藤井晴美『無効なコーピング』(七月堂、2019年02月28日発行)
藤井晴美『無効なコーピング』のなかに、
という一行がある。「ナイロンパンツ」という作品。藤井の詩もまた「何かわかんない」ものなんだけれどなあ。
たとえば「液体化する舌」
これは後半部分。前半の散文スタイルの部分よりも一字下げになっている。
何のことかわからない。わからないけれど「のおれーはしやおれ。」という一行に「脳 礼 発射 カフェオレ ナイロン フラスコ」がつづくところがおもしろい。「音」を「意味」に言いなおしている感じがする。
ことばというのは、たいていそういうものなんだろうと思う。「音」がある。それを「意味」でとらえなおす。「音(声)」は違うことをいいたいのかもしれない。でも、あるひとが言いたいこと(あるいは自分自身が言いたいこと)と、それを聞いたひとが聞きたいこと(自分自身で聞きたいこと)は違うかもしれない。違いを抱えたまま、それでも「ことば(音)」は存在する。
「青春病院」を「精神病院」と読む(聞く)ひとがいるかもしれない。「精神病院」を「青春病院」と聞く(読む)ひとがいるかもしれない。あるいは、そう「言う」ひとがいるかもしれない。
どの場合でも、「ずれ」(裂け目)みたいなものが感じられる。妙なことに、そのときの「ずれ」とか「裂け目」はどこかで「接続」(連続)の意識を揺さぶる。「切断」されることで、自分が何とつながっているかが、瞬間的に感じられる。
それって、
かもしれないと思うのは、もう、間違いのはじまりなんだけれど。
でも、間違えるから、生きていられるんだろうなあ。
「正しい答え」なんて、どうしようもない。「1+1=2」というようなことは、誰もが言えるし、誰もが言うとき(共有されるとき)、とんでもない暴力になるかもしれない。
そういうわけのわからない暴力(意味の暴力/ことばの暴力)に、ことばの暴力で向き合っている、と言えるかもしれない。
でも、こんなふうに書いていると「だんだん」、それなりの「感想」らしくなってくるから、困る。
藤井は私の「感想」を捨て去って、さっさと次の詩を書くだけだろうけれど。
つまり、「困る」のは、単に私の問題。
「困る」瞬間、実は、私は好きです。困ることが。「困り続ける」を持ちこたえればいいのだけれど。たいてい面倒になってほうりだしてしまうけれど。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
藤井晴美『無効なコーピング』のなかに、
何かわかんないというのがすべての詩についてのぼくの感想です。
という一行がある。「ナイロンパンツ」という作品。藤井の詩もまた「何かわかんない」ものなんだけれどなあ。
たとえば「液体化する舌」
のおれーはしやおれ。
脳 礼 発射 カフェオレ ナイロン フラスコ
青春病院
現実化しにくい女の舌。
惑星直列のように一致していた。
最早、死者の鋳物。
ある解の徴候。
それらしい私、
だんだんそうなっていく、
生まれてから徐々に、
私が私のように。
のおれーはしやおれ。
これは後半部分。前半の散文スタイルの部分よりも一字下げになっている。
何のことかわからない。わからないけれど「のおれーはしやおれ。」という一行に「脳 礼 発射 カフェオレ ナイロン フラスコ」がつづくところがおもしろい。「音」を「意味」に言いなおしている感じがする。
ことばというのは、たいていそういうものなんだろうと思う。「音」がある。それを「意味」でとらえなおす。「音(声)」は違うことをいいたいのかもしれない。でも、あるひとが言いたいこと(あるいは自分自身が言いたいこと)と、それを聞いたひとが聞きたいこと(自分自身で聞きたいこと)は違うかもしれない。違いを抱えたまま、それでも「ことば(音)」は存在する。
「青春病院」を「精神病院」と読む(聞く)ひとがいるかもしれない。「精神病院」を「青春病院」と聞く(読む)ひとがいるかもしれない。あるいは、そう「言う」ひとがいるかもしれない。
どの場合でも、「ずれ」(裂け目)みたいなものが感じられる。妙なことに、そのときの「ずれ」とか「裂け目」はどこかで「接続」(連続)の意識を揺さぶる。「切断」されることで、自分が何とつながっているかが、瞬間的に感じられる。
それって、
ある解の徴候。
かもしれないと思うのは、もう、間違いのはじまりなんだけれど。
でも、間違えるから、生きていられるんだろうなあ。
「正しい答え」なんて、どうしようもない。「1+1=2」というようなことは、誰もが言えるし、誰もが言うとき(共有されるとき)、とんでもない暴力になるかもしれない。
そういうわけのわからない暴力(意味の暴力/ことばの暴力)に、ことばの暴力で向き合っている、と言えるかもしれない。
でも、こんなふうに書いていると「だんだん」、それなりの「感想」らしくなってくるから、困る。
藤井は私の「感想」を捨て去って、さっさと次の詩を書くだけだろうけれど。
つまり、「困る」のは、単に私の問題。
「困る」瞬間、実は、私は好きです。困ることが。「困り続ける」を持ちこたえればいいのだけれど。たいてい面倒になってほうりだしてしまうけれど。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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