詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

タケイ・リエ『ルーネベリと雪』

2019-03-11 21:52:37 | 詩集
タケイ・リエ『ルーネベリと雪』(七月堂、2018年09月30日発行)

 タケイ・リエ『ルーネベリと雪』の「ターミナル」の二連目。

祈ることと
折れることは
ぜんぜん違うけれど
そのときのわたしは
かなり折れていて
もうこれいじょう折れないように と
街路樹に祈ったかもしれない

 読みながら、この人のなかでことばはどんなふうに動いているのかなあ、と思う。「祈る」と「折る」。漢字は似ている。でも音が違う。ことばを「文字」で覚えた人なんだなあ、と思う。視力がいいんだろう。
 私は最近、目の調子が悪くて、文字を読むのがつらい。だから、こういう「文字」(漢字)のなかを通って動くことばに出会うと、あ、私の見えないものがあるなあ、と苦しくなる。
 三連目は、こう展開する。

時間がわからなくなるほど
熱っぽいものが
どろどろ溶けていた
まぶたのうえでくつくつ煮える
木の葉に
光がつぎつぎ産卵され
突風が吹くと
光は粉々に割れてゆく
割れながらきらきら笑ってみせる
たのしいことはかんたんに
きらきらと割れていった

 「どろどろ」「くつくつ」「きらきら」。オノマトペ。今度は一転して、「音」がことばを動かしている。「つぎつぎ」や「粉々」までもがオノマトペに見えてくる。
 ことばと、「肉体」のどの部分で向き合っているのか、ちょっとわからない。どこに私の「肉体」を重ねることができるか、それがわからない。
 でも。

たのしいことはかんたんに

 この一行が、なぜか、印象に残る。「簡単」ではなく「かんたん」と書くことで、一種のオノマトペになっているような気がする。「ん」の繰り返しがそう感じさせるのかもしれない。
 そして、そう感じた瞬間に、これは「祈る/折る」の漢字のつかい方に似ているなあ、と思った。「祈る/折る」を繰り返し、「視覚のオノマトペ」をつくりだしているのか。

たどりつかない物語の道は
とてもかたむいている
わたしはわたしを引きずっている
歩き続けたつまさきがまるくかたくなる

 さて、では、この「かたむいている」と「かたくなる」は、なんなんだろう。よくわからない。
 「意味」だけではない何かをつかみとるために詩を書いているのかもしれないなあ。

*

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ルーネベリと雪
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池澤夏樹のカヴァフィス(82)

2019-03-11 10:07:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
82 九時以来--

十二時半だ。時のたつのははやい。
九時にランプの火をともして以来、
ずっとここに坐っていた。坐ったまま何も読まず、
何も話さなかった。この家の中でたった一人、
話そうにも相手はいない。

 こう始まった詩の最終蓮。

十二時半だ、時のたつののはやいこと。
十二時半だ、月日のたつののはやいこと。

 九時から十二時半。時がたつのははやい、というのはわかる。しかし、「月日のたつのはやいこと」ということばと結びつくとき、驚く。「月日」と比べるのは「月日」だ。九時からずっと、カヴァフィスは「月日」を思い出していた。カヴァフィスの思いの中で動いていたのは「月日」だ。そのことを、最終蓮で静かに語っている。
 池澤は、

 追憶の形をとる詩篇はカヴァフィスには珍しくないが、この詩のように何に触発されるでもなく、ただじっともの思いにふけるのはあまり例がない。

 と書いているが、カヴァフィスはたいてい「きょう」のことを思うのではなく、遠い「月日」のことを思い出していないか。「月日」のなかで繰り返される「きょう」を思っているのだろう。だからこそ「歴史」も題材にする。「歴史」は「月日(年月)」のなかにある「きょう」である。思い起こすとき、すぐそばにやってくる。

 省略したが、二連目は、こう始まっている。

若かった頃のわたしの身体の幻が、
九時にランプに火をともして以来、

 カヴァフィスの身体そのものがランプになり、そのなかに火がともる、と錯覚する。官能の火、快楽の火。その火が、カヴァフィスの道を照らす。同じ道を歩く。同じ道だから、「時」が「月日」にかわり、「月日」が「歳月」にかわり、同時に「時」にかわって戻ってくるのがわかる、ということだろう。いつであっても「きょう」だ。

カヴァフィス全詩
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