詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

青山かつ子「月夜」

2019-03-26 09:28:35 | 詩(雑誌・同人誌)
青山かつ子「月夜」(「ぶーわー」41、2019年03月10日発行)

 青山かつ子「月夜」の感想をどう書けばいいか。

熱をだしたおとうとは
チャンバラの夢でも見ているのか
両手の指で輪を作り
刀のつば
刀のつば
とつぶやいている

となりのおクニさんの家に
富山の薬を借りに行く
月の道を

 と昔の思い出が書き始められている。とくに「説明」があるわけではないが、昔の思い出と思ってしまう。「チャンバラ」とか「富山の薬」が、そう思わせるのか。「となりのおクニさんの家」という言い方がそう感じさせるのかもしれない。固有名詞の響き方がなつかしい。昔は固有名詞があたたかな体温といっしょに生きていた。だから「借りる」ということも自然にできたんだろうなあ。
 ここから「固有名詞の体温」は、こう広がって行く。

澄んだ口笛が通る
あれは歌の好きなゆたかさんだ
「俺は北海道のタコ部屋で…」
が 口ぐせの
(タコ部屋には何十匹ぐらい蛸がいるのかなー)

 「意味」的には唐突な展開なのだが、唐突と感じない。自然に感じる。「ゆたかさん」のことなんて、私は知らない。けれど知っている気持ちになる。「体温」があるからだ。「体温」は「口ぐせ」と言いなおされている。「口ぐせ」がわかるくらいに、青山は「ゆたかさん」を知っている。ただし、知っているといっても、すぐそのあとに(タコ部屋には何十匹くらい蛸がいるのかなー)ということばがやってくるくらい、いいかげんというか、ゆるいつながりだ。真剣に(?)知っているわけではない。
 そういうところを通って、詩は「おとうと」に戻って行く。

母が額の手拭いを何度も替えている
おとうとの顔は
まだ赤い

 「ゆたかさん」に比べると、母、おとうととの「つながり」は真剣だね。でも、青山にとってはどうか。
 ちょっと違うかもしれない。
 青山は、「ゆたかさん」のことを思う「ゆるさ(余裕)」がある。「すき」がある、と言ってみればいいのか。
 その「ちょっと」には、母をおとうとにとられたという「嫉妬」のようなものがまじっているのかもしれない。
 こういうことは、厳密に考えない方がいいだろうなあ。ことばにすると、だんだん変なことになってしまう。

「風邪ひくから 早く寝な」
母に急きたてられ
神棚のてんてる大神さまをちょっと見上げて
湯たんぽの寝床に入る

雨戸がなる
風がでてきたみたい

 無造作に「こと」が進んで行くが、その無造作なところに、やはり余裕がある。「ゆるみ」ではなく、余裕というようなものがある。
 他人(たとえば、「ゆたかさん」)の場合は「ゆるさ」だが、肉親には「余裕」。どこが違うかといえば、つながりの「強さ」が違う。「てんてる大神さま」というような言い方はどこの家庭でもしたのだろうけれど、青山の家ではそう言っていた(口癖、とは違うけれど、通じるものがある)ということが、「事実」として、「事実」の強さとして動いている。共有される「口癖」があって、「風邪ひくから 早く寝な」という口調にもなる。みんなが同じことばを話している、と言えばいいのかも。
 だから、

雨戸がなる
風がでてきたみたい

 これは青山の感想なのだけれど、同時に、母やおとうと、書かれていない父の思いにも感じられる。いっしょにいるひと、ひとつ屋根のしたにいるひとのものになる。つられて、私もそのひとりになる。読んでいて、自然に、風の音を聞いている気持ちになる。

 「ここがいいなあ」ということを、はっきりさせることばを私は持っていないのだけれど、こういう詩は好きだなあ。



*

「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。



「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168075286


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(97)

2019-03-26 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
97 そのはじまり

彼らは、法にそむく快楽を味わった
寝台から起きあがると、
口もきかずに手早く衣服を身につける。
別々にこっそりとその家の外へ出て、
それぞれになんとなく不安な顔で道を急ぐ。
少し前にいかなる類の寝台に横になっていたか、
道ゆく人々にわかってしまうのを恐れるように。

 一連目の全行だが、その最後の二行が強い。「いかなる類の寝台」は「法にそむく快楽を味わった/寝台」のことだが、問題は「寝台」ではない。「法にそむく快楽を味わった」である。
 でも、ここから先を区別するのはむずかしい。
 「法にそむく」と「快楽」、どちらがより問題なのか。「道ゆく人々」に「わかる」と困るのはどちらなのだろうか。客観的には「法にそむく」ということになるかもしれない。わかってしまえば法に問われる。でも、そうではなく「快楽」の方に重心があるように思える。
 「法にそむいた」も表情というか、肉体に出るかもしれないが、「快楽を味わった」の方が肉体の表に出てくるのではないだろうか。まず「快楽を味わった」が外に出てきて、それからその「快楽」のあり方を問われる。ひとは「法」をくぐりぬけられるが、「快楽」からは逃れられない。

 二連目。

しかし、芸術家の人生はそれでなにかを得た。
明日、明後日、何年もたってから、彼は力強い
詩行をつづるが、そのはじまりはここにあった。

 池澤は、

一つの体験を描写した上で、それがいずれ詩に昇華することを示唆しつつ、この過程が詩になっている。とすると、ここに言う「力強い詩行」はこの作品自身ではないということになるか。円環的なからくりがおもしろい。

 と書いている。
 私は先に書いたように、一連目の終わりの二行は強いと思う。もう、その強い詩ははじまっている。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする