Salmi Salco.『夢の、感触』(ふらんす堂、2018年12月25日発行)
Salmi Salco.『夢の、感触』の「かなしみの、玉」。
タイトルの読点「、」が微妙だ。不思議な断絶がある。ことばを探している「間合い」というようなもの、思考の呼吸のようなものだ。
役者の芝居(演技)を見ていると、たとえば森繁久弥は「肉体」が動いてからセリフが出てくる。同時に動かない。「肉体」をことばが追い掛ける感じ。そこに「真実」が出てくる。ことばにならないものが先に動き、ことばがそれを追い掛けながら整える。あの感じに似ている。
その全行。
読点が多用されている。やはり「間」がある。そのうちの「文字として、存在するように」というのは、「間」をどうしていいかわからずに、強引にことばが割り込んできたような感じがする。ことばが書かれているのだが、書かれたことばは「肉体」から出てきたというよりも、とりあえず「よそ」から借りてきて動かしたという感じがする。硬い。「文字として」も「存在する」も硬い。それが「確実」ということばにも引き継がれていくけれど、「存在する」は「ある」と言いなおされ、「肉体」が動き始める。
「触れなければ」は「そっとしておく」に、「鳴らない」は「泣く」に引き継がれ、「やり過ごす」という動詞がうまれる。
ことばにならないものを「やり過ごし」、やり過ごした後で、そのとき動いたことをことばに書き留める。その反芻の中に、「間」そのものが動いている。「間」は「魔」かもしれない。おさえきれないもの。しかし、おさえておくもの。「できる」というのは、その拮抗の結果だろう。
タイトルの「玉」が「鈴」と言いなおされているのも、とてもおもしろい。「玉」から「鈴」にかわるまでに、Salmi は三行、ことばを必要としたのだ。この三行が森繁の「肉体」だな。
「まるい種」という作品がある。この「種」は「玉」にも「鈴」にも感じられる。
「存在する」「ある」は「住みついている」。詩集の順序で言うと「住みついている」は「存在する」であり、「ある」なのだけれど。いずれにしろ、「肉体」の奥から動き始めるのだ。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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Salmi Salco.『夢の、感触』の「かなしみの、玉」。
タイトルの読点「、」が微妙だ。不思議な断絶がある。ことばを探している「間合い」というようなもの、思考の呼吸のようなものだ。
役者の芝居(演技)を見ていると、たとえば森繁久弥は「肉体」が動いてからセリフが出てくる。同時に動かない。「肉体」をことばが追い掛ける感じ。そこに「真実」が出てくる。ことばにならないものが先に動き、ことばがそれを追い掛けながら整える。あの感じに似ている。
その全行。
多分、悲しみは、
文字として、存在するように
確実に、私の中にもあるのだけれど、
触れなければ鳴らない鈴のように
そっとしておけば、
いつまでも、泣かずに
日常をやり過ごせることが、できた。
読点が多用されている。やはり「間」がある。そのうちの「文字として、存在するように」というのは、「間」をどうしていいかわからずに、強引にことばが割り込んできたような感じがする。ことばが書かれているのだが、書かれたことばは「肉体」から出てきたというよりも、とりあえず「よそ」から借りてきて動かしたという感じがする。硬い。「文字として」も「存在する」も硬い。それが「確実」ということばにも引き継がれていくけれど、「存在する」は「ある」と言いなおされ、「肉体」が動き始める。
「触れなければ」は「そっとしておく」に、「鳴らない」は「泣く」に引き継がれ、「やり過ごす」という動詞がうまれる。
ことばにならないものを「やり過ごし」、やり過ごした後で、そのとき動いたことをことばに書き留める。その反芻の中に、「間」そのものが動いている。「間」は「魔」かもしれない。おさえきれないもの。しかし、おさえておくもの。「できる」というのは、その拮抗の結果だろう。
タイトルの「玉」が「鈴」と言いなおされているのも、とてもおもしろい。「玉」から「鈴」にかわるまでに、Salmi は三行、ことばを必要としたのだ。この三行が森繁の「肉体」だな。
「まるい種」という作品がある。この「種」は「玉」にも「鈴」にも感じられる。
いつのまにか、
私の中、住みついているそれは、
私のこと、バカにしているみたいで
ときどき頭に来る。
「存在する」「ある」は「住みついている」。詩集の順序で言うと「住みついている」は「存在する」であり、「ある」なのだけれど。いずれにしろ、「肉体」の奥から動き始めるのだ。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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