詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

河邉由紀恵「くらげ」、秋山基夫「山頭火の闇に倣って」

2014-06-29 23:05:17 | 詩(雑誌・同人誌)
河邉由紀恵「くらげ」、秋山基夫「山頭火の闇に倣って」(「どぅるかまら」16、2014年06月10日発行)

 河邉由紀恵「くらげ」はの納屋でまどろんでいる女を描いている。「はあはあ」という声が書かれているのでセックスしているのかもしれない。セックスのあとかもしれない。その納屋のくらい闇の遠くにゆれる海が広がっている、と詩には書いてあるが、それはほんとうの海なのか、まぼろしなのか、よくわからないが……。

おんなのほそいながい
髪とかみのあいだを
とよとよとよと
海のみずがぬけてゆく

るうるいなるい
海のみずにゆれるおんなの髪は
たっぷりみずをふくんで
うみの藻のようにゆれてながれる

おんなのかたやうじなやちぶさ
うでやはらやあしやおんなのうちまたのおくの
しづもりのあいだをぬうるいなるい
海のみずがひかしてゆき

おんなはもうわたしからはなれている
ぬうるいなるいみずのなかで
どうしようもなくとおく
しずかにゆれるくらげのように

 漢字がどんどん減ってゆき、かわりに「ぬうるいなるい」というねっとりと引き延ばされた音のなかを動くひらがなが揺れる。イメージになるというよりも、「音」そのものになっていく。「うでやはらやあしやおんなのうちまたのおくの」というのは漢字まじりで書けば妙に味気ないかもしれない。「流通言語」のセックスの世界になってしまうかもしれない。けれど、ひらがなで音がなだれていくと、そこに「やはら(やわら)かい」なにかがまじり、触覚の世界になって「ぬうるいなるい」に溶け込んで行く。
 「おんなはもうわたしからはなれている」というのは、セックスの快感(余韻)のなかで、「おんな」は「わたし」とは別なものになって、別なものになりながら、それでも「触覚」(皮膚感覚/触れあう感覚)で接続しているのか。体温のように、息のように、からみついているのか。揺れているのか。
 「くらげ」というのは「ふわふわ」な感じと同時に、透明/半透明な印象もあるが、そのつかみどころのない感じが、「ぬうるいなるい」と通じる。私は「くらげ」にさわったことはないが、「るうるいなるい」感触だろうなあ、と思ってしまう。



 秋山基夫「山頭火の闇に倣って」はいくつかのパーツから成り立っているが、「念彼観音力」という作品が、私にはおもしろかった。

三沢浩二の詩に呼びかけると窓の向うに詩の情景が現れる
突堤の尖端で三沢が釣り竿を大きく振って針を投げている
夏の太陽がふりそそぎかれの麦藁帽子が金色に光っている
ふんわりと観音がお姿を見せ波の上に立って瞑想している
おーいと呼ぶと観音は邪魔な声など聞こえないふりをする
海老も鯛も平目もワカメも亀も順に食べていく因果なのだ

 三沢浩二の詩というのは、三沢浩二が釣りをしているところを描いた「自画像」のようなものだろうか。三沢が釣りをしているのだが、その姿が秋山には観音に見えるということか。麦わら帽子の金色の光は御光というところ。その三沢に向かって秋山は「おーい」と呼ぶが、詩のなかなので、知らん顔。
 いいなあ。これは。
 詩と現実が、秋山のことばのなかで交錯し、ひとつになる。
 ことばを読むというのは、こういう「誤読」の瞬間がいちばん幸福だ。それこそ観音を見た気分だなあ。
 「海老も……」の行は、よくわからないが(わからなくても私は気にしない)、三沢というのは、釣りをすることが好きなのであって、釣果のことは気にしないのだろう。三沢の投げた餌を「海老も鯛も」食べるだけではなく、ワカメも針にくらいついてくる。それはそれでいいのだと、釣りを超越しているのだろう。それが観音にも通じるのだろう。
 「この世」は「因果」でできているかもしれないけれど、因果というものは「意味」と同じで、それをみつけだすから「因果」になるだけ。
 三沢という人間を私は知らないけれど、この詩を読んでいると、秋山を通り越して、知らないはずの三沢が見えてくる。それが、とてもおもしろい。
秋山基夫詩集 (現代詩文庫)
秋山 基夫
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(8)

2014-06-29 09:27:57 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(8)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「柳河行」は、公立校の入学試験に失敗した池井が、中学最後の春休みに北原白秋のふるさと、柳川を旅行したときのことを書いている。白秋は、池井が大好きな詩人だ。初期のころの「雨の日の畳」(だったかな?)などを読むと、ことばが古くさくて、まさに白秋--と私は感じていた。私は中学のときから池井の詩を読んでいた。旅行には母親が同行している。

柳河では呑子舟で『思ひ出』のままの掘割を巡った。水底の欠け茶
碗一つにも白秋の息吹を感じた。生家には白秋が隆吉少年の頃に使
っていた文机が窓際にあり、やはりなまなましい吐息を感じた。来
て良かった、と思った。立ち去り難い生家の朽ちかけた海鼠壁の一
片をそっと剥ぐと、母はもう一片を素早く●ぎ取りちり紙に包み私
のポケットに捩じ込んだ。とんでもない母子だった。掘割に沿い私
たちは夢のように経巡り歩いた。『思ひ出』のままの様々な花々が
咲き競っていた。私は道々それらを母へ解説し、解ったのかどうな
のか母は逐一うなずいていた。私は中学の制服姿、母は着物のよそ
ゆき姿だった。
    (注 ●は「腕」の「月」が「手へん」、もぎ取る、と読ませるのだと思う)

 「時効(?)」になった白秋の生家の壁を剥ぎ取ったことが書いている部分がおもしろい。池井は白秋が大好きだから、その思い出に、思わず壁を一片剥ぎ取った。それを母はとがめずに、もう一片、池井のために剥ぎ取った。それを「ちり紙に包み」というのが、なんとも温かい。そのときの様子がしっかりととらえられている。
 私は池井の母には一度会ったことがある。顔も何も覚えていないが、会っている。大学受験の帰りに、私は池井の家へ立ち寄った。試験はまったくできなかった。就職してしまえば、四国へは来ることもないと思い、私はどう連絡をとったのか忘れたが、坂出の池井の家に立ち寄り一泊している(二泊だったかもしれない)。そのときに会っているが、ほんとうに何も覚えていない。
 だが、この詩を読むと、そうか、こんなふうに池井のことを心底愛していたのか、大事に見守っていたのか、と気づく。そういう愛のひろがりのなかで、私も、そのとき受け入れてもらったのだろうと思う。
 こんなことは、まあ、詩の感想にはどうでもよいようなことなのだけれど、そういうことを急に書きたくなった。そういう気持ちを誘う、ことばの動きが池井のこの詩にはある。あったことをただ書きつないでいるだけ。何の工夫もないエッセイのようでもある。が、その工夫のなさがいいのだ。とても自然だ。ただこういうことがあった--と、それをそのまま書くとき、池井は母をそのまま肯定して、一緒にいる。
 これは、たぶん、柳川に同行した母親も同じだろう。受験に失敗し、気落ちしている池井。詩ばっかり書いていて、ほかの勉強をしなかったからなのかもしれないが(ほんとうは優秀なのに、詩にのめりこんだために受験に失敗したのだろう)、それをそのまま受け入れている。受け入れるだけではなく、励ましている。
 池井は、花々を見て、それを説明する部分で、「私は道々それらを母へ解説し、解ったのかどうなのか母は逐一うなずいていた。」という具合に、ちょっと母親を軽蔑(?)するような、軽い感じで書いているが、母親には解るのだ。池井の言っている「解説」がわかるのではなく、息子が知っている限りのことを夢中になって「解説しているということ」がわかり、うなずぐのである。花の解説なんかは、母にはどうでもいい。息子が自分のために解説しているということ、その「事実」が「真実」なのだ。そうやって、池井のことばのなかから「真実」を引き出し、育てている。
 壁の剥ぎ取りも同じ。心底愛する白秋の家の「一部」をもっていたいという池井の欲望を、ただ欲望として肯定しているのではない。そういう欲望は「真実」であると後押ししている。息子の欲望に「間違い」はない、そう後押ししている。息子のするあらゆることを「真実」にしてしまう力が母親にはある。
 その力と一緒に池井は生きてきた。
 こんなことは、18歳の私にはわからなかったが、私も、その池井の母の何かに触れたんだなあ、と思い出すのである。

 詩の最後に、こんなことも書いてある。

楽しかった思い出はやがて詩となり、私は初めて「詩学」へ投稿し
た。その詩「春埃幻想」は「詩学」史上最高点で第一席となった。
選者は山本太郎、宗左近、中桐雅夫、嵯峨信之。皆物故され「詩
学」も無くなってしまったが、先達四氏の合評を震える指で頁繰り
つつ仰ぎ見たあの興奮はあの日のままに。未踏への憧れは今もなお
私の胸に。

 この「詩学」を私は、池井の家に押しかけて一泊したときにみせてもらった。そのことも思い出した。それをみせてくれたときの池井のことばを覚えているわけではないが、あのときの「声」は「真実」だったと思い出す。

 うまく言えないが、池井にとって「真実」を語ることは「必然」なのだ。
 「現代詩」は「わざと」感覚をつくりだす、ことばで「いま/ここ」にないものを生み出すことを仕事としているが、池井はそういう「わざと」から離れて、「真実」を「真実」にするためにことばを動かしている。
 「真実」に「する」という意識は、しかし、ないだろうなあ。
 書かなければいけないことを書くと、それは「必然」として「真実」になってしまう。「真実」というのは平凡だから、ついつい見落としてしまうが。そして、おもしろみも欠けていることが多いので、そのそばを通りすぎてしまうものだが。立ち止まってみつめると、なんともいえず静かな気持ちになる。
 「真実」と一緒にいると、静かに落ち着く。そんなことを、きょうは感じた。


冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(99)

2014-06-29 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(99)          

 「コマギネの詩人クレアンドロス・イアソンの憂鬱、紀元五九五年」に書かれているのは、美貌の衰えを「ことば」で救おうとする詩人のことが描かれている。

わが身体と美貌の衰亡は
齢の刃の容赦ない切り傷。
だが勝負を投げぬよ、私は。
きみを頼る、「詩の心得」くん、
きみはくすりの心得を知る。
「言語」と「想像」には痛みを救う力がある。

 だが、ここに書かれているのはほんとうに美貌の詩人の姿なのか。
 私には、どうも違うように見える。内部からあふれてくる「欲望」のようなものが感じられない。「わが身体」と書かれているが、その「身体」は「比喩」のように感じてしまう。「齢」も「肉体」ではなく「時間」の「比喩」のように思えてしようがない。
 「詩の心得」の、「心得」がそう感じさせるのかもしれない。
 詩は「心得」ではない。この「心得」を別のことばで言いなおすと、きっと「亡命ビザンチン貴族の詩作」につかわれていた「作法」ということばになるだろう。
 「ビザンチン」では「私の詩の厳しい作法が勘に障って」という文脈でつかわれていたが、詩は「作法」よりもむしろ「勘」の方にある。「人間」の「肉体」の内部の、未分化の生理的反応のような力にある。詩が「痛みを救う」としたら、それは「痛み」よりも深いものをことばでつかみとることで「痛み」を消すのであって、それは浅い傷の痛みを、深い傷の「痛み」で消すのに似ている。深い傷ができた、重傷になったから、軽傷の傷の「痛み」の存在理由がなくなったということ。--詩人なら、そういうことは知っているはずだ。それなのに、ここでの詩人は「想像」で身体の痛み(美貌の喪失)は処理できると考えている。カヴァフィスらしくない。
 なぜ、こんな詩を書いたのか。理由がふたつ考えられる。「わが身体」と書かれてるが、それは「身体」ではない。自分の「肉体」ではないということ。もうひとつは、カヴァフィスが書こうとしたのは、「詩の心得」というような観念に対する批判である。「「詩の心得」くん」の「くん」という敬称の軽さに皮肉があふれている。
 「わが身体の美貌の衰亡」は「詩という身体の美貌と衰亡」なのだろう。「紀元五九五年」のコマネギについては中井久夫が注釈で歴史を書いているが、「没落直前の頽唐期」という。都市が没落するとき、文化が没落する。詩も没落する。詩の没落は「作法」の確革新を怠ったときである。「心得」だけで詩を作ろうとするときである。
 「言語」と「想像」には痛みを救う力がある--というのは、嘘だろう。「肉体」と「現実」こそが痛みを救う。初めてのことだけが、ことばを活性化させる。「作法」「心得」を捨てて、素手で「現実」をつかもうとして、「ことばの素手」が形を変えるとき、その変化する「ことばの肉体」が詩なのだ。(と、私は書きたいが、これは私の先走りかもしれない。この詩の感想を逸脱しているかもしれない。)



中井久夫の訳詩『リッツォス詩選集』が発行されます。
2
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社
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