詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

青山真治監督「サッドヴァケーション」

2007-10-16 22:37:34 | 映画
監督 青山真治 出演 浅野忠信、石田えり、宮崎あおい、板谷由夏、中村嘉葎雄、オダギリジョー

 浅野忠信が北九州の街をさまよい歩く。私は北九州市に住んだことがあるのでそんなふうに感じるのかもしれないが、若戸大橋や昭和館(映画館)など馴染みの風景がスクリーンに映し出されても、浅野忠信のさまよう感じが強烈すぎて、見慣れているはずの街がまるて違って見えてくる。浅野忠信のさまよいにあわせて、街そのものがさまよっているかんじがするのだ。
 最初の方のシーンで空中から関門大橋などを、北九州とわかる風景が映し出されるが、そのシーンは、ぷつん、ぷつんと画面が切れる。スムーズにつながっていない。何度も撮り直し、つないだような奇妙な印象がある。へたくそな撮影、と思ってしまいそうだが、そうではないのだ。これは意図的にぷつん、ぷつんなのだ。さまようというのは視線がずるずるずるっとずれてゆくのではなく、連続性をなくして、飛び飛びにつながってゆくことなのだ。ぷつん、ぷつんと切れたシーンそのままに、視線が、意識が飛び飛びに動いてゆく。連続性がないから、きちんと引き返せない。きちんと方向を定められない。それがさまよいである。
 浅野忠信が女とキスしセックスするシーンも同じである。きちんとつなげればきちんとした映像になるはずなのに、わざとずらしている。浅野忠信が女との関係でもさまよっていることがわかる。
 浅野忠信がたどりつくのは、そうした「さまよう」人々が集まっている運送会社である。そこに浅野忠信の母、石田えりがいて、石田えりのために浅野忠信はさまよっていたということがわかる。ふたりが出会い、さまようことと、さまよわないこと、男と女の違いが、平然と、まるごと、そこに投げ出される。このふたりのシーンには度肝を抜かれる。人間はこんなに違うものか、と驚かされる。浅野忠信はさまよい、視線も、ことばも、ぷつん、ぷつん。一方の石田えりは、すべてをずるずるとままのみにし、吸収してしまう。浅野忠信はそこから抜け出したいのだが、抜け出せない。浅野忠信は石田えりのなかでもさまよいつづけるのである。さまようことに苛立ち、石田えりに当たり散らすが、何をしても石田えりの「内部」にとどまりつづける。まるで、赤ん坊が母親の胎内で子宮の壁を蹴っている感じである。男がさまようといっても、それは女から見れば、たかだかそういうものなんだ、と言っているようでもある。
 石田えりのせりふに、「いくつになっても子どもは子ども」という、よく母親が口にすることばがでてくるが、この子どもというのは、幼いというよりも、いつまでたっても子宮のなかにいる、子宮のなかにいて、子宮の壁を蹴っているということだろうと思ってしまう。私はこれまでそんなふうに考えたことがないので、びっくりしてしまった。いつまでもいつまでも、女は、子どもが子宮の壁をけった記憶で子どもを意識しつづけているのである。そして、子宮の壁をけっていることも(けっていたことも)知らないで、いい気なものだ、特に男の子どもはいい気なものだと感じている。
 母親ならば子宮の壁を蹴られるのは仕方がない。それが子どもの生きるということだから、と女はすべてを受け入れる。大切なのは、その子宮を蹴る力で世界へ飛び出してくることだ、そこで生き続けることだ、とすべてを受け入れる。社会一般に言う悪も善も関係ないのである。
 そして、そこに女の哀しみがある。
 そしてそれは、女の哀しみというより、人間の、生きる哀しみでもある。悪も善も受け入れて、そのなかでさまよい、さまようことでまっすぐに歩く--矛盾したことばでしかいえない、強い真実がそこにある。
 そういう哀しみを、石田えりは、「ほほえみ」で演じている。石田えりの「ほほえみ」と浅野忠信のさまよい、そして、その脇をぐっとおさえる中村嘉葎雄の演技を見るだけでも、この映画を見る価値がある。見なければならない絶対的な真実がある。
 この秋に、見逃してはならない傑作中の傑作の一本である。

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岩佐なを『しましまの』

2007-10-15 10:00:28 | 詩集
しましまの
岩佐 なを
思潮社、2007年10月01日発行

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 岩佐なをのことばば自在である。自由である。その自由さは「主題」からさえ自由である。「これこれのことを書こう」と、書く前に誰もが思うと思う。岩佐ももちろんきょうはこれを書こうと思って書きはじめるのだと思うけれど、その書きはじめようとも思った事にとらわれていない。書こうと思ったことと書いてしまったことが違っていても平気である。というふうに感じられる。
 と、いうよりも、ある目的(主題)へ向けてことばを制御するということを、岩佐はしたくないのである。論理的にことばを制御するとき(哀しみの感情にむけてことばを制御すると、わりと簡単に抒情詩になる)、ことばは何かを失う。それを知っていて、その何かを失わないために、何かを守るために、主題を忘れたふりをするのだ、といった方がいいかもしれない。
 そして、人間の意識というものは不思議なもので、忘れたふりをしたのに(あるいは、それがふりだったせいでもあるのだろうけれど)、忘れたはずのものがふたたびあらわれてきたりする。
 そのあたりの、ふらふらとした動き、それをそのまま、岩佐はことばにする。そしてその、ふらふら、が「自在さ」を感じさせるのである。「ふらふら」が実はふらふらしているように見えて、主題がこぼれないようにていねいにことばを拾い集めているの結果なのだとわかる。あ、こんなふうに自在に、こぼれ落ちることばを拾い集めることができれば、世界はあたたかくなる、と感じさせてくれる。
 「しましまの」は簡単に要約すれば、飼い猫が交通事故にあって死んでしまった。その猫のことを思い出している作品なのだろうが、死んだ猫のことを思い、一直線に哀しみを深め、涙を誘うというような「抒情」へこ動いてゆかない。そういうふうに動いてゆく感情があることを知っていて、なおかつ、そういう一直線の感情が一直線に進むときにけちらしてしまうさまざまなことがらをていねいに拾い集め、その一直線に進む感情をつつんでしまう。
 あたたかいものが、そこから、生まれてくる。「自在」というのは、そんなふうに、どこかであたたかいもの、人間のこころを裏切らない何か、ナイフのような鋭利さを自慢するようなものではない何かなのである。
 それは、たとえていえば「しましまの」に出てくることばで言えば、「お化け」ということばについた「お」のようなものである。

「お化け」だなんて
化け物に「お」なんかつけるから
やつらはつけあがるんだ。と
彼ノ人は言った
(ことを思い出している)

ふうん。

夕暮れの公演の築山の
てっぺんに猫が坐っている
うしろ姿のシルエット
ぽつねんと

ひとつ自慢をさせてもらえばわたしは
つけあがったお化けに
ひどい目にあわされたことがない
<ホントカニャ>

 「お化け」の「お」を思い出す。「お化け」の「お」ということばのなかにあるもの、それは交通事故で死んでしまった猫のことを思い出すときのこころに通じる。「お猫」ということばはないけれど、飼っている人の気持ちのなかでは「お」がついている。そしてその「お」は猫をある意味で「つけあがせる」かもしれない。しかし、猫をつけあがらせるからこそ、猫と人間のあいだに温かな交流も生まれる。(と、人間は、ひそかに思うのであるが、猫はそう感じてくれるかどうかはわからない。)
 「お」というのは、英語でいえば「定冠詞」(the)のようなものかもしれない。不特定な「化け物」「猫」、不定冠詞(a)つきの存在ではなく、その存在を知っていて、その存在とこころの交流(?)があることの証のようなものかもしれない。
 何らかのこころの交流があるからこそ、不定冠詞でつづけることばと違って、余分なもの、交流することによってはじめて生まれてくる余分なものを捨てられず、集めてしまうのである。「論理」(主題)にとらわれず、自在に、こぼれ落ち続けるものを拾い集め、「お」の温かさ、定冠詞を使うときの人間のあたたかな気持ちを再現するのである。

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岩佐なを「幻帖」

2007-10-14 23:36:35 | 詩集

 岩佐なを「幻帖」(「生き事」3、2007年夏発行)

 「幻帖」を手に入れた。それを口語訳し、絵もつけてみたいというような前書き(?)があって

「序」と思ってほしい部分
〈どこまでが「序」なのかは不明〉

 という2行がある。「前書き」と「序」もそうだが、これっていったい何? 何でもない。「何」という枠、「何」という区別がない。岩佐は区別をつけようとしていない。こにこの作品の(あるいは最近の岩佐の特徴がある。
 あらゆるものの「区別」をなくしていくこと。
 では、区別をなくしたところから、何がはじまるか。

なんまいもなんまいもなんまいだ鳥女神の

 たとえばこの行は「何枚も何枚も何枚だ」とも「何枚も何枚も南無阿弥陀(なんまいだ)」とも取れる。たぶん「何枚も何枚も南無阿弥陀(なんまいだ)」と読む人の方が多いだろう。そして、そういうふうに読み取った瞬間、意識が楽々と何かを越境してしまっている、区別すべきものを区別しないで生きていることに気がつく。
 そういう「あやふや」なものを岩佐は書こうとしている。

記憶のようでもあるのです。
想像のようでもあるのです。
いや、はっきり知覚したような。
「はっきりなのに、ような、なんですか」
はっきりとようななんです。
「ばかですね」
すみません。

 「はっきりとようななんです」としか言えないことがあるのだ。それは、ことばの問題なのか、意識の問題なのか、よくわからないが、そのよくわからないところにこそ、何かが生きている--ということを、岩佐ははっきりと感じている「ような」のである。そして、この「ような」こそ岩佐の「思想」である。
 岩佐は銅版画(といっていいのかな?)もつくっており、その1枚が岩佐の作品の表紙に掲げられているが、そこには女の顔、鳥「のような」ものが描かれている。女の顔、鳥ははっきりと見えるが、「ような」ものである。というのも、その全体が明確ではないからだ。その二つの存在が触れ合っていて、つながっているからである。無表情な女と鳥がセックスをしているようにもみえるが、そういうことは現実にはありえず、しかも夢でならありえるというところで、つながっているからである。そういう「ような」ことが、私たちの意識の領域にはあり、そういう部分へ、そういう部分へと、岩佐はおりてゆこうとしているからである。明確にすればするほど「ような」という世界へ入ってゆくのが、岩佐の世界なのである。

 「ばかですね」というかわりに、私は、いままで「気持ち悪いですね」と岩佐に言い続けてきたが、それに対する岩佐の答えは「すみません」の類である。
 岩佐にとっては、そう答えるしかない。それが岩佐の世界だからである。
 そして、こういう世界は、そういうふうに接するしかないのだとも私は思う。詩のなかの誰かは「ばかですね」といい、それに対して岩佐は「すみません」という。これは批判と謝罪のように見えるが、ほんとうはそうではない。相いれないもの同士の、容認の形である。
 一方は「ばかですね」と区切りをつけることで、一方の「区切りのなさ」にけりをつける。他方は「すみません」と謝るふりをして「区切りのなさ」へ帰ってゆく。この関係は何かことがあるたびに繰り返される。「あいかわらず、ばかですね」「すみません」。これは批判、謝罪ではなく、「あいさつ」なのである。「あいさつ」をするというのは、相手を認めるということなのである。

 いろいろおもしろい部分はあるが、ひとつひとつ書いても繰り返しになる。繰り返しになっても、私は岩佐の作品が「気持ち悪くて、嫌い」だから、できるかぎりそう書くのだが……。今回は、繰り返しを省略して、最後に岩佐の詩の「区切りなさ」(区別の欠如)につながる部分を指摘しておく。
 この詩は「*つづく・・・」で終わっている。終わっていないのだ。25ページも読んだのに、まだ「区切りなく」この作品はつづいてゆく。「*つづく・・・」はこの作品を象徴することばである。私は、あきれかえって、笑ってしまった。


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平田好輝「見舞い」ほか

2007-10-13 10:07:52 | 詩(雑誌・同人誌)
 平田好輝「見舞い」ほか(「鰐組」224 、2007年10月01日発行)
 平田の詩を熱心に読んできたわけではないので最近の印象だけで書くのだが、この人は人間をまるごと受け止めることができる人のようだ。「見舞い」は叔父を病院に見舞ったときの様子を書いている。

叔父は自分のあばらやで死なせてもらえず
病院の大部屋に放り込まれて二ヶ月
まだ生きている
日に二階だけ
病院最上階のレストランの片隅で
お銚子一本だけ取って
ゆっくりと盗み酒をするのだという

今に血を吐いて死ぬわと
看護師はなんだか
その日を待ちかねているような口調でいった
叔父の最後はそんなことだろうと
わたしにも異存があるわけではない

 あたたかいなあ、と思う。特に「今に血を吐いて死ぬわと/看護師はなんだか/その日を待ちかねているような口調でいった」があたたかい。最後まで好きなことをして死んでゆく。他人ができることは、それを見守ることだけである。看護師には、その覚悟はできている。どんな形で叔父が死のうが、それを最後まで、何日かあるわからない日々のあいだ、叔父の肉体(いのち)を見守るのは、平田ではない。叔父の家族でもない。看護師が見守り続けるのである。そのことを瞬時に悟り、そのことに感謝もしている。看護師のことばがあたたかいのではなく、平田の、その感謝が、看護師のことばをそのまま受け入れているからあたたかくなっているのである。平田の視線をくぐりぬけることで、看護師の一見冷淡にみえることばがあたたかくなっているのである。平田は、彼がであったひとを自分のなかにまるごと取り込み、平田の体温に染めて、それからことばとして外へ出す。そこに平田の魅力がある。



 同じ号の、根本明「幼生の名がひるがえるのを」。
 この作品で、私はとても不思議なことを体験した。タイトルを私は「幼生の名がひきがえるのを」と読んでしまった。「ひるがえる」ではなく「ひきがえる」と。この文章を書きはじめようとして「あ、ひきがえる、ではなくひるがえる、なのか」と気がついた。
 「ひきがえる」と思って読んでいたので、そこに書いてあることが、「オタマジャクシ」のことだと思っていた。

(横たわり陰っては輝く水の玉を私は見上げる

 書き出しのこの1行は、水の玉のような透明な卵から生まれたばかりのオタマジャクシで、それが水の底から、まだうごめいている卵を見ているのだとばかり思っていた。

おびただしい幼生の群れが水の中を
屈折する月光に向かって無数の花火のように昇っては乱れ散る)

 「オタマジャクシ」が見た水中の風景に見えませんか?

ぬばたまの夢の沼玉をさかのぼる
地の草の肉から乖離して私が
すでに一匹の原虫のように尾をふるわせ

 「ぬばたまの夢の沼玉をさかのぼる」の音のなまめかしさに迷い込んで、私はカエルの卵のぬるぬるにふれた気持ちがした。「尾をふるわせ」はどうしてもオタマジャクシの「尾」のことに思えてしようがない。

水の道、水の枝葉を、ひらおよぐ、せおよぐとき
幼生の名が閃光を放ってひるがえるのを見る

 「水」「およぐ」--どれも、カエルを(オタマジャクシが成長した姿を)呼び覚ましませんか? 「幼生の名が閃光を放ってひるがえるのを見る」という行は「ひきがえる」ではなく「ひるがえる」と正確に読んでいるが、(このときはまだ、タイトルを読み違えたことに気がついていない)、ヒキガエルになってしまった状態からオタマジャクシだったときを思い出して「幼生の名--これは、ヒキガエルの幼いときの呼び名、オタマジャクシのことだよなあ」と思い込んでいた。
 そして、「ぬばたまの」の行や「水の道」の行の音楽について書こうと思って、タイトルを写しながら、あ、「ひきがえる」ではなく「ひるがえる」だ、と驚き、どうしてこんなことが起きたんだろうと、不思議でしようがないのだ。
 (不思議でしようがない--と書いたものの、実は、「誤読」は私の一種の癖である。私は子どものときからひらがなの連続した文字、カタカナの連続した文字は正確に読めない。特にカタカナはまったく読めない。いまでも読めない。中学生のとき、英語の教科書にカタカナでルビをふって読んでいる人を見たときはどうしてこんな器用なことができるのかと心底驚いた。)
 しかし、「ひるがえる」と読み直しても、どうしてもこの詩はカエルのこと、オタマジャクシのことを書いているように感じられてしまう。ほかのことを書いているとは思えない。根本は、ほんとうは何を書いているのだろう。他の人は、この詩を何について書いてあると思って読んだのだろう。それが突然知りたくなった。


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藤維夫「島まで」

2007-10-12 10:06:13 | 詩(雑誌・同人誌)
 藤維夫「島まで」(「SEED」13、2007年09月30日発行)
 書き出しの2行が強烈である。

炎天にとどまれよと声が高くしたとき
断崖下の青い海原は思うままに波が飛散する

 真夏の、真っ白な光。真っ白を通り越した透明な光。太陽は真上にあり、空中の不純物をすべて燃焼させてしまって、空中には「純粋」しか残っていない。「とどまれよ」という声は時間そのものを止めてしまう。「高く」ということばに誘われて、太陽はどこまでもどこまでも高くのぼる。照らせない地上がないくらいに高く高く、どこまでも高くのぼっていく。その垂直の上昇。
 そこから「断崖下」という垂直の落下。ここには、激しい「対立」の衝突がある。存在は、あらゆる存在はみな互いに反対方向へ動き、衝突し、燃え上がる光になる。
 海はどこまでも青く、「思うままに」波は暴れる。激しい自己主張。その衝突。
 空気の透明さ、光の白さに歯向かうように、波が白く飛散する。
 めまいがしそうなくらい強烈な光だ。

 ここから、ことばはどんなふうに動いてゆくことができるだろうか。藤自身も、2行の強烈さにとまどってしまっているようだ。自分で書いたというより、夏の強烈な光とともに、突然、藤の脳を直撃する形でやってきたことばかもしれない。

喉のおくの悲鳴にかさなってためらわれる地獄の声
さっきまで歌っていた鳥たちの歌はなぜ鳴き止んだのだろう

 強烈な光に対抗するには、「思うまま」に自己主張する存在に対抗するには「地獄」しかないかもしれない。けれど、ここでの「地獄」は存在になりきれていない。観念に終わっている。それはたぶん動きがないからだ。1行目の「とどまれ」と「高く」の拮抗した力、2行目の「思うままに」と「飛散する」の、激しい焼尽。水(海・波)なのに、燃え上がる感覚。それに対して3行目は「おく」「かさなる」「ためらわれる」。動きが停滞する。1行目の「とどまれ」は「とどまれ」と言うしかないくらい激しい動きを感じさせるのに、3行目では「動け」と命じても動きそうもないものばかりである。これは、1、2行目の対比になっていない。1、2行目の激しい動きについていけずに失速したのである。4行目の「鳴き止んだ」は象徴的だ。1、2行目に、ついていくことができないのである。

炎天にとどまれよと声が高くしたとき
断崖下の青い海原は思うままに波が飛散する
喉のおくの悲鳴にかさなってためらわれる地獄の声
さっきまで歌っていた鳥たちの歌はなぜ鳴き止んだのだろう

島の樹海のなかのただ一本の長い道
ときおり断崖の崖の下の火柱
病んだ鳥だった
余白の風景を拒むだけの孤独の鳥
乾いた激情の遠い過去から墜ちていく

 1行空白をおいて、藤は再出発する。抒情に頼りはじめる。「余白の風景」「拒む」「孤独」。それらのことばは、最初の2行につりあっているとは私には感じられない。
 「乾いた」「激情」「遠い」「墜ちる」。そうしたことばも、すべて「抒情」「抒情」と、後退してゆく何かにすがっているように感じられる。最初の2行についていっていない。

 詩を生み出すのは、とてつもないインスピレーションである。そのインスピレーションをことばそののものとして定着させるのはむずかしい。定着させたらさせたで、それについてゆくのもむずかしい。
 この藤の作品は、あまりにも強烈な2行を、書いたというより、ことばそのものの力によって書かされてしまったために、幸福と不幸が混じり合ってしまっている。そんな感じがする。なぜ、こんなに強烈な2行が藤を襲ったのだろう。襲われた藤自身がためらっている。藤自身がなじんでいる透明な抒情へ引き返したがって、苦悩している。



 (鳥)----「あとがき」にかえて、という作品。その最初の4行

せかいが空虚になったとき
鳥たちが
いちどきに木をおりて
どこを眺めているのか 用心している

 この4行目が私は好きだ。 「どこを眺めているか」と外から鳥を描写したあと「用心している」と1字あきのあとに、突然鳥の内部に入り込んでしまう。外的動作から内的動作へのすばやい転換。その瞬間の、藤自身の鳥への変化。一体化。
 --抒情とは、「私」と「私でないもの」が溶け合い、ひとつのこころ、「私」のものでも、「私以外の何か(たとえば鳥)」のものでもない、たとえて言えば、その二つの存在の間にある「空気」のようなものにあることが納得できる。
 藤は、存在と存在のあいだの「空気」を描く詩人なのだと思い出す。このあとがきには藤の基本的な思想の動きがくっきり出ている。


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山本泰生『声』

2007-10-11 10:37:17 | 詩集
 山本泰生『声』(コールサック社、2007年09月30日発行)
 「卓」という短い詩がある。とても驚いた。

ひと 一皿一皿の人生がある
ちょっとちがう生 だれも知らないちょっと なに味

 「なに味」。ことばが見当たらず、それでもいいたいことがあって「なに味」としか書くことができなかったのだろう。
 普通は「なに味」とは書かないだろう。「なに味」の「なに」のかわりのことばが見つかったとき、それを詩として読者に差し出す。その「なに」がみつからない。「なに」がどこからか降ってくる(インスピレーションお襲われる)のを待っていられない--というのが山本の気持ちなのだろう。
 せっかちなのだろうか。
 そうではなくて、詩を書こうという意思が強いのだろう。なんとしてもことばを書きたい。なんとしても詩を形にしたい。そういう強い意思が「なに味」の「なに」ということばを引き出したのだと思う。
 「なに」としか書けないもの--それが山本を動かしている。「なに」で書きたかったものはなんだろうか。
 「耳」という作品が、その「なに」について語っているかもしれない。

耳は聞く
しずかな ざわめき うなり しぶき
天空の時の刻み 透明の矢の飛び
聞こえないくらいの声
というより生命以前の声
響き 底流している
しいん しいん ぎうん ぎゅううん

 「なに」は「生命以前の」であるか。生命以前のものを山本は追い求め、詩にしたいと願っているのだろう。
 と、書いてもいいのだろうけれど、私は、そんなふうには考えない。そういう「意味」でくくってしまうと、「なに」を「なに」と書いてしまった山本の「思想」が見えて来ない。山本の独自性が見えて来ない感じがする。
 「なに」に通じるのは「というより」ということばである。
 山本の詩にはいたるところに「というより」が隠されている。ひそんでいる。うごめいている。「というより」を補って読むと、山本の世界がよくわかる。

耳は聞く
しずかな(というより)ざわめき(というより)うなり(というより)しぶき
(略)
しいん(というより)しいん(というより)ぎうん(というより)ぎゅううん

 書いたことば、ひとつのインスピレーションに満足せず、その向こうにある「なに」かを追い求めて、「というより」を繰り返し繰り返し迫っていく意思。それが山本の「思想」なのである。生き方なのである。
 「しいん(というより)しいん」では「というより」が機能していないではないかという指摘があるかもしれないが、機能していないからこそ、繰り返すのである。きのうさせようとして繰り返すのである。
 そして、その「というより」は

聞こえないくらいの声
というより生命以前の声

 という書き方に特徴的にあらわれているが、「改行」を含んでいる。「一呼吸」を含んでいる。散文の、うねりながら進む「というより」ではなく、一種の飛躍がある。あるところまで「なに」を追い求めてきて、つかみとれそうになってつかみとれない。そのあと、「一呼吸」おいて、もう一度追い求めはじめる。その繰り返しの出発点としての「というより」なのである。
 「しずかな ざわめき うなり しぶき」という「1字あき」も「一呼吸」である。つづけて一気に読んではいけない。「一呼吸」おきながら、ひとつひとつことばを追いかける。そうすると山本の「呼吸」(生き方)に読者の「呼吸」が重なり合う。山本が見えてくるはずである。
 この「というより」は「卓」にも隠れた形で存在する。

ひと 一皿一皿の人生がある
(というより)ちょっとちがう生(というより)だれも知らないちょっと(というより、というより、というより、というより……)なに味

 「なに」の前には「というより」がびっしりとつまっていて、それが「なに」を飲み込んでしまっている。「なに」と書かざるをえなかった山本が、そのとき見えてくるはずである。
 「なに味」を「生命以前の味」と書いてしまうと、「意味」見えてくるかもしれないが、山本の「呼吸」は消えてしまう。ひとの「思想」は「意味」のなかにあるのではなく、「呼吸」のなかにある。そして、やまもとの「呼吸」は「というより」という一拍のおきかたにある。飛躍を含みながらの「というより」にある。

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スコット・ヒックス監督「幸せのレシピ」

2007-10-10 01:52:18 | 映画
監督 スコット・ヒックス 出演 キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、アーロン・エッカート、アビデイル・ブレスリン

 高級レストランが舞台である。しかし、この映画でいちばんおいしそうなのはシェフが客に出す料理ではない。拒食症の少女が食べるパスタである。
 少女は母親が交通事故で死んでしまったので、こころを閉ざしている。何も食べようとしない。それを見た副シェフ(アーロン・エッカート)が少女(アビデイル・ブレスリン)の隣でバジルの葉っぱをちぎる。少女もいっしょになってちぎる。副シェフはパスタをもってきて、その上にバジルを散らす。そして食べる。少女はそれにこころをそそられる。自分のちぎった葉っぱもそのなかにあるからだ。どんな味だろう。つられて少女は食べはじめる。
 ここにこの映画のエッセンスがある。
 料理は自分がつくったものがいちばんおいしい。他人がつくってくれたどんなものより、自分の手がくわわったものの方がおいしい。
 そして、これは「もてなし」のこころそのものでもある。愛するひとのために料理をつくる。愛するひとのことを思ってつくる料理がおいしくないわけがないのである。
 この映画で、次に「おいしい」シーンは、その少女が副シェフといっしょになって、シェフ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)の家でつくる料理である。キャサリン・ゼタ・ジョーンズは少女の叔母である。死んだと母親の姉である。
 少女は一生懸命に料理をつくる。ほとんどは副シェフがつくるのだが、気分的には少女が叔母のためにつくるという形だ。そのこころをうまく引き立てながらアーロン・エッカートは料理を少女といっしょになってつくる。
 そして、テーブルではなく、床にすわって、くつろげるだけくつろぎながら出来立てのピザを食べる。とてもいい感じだ。
 ここから、どんな料理でも、愛するひとといっしょに食べないのならおいしくない。愛するひとといっしょにつくって食べる料理にまさるものはない--という「哲学」のようなものが沸き上がってくる。ハリウッドのリメイクらしいストレートな感じが、しかし、ここでは悪い気持ちはしない。いい感じがする。
 いろいろな料理が出てくるが、別にそれを食べたいという気持ちにはならないが、愛するひとといっしょに料理を作って食べたいという気持ちになる映画である。



 母を亡くした少女を演じたのは、「ミス・リトル・サンシャイン」の少女である。この映画では脇役なのだが、びっくりするくらい「脇」を演じている。キャサリン・ゼタ・ジョーンズとアーロン・エッカートの恋の引き立て役なのだが、単なる「つなぎ」の役ではなく、生活に奥行きを持たせる役どころをきちんと把握している。的確に表現している。一度目が吸いよせられると、もう、少女から目をはなすことができない。むさぼるようにみつめてしまう。「脇」をこんなにしっかり演じてしまうのは、いったいどういうことだろうとびっくりするしかない。この少女の演技を見るだけでも、この映画を見る価値はある。
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寺田美由記『CONTACT』

2007-10-09 09:49:13 | 詩集
 寺田美由記『CONTACT』(思潮社、2007年09月30日発行)
 「紅ずわい蟹と活さざえ」のなかにおもしろい部分がなる。郵便局からゆうパックで贈り物を送る。

高価なものの方がいいだろうと
紅ずわい蟹を選んだら
資源保護のための禁漁期にあたるので
十日前に締切りましたと冷ややかな応え

仕方がないから活さざえ
ちょっと安すぎるかなと迷っていると
もろうた者にゃあ値段なんかわかりゃせんよと局員が言う

 「他人」の登場の仕方がおもしろい。「十日前に締切りました」と「もろうた者にゃあ値段なんかわかりゃせんよ」の落差がおもしろい。両方とも郵便局員の言った口調をそのまま再現しているのか、それとも「十日前に締切りました」は寺田が要約したことばなのか。どちらでもいいのだが、ふたつの郵便局員の発言に落差があるということ、そして「もろうた者にゃあ値段なんかわかりゃせんよ」という「方言まじり」(というのも大げさだが)のことばに、ぐいっとひっぱられる感じがいい。
 「関係」というタイトルをもつ詩集だが、ここにあらわれる人間関係、その唐突でありながら、唐突でない部分のからみあいが、ここではとても正確にあらわされている。
 土地に密着して暮らしていると、「他者」というものに二通りあることがわかる。(とくに、北陸などの、一種排他的な地域では完全に二通りの「他人」がいることがわかる。)ひとりは同じ土地で暮らしている「他人」、たとえば「家族」以外のひと。もうひとりは、その土地では暮らしていないひと、よその土地のひと。
 このよその土地のひと、という感覚が、ぐいと濃密にあらわれる瞬間がある。
 この詩の、たとえば「さざえ」の値段についての意識。さざえの値段はどこに住んでいても調べればわかる、と「よその土地」のひとは主張するだろう。それはそのとおりだが、そんなふうに調べてわかるというのと、調べなくてもわかるということとはまったく別のことである。その土地それぞれには調べなくてもわかることがたくさんある。そしてひとは調べなくてもわかることを基本に生きている。
 後半に出てくる3行。

山の裾野の生家で
だいこん しゃがいも たまねぎ はくさいを作りながら
一人暮らししている母を思う

 母がどんな生活をしているか、調べなくても寺田にはわかっている。そして、ひとはわかっていることしか、実は感じることができない。
 ひとはいろいろな場面で、いろいろなできごとにぶつかる。そのたびに「他者」を発見するけれど、そういう「他者」は頭では理解できても、感情ではわからない。感情を共有できない。とまではいかなくても、感情を共有しにくい。
 「もろうた者にゃあ値段なんかわかりゃせんよ」は、寺田が積極的に共有したいことばではないかもしれない。しっかりと共有したい感情ではないかもしれない。しかし、共有してしまうしかないのである。そういう形で共有されるものがあり、そして、そのどうしようもない感情の共有こそが、仲間(?)と「他者」を区別するのである。
 ことばが共有されたり、されなかったりするところに人間関係があると同時に、共有のされ方のなかにも人間関係がある。寺田は、共有のされ方に目を向けて、それを明るみに出そうとしているように私には感じられる。そういうものがくっきりでてきた時、その詩が輝いているように感じられる。



 ことばの共有のされ方。そこに焦点をしぼっていくと、たとえば「ある日渋谷の街角で」と「世間話」の差が、とてもおもしろくなる。

もう男性から
声をかけられることもなかろうと無防備に歩いていたら
ウンメイガカワルトコロデスと
若くて美しい女性に声をかけられた
ある日渋谷の街角で   (「ある日渋谷の街角で」)

ある日たぬきがやって来て
たずねもしないのに話しかける
たしかにあんたは子だぬきどもに
ばかにされる素因はあるよ (「世間話」)

 ともに「他者」か唐突に、とんでもないことを言われる。「何を言ってる」と言うようなことである。しかし、そのことばの共有のされ方はまったく違う。前者は頭で理解し、頭で把握される。後者は体の内部で、その暗闇で共有される。
 「世間話」の引用部分の次の行。

けっ何を言うかとしらっぱくれていると

 「世間話」の方は「他者」が言っていることは、寺田にはわかっているのである。わかっていて、なんとかしたいと思っているからこそ「しらっぱくれる」のである。そういうことばの共有が、「同じ土地」を生きるときに存在するのである。「同じ土地」に生きていると、「私」と「他者」を区別するのは「間」(ま)である。「間合い」である。ひとは、そして、他者のことばを聞くのではなく、実は「間合い」を読んでいる。
 しらっぱくれる方はしらっぱくれ、しらっぱくれているとわかっていて、さらにことばをつづける相手。そう、それは「他者」ではなく、「相手」なのだ。「相手」といっしょにつくる時間というものがある。「世間」というものだ。「相手」との「間合い」が「世間」である。
 「もろうた者にゃあ値段なんかわかりゃせんよ」も「世間」のことばなのである。
 そこでは、紅ずわいがないなら何にしようかなと揺れ動くこころの間合いが、読み取られ、その間合いのそこをぐいとさらってゆくものがあるのだ。「他者」にはこういうことはできない。郵便局員は、郵便局員から、突然「相手」として登場してきて、寺田をつきうごかしたのだ。「世間」のあり方を、「こんなもんだよ」と示すことばで指し示し、「世間」そのものに寺田をとりこんだのである。

 「CONTACT」というと何かよくわからない。「関係」でもよくわからない。しかし、「世間」ということばでなら何か共有することができるものがある。寺田は、そういう「世間」のなかのもろもろを書いた時に、ことばがいきいきしてくる。しかし、そういう「世間」はもう限られた「場」にしか存在しない。
 「CONTACT」というタイトルが象徴的だが、「世間」はもはや「外国語」になってしまっているのかもしれない。
 そうであるなら、なおさら、と私は思う。
 「CONTACT」などということばはつかわずに、「世間」そのものの奥へ奥へと、寺田はことばを耕すべきなのではなかったのか。介護のあれこれを書いた詩は、寺田にとっては現実ではあるのだろうけれど、まだ「世間」にまでいたっていない。そういう世界にも「世間」はあるのだから、次は、寺田にしか見えない「世間」をぐいとしぼりだしてほしい。そういうことができる詩人だと思った。

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北川透「折れ曲がった耳」

2007-10-08 22:15:25 | 詩(雑誌・同人誌)

 北川透「折れ曲がった耳」(「詩歌句」終刊号、2007年秋)
 「つちふまずつきあげてくる潮風をきいているみみさらわれてゆく」という彦坂美喜子の歌を引いたあと、北川のことばがつづく。彦坂のことはばに向き合い、北川のことばが動いてゆく。このとき、北川のことばはどれくらい彦坂のことばから自由でいられるのだろう。

どこの家の物干し竿にも、よく伸びた細い耳が、何枚も干されている。
 
 この書き出しを読んだとき、私は、その干された耳を「イカ」のように感じた。というか、海辺に吊るして干してあるイカのように耳が干されている風景を思い浮かべた。そしてそれがとても自然な感じで目に浮かんだ。イカが突然、目の前に浮かび、そのあと北川のことばが追いかけてきた--といってもかまわないくらい、その情景がくっきり見えた。
 私自身が彦坂のことばにとらわれているのかもしれない。北川の引いている彦坂のことば--それにひきずられて、その延長線上に北川のことばを読んでいるのかもしれない。北川ではなく、私自身が彦坂のことばから完全に自由になりきれていない。
 そのせいだろうか、北川のことばが、必死になって彦坂のことばを拒絶しようとして、拒絶しようとすればするほど、その「拒絶」という関係に引き込まれ、影響うけつづけているように感じる。いや、これは北川の問題ではなく、私だけの問題だろうか。

きれいに洗われて染み一つ、付いていない耳。来る日も来る日も晴天が続き、乾いた黄砂が舞っている。耳達はまず産毛を、次いで柔らかな厚みを失っていった。

 これも海岸の風景である。潮風が吹いている。そして、干される耳はしだいに水分をさらわれ、柔らかさを失い、厚みをうしなっていく。まるで、ここに書かれていることが当然のことのように見えてくる。「耳」はイカの耳なんかではなく、人間の耳であるのに、それが干されていることが不自然ではないように感じる。
 そして、これは北川が感じたことなのかどうかわからないが、「干されている」「耳」というのは、私には「潮風」を聞いた「記憶」のようにも思えはじめるのだ。ほんとうの「耳」ではなく、音を聞いた「記憶」としての「耳」--つまり、比喩のように感じられる。
 そんなふうに感じた瞬間、そこから抒情が噴出する。

それからも、恋人たちが愛し合うための貝殻の形態を失い、ぐるんぐるん回る幾つかの幸福な輪を失い、意識の泥に通ずる折れ曲がった導管を失い、雀蜂の襲撃を恐れる薄い蓋を失った。

 もう、ここからは「耳」は完全に意識というか、記憶の何かであるように感じられる。しかし、それは私だけの反応かもしれない。北川はちがうことを書こうとしているのかもしれない。ちがうことを書こうとしていても、そのちがうことよりも、私は私の感想(?)を追いかけてしまいはじめている。半分くらいは、北川が何を書きたいか、何をしたいかはどうでもよくなって、私自身が、北川と彦坂のことばの間で揺れているのを感じる。そして、私が読んでいるのが北川のことばの方なのか、それとも彦坂のことばの方なのか、実はよくわからなくなる。
 たしかに引用しているのは北川のことばなのだが、北川のことばを引用するたび、最初に掲げた彦坂のことばが意識の奥で北川のことばに作用しているのを感じてしまう。彦坂のことば抜きにしては、北川のことばを読むことができなくなっている。
 恋人たちの抒情、潮風を聞いた記憶、つちふまずという、ふれることのない肉体--そういう抒情にふれたあと、(というのは、あくまで私の印象であって、北川はちがったことを考えているかもしれないのだが)、北川のことばは少しずつ変化する。

耳たちが陽気な鼓笛隊の演奏するワギナを失うことを、どんなに恐れたことか。更に耳たちはかつて音楽にしびれた三色菫を失い、煙草の煙と共に、一時代を支配した弁証法を失った。

 しかし、この変質も、「記憶」--時代の記憶と、どこかで通じている。耳の記憶。耳の記憶が吊るされて干されている。そうした夏の(というのは、私の思い入れ)海岸。どうしても彦坂のことばにひっぱり返されてしまう。
 そして、ひっぱり返されながら、徐々に、北川がそのひっぱりかえしてくる彦坂のことばの力にあらがっていることもわかってくる。
 (ほんとうは、ここから感想がはじまるべきなのかもしれないのだが……)
 そして、

一本の突起する線、ぺらぺらの皮質に還元された耳は、もはやどんな機器にも無関心だった。

 という一行にふれた時、あっ、と思う。え、どうしてこんなところまで来てしまったのか、驚く。思わず、最初に戻って読み返してしまう。
 もうそうなると彦坂のことばはどうでもよくなる、といえばいいすぎだけれど、どうしてこんなぐあいに遠くまで動いてきてしまうのか、その北川のエネルギーそのものを知りたくなる。
 意味とか抒情とかはどうでもいい。北川のことばはなぜこんなにも動いてゆくのが、動くことだけをめざしているか--そのことが突然知りたくなってしまうのだ。「無関心」さえも抒情になってしまう北川のことばの、ことばを動かしていく力そのものの秘密を知りたくなってくる。

 --でも、この私の関心は、もしかするとほかのひとには関心がないことかもしれない、一般に詩を読むことと信じられていることからはまったく無関係なことかもしれないと思いながらも。
 あ、私も「無関心」ということばを使ってしまった。
 北川のことばは、汚染力(?)が強い。気をつけなければ、と思う。

 追記。「汚染力」というのは、いい意味で使っている。誤解しないでください。「汚染力」って何と問われたら困るのだけれど。


 もうひとつ、追記。
 今回の北川の作品は3部構成になっている。そしてそれが「洗濯ばさみ」→「物干し竿」→「竹竿屋」と、それぞれの最初の方で変化してゆく。人間の想像力は、北川のような達人でも、やっぱり一つのことがらにひっぱられるのだと思うと、ちょっと安心、という感じもする。これは、ちょっと困る、という意味でもある。思わず、もっともっとことばに暴走してもらいたい、という気持ちになる。
 私のことばは、暴走から遠く、うじうじしているので。
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永島卓「ニック・ニーサーに出会った場所」

2007-10-07 09:47:12 | 詩(雑誌・同人誌)
 永島卓「ニック・ニーサーに出会った場所」(「詩歌句」終刊号、2007年秋)
 「ニック・ニューサー」が何ものなのか私は知らない。作家か、画家か。何人か。何語をしゃべるのか。だから、私の感想はとんちんかんかもしれない。しかし、もともと私は詩のタイトルと本文をあまりひきつけて考えたことがないので、「ニック・ニーサー」が、もしかしたら車の名前とか、植物の名前であっても、同じ感想を書くだろうと思う。(車も、植物、草花も、私はほとんど知らない。)
 1連目。

 なぜって言われても、此処に立っているのは、ぼおおーんぼおおーんと風は鳴り空は太く伸びて、風まかせの梯子が、どちらに倒れてゆくのか見定めてゆく場所。

 何が書いてあるのか。「ニック・ニーサー」同様、私にはわからない。「此処」とはどこなのかも見当もつかない。ニック・ニーサーに出会った場所? どうもちがうような気がする。そして、「此処」がどこであるかさっぱりわからないのに、それがどこであるかがわかると感じてしまうのだ。
 「ぼおおーんぼおおーんと風は鳴り空は太く伸びて、」--そう書かれているとおりに、「此処」に立てば、「ぼおおーんぼおおーんと風は鳴り空は太く伸びて」いくのが実感できる場所なのだ。都会というよりも、ちょっといなかっぽい街。家の屋根は低く、空が広い。風が音を立てながら吹き渡るとき、空がそれを追いかけるように動いてゆく。のびてゆく。「ぼおおーんぼおおーん」は風の音であるより、空が伸びるときの音である。そういうものをはっきりと感じる。

 そして、その「空は伸びて、」ということよりもさらにさらに感じるものがある。なまなましく迫ってくるものがある。「伸びて、」と中断したまま、何かとつながろうとすることばのなかの、連続性、粘着性に永島自身を感じてしまうのである。(私は永島は面識がなく、実際にはどういう人間か知らないといえば知らないのだが。)

 「空は太く伸びて」とはどういうこと?
 私は適当なことを書いたけれど、実は、よくわからない。多くの読者もわからないと思う。そして、実は、永島にもよくはわからない、他人にきちんと説明できるようにはわからないのだと思う。「ほら、風が吹くとき、空が伸びるじゃないか」と同じことを繰り返すだけかもしれない。それはたぶん、「わかる」ことではなく、「思う」ことなのだ。「感じる」とも違って、たぶん「思う」ことなのである。
 その「思う」ことのなかに、私は永島をリアルに感じてしまうのである。

 「思う」というのは自分のなかにある何かを外へひっぱりだそうとする意思なのである。(「意思」のなかに「思う」が含まれているけれど。)永島は、何かをひっぱりだしたい。けれどもひっぱりだしきれていない。ことばは、「ぼおおーんぼおおーんと風は鳴り空は太く伸びて、」と、そこまでは動いたけれど、そこから先へ動かない。中断する。「空は太く伸びて、」それから「空は」何をしたのか。「動詞」がない。何もできずに、そこで中途半端に、別なものにずれてしまう。ずれるとわかっていても、なんとか、「伸びて、」をつなげたい、連続させたい。「伸びて、」とつなげようとしてつならがらないものの「間(ま)」に、ほんとうのいいたいことがあるだ。
 つなげようとして、つながらない。それでもつなげてしまう。「宙ぶらりんの中断」(たとえば、「伸びて」)をかかえたまま、何かとつながってしまう。その瞬間の、あ、こんなことをほんとうは「思いたくはなかったのに」、なぜほんとうに「思っている」ことを思えないのか、ともどかしくなる。
 そういうもどかしさが、この詩のいたるところに出てくる。
 各連の終わり。「優しく澄みきって。」「錆びてしまい。」「はいってしまっていて。」「ならなくなって。」というような中途半端な終わり方をしている連がいくつもある。で、そのつづきは? つづきはどうなったの? 
 述語がない。
 述語は、実は永島の「思う」のなかにはある。「文法」的には述語はないが、永島の「思う」のなかには、ことばにならないまま存在し、うごめいている。
 彼が思っていることのなかでは、すべて述語があるけれど、それを現実に「流通」する形に整えることができない。「文法」的にととのえることができないので、そのままにして、それになんとかつながるように、もう一度「思う」ことを思いなおす。「思う」をはじめる。繰り返し繰り返し「思う」をはじめる。
 それがつづく。そして、終わりがない。「思う」には終わりなどないのである。それが「伸びて、」という形に象徴的にあらわれている。

 「詩歌句」は今号で終わりになる。永島は、そう書いている。しかし、「詩歌句」が終わっても、永島が「思う」ことは終わらない。ことばは「思う」がひっぱりだそうとしたものを思い続け、動き続けるだろう。
 そういうことを感じさせる。

 私は永島の詩をそんなに熱心に読んできた読者ではないのだけれど、「ひとみさんこらえるということは」にも、その文体に、何か、語りきれないものをことばでひっぱりだそうとしている「思い」を感じる。
 文法には反してしまうが、文法的に乱れた形でしか伝えられない何かがある。人間と人間のつながりのなかに、文法を乱すことでつながっていくものがある。それをなんとかことばとして残しておきたいといった感じの「思い」を感じる。
 たとえば「ひとみさんこらえるということは」という文章なら、普通は「ひとみさん、こらえるということは」と読点「、」を入れて書くが永島は読点なしに書く。そのとき、その読点「、」のかわりに何が存在しているのか。読点「、」を省くことで何が存在してしまうのか。--そこには、たぶん、「ひとみさん、ひとみさんがこらえるということは」「ひとみさん、ひとがこらえるということは」という文が重なっているのだ。「ひとみさん」と「ひと」が、つまり個人と一般名詞(普遍)が瞬間的に重なり合い、読点「、」が消えるのである。永島は、ひとみさんだけに語りかけたい。しかし、そこにはひとみさんのことと、ひとのことが重なり合う。そして、ひとにはもちろん永島も重なり合う。そういう重なりあいのなかで、「思い」というものは揺れるのだ。頭では割り切れない。「文法」には収まり切れないものが出てくるのだ。そういうものを「思う」、思い続ける。そして、なんとかことばにできるものはことばにする。
 その、苦しい苦しい、「思う」ことの粘着性が、たとえば読点「、」を消してしまい、たとえば「空は太く伸びて、」というどこかへつながろうとする意識となって、そのまま、完結せずにそこに立ち現れてくる。

 詩でも小説でも何でもいいのだが、そこに書かれている「内容」ではなく、それを書くときの「文体」の方に、ほんとうは「思想」がある。そのひとの肉体となっていることばの運動の基本がある。ゆずれないものがある。
 永島の場合は、連続性、連続のための粘着性がそれにあたると思う。
 永島は「詩歌句」を終刊するようだが、ことばの運動、その思いの連続性、粘着力のあることばは、まだまだつづくはずである。


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駱英『都市流浪集』(4)

2007-10-06 09:42:59 | 詩集
  駱英都市流浪集』(竹内新・編訳)(思潮社、2007年08月20日発行)
 駱英の文体の特徴は「野蛮」を秘めたスピードである。「野蛮」はもともとスピードが速い。直情である。「経済学批判」の書き出し。

私は思う
私とは一冊の経済学批判なのだ
私が詩を書くのは賊たちが盗んできた花輪に
光を放とうとしてのことだ
私は知っている
歴史の通り抜けは複雑なルートというわけではない

 「私は思う」と「私は知っている」は駱英においては同じ意味である。入れ換えても意味は変わらない。「思う」ことは「知っている」ことなのである。そこにスピードがあり、そこに「野蛮」がある。
 「学問」、たとえば「経済学」は「思う」ことと「知っている」ことを区別する。自分が貧乏であると思う。そしていまの経済体制が許せないと思う。何かが間違っていると思う。しかし、なぜ自分がそういう境遇なのか、経済的にどういう仕組みなのか知らない。知らないから、怒りをぶっつける。そういう激情を、一般的にひとは「学問」の範疇にいれない。貧乏であるという状態と、経済の構造の、複雑なルートを解明するのが「学問」である。誰にでもわかるように、誰にでも納得できるように、具体的な事実を積み上げて証明するのが「学問」であって、それは「思う」こととは完全に区別される。
 しかし、駱英は区別しないのだ。むしろ、「思う」こと、具体的な事実など無視して、人間の感情そのものを剥き出しのままつかむこと、人間の感情を「知る」こと、激情を生きる人間の行動を「知る」ことが「学問」として確立されなければならないと考える。
 作品のつづき。

誰が富裕で誰が困窮しているか、そのやるせなさを
耳を塞いで聞かないようにする必要があるだけだ

 「経済学」とは、ようするに貧乏人が苦労しているという声を無視して成立しているということを駱英は知っている。人間の声を無視して成り立っているのが「経済学」であると思っている。--ここにみられる「知る」と「思う」の直接的なつながり、その連結のスピードこそ、そしてまさに多くの人間の(学問とは無縁の人間の)すべてである。

 駱英は「野蛮」ゆえに都市で孤立している。それは「複雑なルート」を生きていないからである。単純な、というより「ルート」など必要のない直接連結を生きているからである。その直接的な結びつき、「思う」と「知る」が互いにかたく結びついてしまう力ゆえに、駱英は「知っている」ことを「ルート」にして他人と共有することができない。
 それが駱英の哀しみであるけれど、それはまた駱英の栄光でもあるだろう。駱英はその孤立、孤高ゆえに、同じように「思う」ことと「知っている」ことを混同して「都市」をさまようにすべての人間につながっているからである。「思う」ことと「知っている」ことの区別のなさゆえに、同じように「思う」ことを「知っている」ことをとおしてだれかに訴える「ルート」をもたない人間--つまり「学者」ではないほとんどの人間と直接的につながってしまうからである。「大衆」とつながるからである。
 「大衆」と私はいまひとくくりにしてしまったが、人間はひとくくりにはならない。それぞれが自分の時間を生きている。「大衆」とつながることは、きのうの感想につなげていえば、「複数の私」になることだ。「複数」でありながら「ひとり」。それは矛盾である。矛盾であるからこそ、そこに駱英が生きている。
 このことを駱英は「自画像」で次のように書いている。

私は私だ
私は決して私なのではない

 これは論理的には矛盾だが、その矛盾は対立して存在するのではない。密着して存在する。「思う」と「知っている」が直接結びついているように、直接的に結びついている。この2行。その内容・意味を駱英が「思う」のか「知っている」のか区別がつかないように。
 そして、駱英はたとえば「経済学」にみられる「知のルート」を、区別のつかない「思う」と「知っている」のぶつかりあい、融合するスピードで疾走し、「知のルート」そのものを破壊しようとしているように感じられる。そうした「野蛮」、素手で戦う無鉄砲さが、私にはとても美しいものに見える。


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駱英『都市流浪集』

2007-10-05 11:22:37 | 詩集
  駱英都市流浪集』(竹内新・編訳)(思潮社、2007年08月20日発行)
 駱英の「都市」のいちばんの不思議さは他人が出てこないことである。他人の変わりに誰が出てくる。「複数の私」である。「都市流浪の歌」の「24」。

ホールに坐ってガラス越しに見渡せば
砕け散った私の影が通りの車と重なり合っている
眼は切断されて五つの花びらになる
あるものは街角に
あるものは胸先に
どれが私なのだろう
(略)
都市は私を流浪させ
愛人のように窓の前で徘徊させる
都市は私にひどい仕打ちをし
浮気性の女のように阿片に浸らせる
都市は私を骨抜きにし
同志のように何度も汗を流させる
誰が私なのだろう

 「どれが私なのだろう」「誰が私なのだろう」。見渡せば「私」だらけなのである。そしてそのすべての「私」が「私」ではないのである。
 「故郷」でも、たぶんほんとうは同じなのである。人間の性質はかわらないから、「故郷」にあっても駱英はすべての存在に「私」を見るだろう。一本の草に、一枚の花びらに、一匹の蝶に。そしてそのとき「どれが私なのだろう」とは悩まない。「一本の草が私だ」「一枚の花びらが私だ」「一匹の蝶が私だ」と書いても、駱英は「故郷」ではそれを矛盾だとは感じない。当然だと感じる。「私」はすべての存在とともにある。「私」はすべての存在といのちを共有している。そういう「いのちの共有」という「野蛮」が駱英の「故郷」である。そこに「郷愁」を駱英は感じている。
 その対極が「都会」だ。あらゆる瞬間に、駱英の姿を映すガラスにさえ「私」は存在するが、そこにはいのちの共有がない。あらゆる人と出会うがどのような人ともいのちの共有がない。
 「誰が私なのだろう」とは、「誰」とならいのちを共有を感じることができるだろうかという意味だろう。

 ここから浮かび上がるのは「孤独」だ。「孤立」だ。「野蛮」を思うとき、私はほんとうはそれを「孤高」と呼びたい。たったひとりで巨大なビルと向き合う駱英。たったひとりで高速道路と向き合う駱英。そのとき駱英は高層ビルに匹敵する「野蛮」を探している。高速道路に向き合い、高速道路に匹敵する「野蛮」を探している。--そして、そんなものはないのだと気がつく。少なくとも、「都市」にはそれがない。それがないとわかっていても、都市にいるので、それを探して「流浪」するしかない。「流浪」するときのエネルギー。それだけが唯一「都市」に向き合う「野蛮」なのだ。
 「都市」の側から見ればわかるはずだ。「都市」は「流浪」を受け入れるふりをしているが、実は拒絶している。流浪する「場」を提供するだけで、「流浪」にあわせて、「都市」そのものが流浪するということはけっしてしない。

 「11」の部分に、駱英の「野蛮」の美しい姿がある。

心はとうに自分のためにさめざめと泣いている
独りぼっちで都市に抗う自分のことが泣けてくる

 涙が美しいのは「野蛮」のこころがあるときだけである。野生の涙だけが美しい。それは私たちが失った涙だからである。「いのちを共有する故郷」から切り離された涙だからである。
 私が「野蛮」「孤高」と書いたものを、駱英は「狼」に置き換えている。「11」の後半は次のように書かれている。

強く恨みたい 一切を強く恨んで
嫌悪するところの生存を嫌悪するのだ
孤独な狼が柵のなかを駆けるように
この都市の暖かい香りに私はもう落ち着いてはいられない

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駱英『都市流浪集』(2)

2007-10-04 09:30:02 | 詩集
 駱英都市流浪集』(竹内新・編訳)(思潮社、2007年08月20日)
 「橋」という作品がある。その書き出し。

橋は
夕陽の中をゆったりと伸びていった
わが恋人の姿はもう地の果てに消えてしまった
呼び声は藍色に変わってしまった
それから橋は高層ビルに似てもう動かせない

 「橋は高層ビルに似てもう動かせない」。このことばに私はびっくりしてしまった。
 わざわざ「動かせない」と書いているのは、駱英の「故郷」の橋は動かせるということだろう。「故郷」の橋は動かせるのに、「都市」の橋は動かせない。これはもちろん物理的な意味ではなく、精神的な意味だろう。
 こういうことは、実は、私はわかりたくない。それなのに、なぜかわかってしまった。不自然な行ではなく、その通りだと思うこころが私にあって、そのこころがこの行と共鳴しているのを感じ、驚いてしまった。
 「故郷」の橋は「都市」の橋とは違って動かせるのだ。動くのだ。そうとらえる駱英のこころが、実は私にはわかってしまったのだ。--もちろん私のわかったは「誤解」であり、私が単純に思い込んでいるだけのことではあるのだが。
 その前の「呼び声は藍色に変わってしまった」も同じである。
 「藍色」。このことばで駱英が何を伝えたかったのかわからないが、その藍色が、実は私には見えたのである。というと奇妙だけれど、もし恋人を呼ぶ声があり、そしてその声が届かないものであるなら、私もその声の色は藍色以外にないと思うのである。迫ってくる暗闇のなか、「都市」の雑踏のなかで、それは短く、のどから出ると、口のその先で、ふっと止まってしまうのである。青ならもう少し、水色ならさらにもう少し先まで進むかもしれないが、藍色は肉体のすぐ前でとまり、そこで哀しみに変わるのである。
 「故郷」ではそうではないのだ。
 「故郷」では、橋はまず夕陽の中を伸びてはゆかない。むしろ縮む。縮んでなくなる。(動かせる、とは、そういう意味である。)恋人が去ってゆくとしても、追いかけたい気持ちがあれば橋は縮む。橋など消える。ただ追いかければいい。誰も邪魔などしない。恋人がくっついたり離れたりするのは、単なる繰り返しであり、取り返しのつかないことではない。いつでも「動かせる」何かなのである。
 ところが「都市」ではそんな具合にいかない。人間のもっている「野蛮」の美しさは受け入れられない。(「野蛮」は「野生」、あるいは「自然」と言い換えた方がたぶんわかりやすいのかもしれないけれど、私は「野蛮」にこだわりたい。)「故郷」では恋人を呼ぶ叫び声を聞くのは、人間のことなどまったく気にかけていない草や木や、長い道、そして小さな橋だけである。そういう状況のなかでは人間は「野蛮」になれる。ところが「都市」では、人の声を聞くのは草や木や、もちろん橋でもなく、人間なのだ。橋にもビルにも複数の、いや無数の人間の耳があり、それが駱英を「野蛮」のままで配させてくれないのである。
 私の感じていることは「誤解」かもしれない。たぶん、誤解なのだろうと信じたいけれど、その誤解としか言えない何かを私は感じてしまった。
 それは別なことばで言えば、駱英のことばに触発されて、私の「故郷」が目を覚ましたのだということかもしれない。

 「故郷」とは何か。「野蛮」とは何か。たとえば「生き存える」の書き出しの2行。

酒場のホールに生き存え
繰り返し繰り返し装いを脱ぎ捨てる

 この「繰り返し」、しかも一回ではなく「繰り返し繰り返し」という反復の時間が「故郷」なのである。「都市」は「繰り返し」を許さない。「繰り返し」は無駄である。いかに反復を少なくし、前進をつづけるかが「都市」の命題であるのに対し、「故郷」はいかに「繰り返し繰り返し」を繰り返しながら前進しないか、そこにとどまりつづけるかが命題である。「繰り返し繰り返し」「野蛮」は蕩尽する。そこにひとつ至福がある。そしてその至福は、「都市」では、少なくとも公的な場ではありえない至福である。(まったく私的な個室でなら蕩尽はありうるだろうとは思う。--バタイユの世界のように。バタイユの「野蛮」は「都市の野蛮」である。「都市を生きる人間の野蛮」である。)
 「都市」では、駱英は傷つき、傷つくことで回復する。自らを「繰り返し繰り返し」という時間におくことで、自己を回復するように見える。
 同じ「生き存える」のなかの2行。

庭の薔薇は今ちょうど一面に赤く咲いているというのに
どの花びらに我が故郷のホソバグミの花の香りがあるというのだろう

 「薔薇」と「ホソバグミ」は違う植物だから、その「花びら」の匂いが同じということはありえない。しかし、そのことを駱英は嘆いている。橋を動かせないのと同じように嘆いている。「故郷」では橋が動かせるように、それも縮む形で動かせるように、「故郷」ではあらゆる花びらがあらゆる花のにおいを共有するのだ。溶け合っているのだ。それは季節がくれば「繰り返し繰り返し」咲き乱れるという「野蛮の蕩尽」があらゆる花のなかに、花のいのちのなかにあるからだ。
 それを思いだすたび、駱英は傷つく。同時に蘇る。そうした「野蛮の蕩尽」を思い出せるかぎりにおいて、まだ駱英は「野蛮の蕩尽」を生きることができるからである。駱英の「故郷」は「都市」のなかで、まだ生き存えているのだ。

 これはちょっとうれしい。かなりうれしい。いいことばを読んだ、という気持ちになる。思いがけない詩集に出会って、私はびっくりしている。びっくりしたまま、私のことばは、好き勝手に動いている。--たぶん、私の感想は、誰とも共有できないものかもしれない。それでも書かずにはいられない。
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駱英『都市流浪集』

2007-10-03 09:37:50 | 詩集
 駱英都市流浪集』(竹内新・編訳)(思潮社、2007年08月20日)
 「都市」とはいったい何か。これは「故郷」とはいったい何かという問いと一体のものだろうか。
 先日、岡本勝人の『都市の詩学』(思潮社)を読んだばかりなので、二人の「都市」、二人の「故郷」がまったく違った形で見えてきて、そのことに私はまず驚かされた。
 駱英の「都市を流浪する」の書き出し。

朝だ
私の流浪が始まろうとしている
陽はそわそわ落ち着かない
私はコンクリートのすき間にいる虫のことが心配だ
今日の強烈な陽射しにどう向き合うというのだ
またくる夜にはたおやかな鳴き声を失っているだろう
私の流浪はきっと都市の中で方角を見失うだろう
街角の小さな草よ おまえは枯れて黄色くなり
思い足取りがおまえの背骨を踏みしだく
長い夜にさらされたおまえの眠りにすがすがしい香りはない

 駱英の「故郷」は「虫」であり、「草」である。岡本勝人の「故郷」は「棚田」であり「木蓮」であった(「歌と仕事」)。この違いはとても大きい。駱英の「虫」に名前はない。「草」に名前はない。そこには「文化」がない--というと大げさだが、人間と自然とのかかわりが「文化」になっていない。野蛮のままである。
 一方、岡田は「棚田」を風景としてもち、木蓮を風景としてもつ。「棚田」は農民がつくりあげた「文化」である。そこには人間の手がくわわっている。人間の手がくわわることで美しさをもっている。「木蓮」も「花」ではなく、他の花と区別され「木蓮」という名前をもつことで人間の生活に密着している。「木蓮」の花が咲いたとき、ひとはたとえば田を耕し水を張る。農民の暮らしは、そういう整然とした規則をもっている。「文化」をもっている。
 駱英の「故郷」にももちろん「文化」はあるだろうけれど、駱英はそうした暮らし、「文化」以前のものを、彼自身の「故郷」としている。名もない「虫」、名もない「草」を「故郷」としている。無防備ないのち、人間の手を借りずに自然のなかにただ存在するもの、野蛮(これはいい意味で書いているのだが)の生々しいいのちが、駱英にとっての「故郷」なのである。
 駱英にとって「野蛮」が「故郷」であるということは、彼自身のいのちもまた「野蛮」を出発点としている、ということである。
 岡本は「故郷」の整然とした「文化」をかかえて「都市」(の文化)と向き合い、その「文化」の差異の中で繊細にゆらぎ、郷愁の声を歌にする。
 駱英は違う。駱英のなかにある「野蛮」の血が、「故郷」の「文化」というクッションをへずに、いきなり「都市」の「文化」とぶつかる。それは、駱英の「野蛮」と「都市」の「野蛮」がぶつかりあうという形をとる。「都市を流浪する」の書き出しだけでもそのことがわかる。
 都市の野蛮は小さな虫のいのちをけちらす。虫のために草むらさえ用意しない。土さえも用意せず、残酷な太陽のなかに虫をさらけだすだけではなく、コンクリートの照り返しで虫を苦しめる。この虫を、たとえば何ももたず(金も持たず)、無防備なまま「故郷」からでてきたひとりの人間に置き換えてみると、「都市の野蛮」がくっきりするだろう。「都市」は金も職ももたない人間を拒絶し、路頭にほうりだす。そしてその人間を無慈悲な太陽はただあぶるだけである。
 草も同じである。やっと生き長らえることのできる「土」の破片にしがみついても、そこを通りすぎる人間に踏みしだかれるだけである。
 都市には野蛮が満ちており、それは無防備ないのちに対して容赦がない。どこまでもどこまでも残酷である。この残酷さを、駱英は、どんなふうにして自分自身のなかに取り込んでゆけるのか。都市の残酷な野蛮と戦い、それに打ち勝ち、彼自身なのかの野蛮を、その輝きを解放できるのか。
 詩は、たぶん詩のことばは、駱英の美しい野蛮を守り、また都市の野蛮をかみ砕き、消化するための唯一の方法かもしれない。どのことばも、ひどく生々しい。どのことばも、それぞれに鮮烈な血を噴き上げている。その血のあたたかさ、まがまがしさ。まがまがしい美しさ。その恍惚。比類がない。
 詩、でしかありえないことば。詩になるしかない、ことば、ことば。

 都市の野蛮に傷つき、血を流す虫や草に駱英自身を重ね合わせたあと、駱英は遠い遠い「故郷」を夢みる。その最後の1行が、またとてつもなく美しい。

ふるさとよ おまえの小川は今も私のために流れている

 この川は、たしかに小川なのだ。そしてそれは何の手入れもされていない川だ。降った雨が山の草木を、その枯れ葉の下をくぐり、地中をもぐり、しずかに地表にでてきた一滴一滴がただ低い方へ低い方へと自然に集まってできた小川。自然ないのち。水のいのち。駱英の「故郷」では水さえもいのちをもち、流れているのだ。それはどんなに離れていても、お駱英のこころのなかへと流れてくる。駱英のこころはいつでもその小川のほとりにある。そこでは草があり、虫が鳴いているのだ。駱英はたとえばその草むらで虫をけちらしたかもしれない。草を踏んだかもしれない。しかし、それは虫や草にとってはなんでもないこと、自然のありうるできごとのひとつにすぎず、あるいはより強く生きていくための試練のようなもの、よりたくましい「野蛮」を身につけるためのできごとにすぎないだろう。
 駱英の野蛮は、そうした虫や草の野蛮と同じように、自然そのものを呼吸している。そういう野蛮がみた「都市」を駱英は描いている。野蛮のみた抒情が、この詩集にはつまっている。


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広田修「桃の実」

2007-10-02 09:33:08 | 詩(雑誌・同人誌)
 広田修「桃の実」(「現代詩手帖」2007年10月号)
 「新人作品」欄に載っている。蜂飼耳が選んでいる。蜂飼の選ぶ作品はいつもとてもおもしろい。今回の広田の作品もおもしろい。蜂飼の感想と重なるが、次の部分がとてもおもしろい。

お前本当は桃の実じゃないだろう
ぼくはそいつをもぎ取り
皮をむいてみた
白くて柔らかい果肉があった
食べてみたら甘かった
そこまで徹底して僕をだまそうというのか

桃の実の置かれた地点で
いくつもの曲線が交わっている
この曲線はあの日の僕の痛み
この曲線は誰かの失恋
この曲線は自動車の発明
僕は悲しくなって泣いた
だって無関係なものが
たくさん交わりすぎているじゃないか

 引用した最後の2行が特におもしろい。
 広田のことばは、私の知っているかぎりでは「論理的」に動いてゆく。「論理」が好きなのだと思う。「論理」とカギ括弧をつけてしまうのは、それが本当の論理ではないからだ。論理と呼ぶには原理が定義されていない。たとえば、この詩では「曲線」というものが定義されていない。定義されないまま、そのことばを繰り返すことで、そこにあたかも論理的な何かがあるかのように装われている。
 そこにあるのは「僕の痛み」「失恋」ということばが象徴的だが、何か「抒情的な」ものである。
 「痛み」というものは実は不思議なものである。たとえば人が腹を抱えうずくまり、脂汗を流している。うめいている。そうすると、私たちは「あ、この人は腹が痛いのだ」と感じる。自分の肉体ではないのに、その「痛み」がわかる。「僕の痛み」あるいは「失恋」の痛み、というのは、肉体の痛みのようには伝わってはこない。「そんなことで、痛いの?」と思うこともある。「僕の痛み」「失恋」の痛みが共有されるには、肉体ではなく感情が共有されなければならない。これは、なかなかむずかしいけれど、むずかしいだけにいったん共有されると「肉体の痛み」よりも強烈に働く。共感を呼ぶ。「肉体の痛みは手術でどうにかなる。こころの痛みは外科手術がきかない」という「論理(?)」を引き寄せる。
 広田がここで書いている「曲線」は、そうした何か「共感」を前提とすることばである。
 こうしたことばが「詩」として働くのは、そこに一種の「共感覚」があるからだ。たとえば私はその「曲線」に「曲線」以外のものを感じる。それはほかのことばに置き換えられないが、「曲線」ということばを読みながら、私はどんな「曲線」も思い浮かべていない。一種の「音楽」を聴いている。音を聴いていて、その「音」が美しいなあ、と感じる。「音」の抒情に誘われてしまう。きらきら輝いて見える。「曲線」という「音」がこんなに美しい輝きを持っているとは思わなかった。そして、それがモーツァルトの繰り返しのように繰り返されるとき、その「音」に酔ってしまう。きらきら疾走するものを感じて、うっとりしてしまう。
 私の感じているものと「曲線」とは、何の関係もない。論理的には無関係である。論理的には無関係であるけれど、それが、ふいに、なぜか結びついてしまう。
 詩の好き嫌いは、たぶんに、そういう論理とは無関係なもの、「共感覚」とどこかでつながっている。
 広田が、そういう問題をどれくらい切実に感じているかはわからないが、「だって無関係なものが/たくさん交わりすぎているじゃないか」という行からは、何かを感じているらしいということが窺える。「共感覚」をどこかで探り当てていることが窺える。
 この「共感覚」を「共感覚」のまま、ずーっと維持し続ければ、たとえば蜂飼のようなとてもすばらしい作品になるのだと思う。広田は、しかし、そういう世界へは入ってゆかない。どこかで「論理」ではなく、ほんとうの論理にあこがれがあるのかもしれない。論理を哲学と言い換えれば、広田の引き返す場がわかりやすいかもしれない。
 今、広田は、詩と論理(哲学)のあいだで引き裂かれ、宙ぶらりんの状態なのかもしれない。宙ぶらりんは宙ぶらりんでおもしろいのだが、それが論理へ引き換えそうとする意思が強いと、ちょっとつまらない。蜂飼も指摘しているが、たとえば次の2行は、それまでの「共感覚」からほど遠く、とても味気ない。

すると重さはあくまで重く
赤さはあくまで赤くなってしまい

 論理のことばをどう捨てるか。これは広田にとっては難問だ。広田の頭は論理を指向しているからである。「交わりすぎている」ものをまじわったままかかえこむ、抱き締めるのではなく、交わりを解きほぐし、重さは重さに、赤い色は赤い色に分類して整理してしまう方向を指向するのが広田の頭だからである。

コメント (1)
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