斎藤恵子「白粉花」(「どぅるかまら」17、2015年01月10日発行)
病室で女房が来るのを待っている男--という視点で書かれた詩。この詩のなかで、斎藤は「夫」になっている。二人がいっしょに暮らしはじめたころのことが書かれている。
夫の視点でことばが動いているのだが、ことばの動きに作為がない。斎藤が過去を思い出して夫の視点からことばを動かしているのではなく、夫はいつかこれと同じことを斎藤に言ったのだ。一度だったかもしれない。あるいは何度か言ったのかもしれない。
夫の記憶、夫の思い出を斎藤は、夫のことばで共有している。自分のことばではなく、夫のことばをそのままそっくり受け止めて、夫になってる。夫になることで、自分の無邪気さを確認している。「私は白粉花のようにあまりきれいじゃないかもしれない。川べりが似合っているのかもしれない。でも、見て。マニュキアをすると、こんなにきれいでしょ? きれいと言って。」夫といるから、あんなふうに無邪気に、こどもみたいなことができたのだと思い出している。一体になって動いている。自分の、あのときの感情さえも夫のことばで思い出している。
これは、夫のことばとして書かれているが、妻・斎藤の想像かもしれない。夫は腰痛だと思っている。ほんとうのことを知らされていない。妻は、それを知っている。知っているけれど、夫には言わない。こういうことは、たぶん、言わなくても「わかる」ものである。そして「わかっている」と「わかる」から、夫はいま、こんなふうに考えているのだろうと、斎藤は想像する。
だから(と言っていいのかどうか……)、先に引用した「白粉花」とマニュキアのやりとりも、ほんとうは斎藤が夫にあのときのことを思い出して、と祈っているのかもしれない。無邪気にこころが出会い、すれ違い、微笑んだ瞬間。あのときは楽しかったね。
あのとき、私(斎藤)はなにも知らなかった。いまも、なにも知らない。夫か病気とは知らない。夫は腰痛が治れば退院できると無邪気に信じている。--信じている姿を、無邪気なマニュキアの娘の姿のままの私を覚えていて、と祈っている。
静かなことばの動きに、この時間が少しでも長くつづくようにと祈らずにはいられない。
病室で女房が来るのを待っている男--という視点で書かれた詩。この詩のなかで、斎藤は「夫」になっている。二人がいっしょに暮らしはじめたころのことが書かれている。
夏になると川ばたに白粉花が咲いた。白粉花は夕方ひらき夜まで咲く。よい匂いがする。おれは自転車で白粉花の匂いがしてくると家に帰りついたと思った。
女房は白粉花を摘んでガラスコップに入れた。
あまりきれいじゃないな。
川べりで咲いているのが似合うんじゃないか。
おれが言うと、女房はほらと爪先を見せた。紅く染まっていた。
白粉花で染まったのよ。
紅い爪先をひらひらさせて夕日にかざした。
夫の視点でことばが動いているのだが、ことばの動きに作為がない。斎藤が過去を思い出して夫の視点からことばを動かしているのではなく、夫はいつかこれと同じことを斎藤に言ったのだ。一度だったかもしれない。あるいは何度か言ったのかもしれない。
夫の記憶、夫の思い出を斎藤は、夫のことばで共有している。自分のことばではなく、夫のことばをそのままそっくり受け止めて、夫になってる。夫になることで、自分の無邪気さを確認している。「私は白粉花のようにあまりきれいじゃないかもしれない。川べりが似合っているのかもしれない。でも、見て。マニュキアをすると、こんなにきれいでしょ? きれいと言って。」夫といるから、あんなふうに無邪気に、こどもみたいなことができたのだと思い出している。一体になって動いている。自分の、あのときの感情さえも夫のことばで思い出している。
女房はおれが腰痛だと言ったので腰の病気だと思っている。だが実のところあと何回女房の顔が見られるのか、おれにもわからない。
これは、夫のことばとして書かれているが、妻・斎藤の想像かもしれない。夫は腰痛だと思っている。ほんとうのことを知らされていない。妻は、それを知っている。知っているけれど、夫には言わない。こういうことは、たぶん、言わなくても「わかる」ものである。そして「わかっている」と「わかる」から、夫はいま、こんなふうに考えているのだろうと、斎藤は想像する。
だから(と言っていいのかどうか……)、先に引用した「白粉花」とマニュキアのやりとりも、ほんとうは斎藤が夫にあのときのことを思い出して、と祈っているのかもしれない。無邪気にこころが出会い、すれ違い、微笑んだ瞬間。あのときは楽しかったね。
あのとき、私(斎藤)はなにも知らなかった。いまも、なにも知らない。夫か病気とは知らない。夫は腰痛が治れば退院できると無邪気に信じている。--信じている姿を、無邪気なマニュキアの娘の姿のままの私を覚えていて、と祈っている。
静かなことばの動きに、この時間が少しでも長くつづくようにと祈らずにはいられない。
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