古賀忠昭「焼き肉と思想」(「スーハ!」4、2008年10月20日発行)
<古賀忠昭 未刊詩集『古賀廃品回収所』より>というタイトルでおさめられた作品のうちの1篇。
その書き出し。
この書き出しは古賀の作品に共通する文体である。少しずつ描写が増えていく。その増え方に「飛躍」がない。ずーっと、ずるずる、ずるずると地続きである。前の文章ででてきたことばが次の文章にでてきて、世界が広がる、というその広がり方が地続きである。飛躍しないこと、それが古賀の文体の特徴である。
そして、その地続きが、当然のことながら、あるとき、地続きではいられなくなる。そこに何が噴出してくるか--思想が噴出してくる。思想とは、何かをもちきれなくなったとき、それをいったん手放して、もう一度世界を組み立てるときの「道具」である。その「道具」をどこからもってくるか。古賀は「頭」に頼らず、肉体の奥からひきだしてくる。暮らしの奥からひきだしてくる。--これは、古賀だけではなく、生きている人間なら誰でもすることである。(と、言いたいけれど、そうしない人が多い。)
「もろふじさん」の葬式。そのあと。
殺す--殺して食べる、自分の一部にする。そんなふうに、されたい。そんなふうにして、親しいひとの一部になりたい。そういうふうに親しいひとの一部になって、そのひとのなかで生きていきたい。
それはたしかに「いうた」ではなく、「いうてくれた」ことである。
誰かが何かを言う。それはたしかに言ったことである。しかし、それは言って「くれた」ことでもある。この一回だけ書かれている「くれた」のなかに思想がある。世界を再構成する力がある。「言った」ではなく「言ってくれた」ととらえ直すとき、世界が急展開する。
「殺してくれ」だけではなく、そのとき、金さんの肉体のなかには、あらゆるもろふじさんのことばが「言ってくれた」ものとしてよみがえる。あらゆることを「言ってくれた」のだ。それを、どんなふうにして受け止めることができる。金さんは「食べる」、「肉」を食べるということで受け止める。「ありがとう」「たべさせてもらう」という気持ちで受け止める。(これは、引用したあとの部分に書かれていることなのだけれど……。)
あ、すごい。
古賀は、ほんとうに暮らしのなかで思想をつかみ、それをことばにしていたのである。
*
この詩を読みながら思い出したことがある。
古賀が死んだとき、私はどうしても追悼文が書きたかった。そして、そのとき私が書いた文というのは「古賀はやっと死んだ」というものだった。不謹慎だといわれた。古賀とはなんの面識もない。親しい友人でもない人間が、そういう乱暴なことばをつかってはいけない、ということだ。しかし、やっぱり「やっと死んだ」ということばでしか書けないものがあるのだ。
それは、「焼き肉と思想」との詩にからめて言えば、「殺してやれなかった」ことへの後悔である。私には古賀を殺すような能力はない。しかし、「殺してくれ」と言われたかった。言ってもらえなかった--そんな悔しさが「やっと死んでしまった」ということばになったのだ。
古賀を殺す--それは、古賀を凌駕するということである。
古賀の書いていることを、その思想をきちんと引き受け、古賀が胸に秘めていたもの以上のものを書いて突き出す。古賀がことばのなかに産みつけていったものを、きちんと育てる。一人歩きできるものにする。そういうことをして、古賀に対して、もう古賀がいなくても、古賀が書いている思想、書こうとしている思想は私が引き受けたと言い切ること--それが古賀を殺すということである。
そんなことは、私にはできない。(私の知っている限りでは、誰もできない。)
古賀の詩を読めば読むほど、古賀にはたどりつけない。古賀を超えることはできないという思いだけがつのる。
そして、単に古賀を超えられないだけではなく、古賀をきちんと評価するだけのことばを私がもっていないことをも知らされる。せめて、もう少しきちんと古賀の詩のすばらしさ、その思想の強さを書けないものだろうかとも思う。きちんと書ければ、古賀を「殺す」ことはできなくても、その熱い返り血を浴びることができなくても、いっしょに生きていた時代があった、いっしょに生きてくれていてありがとうと言えるのに、と悔しくなる。
ほんとうに、どう書いていいかわからない。ただ、ただ悔しい。「古賀はやっと死んだ」と書いてみたって、悔しさは消えない。「殺せない」以上、古賀はいつだって生きている。古賀の詩を読むたびに、なぜ死なないんだ、頭をたたき割ってやるぞ、叫んでも、私の振り上げたこん棒を跳ね返して平気な顔をしている。焼き肉にして食べるなどというところへはとうていたどりつけない。「食べさせてもらったぞ」と言えるところへはたどりつけない。
「殺してくれ」と言ってもらえなかった悔しさ。その悔しさを悔しいと書きつづけ、最後に、ありがとう、と付け加えよう。古賀さん、ありがとう。私の知らない場所で死んでいった古賀さん、私は、あなたのことばを、あなたから遠い場所で、しずかに食べさせていただきます。いつか、大勢のひととあつまって、焼き肉を食べるみたいにむしゃむしゃと食べたいと願っています。読者が大勢集まって、古賀さんを自分の手で殺せなかったのは悔しい、悔しい、悔しいと涙を流しながら、古賀さんのことばを食べたいと思います。
<古賀忠昭 未刊詩集『古賀廃品回収所』より>というタイトルでおさめられた作品のうちの1篇。
その書き出し。
もろふじさんが死にました。もろふじさんはリヤカーで生活していました。段ボールで風がはいらないようにリヤカーの荷台を四角にかこってそこにフトンをひいてねていました。ねどこの上にはベニヤがひいてあって雨がもらないようにしてありました。
この書き出しは古賀の作品に共通する文体である。少しずつ描写が増えていく。その増え方に「飛躍」がない。ずーっと、ずるずる、ずるずると地続きである。前の文章ででてきたことばが次の文章にでてきて、世界が広がる、というその広がり方が地続きである。飛躍しないこと、それが古賀の文体の特徴である。
そして、その地続きが、当然のことながら、あるとき、地続きではいられなくなる。そこに何が噴出してくるか--思想が噴出してくる。思想とは、何かをもちきれなくなったとき、それをいったん手放して、もう一度世界を組み立てるときの「道具」である。その「道具」をどこからもってくるか。古賀は「頭」に頼らず、肉体の奥からひきだしてくる。暮らしの奥からひきだしてくる。--これは、古賀だけではなく、生きている人間なら誰でもすることである。(と、言いたいけれど、そうしない人が多い。)
「もろふじさん」の葬式。そのあと。
朝鮮の金さんが突然こんなことをいい出したのです。今から、焼肉をするぞ、といい出したのです。精進あげのつもり、と朴さんがいいました。精進あげでんなんでんよか、焼肉ばするぞ、おこったように金さんがいいました。どげんしたと、と今度はわたしがいいました。あいつをころしてやっとればよかった、と金さんはいいました。あいつとはもろふじさんのことです。えっ?とわたしはいいました。あいつは、おれに殺してくれというとったんだよ、こん棒で頭をたたくわって殺してくれというとったんだよ、こん棒で頭をたたきわって殺してくれというとったんだよ、金さんの目から涙が流れおちています。どげんしたと?とわたしはいいました。あいつをころしてやっとればよかった、と金さんはまたいいました。もろふじさんとは仲がよかったのに、と台湾の陳さんがいいました。仲がよかったから殺してくれというたんだ、と金さんが涙を流しながらいいました。仲がよかったからこん棒で、頭をたたきわってくれというたんだ。金さん、わかった!とわたしはいいました。焼肉をしよう、といいました。あいつは、頭をたたきわって殺してくれというてくれたんだ、と金さんはいいました。いうたんじゃない、いうてくれたんだ、と金さんはいいました。犬を殺すようなわけにはいかんよ、というこけど、犬を殺すように殺してくれというたんだ、のたれ死にするともよかけど、それより金さんに殺されたいんだというたんだ。金さん、わかった、とわたしがいいました。わかっとらん!と金さんがいいました、あいつは、おれの気持ちを思うていうたんだ、おれの気持ちを思うて、犬のように殺してくれというたんだ。
殺す--殺して食べる、自分の一部にする。そんなふうに、されたい。そんなふうにして、親しいひとの一部になりたい。そういうふうに親しいひとの一部になって、そのひとのなかで生きていきたい。
それはたしかに「いうた」ではなく、「いうてくれた」ことである。
誰かが何かを言う。それはたしかに言ったことである。しかし、それは言って「くれた」ことでもある。この一回だけ書かれている「くれた」のなかに思想がある。世界を再構成する力がある。「言った」ではなく「言ってくれた」ととらえ直すとき、世界が急展開する。
「殺してくれ」だけではなく、そのとき、金さんの肉体のなかには、あらゆるもろふじさんのことばが「言ってくれた」ものとしてよみがえる。あらゆることを「言ってくれた」のだ。それを、どんなふうにして受け止めることができる。金さんは「食べる」、「肉」を食べるということで受け止める。「ありがとう」「たべさせてもらう」という気持ちで受け止める。(これは、引用したあとの部分に書かれていることなのだけれど……。)
あ、すごい。
古賀は、ほんとうに暮らしのなかで思想をつかみ、それをことばにしていたのである。
*
この詩を読みながら思い出したことがある。
古賀が死んだとき、私はどうしても追悼文が書きたかった。そして、そのとき私が書いた文というのは「古賀はやっと死んだ」というものだった。不謹慎だといわれた。古賀とはなんの面識もない。親しい友人でもない人間が、そういう乱暴なことばをつかってはいけない、ということだ。しかし、やっぱり「やっと死んだ」ということばでしか書けないものがあるのだ。
それは、「焼き肉と思想」との詩にからめて言えば、「殺してやれなかった」ことへの後悔である。私には古賀を殺すような能力はない。しかし、「殺してくれ」と言われたかった。言ってもらえなかった--そんな悔しさが「やっと死んでしまった」ということばになったのだ。
古賀を殺す--それは、古賀を凌駕するということである。
古賀の書いていることを、その思想をきちんと引き受け、古賀が胸に秘めていたもの以上のものを書いて突き出す。古賀がことばのなかに産みつけていったものを、きちんと育てる。一人歩きできるものにする。そういうことをして、古賀に対して、もう古賀がいなくても、古賀が書いている思想、書こうとしている思想は私が引き受けたと言い切ること--それが古賀を殺すということである。
そんなことは、私にはできない。(私の知っている限りでは、誰もできない。)
古賀の詩を読めば読むほど、古賀にはたどりつけない。古賀を超えることはできないという思いだけがつのる。
そして、単に古賀を超えられないだけではなく、古賀をきちんと評価するだけのことばを私がもっていないことをも知らされる。せめて、もう少しきちんと古賀の詩のすばらしさ、その思想の強さを書けないものだろうかとも思う。きちんと書ければ、古賀を「殺す」ことはできなくても、その熱い返り血を浴びることができなくても、いっしょに生きていた時代があった、いっしょに生きてくれていてありがとうと言えるのに、と悔しくなる。
ほんとうに、どう書いていいかわからない。ただ、ただ悔しい。「古賀はやっと死んだ」と書いてみたって、悔しさは消えない。「殺せない」以上、古賀はいつだって生きている。古賀の詩を読むたびに、なぜ死なないんだ、頭をたたき割ってやるぞ、叫んでも、私の振り上げたこん棒を跳ね返して平気な顔をしている。焼き肉にして食べるなどというところへはとうていたどりつけない。「食べさせてもらったぞ」と言えるところへはたどりつけない。
「殺してくれ」と言ってもらえなかった悔しさ。その悔しさを悔しいと書きつづけ、最後に、ありがとう、と付け加えよう。古賀さん、ありがとう。私の知らない場所で死んでいった古賀さん、私は、あなたのことばを、あなたから遠い場所で、しずかに食べさせていただきます。いつか、大勢のひととあつまって、焼き肉を食べるみたいにむしゃむしゃと食べたいと願っています。読者が大勢集まって、古賀さんを自分の手で殺せなかったのは悔しい、悔しい、悔しいと涙を流しながら、古賀さんのことばを食べたいと思います。
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