたと止む。その静寂。舞っていた華麗な姿--その華麗なものをみた興奮がまだ胸にある。その興奮をくっきりと浮かび上がらせる静寂。
「止み」という中途半端(?)なことばが、冒頭の「淡雪や」とのあいだを往復する。「止み」が淡雪を記憶のなかに呼び覚ます。そういう感じがする。
二階に稿書けば二階に春蚊くる
なんとなく、おかしい。「か行」の音の繰り返しが、なんとなく蚊の羽音のように耳元で鳴っている。
つつと動きて薄氷とわかりけり
河に張った氷だろうか。それが「つつ」と動く。その動きが水とは違うので氷とわかる。「つつ」ということばが美しい。「すーっ」ではなく「つつ」。そのかすかな、ちょっとぎくしゃく(?)した--すーっとというなめらかさとは違った--動き。「わかりけり」という簡単で強い「切れ」がとてもいい。「つつ」の微妙さとの対比がとてもあざやかだ。
紅白のいづれの梅が呼び止めし
梅が花盛り。いや、これから満開になる前の、勢いのあるときだろうか。その力にぐいとひっぱられる感じがいい。自分から気づいて立ち止まるのではなく、梅が呼びかけて立ち止まらせる。紅白。そのどちらが呼び止めたのか。わからないことの楽しさが、ここにある。「呼び止めし」ということばの終わり方も余韻があっていいなあ。
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