詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

新「元号」で一番心配なこと

2019-03-28 19:21:29 | 自民党憲法改正草案を読む

新「元号」で一番心配なこと
             自民党憲法改正草案を読む/番外250(情報の読み方)

 「平成」の次の元号が話題になっている。
 「康安」「光安」とか、その中に「安倍」の「安」がはいっているらしい。
 で、日刊ゲンダイ(2019年03月25日号)には、こんな「評論」が掲載されていた。

元号は政府が決めるとはいえ、首相が天皇のおくり名に自分の名前の一部を“与える”なんて、不逞の輩と言うほかありません。普通の感覚ではあり得ないが、傲岸不遜な安倍首相なら、やりかねない。元号に自分の名前の一文字を入れれば、永久に歴史に残ることになりますからね。周囲や有識者が忖度して、安の文字を使ったものを選ぶことも考えられます(政治評論家・本澤二郎氏)


 この類の意見をしばしば読むが、元号に「安」の文字が入っていようがいまいが、そこから安倍を連想しようがしまいが、私はどうでもいいと思う。
 たんなる「記号」の類だ。
 安倍は「安倍の安ではなく、安全・安心の安だ」と主張するだろう。それに対して、「いや、安倍の安心だ」と言ってもはじまらない。どう読むかは読み手の解釈にすぎない。
 こんなことろに「批判」を集中させておいて、軍事費を増大させる、戦争を準備することへの批判をかわす。沖縄を民意を踏みにじっていることをごまかす、ということが問題だ。
 アベノミクスの失敗の責任もとらず消費税増税の三度目の先送り、安倍の自民党総裁4 選( 必然的に、首相としていすわりつづける) ことが問題。
 議論のための資料を捏造する、隠す、ということの方が重大な問題。

 元号が「康安」になろうがなるまいが、そんなことで国民の生活は変わらない。
 「不遜」などという批判を安倍が気にするはずがない。
 「嘘つき」という批判に平然としている人間だ。
 ずいぶん前から話題になった「元号」がいつスタートするか。国民生活に影響があるという主張と同じで、そんなものが国民生活に影響するはずがない。
 だからこそ、「元日」や「4月1日」ではなく、「5月1日」から変わることになった。
 官公庁などの「日付」の管理(システム変更)があるから「事前に発表」というのもとても奇妙だ。そんなもの、最初からその日からステートできるように、システムを事前登録しておけばいい。テストだってできるはずだ。国民生活のことなんか、ぜんぜん、気にしていない。

 だいたい「元号」なんて、100 年もつかい続けるわけではない。
 対外的にも、なんの影響もない。つまり、世界との関係でも、なんの影響もない。
 軍備はアジアに緊張をもたらす。
 経済政策の失敗は生活を直撃する。

 私は「年金」と「医療費」がこれからどうなるかが、とても心配だ。
 「元号」などぜんぜん気にならない。
 「平成」を振り返ってみても、何かの書類のとき「平成」で書き込まないといけないときも、「いま平成何年?」と聞いてしか書いたことがない。
 平成何年に何があったか、私が言えるのは、「平成元年の前の日に昭和天皇が死んだ」くらいしか言えない。あとは、ぜんぜん知らない。
 私の生まれた「昭和」にしても、生まれた年が言えるだけで、何年に就職したか、それもわからない。
 でも、それで困ったことなんか、ぜんぜんない。
 
 心配なのは、もし「康安」が元号になったときの、国民の「無力感」である。
学者や何か、いわば自分の生活に心配が少ないひと(生活が安定しているだろうひと)さえもが安倍におべんちゃらをつかっている。
 安倍におべんちゃらをいわないと生きていけないという「風潮」がいま以上に蔓延することだ。

 元号の行方なんかにまどわされずに、いま起きている問題、生活に直結する問題に目を向け、そこから安倍を批判していくということが大切だ。
 (フェイスブックに、03月26日に書いたものを転写した。)


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(99)

2019-03-28 08:39:05 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
99 コマゲネの詩人イアソン・クレアンドルーの憂鬱 紀元五九五年

身体と要望が老いてゆくのは
恐しい短剣の傷のようなもの。
わたしは決してあきらめはしない。
詩の技法よ、おまえにこそ頼ろう。
おまえは言葉と想像という薬物について詳しく、
苦痛を鎮めてくれるから。

 「老い」は「短剣」と言いなおされ、「傷」に対して「薬物」が対比される。この「薬物」という訳語に私は驚いた。現代では「薬物」も身体をなおすというよりも、身体をむしばむという印象がある。「ドラッグ」(毒物)を思い出させる。
 池澤は、どういう意味でつかったのだろうか。
 「苦痛」には肉体的なものと精神的なものがある。「短剣」がひきおこすものは肉体的な苦痛だと思うが、「恐しい短剣」の場合には精神的な意味も含まれているかもしれない。
 なぜ「老い」が「恐しい」のか。身体と容貌をむしみ、精神に響く。
 「恋」を媒介させたらわかりやすくなる。老いた容貌は恋にふさわしくない。相手にされない。そのとき「傷」ついてゆくのは肉体ではなく、精神だ。
 精神を紛らわせるには、たしかに「ドラッグ(薬物)」がいいのかもしれない。
 この「薬物」が「技法」の言い直しであるのは、なんとも不気味だが、カヴァフィスは古典の「技法」に触れながら、「毒」を自分のものにしたということかもしれない。
 それでは、このとき「詩」が救うのは、詩人の「傷」だけか。そうではない。詩を読んだひと(老人)は、やはり、その「ドラッグ」に間接的に麻痺させられることになるのだろう。そして「技法」に酔う読者は、そのとき老い始めているというこことになるかもしれない。「技法」を駆使するカヴァフィスも。
 二連目「薬物」は「薬」と翻訳し直される。

恐しい短剣の傷のようなもの。
薬をもたらせ、詩の技法よ、
しばらくの間は傷のことを忘れていたい。

 「薬物」から「薬」への変更について、池澤の註釈はない。ただこう書いている。

主人公の詩人は架空の人物であり、老醜と詩による救済を扱う点ではたとえば38「稀有のこと」などを思わせる。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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