小野正嗣「九年前の祈り」(「文藝春秋」2015年03月号)
小野正嗣「九年前の祈り」は第百五十二回芥川賞受賞作。
420ページ(「文藝春秋」03月号のページ)まで読んできて、小野が書きたいのは「詩」なのかと思った。ある瞬間に人間の本質のようなものが人間から分離して、いままでとは違った人間に見えてくる--その瞬間を描きたいのか、と思った。
「悲しみ」を人格化している。「現代詩」なら、もう少し「悲しみ」を整理して、文体を凝縮させるが、小説なのでその手間を省いているような、ラフな感じがする。
「悲しみが立っていた」は初めて登場する文章なので、それでいい。次の「悲しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし」は「立っていた」の言い直し。人は大事なことはくりかえす。くりかえすことで、それが「事実」になっていく。ここも、書かなければならない理由がある。しかし、そのあとの「しかし悲しみが行なうそんな慰めの仕草は」という文章はどうだろうか。作者が「悲しみ」ということばに酔ってしまっている。詩ではなくなっている。「悲しみ」が「主語」から「歌」のリフレインになってしまっている。
ここで、私は、最初につまずいた。もう一度同じことを別な形でくりかえすために、わざとラフに書いているの加登も思った。
そして、小説の最後( 447ページ)で、私はがっかりしてしまった。
420ページの「悲しみ」がくりかえされている。そっくりそのまま。まるで歌謡曲のさびのメロディーのように、少しだけ変奏されて。これでは小説ではない。詩でもない。「歌」でしかない。歌謡曲、ど演歌だ。(演歌が悪いというわけではないのだが。)
起きたことを「歌」にして、反復し、伝えたいというのならそれはそれでいいかのもしれないが、「悲しみ」の安売りのようで、こんなふうに作者一人が酔ってしまっているのではなあ、とげんなりする。結末が小説を壊してしまっている。
425ページの「子供っちゅうもんは泣くもんじゃ。」から「みっちゃん姉が希敏を連れていってくれた。」を経て 426ページ「みっちゃん姉が連れ去ってくれたのだ。」の反復までのように凝縮した部分もあるが、たいていはリフレインが目障りである。反復によって、その反復されるものの「本質」を明確にしたいということはわかるが、反復が反復のままでは、小説のおもしろさに欠ける。
結論(?)がこんな具合に、あからさまな反復の形で閉じられると、小説の構造があまりにもあらわになって、興ざめしてしまう。現在(子供をかかえてふるさとに帰って来て、母のふるさとである島へ行くという小さな旅)と過去(カナダへみっちゃん姉たちと旅行した旅)、そのなかで「手をつなぐ/手をはなさない」が反復されるが、それは「伏線」というよりも、「既視感」の方が強くなる。「結論」がはじめにあって、それをことばで飾っているという印象になってしまう。
そのために、せっかく方言をつかって生活感あふれるおばさん集団を描きながら、そのおばさんたちから「個性」が消えてしまう。(おばさんのカナダ旅行、カナダ旅行のおばさんの行動はとてもおもしろいのに、それが「歌」の「枠」に乗っ取られてしまっている。)さらに主人公に影響を与えたはずの男たちの描写の「手抜き」も気になる。「悲しみ」のリフレインの邪魔をしないように、非常に弱い調子でしか描かれていない。具体的に見えてこない。いちばん重要な希敏が何度も「引きちぎられたミミズ」と簡単に反復されるのも、信じられない。もっと、そのときそのときの個別の「泣き叫び」を書かないと、希敏がかわいそうすぎる。ストーリーの「狂言回し」になってしまっている。母親がたいへんなのはわかるが、子供だってたいへんなのに、と言いたくなってしまう。
*
小野のふるさとの描写では、
が簡潔で印象に残った。風景描写の人格化と、集落のひとの生き方が濃密に交差し、溶け合っている。
*
作品ではないのだが、受賞のことばの「三歳年上の兄、史敬(ふみたか)が昨年十月亡くなりました。」という文章の「亡くなる」という動詞のつかい方に、私は違和感をおぼえた。こういうとき「亡くなる」というのだろうか。「死んだ」ではないのだろうか。「亡くなる」なら「史敬」ではなく「史敬さん」と敬称をつけそうなものだけれど……。
小野正嗣「九年前の祈り」は第百五十二回芥川賞受賞作。
420ページ(「文藝春秋」03月号のページ)まで読んできて、小野が書きたいのは「詩」なのかと思った。ある瞬間に人間の本質のようなものが人間から分離して、いままでとは違った人間に見えてくる--その瞬間を描きたいのか、と思った。
窓を背にしたみっちゃん姉のすぐ後ろに悲しみが立っていた。それはみっちゃん姉のそばにずっといたのだけれど、日の光の下では見えなかったのだ。悲しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし、みっちゃん姉の肩を優しくさすっていた。しかし悲しみが行なうそんな慰めの仕草は、さすられる者とそれに気づいてしまった者の心の痛みを増すだけだった。
「悲しみ」を人格化している。「現代詩」なら、もう少し「悲しみ」を整理して、文体を凝縮させるが、小説なのでその手間を省いているような、ラフな感じがする。
「悲しみが立っていた」は初めて登場する文章なので、それでいい。次の「悲しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし」は「立っていた」の言い直し。人は大事なことはくりかえす。くりかえすことで、それが「事実」になっていく。ここも、書かなければならない理由がある。しかし、そのあとの「しかし悲しみが行なうそんな慰めの仕草は」という文章はどうだろうか。作者が「悲しみ」ということばに酔ってしまっている。詩ではなくなっている。「悲しみ」が「主語」から「歌」のリフレインになってしまっている。
ここで、私は、最初につまずいた。もう一度同じことを別な形でくりかえすために、わざとラフに書いているの加登も思った。
そして、小説の最後( 447ページ)で、私はがっかりしてしまった。
いま悲しみはさなえのなかになかった。それはさなえの背後に立っていた。振り返ったところで日の光の下では見えないのはわかっている悲しみが身じろぎするのを感じた。それは身をかがめると、さなえの手の上にその手を重ね、愛撫するようにさすった。
420ページの「悲しみ」がくりかえされている。そっくりそのまま。まるで歌謡曲のさびのメロディーのように、少しだけ変奏されて。これでは小説ではない。詩でもない。「歌」でしかない。歌謡曲、ど演歌だ。(演歌が悪いというわけではないのだが。)
起きたことを「歌」にして、反復し、伝えたいというのならそれはそれでいいかのもしれないが、「悲しみ」の安売りのようで、こんなふうに作者一人が酔ってしまっているのではなあ、とげんなりする。結末が小説を壊してしまっている。
425ページの「子供っちゅうもんは泣くもんじゃ。」から「みっちゃん姉が希敏を連れていってくれた。」を経て 426ページ「みっちゃん姉が連れ去ってくれたのだ。」の反復までのように凝縮した部分もあるが、たいていはリフレインが目障りである。反復によって、その反復されるものの「本質」を明確にしたいということはわかるが、反復が反復のままでは、小説のおもしろさに欠ける。
結論(?)がこんな具合に、あからさまな反復の形で閉じられると、小説の構造があまりにもあらわになって、興ざめしてしまう。現在(子供をかかえてふるさとに帰って来て、母のふるさとである島へ行くという小さな旅)と過去(カナダへみっちゃん姉たちと旅行した旅)、そのなかで「手をつなぐ/手をはなさない」が反復されるが、それは「伏線」というよりも、「既視感」の方が強くなる。「結論」がはじめにあって、それをことばで飾っているという印象になってしまう。
そのために、せっかく方言をつかって生活感あふれるおばさん集団を描きながら、そのおばさんたちから「個性」が消えてしまう。(おばさんのカナダ旅行、カナダ旅行のおばさんの行動はとてもおもしろいのに、それが「歌」の「枠」に乗っ取られてしまっている。)さらに主人公に影響を与えたはずの男たちの描写の「手抜き」も気になる。「悲しみ」のリフレインの邪魔をしないように、非常に弱い調子でしか描かれていない。具体的に見えてこない。いちばん重要な希敏が何度も「引きちぎられたミミズ」と簡単に反復されるのも、信じられない。もっと、そのときそのときの個別の「泣き叫び」を書かないと、希敏がかわいそうすぎる。ストーリーの「狂言回し」になってしまっている。母親がたいへんなのはわかるが、子供だってたいへんなのに、と言いたくなってしまう。
*
小野のふるさとの描写では、
二つの島は、陸地を振り切って大海原に飛び出そうとしているように見えた。逃がしてたまるものかといくつもの岬が、たがいの邪魔をしながら、島々に執拗に追いすがり伸びていく--( 391ページ)
このむさくるしい男が誰だか知らないが、男のほうは明らかにさなえを知っていた。さなえがカナダ人と結婚したことも、そのカナダ人とのあいたに男の子が生まれたことも、そしてさなえがカナダ人に捨てられ、男の子を連れて実家に戻ってきたこともすでに知っていた。( 402ページ)
が簡潔で印象に残った。風景描写の人格化と、集落のひとの生き方が濃密に交差し、溶け合っている。
*
作品ではないのだが、受賞のことばの「三歳年上の兄、史敬(ふみたか)が昨年十月亡くなりました。」という文章の「亡くなる」という動詞のつかい方に、私は違和感をおぼえた。こういうとき「亡くなる」というのだろうか。「死んだ」ではないのだろうか。「亡くなる」なら「史敬」ではなく「史敬さん」と敬称をつけそうなものだけれど……。
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