詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「植民見聞録」

2013-06-04 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
石毛拓郎「植民見聞録」(「飛脚」2、2013年06月01日発行)

 石毛拓郎「植民見聞録」は感想は「月はどっちに出ている」を題材に借りている。1行目に、はっきりと書いてある。

ようやく在日をほこる月がでた
それは動物の遠吠えのコーラスの震えよりも
それは植物の日輪への拝跪よりも
それは鉱物の秘めやかな矜持よりも感動的である

 で、この1行目。

ようやく在日をほこる月がでた

 これを読んだとき、私が「肉体」を「分有/共有」できるのは「ほこる」である。「在日」は「分有/共有」ができない。私は「在日韓国人」ではないからである。彼(彼女)は他人。その「肉体」といきなり「ひとつ」になることはできない。けれど、「ほこる」という動詞なら「わかる」。それが「在日韓国人」であれ、日本人であれ、中国人であれ、その他の外国人であっても、何かを「ほこる」という気持ちの動き、その「動詞」になら、私は自分を重ねることができる。で、そこからこの詩に近づいていく。
 でも、石毛のこの1行は、とても変である。「ほこる」という動詞は基本的に「人間」に属していると思う。けれど石毛は「ほこる月が出た」と「ほこる」を連体形でつかい、主語を月にしている。月がほこる。何? 在日を。
 変だね。
 でも、変じゃないね。このとき、在日韓国人は「ほこる」という「動詞」をとおして、彼の肉体を月に分有している。月を見て何か「ほこる」という感じを実感している。それに月がぴったりかさなるので月を主語にしてしまったのである。人間は何に対しても自分を「分有」することができる。「分有」することで、対象と「ひとつ」になる。
 これを突き進めると、俳句の「遠心/求心」になる。「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」と芭蕉が俳句をつくるとき、芭蕉は蝉でもあるし、石でもあるし、しずかさでもある。「分有/共有」が緊密におこなわれるとき、そこに新しい世界が奇跡のように誕生する。
 で、その「ほこる/ほこり」って何?
 石毛は「動物の遠吠えのコーラスの震え」「植物の日輪への拝跪」「鉱物の秘めやかな矜持」ということばで言いなおす。「分有」しなおす。「鉱物の秘めやかな矜持」というのは私にはわからないが、動物と植物の「動き」は、わかるなあ。言い換えると、動物、植物の「動き」に自分の「肉体」を「分有」することができる。歓喜でも恐怖でも怒りでもいいのだが、誰かの声にあわせて声をだすとき、「肉体」のなかで高まってくるものがある。他人の声に励まされて自分の声がしっかりしてくる。自信のようなものが出てくる。あ、これが「ほこる/ほこり」につながるな、と「わかる」。この「わかる」は「肉体」がおぼえていることを思い出すということ。植物の太陽への感謝と祈りも、「肉体」を「分有」できる。私の一家は軍人一家ではなく、田舎の狭い田畑を耕しているだけの貧乏農家だったから、太陽や雨には敏感なのだ。太陽が照り、稲が実ると祈りたくなる。稲の代わりに祈ってしまう。稲と「肉体」を「分有/共有」し、生きるのである。そして、稲の中で実が熟れてくると--その「ほこる/ほこり」を「分有/共有」する。
 「ほこる/ほこり」とは、私の「肉体」の記憶では、内部の充実、自信、というものとどこかつながっている。そういうものがあるとき、対象(たとえば、月)も「ほこる」にふさわしいものとして、「ほこる」を代弁してくれるものとして見えてくる。
 そういうことを踏まえて(肉体の中で感じて)、最初の行を読む。すると、在日韓国人も、内部の充実、自信のようなものをもって生きて、そして月を見て、「いま/ここ」を実感しているということがわかる。このとき、私はまだ在日韓国人と内部の充実、自信を「共有/分有」しているわけではない。私は、在日韓国人であるかどうかわからないだれか、石毛の見ている人間とそれを「分有/共有」している。
 そして、この「だれかわからない人間」は、最後まで、私にとってはかわらない。

頌春を知ることもなく
階下の初老の男が死にかけている
その隣の家では夫婦喧嘩をしている
向いの家では赤子に火がついている
階上では新婚のふたりがバカ笑いしている
どこからかカラオケの爆裂音もきこえてくる
転がり落ちそうな川べりの家では
死んだ老母にとりすがって月に照らされた若い女が泣いている

 ここに描かれている人間は最初に書かれていた動物、植物、鉱物の言い直しである。人間はあらゆる動物、植物、鉱物と同じように生きている。そして、ここに描かれているすべての人間の「動詞」を、私は「肉体」として「分有/共有」できる。そこに描かれている「動詞」を、私はすべて見たことがある。その「肉体の動詞」といっしょの時間を過ごしたことがあり、それが「肉体」がおほえている。でも、それが在日韓国人であるかどうか、私は知らない。そして、「肉体」を「分有/共有」したあと、この全部とていねいにつきあうのはめんどうくさいなあ、と思う。全部に対して「親身」になれない。
 あなたは、どう思う?
 石毛は、私に似ているなあ、と思う。
 詩のつづき。

そこでだ
世間の悲嘆は通いあわぬものだ
おれはただかれらがうるさいと思うだけだ

 そう、世間のひとはうるさい。どれもこれも自分の「肉体」とつながっていて(つまり、そういう姿をみるにつけ、自分のあれこれを思い出すので)、そんなものは切って捨ててしまいたい。できるなら。
 この「感覚」(感覚の動き--動詞)も、私は「肉体」で「分有/共有」できる。そこに描かれている人間がすべて「あたりまえ」であるとわかっていても、いや、わかっているからこそ、その全部につきあうなんて面倒くさい。だから「頭」で「わかった」といって知らん顔をする。「うるさい」とは声に出していわないけれど、「わかった」は「うるさい」とおなじである。

 でも、そうじゃないひともいる。動物の遠吠えにコーラスを聞き、植物の姿に太陽への感謝と畏怖を感じるひとは、あれこれの「動詞」とともにあるいのちを、そのまま「ほこる/ほこり」にまで充実させて見つめるひとがいる。

植民の悲憤を感じることなく
すでにはじめから在日の思春は病んでいたのか
あまりにも旬の美醜に身を寄せすぎていたから
いのちの地衣を壊す古物も
あるときまで列記とした眩い生きものであるということを
忘れてきたからだ
おい!月はどっちだ
夢の島のほうだ
おまえはそのまま月をめがけて走れ
おれは車を停めて怠ける

 そこに「動詞」があり、そこに「肉体」が動いているなら、ただそれに「身を寄せる」。そうすると「美醜」をこえて、それが「生きもの」であることに気がつく。「いきもの」の本質に触れる。「いのち」であることに気づく。「いのち」は「肉体」のなかにあるいちばん古いものである。核である。「いのち」のまわりに「肉体」がついているだけである。そして、「いのち」はどの「肉体」のなかへや自在に「分有/共有」される。
 そのことに気づいて、「頌春……」からつづく行を読むと「わかる」がかわってくる。「頭」で「わかっている」ものが少しずつ変化する。それが「うるさい」ことにかわりはないのだが、その「うるささ」が「頭」からあふれて「肉体」をつつんでしまう。なぜ他人のかってきままな「動詞」が「うるさい」かというと、みんなが自己主張/自己拡張しているからである。自己主張/自己拡張というのは「ほこる/ほこり」につながる。死にかけている初老の男さえ、おれは死にかけていると自己主張する。「肉体」が「私」のほうへ近づいてくる。まだ「いのち」があると自己主張する。これを何とかしてくれ、という。そんなもの、全部に耳を傾けていたら「うるさい」にきまっているが、つまり「私の肉体」がいくつあってもつきあいきれないが、それを「うるさい」と思わず、ていねいにつきあうひとがいる。死にかけているひとにさえ、そこに死に切れないいのちがあり、それは私たちの「肉体」の「動詞」とまったくおなじである。そう「肉体」が悟るとき、他人の肉体が、他人であることを超えて、突然、肉体の中で何かを照らしだす。
 道端に倒れて腹を抱えて呻いている人を見たら、あ、腹が痛いんだという「痛み」が「肉体」のなかに姿をあらわすのとおなじである。「痛み」を発見するのである。それと同じように、死にかけているけれど、生きている「いのち」の「うごき」が、輝きだす。
 月のように光って見える。
 それは、それをていねいに見るひとがいるから、輝くのである。道に倒れて腹を抱えて呻いているひとがいる。「あ、この人は腹が痛いんだ」と叫んで、救急車を呼ぶとき、道に倒れているひとはただ倒れている人ではなく、腹が痛いひとになるように、見るひとが、その「肉体」を「分有/共有」することで、ひとはひとに生まれ変わる。
 月が太陽の反射で輝くのなら、「いま/ここ」にいているひと、「いま/ここ」にあるさまざまな人生(肉体)が輝くのは、自己主張と同時に、その自己主張を照らす何かがあってのことなのだ。
 石毛はこの作品をヤン・ソギルと崔洋一への頌歌として書いているが、彼らは彼らの視線が在日韓国人の肉体を照らしているとは気づかずに、なぜ、こんなに輝いているのだろう、その輝きをどこまでもていねいに見てみたいと思って在日韓国人に「身を寄せる」。石毛も、それにならって「肉体」を動かした。そうしたら、それが、この詩になった、ということだろう。


石毛拓郎詩集レプリカ―屑の叙事詩 (1985年) (詩・生成〈6〉)
石毛 拓郎
思潮社
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