季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』(6)(書肆山田、2011年01月17日発行)
季村敏夫の文体は強靱である。そして、その強靱をささえているのは、正直である。「つや」という作品。
「おもい起こすことができない」と季村ははっきり書く。人間には思い出せることと思い出せないことがある。季村は、それを意識できる。ことばにできる。
そして、それをことばにするということは、思い出せないことのなかにある何かを見極めるためである。
最終連。
ここでは季村はふたつのことを発見している。
ひとつは「やがて始まるだろう、いやもう始まっている時間」と区別することのできない時間があるということ。「時間」は単純に一直線に流れているわけではない。はじまりは、いつなのか、ということは特定できない。季村が思い描いているのは「葬儀」のあれこれの手順というか、進め方(進み方)の時間かもしれないが、それはたしかにこれから始まるのか、それとも父が亡くなった時点から始まるのか、あるいは父の死を覚悟した時点から始まっていたのか--それは、わからない。いや、わからないけれど、実は、はっきりしている。それは、その時間を思うときに始まるのである。「おもい起こすことができない」という表現が1連目にあったが、何かを思い起こすとき、すべては始まるのである。
もうひとつのことは、「ズレ」である。ひとはそれぞれ、何かを思い起こし、そこから時間をつくっていく(行動を律していく)のだが、ひとが複数いれば、その思い起こし、その後の行動には複数のことがらが考えられる。その複数の考え(ことば)と出会い、会話するとき、ことばは通じているのに、通じないものがある。「感覚」がどことなく「ズレ」ている、かみあっていないということに気づくときがある。
そして、その「ズレ」は、実は、「いま」をどのような「過去」と結びつけて思い起こすか、「時間」をどのように描き出すかということと、深い関係がある。「いま」「ここ」にあって、それぞれがどんな「過去」を「いま」の出発点と考えるか、その「過去」をどう考えるかということが、そのまま「未来」へとつながっていく。
季村が向き合っているのは、「時間」の乱れである。
季村は、それを強引に「矯正」しようとはしない。「統一」しようとはしない。ととのえようとはしない。そのかわりに、乱れを乱れのまま、みつめようとする。ことばにしようとする。その強い意思が、ことばそのものを強靱にしている。
「時間」の乱れは、ことばの乱れ--「文法」の違いである。他者と自分との「時間」の違い(ズレ)、自分自身のなかにある「ズレ」も「文法」ということばでとらえるところに季村の、ことばに対する厳しい姿勢が端的にあらわれている。ことばとつねに正確に向き合おうとする姿勢があらわれている。
そして、このときの「正確」とは、学校教科書の文法に対して正確であるという意味ではない。季村の思い、意識に対して正確であるということだ。その「正確」を、私は「正直」と呼ぶ。ひとは、それぞれ「正直」の対象が違う。季村は、ことばに対して「正直」なのである。「わかること」「わからないこ」、それを区別して書くこと、そこから始まる「ズレ」をどこまでも隠さずにみつめること、向き合うこと--そういう正直が、自然に季村のことばを強靱にするのだ。
そうなのだ。ことばは、しかし、季村だけの所有物ではない。あらゆるひとがことばをもっている。それぞれが、それぞれ「正直」にことばを動かそうとする。そして、それが互いを批評する。
季村は「飾る」という表現で他人のことばをとらえている。
季村自身のことばは、季村にとって「正直」である。それは「裸」の季村を描き出す。けれど、他人のことばは季村を裸のままにしはしておかない。そこにいろいろなものを着せる。つまり「飾る」。
その「飾り」は、どこまでも(季村自身だけではなく)、他のひとにまで及んでくる。母を出せ--という電話の人物は、季村の母を、彼(彼女)の知っていることばで飾ろうとしている。
そういうものと向き合うのが生きるということである。
ここからは詩に対する感想ではなくなるかもしれない。--けれど、少し書いておくと……。
人の死とは不思議なものである。たとえばここに書かれている季村の父の死。それは、父がそれまで「防波堤」(壁)になって隠していたいくつもの「時間」を噴出させる。たとえば、母の宗教。それに対する批判(他者からの飾り)は、以前にもあったものかもしれない。父が生きているあいだは、父がそれを隠していた。「わかること」「わからないこと」(知っていること、知らないこと)の区切り目に父が存在して、「文法」を支配していた。それがなくなると、父の背後にあったものが一気に季村に押し寄せてくる。
その、理不尽な、強い力と対抗するには、どうしても強いことば、強靱な文法が必要である。それは、すぐには完成しない。だから、書くのだ。書きつづけるのだ。
自分の知らなかった何かと向き合い、それをしっかり受け止めるために書くのだ。季村には、これから起きることを受け止める覚悟がある。それは、これまで起きたことを受け止めるという覚悟でもある。「やがて始まるだろう、いやもう始まっている時間」のすべてを正直に受け止める覚悟--それを季村のことばに感じる。
季村敏夫の文体は強靱である。そして、その強靱をささえているのは、正直である。「つや」という作品。
春三月、三度目の雷鳴が響く。一度目は病室。息をひきとった父を
見下ろしていたときだった。二度目は、遺体を家に運び込むとき。
だが、父をどのように連れ戻したのか、おもい起こすことができな
い。(略)
はっきりと憶え、いまも疼くのは、あろうことか、嗚咽する妹を病
室で制したことだ。「ご臨終です」という医者に、いきなり泣き出
した妹に、泣きつくせばよいと、なぜ慮ることができなかったか。
「おもい起こすことができない」と季村ははっきり書く。人間には思い出せることと思い出せないことがある。季村は、それを意識できる。ことばにできる。
そして、それをことばにするということは、思い出せないことのなかにある何かを見極めるためである。
最終連。
電話が三度かかってきた。一度目は葬儀屋から。二度目は婦人会か
ら。家に戻ったばかりのオレには、どれもこれも初めての声だった
が、やがて始まるだろう、いやもう始まっている時間をおもい、一
つひとつに応対した。だが、受話器を置き、廊下をつたい、遺体の
前に戻ると、胸の奥からの、けたたましい笑い声を聞き取り、その
まま倒れそうになった。どの対応にも、少しずつ食い違うズレの感
覚にひき裂かれていたからだ。
ここでは季村はふたつのことを発見している。
ひとつは「やがて始まるだろう、いやもう始まっている時間」と区別することのできない時間があるということ。「時間」は単純に一直線に流れているわけではない。はじまりは、いつなのか、ということは特定できない。季村が思い描いているのは「葬儀」のあれこれの手順というか、進め方(進み方)の時間かもしれないが、それはたしかにこれから始まるのか、それとも父が亡くなった時点から始まるのか、あるいは父の死を覚悟した時点から始まっていたのか--それは、わからない。いや、わからないけれど、実は、はっきりしている。それは、その時間を思うときに始まるのである。「おもい起こすことができない」という表現が1連目にあったが、何かを思い起こすとき、すべては始まるのである。
もうひとつのことは、「ズレ」である。ひとはそれぞれ、何かを思い起こし、そこから時間をつくっていく(行動を律していく)のだが、ひとが複数いれば、その思い起こし、その後の行動には複数のことがらが考えられる。その複数の考え(ことば)と出会い、会話するとき、ことばは通じているのに、通じないものがある。「感覚」がどことなく「ズレ」ている、かみあっていないということに気づくときがある。
そして、その「ズレ」は、実は、「いま」をどのような「過去」と結びつけて思い起こすか、「時間」をどのように描き出すかということと、深い関係がある。「いま」「ここ」にあって、それぞれがどんな「過去」を「いま」の出発点と考えるか、その「過去」をどう考えるかということが、そのまま「未来」へとつながっていく。
季村が向き合っているのは、「時間」の乱れである。
季村は、それを強引に「矯正」しようとはしない。「統一」しようとはしない。ととのえようとはしない。そのかわりに、乱れを乱れのまま、みつめようとする。ことばにしようとする。その強い意思が、ことばそのものを強靱にしている。
部屋に戻れば、ま新しい棺を境
に、老いた一群と若い一群が分かれ、惜しいとか、この家もこのあ
とが大変だとか、戻って来いとは一度もいってないはずだとかいう、
まるで文法の違う声が飛び交っていた。
「時間」の乱れは、ことばの乱れ--「文法」の違いである。他者と自分との「時間」の違い(ズレ)、自分自身のなかにある「ズレ」も「文法」ということばでとらえるところに季村の、ことばに対する厳しい姿勢が端的にあらわれている。ことばとつねに正確に向き合おうとする姿勢があらわれている。
そして、このときの「正確」とは、学校教科書の文法に対して正確であるという意味ではない。季村の思い、意識に対して正確であるということだ。その「正確」を、私は「正直」と呼ぶ。ひとは、それぞれ「正直」の対象が違う。季村は、ことばに対して「正直」なのである。「わかること」「わからないこ」、それを区別して書くこと、そこから始まる「ズレ」をどこまでも隠さずにみつめること、向き合うこと--そういう正直が、自然に季村のことばを強靱にするのだ。
このようにこれから、オレ
は他者によって飾られるのだろう。三度目の電話はすべての感傷を
切断した。母を電話口に出せという親類の妖精。読経にはなじめぬ
と母は、三位一体の十字をきって退いていたからだ。
そうなのだ。ことばは、しかし、季村だけの所有物ではない。あらゆるひとがことばをもっている。それぞれが、それぞれ「正直」にことばを動かそうとする。そして、それが互いを批評する。
季村は「飾る」という表現で他人のことばをとらえている。
季村自身のことばは、季村にとって「正直」である。それは「裸」の季村を描き出す。けれど、他人のことばは季村を裸のままにしはしておかない。そこにいろいろなものを着せる。つまり「飾る」。
その「飾り」は、どこまでも(季村自身だけではなく)、他のひとにまで及んでくる。母を出せ--という電話の人物は、季村の母を、彼(彼女)の知っていることばで飾ろうとしている。
そういうものと向き合うのが生きるということである。
ここからは詩に対する感想ではなくなるかもしれない。--けれど、少し書いておくと……。
人の死とは不思議なものである。たとえばここに書かれている季村の父の死。それは、父がそれまで「防波堤」(壁)になって隠していたいくつもの「時間」を噴出させる。たとえば、母の宗教。それに対する批判(他者からの飾り)は、以前にもあったものかもしれない。父が生きているあいだは、父がそれを隠していた。「わかること」「わからないこと」(知っていること、知らないこと)の区切り目に父が存在して、「文法」を支配していた。それがなくなると、父の背後にあったものが一気に季村に押し寄せてくる。
その、理不尽な、強い力と対抗するには、どうしても強いことば、強靱な文法が必要である。それは、すぐには完成しない。だから、書くのだ。書きつづけるのだ。
自分の知らなかった何かと向き合い、それをしっかり受け止めるために書くのだ。季村には、これから起きることを受け止める覚悟がある。それは、これまで起きたことを受け止めるという覚悟でもある。「やがて始まるだろう、いやもう始まっている時間」のすべてを正直に受け止める覚悟--それを季村のことばに感じる。
山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート | |
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