詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リッツォス「証言B(1966)」より(14)中井久夫訳

2008-11-22 00:49:44 | リッツォス(中井久夫訳)
姿勢   リッツォス(中井久夫訳)

彼は素裸で浜に立った。
空が髪を嘗めた。
海が足を嘗めた。
夕日が赤いリボンを十字に胸に掛け、
腰のところで結んだ。
リボンの片端が左の肘に付いた。



 夕日の浜辺。「彼」は青年だろう。全身が宇宙と一体になる。夕日がその裸体を祝福している--ということなのだろう。
 と、想像してみる。
 そして、この詩のなかに描かれているのは「時間」なのだと思う。
 「彼」が素裸で浜に立ったのはいつのことだろう。それは「いま」ではない。立っている「彼」の髪を空が嘗めてた。そのあと、潮が満ちてきた。足元まで押し寄せてきた。足を嘗めた。
 太陽は天空から水平線に近付く。そのとき、夕日が赤く、「彼」の胸を照らす。腰を照らす。夕焼けの色は広がり、肘にも触れる。
 太陽が動き、潮の満ち引きがあり、と宇宙は動いている。その変化が「夕日」の「赤いリボン」に象徴されている。
 一方、そういう宇宙の時間、天体の動きとは別に、「彼」は不動でいる。

 美は不動である。そう告げているのかもしれない。完璧なギリシャ彫刻のような裸体を思い浮かべる。永遠の美というものを思う。そういうものだけが、宇宙の祝福を受けることができる。
 永遠のギリシャの夢--そう思うのは、ギリシャの遠い遠い昔しか知らないからだろうか。そういう夢想としてのギリシャしか知らないためだろうか。


コメント
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