中上哲夫「道をめぐる言葉の道たち--日記抄--」(「no-no-me」16、2013年04月10日発行)
中上哲夫「道をめぐる言葉の道たち--日記抄--」はタイトルどおり「道」に関してのことばと、それについての感想をつづったものである。
陸上で暮らしている人間には見えなくても、海で生活している人には見える道がある。--ということから書きはじめて、イギリスのトレッキング・コースに農場を買ったアメリカ人歌手と地元のひとの反発。(アメリカ人が敷地内進入禁止という措置をとったことに対する反発。「道はむかしからそこにあった」のに……。)そして、ローマの道、インカの道、といろいろ見聞きした道のことが書かれ、あわせて中上の思ったことがだれに言うとなく--つまり、日記の形で書かれている。
最初は「ほんとうだろうか」という短いものだったが、だんだん、それが長くなる。瀬戸内海航路の道、イギリスの荒地(?)の道、ローマの道、インカの道と道が増えるたびに感想が重なり、その感想のなかに知らず知らず、一本の道ができる、という感じだ。静かに浮かび上がり静かに消えていく足跡の道。その感想の道は、感想を呼び起こした具体的な道とのあいだに、一種、不思議な距離感をつくる。この「間合い」というか、「距離感」が「静かな」という印象を呼び起こすのだが、それが中上の詩の力である。
最終連。
不思議な「距離感」は、たぶん、批判をしないということろにある。批判というのは自己主張である。では、自己主張をせずに中上は何をするのか。「聞く」のである。相手の声を。聞いて受け止める。
これは簡単なようで、なかなかむずかしい。
聞くとどうしても、何か言いたくなる。そして中上自身もたしかに言うのである。聞いた瞬間に中上の「肉体」のなかで起きたことが、そのままことばになって出る。たとえば、海の上なのに道が見えると聞けば、「ほんとうだろうか」と。でも、そこから中上は自己主張しない。もう一度、相手に耳を傾ける。そうすると「コンピューター・パネルはいっさい見ない」という声がもう一度聞こえてくる。それは、コンピューターのパネルのなかに道があるわけではない、という主張かもしれない。たしかにコンピューターの中には道はないね。コンピューターが描き出すのは、海と船の位置、それをたとえば上空から見たものとしてそこに描き出すだけで、それはあくまでコンピューターの見た道(機械が見た道)であって、道そのものではない。道そのものではないものを、私たちは道と信じてしまうことがある。
では、道はどこにある?
「波の間に間に進むべき道がはっきり見える」。この「見える」のなかに道がある。「見える/見る」のは「眼」である。それが最終連にも出てくる。「パウンドの眼に見えていたのはどんな道だったのか」。あ、「道」は「肉体」の外にあるのではなく、「肉体」の内部に、「眼」といっしょにある。その人の「肉体」となって存在する。
「道」は「眼」といっしょにある。だから、それは「他人」には見えない。もし「道」が見たいなら、その「肉体」を共有しないといけない。言い換えると、瀬戸内海の海の上の道を見たいなら、船長さんの「肉体」にならないと、それは見えない。他人の肉体になるのはなかなかむずかしい。
道で倒れて呻いている人を見たときは、瞬間的に、その人の「肉体」になってしまって、あ、腹が痛いのだと「わかる」けれど、そのとき道に倒れている人が何を見ているか--それは、なかなかわからない。胃ガンで死んだだれかを見ているのか。そのときの苦しみを見ているのか。「肉体」は自分の「肉体」が覚えていることをつかって、他人と「肉体」を「分有/共有」することはできるが、自分の「肉体」がおぼえていないことは、なかなか、それができない。けっしてできない、と言っていいかもしれない。
だから、イギリスの荒れた農地で暮らす「肉体」を「共有」できないアメリカ人の歌手は平気で「敷地内通り抜け禁止」と自己主張してしまう。そこに住むイギリス人は「肉体」(肉眼)を「共有」しているから、その、アメリカ人には見えない道が「見える」。道はいつでも「肉体」のなかにある。
僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる、ではなく、「僕の肉体のなかに道はできる」なのである。その「道」は、おなじことを体験する(肉体で味わう)と、知らず知らずのうちに「肉体」がおぼえて、それをつかえるようになるという形でできる「道」なのである。
腹が痛くなったら、腹を抱えてうずくまる--というのも、痛みと向き合う対処療法としての「道」なのかもしれない。自転車に乗ることを一度おぼえると、いつでも乗れる。そして、その乗り方(肉体の動かし方)はことばで説明するのはむずかしいが、自転車に乗れる人ならだれでもその「道=肉体の動かし方」を、ことばにしないまま「共有」している。「肉体」そのものを共有している。
中上は、そういう「道」に、つかず離れず、という間合いでついて行っている。そうすると、いろいろなものが、中上と船長さん、イギリス人、インカの文明を築いた人、エラズ・パウンドのあいだに「見えてくる」。--この「見えてくる/見える」は、
うーん、
ことばで言いなおすのはむずかしいね。でも、あ、中上にはそれが見えているのだということは、中上のことばを読むと感じられる。中上は瀬戸内海航路の船長さんの「肉眼(見える)」に「ほんとうだろうか」と言っているが、この「ほんとうだろうか」は強い疑問ではなく、「感心(関心?)」の表明である。そうなんだ。あ、そういうことってあるのか、という反応である。そして、その他人の肉体(見える)を信じて、それに中上がついていく。相手に中上の肉体をしばらくあずけてみる。(船に乗っているあいだは、船長さんに肉体そのもの、いのちそのものをあずけるしかないからね--大げさに言えば)。他人を生きるのである。
でも、いつでも他人に「肉体(見える)」をあずけっぱなしにはできない。疑問もでてくる。そういうときは、そのまま、疑問をぶつける。自己主張し、他人の「肉体」を批判するのではなく、踏みとどまる。「肉体」を「分有/共有」しない。「肉体」の個別性を守る、ということかもしれない。
この「肉体」の「分有/共有」を追っていく中上のことばは、とてもていねいで静かで落ち着いている。簡単に思ったことを書き流しているだけのように思えるけれど、ほんとうはとても深い。大きな川の流れの水面がゆったり平らに見えたとしても、そのそこは凸凹であり、「いま/ここ」を流れている水は激しい曲折を潜り抜けてきた水であるように。
中上哲夫「道をめぐる言葉の道たち--日記抄--」はタイトルどおり「道」に関してのことばと、それについての感想をつづったものである。
波の間に間に進むべき道がはっきり見えるのだと瀬戸内海航路の船長さんはいうのだけれど、ほんとうだろうか。だからコンピューター・パネルはいっさい見ないのだと。
陸上で暮らしている人間には見えなくても、海で生活している人には見える道がある。--ということから書きはじめて、イギリスのトレッキング・コースに農場を買ったアメリカ人歌手と地元のひとの反発。(アメリカ人が敷地内進入禁止という措置をとったことに対する反発。「道はむかしからそこにあった」のに……。)そして、ローマの道、インカの道、といろいろ見聞きした道のことが書かれ、あわせて中上の思ったことがだれに言うとなく--つまり、日記の形で書かれている。
最初は「ほんとうだろうか」という短いものだったが、だんだん、それが長くなる。瀬戸内海航路の道、イギリスの荒地(?)の道、ローマの道、インカの道と道が増えるたびに感想が重なり、その感想のなかに知らず知らず、一本の道ができる、という感じだ。静かに浮かび上がり静かに消えていく足跡の道。その感想の道は、感想を呼び起こした具体的な道とのあいだに、一種、不思議な距離感をつくる。この「間合い」というか、「距離感」が「静かな」という印象を呼び起こすのだが、それが中上の詩の力である。
最終連。
暗い冬の日。終日、エズラ・パウンドの詩を読んですごした。炬燵に足を突っ込んで。『キャントーズ』の第二篇を。空からは霙がしきりに墜ちていたけれども、陽光輝くギリシアの海では玻璃色の波間を海豚の群れがさかんに跳ね、船の甲板では葡萄の蔓が蛇のように這いまわり、葡萄酒がかぐわしい川となって流れた。船と酒とに酔いながら、私は思った。のちにファシズムに加担したパウンドの眼に見えていたのはどんな道だったのかと。
不思議な「距離感」は、たぶん、批判をしないということろにある。批判というのは自己主張である。では、自己主張をせずに中上は何をするのか。「聞く」のである。相手の声を。聞いて受け止める。
これは簡単なようで、なかなかむずかしい。
聞くとどうしても、何か言いたくなる。そして中上自身もたしかに言うのである。聞いた瞬間に中上の「肉体」のなかで起きたことが、そのままことばになって出る。たとえば、海の上なのに道が見えると聞けば、「ほんとうだろうか」と。でも、そこから中上は自己主張しない。もう一度、相手に耳を傾ける。そうすると「コンピューター・パネルはいっさい見ない」という声がもう一度聞こえてくる。それは、コンピューターのパネルのなかに道があるわけではない、という主張かもしれない。たしかにコンピューターの中には道はないね。コンピューターが描き出すのは、海と船の位置、それをたとえば上空から見たものとしてそこに描き出すだけで、それはあくまでコンピューターの見た道(機械が見た道)であって、道そのものではない。道そのものではないものを、私たちは道と信じてしまうことがある。
では、道はどこにある?
「波の間に間に進むべき道がはっきり見える」。この「見える」のなかに道がある。「見える/見る」のは「眼」である。それが最終連にも出てくる。「パウンドの眼に見えていたのはどんな道だったのか」。あ、「道」は「肉体」の外にあるのではなく、「肉体」の内部に、「眼」といっしょにある。その人の「肉体」となって存在する。
「道」は「眼」といっしょにある。だから、それは「他人」には見えない。もし「道」が見たいなら、その「肉体」を共有しないといけない。言い換えると、瀬戸内海の海の上の道を見たいなら、船長さんの「肉体」にならないと、それは見えない。他人の肉体になるのはなかなかむずかしい。
道で倒れて呻いている人を見たときは、瞬間的に、その人の「肉体」になってしまって、あ、腹が痛いのだと「わかる」けれど、そのとき道に倒れている人が何を見ているか--それは、なかなかわからない。胃ガンで死んだだれかを見ているのか。そのときの苦しみを見ているのか。「肉体」は自分の「肉体」が覚えていることをつかって、他人と「肉体」を「分有/共有」することはできるが、自分の「肉体」がおぼえていないことは、なかなか、それができない。けっしてできない、と言っていいかもしれない。
だから、イギリスの荒れた農地で暮らす「肉体」を「共有」できないアメリカ人の歌手は平気で「敷地内通り抜け禁止」と自己主張してしまう。そこに住むイギリス人は「肉体」(肉眼)を「共有」しているから、その、アメリカ人には見えない道が「見える」。道はいつでも「肉体」のなかにある。
僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる、ではなく、「僕の肉体のなかに道はできる」なのである。その「道」は、おなじことを体験する(肉体で味わう)と、知らず知らずのうちに「肉体」がおぼえて、それをつかえるようになるという形でできる「道」なのである。
腹が痛くなったら、腹を抱えてうずくまる--というのも、痛みと向き合う対処療法としての「道」なのかもしれない。自転車に乗ることを一度おぼえると、いつでも乗れる。そして、その乗り方(肉体の動かし方)はことばで説明するのはむずかしいが、自転車に乗れる人ならだれでもその「道=肉体の動かし方」を、ことばにしないまま「共有」している。「肉体」そのものを共有している。
中上は、そういう「道」に、つかず離れず、という間合いでついて行っている。そうすると、いろいろなものが、中上と船長さん、イギリス人、インカの文明を築いた人、エラズ・パウンドのあいだに「見えてくる」。--この「見えてくる/見える」は、
うーん、
ことばで言いなおすのはむずかしいね。でも、あ、中上にはそれが見えているのだということは、中上のことばを読むと感じられる。中上は瀬戸内海航路の船長さんの「肉眼(見える)」に「ほんとうだろうか」と言っているが、この「ほんとうだろうか」は強い疑問ではなく、「感心(関心?)」の表明である。そうなんだ。あ、そういうことってあるのか、という反応である。そして、その他人の肉体(見える)を信じて、それに中上がついていく。相手に中上の肉体をしばらくあずけてみる。(船に乗っているあいだは、船長さんに肉体そのもの、いのちそのものをあずけるしかないからね--大げさに言えば)。他人を生きるのである。
でも、いつでも他人に「肉体(見える)」をあずけっぱなしにはできない。疑問もでてくる。そういうときは、そのまま、疑問をぶつける。自己主張し、他人の「肉体」を批判するのではなく、踏みとどまる。「肉体」を「分有/共有」しない。「肉体」の個別性を守る、ということかもしれない。
この「肉体」の「分有/共有」を追っていく中上のことばは、とてもていねいで静かで落ち着いている。簡単に思ったことを書き流しているだけのように思えるけれど、ほんとうはとても深い。大きな川の流れの水面がゆったり平らに見えたとしても、そのそこは凸凹であり、「いま/ここ」を流れている水は激しい曲折を潜り抜けてきた水であるように。
モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え (ブコウスキー詩集) | |
チャールズ ブコウスキー | |
新宿書房 |