今井直美男『轍』(編集工房ノア、2015年09月18日発行)
今井直美男『轍』に「食べる」という詩がある。いなかに帰ると母はビフテキをつくってくれる。母は少ししか食べない。食べられないのである。自分も老いて、だんだん小食になる。たくさん食べると不快感が残る。
この「今になって」が強く印象に残る。いろいろなことを体験し、そのころは気がつかなかった。あるいは気づいていても、ことばにすることはなかった。そういうことが「一口一口脳に刻みつける」ではなく、「一語一語脳に刻みつける」ように書かれている。
ことばの冒険をする「現代詩」という範疇からは少し違うところで書いている。ことばの刺戟で読者を興奮させるのではなく、静かに「人間性」を語る詩集である。
では、その「人間性」とは何か。
「とばちゃんの切符」という詩がある。大阪の駅の地下鉄、改札口の近くで回数券を切り売りしている。切符売り場に行かなくてすむので、急いでいるときは便利だ。
十五円の稼ぎのために、知恵をしぼる。手間をかける。そこには、何というのだろう、他人に迷惑をかけない、他人のものを奪わないという、静かな律儀さがある。「手間をおしまない」と言い換えるといいのかもしれない。
今井の「生き方(思想)」は、きっと、「手間をおしまない」というところにある。手間をおしまなければ、何かが確実に自分に還ってくる。そういう行動をするひとへの共感。「手間」そのものへの共感。それが今井の「人間性」なのだと思う。
これは「今になって」気づいたことではないが、「今になって」書いておきたいという気持ちになったのだろう。忘れてはいけない、という気持ちがそこにある。
もしかすると「味覚の満足を一口一口脳に刻みつける」というのも、食べるときの大切な「手間」かもしれない。母は、息子(今井)が、自分がつくったビフテキをいまおいしそうに食べているということを、「手間」をかけて味わっていたのかもしれない。息子に食べさせることができるという喜びを。そういうふうに読み直したい気持ちになる。
「畑とともに」は疎開先で畑仕事をしたことを思い出しながら貸し農園の畑を耕す詩である。
ここに「手間をいとわない」美しさの神髄がある。「いま」ではなく「つぎ」のための手間。やっていることは、かならず何かにつながっていく。「つぎ」がやってきたとき、あの手間が「今になって」という感じで、ゆっくり今井に還ってくる。
懐が広い、懐が深い。
なんとなく、背筋がのびるのである。詩を読むと。
「コピー機の前で」の全行。
まるで、そこに今井がいるように感じる。会ったことはないのだが、姿が見えるように感じる。
「あなたの親切はとても嬉しいです」ということばは「若い人」には聞こえなかったかもしれない。
でも、この詩読んで、私がこうやって「いいなあ、この詩」という感想を書いて、それをまただれかが読んで、めぐりめぐって、その「若い人」に届くかもしれない。それはきっと、「若い人」が直接この詩を読むときよりも、あるいは今井からそのとき「ぼくは倍率をいくらにするか考えていたのだ」と説明され、「ありがとう」と言われるよりも感動的だろうなあ。「あなたの親切」と「今井の嬉しい」がいっしょになって、世の中をわたって、もう一度「あなた」に届くのだ。
「今になって」
「今になる」ということ、「今」の向こう側に、長い長い時間があり、そこにはさまざまなひとが生きている。「手間をおしまず」、「今」を充実させて。その充実は「今」ではなく「つぎ」にならないと、わからない。その不思議。
「化学の授業 2」も美しい。
三連目は太陽系の誕生について語っているのだが、「どの天体の誕生もだいたい同時」が、私には「どの人間の一生もだいたい同じ」と言っているように聞こえてしまうのだ。誰もが同じ人間、と聞こえてしまうのだ。
だから、「手間をかけて」自分を大切に生きる。
「調べる」「考える」という「手間」をかけて見つけ出した「事実」は、実は見つけ出したというよりも「つくり出した」かもしれない。「手間をかけて」つくったものは、ひとのあいだに静かに広がっていく。
「コピー機の前で」も、静かに、広がっていってほしいなあ。「若い人/あなた」に届いてほしいなあ。
今井の詩を読むと「ザワザワしていた私の肉体が一転して」静かになる。息をしていることを忘れるくらいに。
今井直美男『轍』に「食べる」という詩がある。いなかに帰ると母はビフテキをつくってくれる。母は少ししか食べない。食べられないのである。自分も老いて、だんだん小食になる。たくさん食べると不快感が残る。
量は少なくても
味覚の満足を一口一口脳に刻みつける
あの頃 母もそうだったんだ
今になって気付いて ほっとする
この「今になって」が強く印象に残る。いろいろなことを体験し、そのころは気がつかなかった。あるいは気づいていても、ことばにすることはなかった。そういうことが「一口一口脳に刻みつける」ではなく、「一語一語脳に刻みつける」ように書かれている。
ことばの冒険をする「現代詩」という範疇からは少し違うところで書いている。ことばの刺戟で読者を興奮させるのではなく、静かに「人間性」を語る詩集である。
では、その「人間性」とは何か。
「とばちゃんの切符」という詩がある。大阪の駅の地下鉄、改札口の近くで回数券を切り売りしている。切符売り場に行かなくてすむので、急いでいるときは便利だ。
おばちゃんたちは
十一枚綴り百五十円の回数券を買うて
十一枚売って十五円の稼ぎをしてたんや
十五円の稼ぎのために、知恵をしぼる。手間をかける。そこには、何というのだろう、他人に迷惑をかけない、他人のものを奪わないという、静かな律儀さがある。「手間をおしまない」と言い換えるといいのかもしれない。
今井の「生き方(思想)」は、きっと、「手間をおしまない」というところにある。手間をおしまなければ、何かが確実に自分に還ってくる。そういう行動をするひとへの共感。「手間」そのものへの共感。それが今井の「人間性」なのだと思う。
これは「今になって」気づいたことではないが、「今になって」書いておきたいという気持ちになったのだろう。忘れてはいけない、という気持ちがそこにある。
もしかすると「味覚の満足を一口一口脳に刻みつける」というのも、食べるときの大切な「手間」かもしれない。母は、息子(今井)が、自分がつくったビフテキをいまおいしそうに食べているということを、「手間」をかけて味わっていたのかもしれない。息子に食べさせることができるという喜びを。そういうふうに読み直したい気持ちになる。
「畑とともに」は疎開先で畑仕事をしたことを思い出しながら貸し農園の畑を耕す詩である。
種蒔きや苗植え付けの前には
畝を深く耕して 底の方に生ごみ 雑草 枯葉
中学以来の腕前がものを言う
作物の根はそこまで届かない
つぎに耕すとき 天地返し
底の土がほかほかになって上に来る
ここに「手間をいとわない」美しさの神髄がある。「いま」ではなく「つぎ」のための手間。やっていることは、かならず何かにつながっていく。「つぎ」がやってきたとき、あの手間が「今になって」という感じで、ゆっくり今井に還ってくる。
懐が広い、懐が深い。
なんとなく、背筋がのびるのである。詩を読むと。
「コピー機の前で」の全行。
原稿をセットして
しばらく立っていると
若い人が声をかけてくれた
何かお手伝いしましょうか
いいえ結構です
ぼくは倍率をいくらにするか考えていたのだ
なるべく大きくコピーしたいから
でもあなたの親切はとても嬉しいです
まるで、そこに今井がいるように感じる。会ったことはないのだが、姿が見えるように感じる。
「あなたの親切はとても嬉しいです」ということばは「若い人」には聞こえなかったかもしれない。
でも、この詩読んで、私がこうやって「いいなあ、この詩」という感想を書いて、それをまただれかが読んで、めぐりめぐって、その「若い人」に届くかもしれない。それはきっと、「若い人」が直接この詩を読むときよりも、あるいは今井からそのとき「ぼくは倍率をいくらにするか考えていたのだ」と説明され、「ありがとう」と言われるよりも感動的だろうなあ。「あなたの親切」と「今井の嬉しい」がいっしょになって、世の中をわたって、もう一度「あなた」に届くのだ。
「今になって」
「今になる」ということ、「今」の向こう側に、長い長い時間があり、そこにはさまざまなひとが生きている。「手間をおしまず」、「今」を充実させて。その充実は「今」ではなく「つぎ」にならないと、わからない。その不思議。
「化学の授業 2」も美しい。
その日の化学 テーマは年代測定
いろいろなものが使われるが
何十億年を調べるにはウラニウム二三八
この元素は放射性崩壊をして鉛二〇六になる
鉱物中の両者の比から
その年齢を求める方法を説明した
続いて
地球に落ちた隕石
調べるとどれも四十五億年ぐらい
だから言える
太陽系のどの天体の誕生もだいたい同時
と言った瞬間
ザワザワしていた教室が一転して静寂に
誰一人息もしていないぐらいに感じた
学生たちは周りのものと私語しながら
頭のどこかで僕の話を聞いていたのだ
三連目は太陽系の誕生について語っているのだが、「どの天体の誕生もだいたい同時」が、私には「どの人間の一生もだいたい同じ」と言っているように聞こえてしまうのだ。誰もが同じ人間、と聞こえてしまうのだ。
だから、「手間をかけて」自分を大切に生きる。
「調べる」「考える」という「手間」をかけて見つけ出した「事実」は、実は見つけ出したというよりも「つくり出した」かもしれない。「手間をかけて」つくったものは、ひとのあいだに静かに広がっていく。
「コピー機の前で」も、静かに、広がっていってほしいなあ。「若い人/あなた」に届いてほしいなあ。
今井の詩を読むと「ザワザワしていた私の肉体が一転して」静かになる。息をしていることを忘れるくらいに。
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