詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

吉川宏志『石蓮花』

2019-03-23 16:05:01 | 詩集
吉川宏志『石蓮花』(書肆侃侃房、2019年03月21日発行)

 吉川宏志『石蓮花』は「現代歌人シリーズ26」。読んだ印象は、このシリーズの作品群とは少し違う。

冬の日をたがいちがいに紐とおす新しき靴は濃き匂いせり

赤青の蛇口をまわし冬の夜の湯をつくりおり古きホテルに

 「透明感」の表わし方が違う。感情(センチメンタル?)を全面に押し出す、そのために構造を明確にするというよりも、肉体の動きをしっかりつたえる。感情は、肉体が動いた後、ゆっくり奥からあらわれてくる。
 「冬の日」は「たがいちがい」のなかにある動きが「とおす」によって強くなる。相互に響きあう。書かれていない「交差させ」が「とおす」によって、逆に、まっすぐになる。感情がととのえられるまでの時間というものを感じさせる。
 「赤青の」は「まわす」から「つくる」へと動詞が変わる。「古きホテル」はセンチメンタルになりそうで、そうならない。動詞の力だ。

みずうみの岸にボートが置かれあり匙のごとくに雪を掬いて

 美しい情景だが、「いま」の風景と呼ぶにはことばが古すぎるかもしれない。「匙」が古いというのではなく「掬う」という動詞が古い。動詞なのに、ここでは肉体が動いていない。見ているだけだ。

時雨降る比叡に淡き陽は射せり常なるものはつねに変わりゆく

 この歌も「見ている」歌だ。「意味」が強くて、肉体が置き去りにされている。

初めのほうは見ていなかった船影が海の奥へと吸いこまれゆく

 この歌も「見ている」作品だが、「見ていなかった」という「見る」を否定することばがあるために、後半の書かれていない「見ている(見る)」が肉体の動きとしてしずかに迫ってくる。「奥」ということばが、それを誘い出す。「吸いこまれ」てゆくのに、逆に奥からあらわれてくるものがある。「初めのほう」という時間であり「見ていなかった」という肉体の動きだ。

部活より子は帰りきて夜の更けに風呂の蓋たたむ音がひびけり

 これは「聞いている」歌。でも「風呂の蓋をたたむ」その姿、いや、そのときの「気持ち」が見えてくる。どんな気持ちを内に秘めて蓋をたたむのか、その時の音はたとえば自分がたたむときの音、あるいは妻がたたむときの音とどう違うか。そういう違いをこそ聞いている耳がここにある。

昼休み終わらんとして缶の底ねばつくようなコーヒーを飲む

 「ねばつく」はコーヒーを修飾していることばだが、コーヒーというよりも作者の「感情」を語ることばのように感じられる。「飲む」という動詞もコーヒーを飲むというよりも、「ねばつく」という動詞そのものを飲むように迫ってくる。「終わる」と「底」の響きあいがリアルだ。
 私は肉体が動いていることばが好きだ。





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石蓮花 (現代歌人シリーズ26)
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池澤夏樹のカヴァフィス(94)

2019-03-23 08:48:51 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
94 ダレイオス

詩人フェルナジスが、執筆中の叙事詩の
ある重要な部分に心を砕いている。

 「ダイオレスが/いかにペルシャ帝国を継承したか」。そのことを書こうとしている。池澤の註釈によれば「詩人フェルナジス」は架空の人物。「ダイオレスが/抱いたに違いない感情を分析せねばならぬ。」

おそらくは慢心、そして陶酔--いや、むしろ
偉大なるものの空しさを見てとったのではないか。
詩人はこの問題を深く考える。

 だが、戦争が起こって詩作は中断。そして、最終蓮。

さりながら、この衝撃と困惑の中で、
詩に関わる思いはそれでも去来する--
慢心と陶酔、それだったに違いない。
ダイオレスが感じとったのは慢心と陶酔だったのだ。

 「慢心と陶酔」が繰り返される。この繰り返しを読むと、「慢心と陶酔」はふたつのものではなく、ふたつでひとつという感じがする。いや、「慢心は陶酔」「陶酔は慢心」とイコールで結ばれ、ひとつになっているように感じられる。結合のなかにセックスの「愉悦」の響きがある。ギリシャ語ではどういう「音」なのかわからないが。
 「去来する」ということばがあるが、「慢心と陶酔」は、それこそ「去来する」のだろう。去ったと思えばまたやってくる。やってきたと思えばまた去っていく。その行き来さえ「愉悦」だ。
 散文だとこういう繰り返しは「うるさい」が、詩の場合は「聴く悦び」を与えてくれる。カヴァフィスは、繰り返しの音楽が得意だ。モーツァルトのように。

 池澤の註釈。

 政治のみにかかわった偉大な君主の心を詩人が推量する。彼はこれが哲学を要する問題だと考えている。

 たしかに「哲学を要する問題だ」ということばは出てくるが、どうだろうか。「君主」も虚構のための素材ではないのか。誰にでも「慢心と陶酔」はある。カヴァフィスが目を向けているのは、人間に共通する愉悦だと私は思う。







カヴァフィス全詩
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