詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

日原正彦「よこがお」「せいぞんの」

2019-03-15 22:27:30 | 詩(雑誌・同人誌)
日原正彦「よこがお」「せいぞんの」(「橄欖」112、2019年01月25日発行)

 日原正彦「よこがお」の一連目。

少ない音符の 散らばった
さびしいメロディーのような
君の 横顔の ラインを
ぼくの 貧しい無言で なぞってゆく

 分かち書き(1字空き)のリズムが非常に気持ちが悪い。特に「君の 横顔の ラインを」がむりやりことばを立ち上がらせようとしている感じがして、ぞっとする。「貧しい無言」はいかにも日原らしいことばだが、それを分かち書きで「わざと」目立たせているのも、いやあな感じがする。
 で、とってもいやな詩なのだけれど。

でも この無言が
どんな無言か 未だ ぼくにはわからない
偽善か偽悪か
イロニーかフモールか
殺すのか 生かすのか
生まれようとしているのか
とっくに死んだのか

 この部分が、ちょっとおもしろい。私の知っている日原とは違う。でも、知っているといっても、四十年以上も昔のことなので、いまは、このスタイルが日原なのかもしれないけれど。
 ちょっとおもしろいと思ったのは「ぼくにはわからない」。
 昔の日原は「ぼくにはわからない」などとは言わなかっただろうなあ。なんでも「わかっている」。抒情の論理にしてしまう。あるいは論理の抒情にしてしまう、と言った方が正確か。

ぼくの無言を 躊躇わせるような
そんな横顔を 無意識に君が選んだこと
いや 選ばせたものが
風のように ぼくのかわいた唇をさわってゆく

 「いや」からの展開が日原節である。

 「せいぞんの」は、池井昌樹の「きのこ」に寄せて書かれたもの。

「あめにぬれてる きのこたち
おおきい きのこ
ちいさい きのこ」
きのこきのこは きのうのこ
きょうのこ そして あしたのこ
こは おとこのこ おんなのこ

 この部分のリズムが楽しかった。






*

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池澤夏樹のカヴァフィス(86)

2019-03-15 09:43:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
86 居を定める

衣服はなかば開いていた--暑い素晴しい七月のこと
少ししか着ていなかった。

なかば開いた衣服の
内なる肉体の喜び。
速やかに裸にされた肉体--その光景が
二十六年の歳月をへだてて
この詩の中に居を定める。

 「85 午後の太陽」では「半分」、この詩では「なかば」。同じギリシャ語なのか、違うことばなのか、中澤の訳だけではわからない。「開いていた」と「開いた」も同じことばなのか違うのか、気になる。
 この「なかば」「開いていた/開いた」が「裸にされた」へと動いていくところに自然な解放感がある。「なかば隠した」から「裸にされた」の場合は、「隠した」が技巧になってしまうだろう。
 「内なる肉体の喜び」は「衣服の内なる」を超えて「肉体の内なる」へと、意識を誘っている。ここにカヴァフィスのことばの「魔力」がある。文法の意味を超えてことばが動いていく。
 ギリシャ語の原典を読んでの感想ではないのだが。

 池澤の註釈。

 二十六年前の一夜の場景が、それ自身のもつ強烈な忘れがたい印象のゆえに、ずっと消えずに残り、この詩の中に定着される。あるものが詩にうたわれ、そのうたわれた事情がまた詩句の中で語られるというこの詩の最後の二行の型はたとえばシェイクスピアのソネット一八番にも見られる--「人間が地上にあって盲にならない間/この数行は読まれて、君に生命を与える」(吉田健一訳)。




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