谷川俊太郎『こころ』(48)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「ふたつの幸せ」は、谷川の詩の秘密を語っているかもしれない。
「ふたつの幸せ」とは少女の幸せと老人の幸せのことだろう。しかし「ふたつ」と書いているけれど、私には「ひとつ」に見える。別々に感じられない。
で、谷川の詩の秘密--というとおおげさだけれど。
「他人の幸せ」を「自分の幸せ」として受け止める力。他人と「ひとつ」になる力だと思う。その「他人」というものを、そして、谷川は選ばない。
この詩の場合、谷川を「老人」と仮定すれば、老人は「少女」の幸せと一体になっている。この無秩序(?)といってもかまわないような区別のなさ--それが「ありとある」につながるのだと思うけれど、その力がすごい。
無秩序(制限がない)から、少女もそのまま老人に近づいてくる、とも言えるね。
そして、この詩は、またその「ふたつ」の幸せ、少女と老人の幸せを見ている谷川の幸せを描いているという具合にも読むことができる。谷川は「老人」ではなく、ふたりから離れたところにいる。離れたところにいるんだけれど、ふたりと一体になっている。
そう考えると、あるいは少女こそが谷川かもしれない。
谷川が老人に向かって「理由なんて分かんない」幸せを語っている。そのとき谷川は「少女」になっている。
たぶん、これが、つまり谷川=少女が、詩の本質かもしれない。少女になる、なれる、という幸せ。少女になって谷川が動く幸せ。
それをそのまま書くのが気恥ずかしい。だから老人を登場させた、とも読むことができる。
でも、どんなふうに書いても「幸せ」というのは、結局「ひとつ」。だから、あえて「ふたつ」書いたのかもしれない。
「ふたつの幸せ」は、谷川の詩の秘密を語っているかもしれない。
心のなかで何かが爆発したみたいに
いま幸せだ!って思う
理由なんて分かんない
ただ訳もなく突然幸せになる瞬間
晴れてても曇りでも雨でも雪でも
まわりは不幸せな人でいっぱい
私だって悩みがいっぱい
でもなんだろね ほんと
あっという間に消えるんだけど
その瞬間の喜びは忘れない
そんなことってない?
老人は微笑んで少女を見つめる
爆発とはほど遠いが
いまの穏やかな幸せに包まれて
「ふたつの幸せ」とは少女の幸せと老人の幸せのことだろう。しかし「ふたつ」と書いているけれど、私には「ひとつ」に見える。別々に感じられない。
で、谷川の詩の秘密--というとおおげさだけれど。
「他人の幸せ」を「自分の幸せ」として受け止める力。他人と「ひとつ」になる力だと思う。その「他人」というものを、そして、谷川は選ばない。
この詩の場合、谷川を「老人」と仮定すれば、老人は「少女」の幸せと一体になっている。この無秩序(?)といってもかまわないような区別のなさ--それが「ありとある」につながるのだと思うけれど、その力がすごい。
無秩序(制限がない)から、少女もそのまま老人に近づいてくる、とも言えるね。
そして、この詩は、またその「ふたつ」の幸せ、少女と老人の幸せを見ている谷川の幸せを描いているという具合にも読むことができる。谷川は「老人」ではなく、ふたりから離れたところにいる。離れたところにいるんだけれど、ふたりと一体になっている。
そう考えると、あるいは少女こそが谷川かもしれない。
谷川が老人に向かって「理由なんて分かんない」幸せを語っている。そのとき谷川は「少女」になっている。
たぶん、これが、つまり谷川=少女が、詩の本質かもしれない。少女になる、なれる、という幸せ。少女になって谷川が動く幸せ。
それをそのまま書くのが気恥ずかしい。だから老人を登場させた、とも読むことができる。
でも、どんなふうに書いても「幸せ」というのは、結局「ひとつ」。だから、あえて「ふたつ」書いたのかもしれない。
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集英社 |