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新「元号」で一番心配なこと
自民党憲法改正草案を読む/番外250(情報の読み方)
「平成」の次の元号が話題になっている。
「康安」「光安」とか、その中に「安倍」の「安」がはいっているらしい。
で、日刊ゲンダイ(2019年03月25日号)には、こんな「評論」が掲載されていた。
元号は政府が決めるとはいえ、首相が天皇のおくり名に自分の名前の一部を“与える”なんて、不逞の輩と言うほかありません。普通の感覚ではあり得ないが、傲岸不遜な安倍首相なら、やりかねない。元号に自分の名前の一文字を入れれば、永久に歴史に残ることになりますからね。周囲や有識者が忖度して、安の文字を使ったものを選ぶことも考えられます(政治評論家・本澤二郎氏)
この類の意見をしばしば読むが、元号に「安」の文字が入っていようがいまいが、そこから安倍を連想しようがしまいが、私はどうでもいいと思う。
たんなる「記号」の類だ。
安倍は「安倍の安ではなく、安全・安心の安だ」と主張するだろう。それに対して、「いや、安倍の安心だ」と言ってもはじまらない。どう読むかは読み手の解釈にすぎない。
こんなことろに「批判」を集中させておいて、軍事費を増大させる、戦争を準備することへの批判をかわす。沖縄を民意を踏みにじっていることをごまかす、ということが問題だ。
アベノミクスの失敗の責任もとらず消費税増税の三度目の先送り、安倍の自民党総裁4 選( 必然的に、首相としていすわりつづける) ことが問題。
議論のための資料を捏造する、隠す、ということの方が重大な問題。
元号が「康安」になろうがなるまいが、そんなことで国民の生活は変わらない。
「不遜」などという批判を安倍が気にするはずがない。
「嘘つき」という批判に平然としている人間だ。
ずいぶん前から話題になった「元号」がいつスタートするか。国民生活に影響があるという主張と同じで、そんなものが国民生活に影響するはずがない。
だからこそ、「元日」や「4月1日」ではなく、「5月1日」から変わることになった。
官公庁などの「日付」の管理(システム変更)があるから「事前に発表」というのもとても奇妙だ。そんなもの、最初からその日からステートできるように、システムを事前登録しておけばいい。テストだってできるはずだ。国民生活のことなんか、ぜんぜん、気にしていない。
だいたい「元号」なんて、100 年もつかい続けるわけではない。
対外的にも、なんの影響もない。つまり、世界との関係でも、なんの影響もない。
軍備はアジアに緊張をもたらす。
経済政策の失敗は生活を直撃する。
私は「年金」と「医療費」がこれからどうなるかが、とても心配だ。
「元号」などぜんぜん気にならない。
「平成」を振り返ってみても、何かの書類のとき「平成」で書き込まないといけないときも、「いま平成何年?」と聞いてしか書いたことがない。
平成何年に何があったか、私が言えるのは、「平成元年の前の日に昭和天皇が死んだ」くらいしか言えない。あとは、ぜんぜん知らない。
私の生まれた「昭和」にしても、生まれた年が言えるだけで、何年に就職したか、それもわからない。
でも、それで困ったことなんか、ぜんぜんない。
心配なのは、もし「康安」が元号になったときの、国民の「無力感」である。
学者や何か、いわば自分の生活に心配が少ないひと(生活が安定しているだろうひと)さえもが安倍におべんちゃらをつかっている。
安倍におべんちゃらをいわないと生きていけないという「風潮」がいま以上に蔓延することだ。
元号の行方なんかにまどわされずに、いま起きている問題、生活に直結する問題に目を向け、そこから安倍を批判していくということが大切だ。
(フェイスブックに、03月26日に書いたものを転写した。)
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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