ロブ・ライナー監督「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(★★★+★)
監督 ロブ・ライナー 出演 ウッディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン
情報があふれる現在、それが本物であるか偽物であるか、どうやって判断するか。
一番大事なのは、「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」である。「言い方」のなかに、ほんとうと嘘がある。といっても、これを判断するのはとてもむずかしい。
私は、そこに語られていることが自分の実感にあうかどうかで見極める。実感できないときは、とりあえず「疑う」。これは、ほんとうだろうか、と。それから「語られていることと自分が知っていることが合致するか」を少しずつ考える。
この映画では、9・11のテロ事件と関係づけて、ビンラーディンをイラク(フセイン)が支援しているという「見方」が語られる。アフガニスタンもイラクもアメリカから遠い。(日本からも遠い。)だから、そこに語られていることの真偽を見極めようにも、見極めようがない、とも言える。政府が、「イラクは大量破壊兵器を持っている。ビンラーディンと結託している」と言えば、ついついそれを信じてしまう。政府が嘘をつくとは国民はふつうは考えない。
だから、アフガニスタンとイラクの関係から考えないといけない。二つの国は、どういう関係? イスラム教徒の国だが、だからといって友好的な関係? 私からみれば(そして多くの非イスラム教徒からみれば)、イスラム教徒はイスラム教徒である。しかし、イスラム教徒にはシーア派とスンニ派がある。二つは対立している。敵対している。いっしょに行動するはずがない、かどうかまでは知らないが、対立しているということまでは、私は本で読んで知っている。アメリカにも、それを知っているひとがいるだろう。実際、映画にはそういうことを知っているひとが出てくる。(記者の恋人だ。)
さらにアメリカ国なんで高まる愛国心(小学校で愛国心について教える)ことに対し、「愛国心なんて対立を生むだけで何の役にも立たない」ということをユーゴ(だったっけ?)で実際に体験してきた記者の妻が語る。「内戦」を引き起こすだけだ。国というものは愛の対象にはならない、ということかもしれない。
さて、考えよう。生まれてからずーっと対立していた誰かの行動を支援するために、武器を用意するということがあるだろうか。そのだれかと共同して戦うということがあるだろうか。相手は、遠いアメリカである。これは、なかなかむずかしい。目の前に、長い間対立してきた相手がいる。それと戦う方が重要である。アメリカなんか、ほっておけ、というのが普通の態度だろう。
どうもおかしい。
イラクを攻撃するために、9・11テロが利用されている。ビンラーディンが利用されているのではないか。
ストーリーをこんなふうに単純化してはいけないのだが、まあ、こういうことだ。こういう疑問が成り立つなら、それが成り立たないということが証明されない限り、疑問を捨ててはいけない。疑問だけが、真偽を見極める方法なのだ。「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」。イラクに大量破壊兵器がある、というのは、どういう根拠に基づいて言われているか。もし、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていたとして、それは何のためにつかうのか。
イラクが核兵器を準備しているという情報に対する「疑問」の答えがとてもおもしろい。イラクがアルミ管を入手したというのは事実。核兵器のためにアルミ管が必要というのも事実。でも、そのアルミ管がそのままつかえるのか。ひとりの科学者(?)が、「あれでは細すぎて役に立たない」という情報を教えてくれる。「事実」は細部に隠れている。
それやこれや。二人の記者が信頼するのは、「末端」の情報(実感)である。
たとえば、きちんとした情報を提供しているのに、それが無視されつづける。おかしいんじゃないか、と疑問に感じている政府機関の職員。もしかすると、そこには「不満」が反映しているかもしれない。だから、簡単にそのことばを信じるわけにはいかないが、「情報操作」が行われていないかどうかの疑問の「糸口」になる。
日本では、最近、次々と政府の発表する「統計情報(経済情報)」が意図的に操作されているという問題が起きた。景気は拡大している。好景気はつづいている。でも、ほんとうか。たとえば、コンビニで買い物をする。店員は外国人が多い。日本人は減っている。これはどういうことだろうか。日本人がコンビニ以外の仕事のために手をとられているためだろうか。それとも外国人の方が賃金が安いからだろうか。きっと、外国人の方が安いからだ。
そうすると。
もし、日本人がコンビニで働きたいといったとき、雇い主はどういうだろうか。外国人は時給六百円で働いている。同じ賃金でないと雇えない、というのではないだろうか。日本人の賃金を切り下げるために外国人が利用されているということはないだろうか。外国人を搾取し、その搾取を利用して、日本人を搾取する。
こういうことが、改正入管法で外国人労働者を増やすことで行われようとしている。きちんと外国人を雇うのではなく、さまざまな制限をつけて、短期間だけ利用し、母国へ追い返す。そうすることで外国人の賃金をおさえ続け、それにあわせて日本人の賃金も下げていく。
日本は人手不足人手不足というが、実際は、安い賃金で働かせることができない人手が不足しているということだ。極端な話、コンビニの店員の賃金が時給2000円なら、そして課税されない収入の上限が500万円なら、店員の年齢制限が80歳なら、パートの主婦はこぞってコンビニ店員に転職することを考えるだろう。年金生活者も、こぞって応募するだろう。
もちろんここで書いたことは「空論」だが、空論であろうとなんであろうと、疑問を自分のことばで動かしてみることが重要なのだ。そのあとで、空論とわかれば空論を捨て去ればいいだけである。
とか、あれこれ映画を見ながら、あるいは映画を見終わって考えた。
考えるための「材料」としては、とても参考になった。マスコミの仕事は「疑問の材料」を提供すること、というのもいいなあ。でも、映画は物足りない。「真実」が権力を倒すという「大統領の陰謀」のような、すかっとした結末ではないからだ。でも、だからこそとても重要だとも言える。★一個は、映画を見てひとりでも多くのひとが考えるきっかけになればという期待を込めて増やした。
(2019年03月29日、KBCシネマ1)
監督 ロブ・ライナー 出演 ウッディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン
情報があふれる現在、それが本物であるか偽物であるか、どうやって判断するか。
一番大事なのは、「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」である。「言い方」のなかに、ほんとうと嘘がある。といっても、これを判断するのはとてもむずかしい。
私は、そこに語られていることが自分の実感にあうかどうかで見極める。実感できないときは、とりあえず「疑う」。これは、ほんとうだろうか、と。それから「語られていることと自分が知っていることが合致するか」を少しずつ考える。
この映画では、9・11のテロ事件と関係づけて、ビンラーディンをイラク(フセイン)が支援しているという「見方」が語られる。アフガニスタンもイラクもアメリカから遠い。(日本からも遠い。)だから、そこに語られていることの真偽を見極めようにも、見極めようがない、とも言える。政府が、「イラクは大量破壊兵器を持っている。ビンラーディンと結託している」と言えば、ついついそれを信じてしまう。政府が嘘をつくとは国民はふつうは考えない。
だから、アフガニスタンとイラクの関係から考えないといけない。二つの国は、どういう関係? イスラム教徒の国だが、だからといって友好的な関係? 私からみれば(そして多くの非イスラム教徒からみれば)、イスラム教徒はイスラム教徒である。しかし、イスラム教徒にはシーア派とスンニ派がある。二つは対立している。敵対している。いっしょに行動するはずがない、かどうかまでは知らないが、対立しているということまでは、私は本で読んで知っている。アメリカにも、それを知っているひとがいるだろう。実際、映画にはそういうことを知っているひとが出てくる。(記者の恋人だ。)
さらにアメリカ国なんで高まる愛国心(小学校で愛国心について教える)ことに対し、「愛国心なんて対立を生むだけで何の役にも立たない」ということをユーゴ(だったっけ?)で実際に体験してきた記者の妻が語る。「内戦」を引き起こすだけだ。国というものは愛の対象にはならない、ということかもしれない。
さて、考えよう。生まれてからずーっと対立していた誰かの行動を支援するために、武器を用意するということがあるだろうか。そのだれかと共同して戦うということがあるだろうか。相手は、遠いアメリカである。これは、なかなかむずかしい。目の前に、長い間対立してきた相手がいる。それと戦う方が重要である。アメリカなんか、ほっておけ、というのが普通の態度だろう。
どうもおかしい。
イラクを攻撃するために、9・11テロが利用されている。ビンラーディンが利用されているのではないか。
ストーリーをこんなふうに単純化してはいけないのだが、まあ、こういうことだ。こういう疑問が成り立つなら、それが成り立たないということが証明されない限り、疑問を捨ててはいけない。疑問だけが、真偽を見極める方法なのだ。「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」。イラクに大量破壊兵器がある、というのは、どういう根拠に基づいて言われているか。もし、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていたとして、それは何のためにつかうのか。
イラクが核兵器を準備しているという情報に対する「疑問」の答えがとてもおもしろい。イラクがアルミ管を入手したというのは事実。核兵器のためにアルミ管が必要というのも事実。でも、そのアルミ管がそのままつかえるのか。ひとりの科学者(?)が、「あれでは細すぎて役に立たない」という情報を教えてくれる。「事実」は細部に隠れている。
それやこれや。二人の記者が信頼するのは、「末端」の情報(実感)である。
たとえば、きちんとした情報を提供しているのに、それが無視されつづける。おかしいんじゃないか、と疑問に感じている政府機関の職員。もしかすると、そこには「不満」が反映しているかもしれない。だから、簡単にそのことばを信じるわけにはいかないが、「情報操作」が行われていないかどうかの疑問の「糸口」になる。
日本では、最近、次々と政府の発表する「統計情報(経済情報)」が意図的に操作されているという問題が起きた。景気は拡大している。好景気はつづいている。でも、ほんとうか。たとえば、コンビニで買い物をする。店員は外国人が多い。日本人は減っている。これはどういうことだろうか。日本人がコンビニ以外の仕事のために手をとられているためだろうか。それとも外国人の方が賃金が安いからだろうか。きっと、外国人の方が安いからだ。
そうすると。
もし、日本人がコンビニで働きたいといったとき、雇い主はどういうだろうか。外国人は時給六百円で働いている。同じ賃金でないと雇えない、というのではないだろうか。日本人の賃金を切り下げるために外国人が利用されているということはないだろうか。外国人を搾取し、その搾取を利用して、日本人を搾取する。
こういうことが、改正入管法で外国人労働者を増やすことで行われようとしている。きちんと外国人を雇うのではなく、さまざまな制限をつけて、短期間だけ利用し、母国へ追い返す。そうすることで外国人の賃金をおさえ続け、それにあわせて日本人の賃金も下げていく。
日本は人手不足人手不足というが、実際は、安い賃金で働かせることができない人手が不足しているということだ。極端な話、コンビニの店員の賃金が時給2000円なら、そして課税されない収入の上限が500万円なら、店員の年齢制限が80歳なら、パートの主婦はこぞってコンビニ店員に転職することを考えるだろう。年金生活者も、こぞって応募するだろう。
もちろんここで書いたことは「空論」だが、空論であろうとなんであろうと、疑問を自分のことばで動かしてみることが重要なのだ。そのあとで、空論とわかれば空論を捨て去ればいいだけである。
とか、あれこれ映画を見ながら、あるいは映画を見終わって考えた。
考えるための「材料」としては、とても参考になった。マスコミの仕事は「疑問の材料」を提供すること、というのもいいなあ。でも、映画は物足りない。「真実」が権力を倒すという「大統領の陰謀」のような、すかっとした結末ではないからだ。でも、だからこそとても重要だとも言える。★一個は、映画を見てひとりでも多くのひとが考えるきっかけになればという期待を込めて増やした。
(2019年03月29日、KBCシネマ1)
スタンド・バイ・ミー [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray] | |
ウィル・ウィートン,リバー・フェニックス,コリー・フェルドマン,ジェリー・オコネル | |
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント |