詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(92)

2019-03-21 08:03:37 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
92 シドンの若者たち(紀元四〇〇年)

 俳優が「アイキュロスが自分のために書いておいたとされる墓碑銘(池澤の註釈)」を朗唱する。すると、

文学に熱をあげている一人の元気な若者が
さっと立ちあがって大声で言った、

《その四行詩はぼくは好きではない。
その表現にはどこか気のぬけたところがある。
あえて言えば、自分の仕事に力のすべてを投入し
関心をすべて集中すべきなのだ。そして苦しい時にも
非力に思われる時にも、仕事を忘れてはいけない。

 この詩の構造は複雑だ。
 カヴァフィスは若者にアイキュロスの墓碑銘を批判させている。そしてそれはアイキュロスを評価するが故である。アイキュロスが自分で書いた墓碑銘は、彼の悲劇に劣る。好きではない。カヴァフィスの代弁なのだろう。
 自分の意見を誰に主張させるというのは、特に複雑な構造とは言えないかもしれないが、その主張が批判するための主張ではなく、むしろ他に評価するものがあると主張するためというところが複雑である。
 なぜ、こんな面倒くさいことをしたのだろうか。
 「複雑さ」を詩だとカヴァフィスが考えているということだろう。
 これは逆に言えば、「単純」に書かれているように見える詩も、奥には複雑な構造があるということだ。
 この詩でもタイトルは「若者たち」なのに、本文の中は「一人の元気な若者」である。なぜタイトルは複数なのか。同じような批判をするひとが複数いたからこそアイキュロスは古典として生き残った、引き継がれてきた、と言える。しかし、そういうことは、言わなくてもわかる。カヴァフィスは、そのひとりに、いま、なりたいと言っているのだ。紀元四〇〇年ではなく、現在、同じ批判をしたいと言っているのだ。
 それは、アイキュロスの墓碑銘批判というよりも、「若者」を支持するためのものであり、アイキュロスの悲劇賞賛なのである。

 池澤はの註釈は、こう書いている。

文学至上主義というほどのことではないが、あれらの傑作が無視されるのはやはりおかしな話で、たしかにこの墓碑銘は妙に力んでいるわりに気が抜けている。





カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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