詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ロブ・ライナー監督「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(★★★+★)

2019-03-30 19:13:49 | 映画
ロブ・ライナー監督「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(★★★+★)

監督 ロブ・ライナー 出演 ウッディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン

 情報があふれる現在、それが本物であるか偽物であるか、どうやって判断するか。
 一番大事なのは、「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」である。「言い方」のなかに、ほんとうと嘘がある。といっても、これを判断するのはとてもむずかしい。
 私は、そこに語られていることが自分の実感にあうかどうかで見極める。実感できないときは、とりあえず「疑う」。これは、ほんとうだろうか、と。それから「語られていることと自分が知っていることが合致するか」を少しずつ考える。
 この映画では、9・11のテロ事件と関係づけて、ビンラーディンをイラク(フセイン)が支援しているという「見方」が語られる。アフガニスタンもイラクもアメリカから遠い。(日本からも遠い。)だから、そこに語られていることの真偽を見極めようにも、見極めようがない、とも言える。政府が、「イラクは大量破壊兵器を持っている。ビンラーディンと結託している」と言えば、ついついそれを信じてしまう。政府が嘘をつくとは国民はふつうは考えない。
 だから、アフガニスタンとイラクの関係から考えないといけない。二つの国は、どういう関係? イスラム教徒の国だが、だからといって友好的な関係? 私からみれば(そして多くの非イスラム教徒からみれば)、イスラム教徒はイスラム教徒である。しかし、イスラム教徒にはシーア派とスンニ派がある。二つは対立している。敵対している。いっしょに行動するはずがない、かどうかまでは知らないが、対立しているということまでは、私は本で読んで知っている。アメリカにも、それを知っているひとがいるだろう。実際、映画にはそういうことを知っているひとが出てくる。(記者の恋人だ。)
 さらにアメリカ国なんで高まる愛国心(小学校で愛国心について教える)ことに対し、「愛国心なんて対立を生むだけで何の役にも立たない」ということをユーゴ(だったっけ?)で実際に体験してきた記者の妻が語る。「内戦」を引き起こすだけだ。国というものは愛の対象にはならない、ということかもしれない。
 さて、考えよう。生まれてからずーっと対立していた誰かの行動を支援するために、武器を用意するということがあるだろうか。そのだれかと共同して戦うということがあるだろうか。相手は、遠いアメリカである。これは、なかなかむずかしい。目の前に、長い間対立してきた相手がいる。それと戦う方が重要である。アメリカなんか、ほっておけ、というのが普通の態度だろう。
 どうもおかしい。
 イラクを攻撃するために、9・11テロが利用されている。ビンラーディンが利用されているのではないか。
 ストーリーをこんなふうに単純化してはいけないのだが、まあ、こういうことだ。こういう疑問が成り立つなら、それが成り立たないということが証明されない限り、疑問を捨ててはいけない。疑問だけが、真偽を見極める方法なのだ。「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」。イラクに大量破壊兵器がある、というのは、どういう根拠に基づいて言われているか。もし、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていたとして、それは何のためにつかうのか。
 イラクが核兵器を準備しているという情報に対する「疑問」の答えがとてもおもしろい。イラクがアルミ管を入手したというのは事実。核兵器のためにアルミ管が必要というのも事実。でも、そのアルミ管がそのままつかえるのか。ひとりの科学者(?)が、「あれでは細すぎて役に立たない」という情報を教えてくれる。「事実」は細部に隠れている。
 それやこれや。二人の記者が信頼するのは、「末端」の情報(実感)である。
 たとえば、きちんとした情報を提供しているのに、それが無視されつづける。おかしいんじゃないか、と疑問に感じている政府機関の職員。もしかすると、そこには「不満」が反映しているかもしれない。だから、簡単にそのことばを信じるわけにはいかないが、「情報操作」が行われていないかどうかの疑問の「糸口」になる。
 日本では、最近、次々と政府の発表する「統計情報(経済情報)」が意図的に操作されているという問題が起きた。景気は拡大している。好景気はつづいている。でも、ほんとうか。たとえば、コンビニで買い物をする。店員は外国人が多い。日本人は減っている。これはどういうことだろうか。日本人がコンビニ以外の仕事のために手をとられているためだろうか。それとも外国人の方が賃金が安いからだろうか。きっと、外国人の方が安いからだ。
 そうすると。
 もし、日本人がコンビニで働きたいといったとき、雇い主はどういうだろうか。外国人は時給六百円で働いている。同じ賃金でないと雇えない、というのではないだろうか。日本人の賃金を切り下げるために外国人が利用されているということはないだろうか。外国人を搾取し、その搾取を利用して、日本人を搾取する。
 こういうことが、改正入管法で外国人労働者を増やすことで行われようとしている。きちんと外国人を雇うのではなく、さまざまな制限をつけて、短期間だけ利用し、母国へ追い返す。そうすることで外国人の賃金をおさえ続け、それにあわせて日本人の賃金も下げていく。
 日本は人手不足人手不足というが、実際は、安い賃金で働かせることができない人手が不足しているということだ。極端な話、コンビニの店員の賃金が時給2000円なら、そして課税されない収入の上限が500万円なら、店員の年齢制限が80歳なら、パートの主婦はこぞってコンビニ店員に転職することを考えるだろう。年金生活者も、こぞって応募するだろう。
 もちろんここで書いたことは「空論」だが、空論であろうとなんであろうと、疑問を自分のことばで動かしてみることが重要なのだ。そのあとで、空論とわかれば空論を捨て去ればいいだけである。
 とか、あれこれ映画を見ながら、あるいは映画を見終わって考えた。
 考えるための「材料」としては、とても参考になった。マスコミの仕事は「疑問の材料」を提供すること、というのもいいなあ。でも、映画は物足りない。「真実」が権力を倒すという「大統領の陰謀」のような、すかっとした結末ではないからだ。でも、だからこそとても重要だとも言える。★一個は、映画を見てひとりでも多くのひとが考えるきっかけになればという期待を込めて増やした。
 (2019年03月29日、KBCシネマ1)

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新元号と国会の関係は?

2019-03-30 11:22:39 | 自民党憲法改正草案を読む
新元号と国会の関係は?
             自民党憲法改正草案を読む/番外251(情報の読み方)

 2019年03月30日の読売新聞朝刊(西部版・14版)1面の見出し。

新元号の発表手順決定/11時半会見 正午首相談話/4月1日/有識者会議午前9時半

 この見出しだけではわからないが、記事ではこう書いてある。

午前9時半から、有識者による「元号に冠する懇談会」を官邸で開き、意見を聴取する。午前10時20分頃から、衆院議長公邸で衆参両院の正副議長の意見を聞く。その後、官邸で開かれる前閣僚会議での協議を経て、新元号を定める政令を閣議決定する。

 結局、だれが決めるの? 有識者会議のとりまとめ役は誰? 司会というか、進行はだれが担当? 有識者のひとり? それとも「政府関係者」? 衆参両院の正副議長は国会の代表だから意見を聞くのは当然だけれど、だれが聞くのかな?
 私がほんとうに知りたいのは、そこだな。司会というか、進行役の進め方で、議論はまったく違うものになるだろう。
 さらに、今回の動きの中でいちばん不可解なのは。
 新元号を何にするのか、どうして国会で審議しないのかということだ。
 天皇を生前強制退位させる日にちがきまっている。翌日から新元号というのもわかっている。新元号を決める時間はたっぷりある。昭和が平成に変わったときとはまったくちがう。平成に変わったときは、天皇が死んだ。それから国会で審議していたら翌日から新元号というわけにはいかない。ところが、今回は時間がある。それなのに国会で審議しない。
 これって、おかしくないか?
 なぜ有識者会議が審議して、国会では審議しないのか?
 生前強制退位のときも有識者会議のようなものが先行したが、一応、国会でも審議した。今回、国会で審議しないのはなぜ?
 これは「天皇制」の安倍による私的利用というものではないのか。

 3面には解説記事がある。見出しは、

改元「丁寧さ」腐心/発表手続きに2時間 皇室へ報告

 丁寧さを心がけるなら、なんとしても国会審議だろう。
 「皇室への報告」ということに関しては、こんな記事がある。

報告の場で元号案について陛下や皇太子さまの意見を聞けば、元号選定に皇室が関わったことになる。その場合、「天皇の政治的権能を禁じる憲法に違反するおそれがある」(政府関係者)

 では、事前に報告することで、あたかも天皇の「了承」を得たように装うのは、天皇を政治利用することにならないのか。
 
 機密保持を徹底/選定過程 公文書に

 という見出しで、こんなことを書いている。

 政府は新元号が事前に漏れることを警戒している。静かな環境で発表できなければ、「新元号に傷がつく」とみているためだ。

 私は、これがまったく理解できない。
 「新元号に傷がつく」って、どういうこと?
 安倍の口癖の「静かな環境」ということばが、ここにも出てきているが、新元号をどうするかを国会で審議すればだれもが納得するだろう。すくなくとも国民が選んだ議員が審議して決めたのだから。
 国会で審議したり、一般国民があれこれ自分の意見をいうことで、元号にどうして傷がつくのか。もし傷がつくとして、それはいったいどんな傷なのか。
 民主主義なのだから、だれもが意見をいう。うるさく審議するというのがすべての基本だろう。
 元号の「出典」を観衆の「中国の古典」から「日本の古典」にまで広げるということが安倍の一言できまるという方が、物騒だろう。
 いまの日本の静けさは、物騒な静けさであって、健全な落ち着きではない。

 改元をいつにするかが問題になったときも、「静かな環境」を持ち出し、「統一地方選後の5月1日」に決めたが、これも政治利用だ。4月1日に新元号を発表し、安倍が談話を出すのだとすれば、国民の多くが新元号と安倍の発言に注目する。選挙の前に、視線を安倍に、つまり自民党に集める。これ以上の宣伝効果はない。
 天皇を利用し、議論封じと選挙運動を効果的に進める。これが安倍の手法だ。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(102) 

2019-03-30 10:26:17 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
102  高名な哲学者の学校から

 若者が哲学にあきて政界に入る。つまらない。キリスト教徒にもなってみた。でも、つづかない。両親から「小遣い」ももらえなくなった。そこでアレクサンドリアの快楽の巣窟の常連になった。

この分野では彼は実に幸運だった。
彼はぬきんでた美貌にめぐまれていたから、
この神々の贈り物をおおいに楽しんだ。

少なくともまだ十年は
彼の美しさは変らないだろう。その後は--
若いときのようにまたサッカスのもとへ行こう。
もしもその間に老哲学者が死んでしまっていれば
別の哲学者かソフィストのところでもいい。
しかるべき師はかならずみつかるはずだ。

 快楽の追求(快楽への耽溺?)と哲学が同じ比重で語られている。これはカヴァフィスの思想なのだろう。
 おもしろいのは「しかるべき師はかならずみつかるはずだ。」という一行。
 ここでの「師」は「哲学者」あるいは「ソフィスト」を指すのだろうが、私はほかのことも考えてしまった。
 この若者が快楽の巣窟の常連になったのも「師」がいたのではないか。政界入りしたのも、キリスト教徒になったのも「師」がいたのではないか。
 「師」をあてにするという「習性(くせ)」があるのだろう。それは両親から「小遣い」をもらうというところにも反映している。かれはいつも自分以外の何かを「あて」にしている。
 池澤は、

最も注目すべきはこの詩の舞台が三世紀のアレクサンドリアに置かれている点で、少し見かたを変えればこの町の方が主役とも考えられる。(略)禁欲から荒淫までの幅広い帯域をひろげた都市の像を我々は見るのだ。

 と書いている。すべての「師」がいたということだろう。都市そのものが「師」であった、ということだ。




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