詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アリバイづくりをする読売新聞(「監督権行使」の追加記事)

2020-10-02 14:49:41 | 自民党憲法改正草案を読む
ニュースの価値判断
   自民党憲法改正草案を読む/番外401(情報の読み方)

 「日本学術会議」の問題についてはすでに書いたが、もう一度書いておく。
 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を25面(第三社会面)で、

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 という2本の見出しを立てて書いていた。(番号は、私がつけた。)
 少し気になって、図書館で他紙を読んでみた。
 朝日、毎日新聞は1面に「本記」、他面にサイド記事(関連記事)。西日本新聞、日経新聞は第2社会面(右側のページ)、産経新聞は内政面(?)に載っていた。
 いずれも、読売新聞が②の見出しでとっていることを「本記」として書いている。①の見出しをとっているのは毎日新聞だけである。その毎日新聞も見出しは1段見出し。ただ見出しがついているだけということである。
 どの新聞も、菅が、日本学術会議が推薦してきた名簿から6人を外して任命したことに問題がある。今後も、そのことが問題になるという認識でニュースを伝えている。
 すでに書いたが、日本学術会議の会長がだれであるかは、会長をめざしている人には関係があるかもしれないが、国民には関係がない。そんなことはニュースではないのだ。
 読売新聞は、そんなニュースでもないことを大扱いしている。これは、任命拒否が「学問の自由」を侵害するという問題を含んでいるということを隠すためである。
 「なぜ、そのことを書かないのだ」と批判されたときに、「いえ、ちゃんと書いています」という「アリバイづくり」のために、読売新聞は会長選任のニュースのあとに任命拒否のニュースを掲載しているだけなのだ。

 2015年の戦争法をめぐる国会前のデモ。国会前を国民が埋めつくした。このとき読売新聞は、多くの新聞が国会前を埋めつくしている航空写真を掲載した。しかし、読売新聞(西部版)は社会面に、デモに参加する人たちが集まってくる写真(大集合になる前の写真)を法案に賛成を呼び掛けるデモの写真と並列して掲載している。(確かめていないが、東京の紙面もおなじだろう。)法案に賛成と反対の人がおなじ程度だという印象づけるための「操作」である。そして、読売新聞も国会前のデモを報道していますという「アリバイづくり」である。
 姑息な「忖度」報道が「事実」を隠す。
 批判されたときは、「読売新聞も、ちゃんと報道しています」といいわけをする。
 ニュースとは何よりも価値判断である。価値判断を放棄し、政権よりの視点からニュースを伝え、批判されたら「事実は伝えているから、批判の指摘にあたらない」と菅のように開き直るつもりなのだ。
 「弁解」をあらかじめ含んだニュースは、もうニュースではない。伝えないよりも、悪い。「伝えていないじゃないか」という批判を封じているからである。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
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監督権行使

2020-10-02 10:33:35 | 自民党憲法改正草案を読む
監督権行使
   自民党憲法改正草案を読む/番外400(情報の読み方)

 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を堂取り扱っているか。
 西部版では25面(第三社会面)に書いている。記事は二本立て。(番号は、私がつけた。)

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 さて。
 学術会議の会長がだれかということ、知っていた? いままで、だれが会長をしていた? 知っているひとは学術会議のメンバー(学者)だけだろうなあ、と思う。記事によると朝永振一郎もやっていたそうである。
 だいたい「日本学術会議」の存在自体、ふつうの国民は知らないと思う。(私は、知らない。私は自己中心的な人間だから、自分を基準にして「ふつうの国民は知らないだろう」と推測しているだけだが。)なぜ知らないかというと、その「会議」に私が出席することはないからだ。「学術会議」だからいろいろなテーマが語られると思う。私の関心のある分野もあるかもしれないが、梶田や朝永の「物理学」は、聞いてもわからない。だから、まあ、知らなくても、関係ないなあ、と言っていられる。
 そういう意味では、会長がだれであるかなど、ほとんどの国民には関係がない。国民にとってのニュースではない。会議のメンバーにとっては(特に、会長になりたい、と思っている人には大ニュースだと思うが。)
 もし、だれが会長かが「問題」になるとしたら、その人が「特異な」「思想」を持っているときだろう。そして、それを主張しているときだろう。たとえば「科学は武器の開発に有効なものでなければならない。平和は保有している核兵器の数によって保障されている」とかね。そういう学者もいるかもしれないけれど、まあ、会長になることはないだろう。そういう人が会長になったら、それは私の見方では、とても困る。新会長の梶田がどんな思想の持ち主なのかわからないが、

梶田教授は「近年の科学技術の急激な発展によって、科学と社会の距離が狭まっている。今後、学術会議と外部との対話をさらに進めていきたい」と抱負を述べた。

 というのを読むかぎり、これは変だぞ、と感じることはない。

 問題は、会長がだれかよりも、②首相 会員候補6人任命せず、である。読売新聞にも、こう書いてある。

 加藤官房長官は1日の記者会見で、日本学術会議が推薦した新会員候補105人のうち、菅首相が6人を任命しなかったことを明らかにした。推薦を受けて首相が任命する制度が導入された2004年以降、任命が見送られたのは初めて。

 「任命が見送られたのは初めて」。
 「初めて」のことがニュースである。梶田が会長に選ばれたのも「初めて」かもしれないが、会長はいつでも選ばれていたのだから、それは単に「習慣」のひとつであって、「初めて」というほどのことでもない。
 そして、いちばんの問題は、その「初めて」が、なぜ、いま「初めて」おこなわれたのか、である。
 これを追及するのがジャーナリズムの仕事。
 読売新聞は、どう伝えているか。いろいろなところで「学問の自由の侵害」という声が起きている。それは政権にも届いてている。

 加藤氏は「法律上、首相の直轄であり、人事などを通じて一定の監督権を行使することは可能だ。直ちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べ、問題はないとの認識を示した。

 読売新聞は、加藤の言い分(菅の代弁)を、そのまま伝えているだけである。これでは新聞の役割を果たしていない。どこに注目して読むべきか、それを知らせないといけない。
 加藤の「ことば」で問題になるのは「監督権」である。いったい、何を「監督」するというのだろうか。それを明確にせずに、「監督権」といってもしようがない。
 加藤はこの「監督権」を「人事」ということばといっしょにつかっている。このことが非常に重要である。「人事」を支配する(今回が、まさに、それ)によって、何事かを「監督」するのである。
 一定の予算が「学術会議」に支出される。その使い道を「監督する」というのは、無駄遣いをさせないという意味では「正しい」ことのように感じられる。しかし、、どの学問に金を使い、どの学問に金を使わせないかということを「監督する」ということは、金のつかい方を支配するということである。
 たとえばイグノーベル賞を受賞した研究には予算を出さない、ということが決定されるかもしれない。笑いだしてしまうような研究なので、それが研究されなくなったからといって、きっと多くのひとは気にしない。気にするのは、その研究をするひとだけ。なぜ、こんなことがおきるのか、それを知りたいと思っている人だけかもしれない。
 しかし、きっと、それだけではないのだ。気にならないようなところから、少しずつ「監督」というのなの「支配」がはじまっていくのだ。

 任命されなかった6人。その6人が公表されたとして、国民の何人が、この人はこんな科学的研究をしている、その功績はこれこれである、と言えるだろうか。その人がどんな考えをもって科学的研究をしているかを言えるだろうか。99%以上の国民が答えられない。だから、そのひとが学術会議の会員になれないということも、気にならない。自分の関心事ではないからだ。
 逆に言えば。
 だれが何を研究しているか、どんな考えを持って研究しているかを、菅は気にした。それを調べて、その調べた結果を「人事」に反映させた。「人事支配」をつうじて、「学術会議」そのものを支配しようとしているということだ。
 思い出そう。
 菅は「官邸の方針に従わない官僚は異動させる」と言った。「異動させる」は「排除する」である。それを「学術会議」にもあてはめようとしているのだ。「官僚の方針に従わない学者は学者として認めない(排除する)」。
 実際に、こういうことが書かれている。

 任命されなかった6人のうち、立命館大学大学院法務研究科の松宮孝明教授(略)は2017年に野党側の参考人として国会に出席し、テロ等準備罪法を批判した。立憲民主党の安住淳国会対策委員長は「(任命見送りが)政治的意図を持っていたとすれば看過できない」と記者団に語った。

 なぜ、松宮が「排除された」のか、それを追求するのがジャーナリズムの仕事である。安住に代弁させればそれでいいという問題ではない。
 加藤は、こういうかもしれない。
 「ある特定の学者は、政府と関係する分野からは排除した。しかし、排除されても学問の研究はできるから、それは学問の自由の侵害ではない」
 こういうことを「詭弁」という。
 「詭弁」は、最初はなかなか「詭弁」とは気づかない。
 「詭弁」に気づき、それを問題にしていくのがジャーナリズムの仕事のひとつである。それを読売新聞は指摘しないだけではなく、会長がだれになったかというようなことを「大ニュース」のように仕立て、本当の問題を隠している。
 読売新聞は、菅と加藤に「忖度」している、ということだ。

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「詩はどこにあるか」2020年9月号

2020-10-02 08:47:58 | 考える日記
「詩はどこにあるか」2020年9月号発売中。1750円(送料別)
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目次

小池昌代『かきがら』(2)2  笠原仙一『命の火』5
以倉紘平「水字貝」9  青柳俊哉「水面」、池田清子「慣れ」、徳永孝「振亜さん」11
冨岡悦子「文庫本」20  中村不二夫『鳥のうた』22
未知野道「雨」26  佐藤裕子「再び しびとに夢を見てはならない」30
大橋英人『パスタの羅んぷ』34  田中庸介「こぼれ、倒す」「洗濯男」、細田傳造「思想少年」40
愛啓浩一「ベンヤミンは書いている」45 村上春樹の読み方56
北野丘『字扶桑』61  小川三郎「バス」65
沢田敏子『一通の配達不能郵便が私を呼んだ』69  鎌田尚美「涸れ井戸」ほか73
松浦寿輝「人外詩篇 9」78  くりはらすなを『ちいさな椅子とちいさなテーブルを持つ家』83
白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」85   嵩文彦「生活」89
高貝弘也「黒犬/記憶」94  伊藤芳博『いのち/ことば』98
高橋秀明「春泥」102  ロン・ハワード監督「パヴァロッティ 太陽のテノール」106
冨岡郁子「朽木の空(ウロ)」109  クリストファー・ノーラン監督「TENET テネット」119
北爪満喜『bridge』121


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独裁のはじまり。

2020-10-01 21:54:59 | 自民党憲法改正草案を読む
「日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り」というニュースが報道されている。「赤旗」がスクープしたものを、NHKも追いかけている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201001/k10012643361000.html?fbclid=IwAR18pct1l1xf020uGcHD3dFlMDFbcl6rPEK8PgaOJo-GCEwEICs44rK5gzo

独裁はいつでも、こういう「わかりにくい」ところからはじまる。
日本学術会議の会員がだれかということは、一般のひとは知らない。
だから学者が会員になれなかったからといって、それが生活にどう影響してくるかも実感できない。
極端に言えば、素人は「その人の学問の水準が基準に達していないということでは」と思ってしまう。
自分に、その「学問」に対する知識がないのに、である。
これがたとえば「紅白歌合戦」の出場者だったりしたら、「えっ、あんなに売れているのになぜ?」という声が起きる。
昔、グループサウンズが締め出されたように。ピーターが締め出されたように。
ひばりが、弟の問題で出場できなくなったとき、なぜ?という声が起きたように。
学問の世界は、たとえば田中耕一さんがノーベル賞をとったとき、みんながびっくりした。
「下馬評」にもあがっていなかった。でも選ばれた。
知っているひとは知っているが、知らないひとは知りようがないというのが学問の世界である。
こういうわかりにくいところから、菅が手をつけたというは、非常に「巧妙」である。
きっと官僚の人事も、非常に見えにくいところから支配し始めるのだろう。
「官邸の方針に従わない人間は異動させる」と菅は公言していたが、トップを異動させる先に、現場に近い「課長」とか「係長」とか(役職がわからないのでテキトウに書くが)のようなところから手をつけるのだ。
会社だって、そうでしょ?
部長になかなかなれない、という前に、課長になかなかなれない、係長になかなかなれない。課長になるはずが「左遷された」とかね。
こういう「人事」は「会社全体」では目立たない。しかし、「現場」では非常にリアリティーがあるものとしてひとを支配する。
「あの人、部長の意見に反対していたもんね」とか。
で。
言い直すと。
菅のやっているのは「国家の人事」ではなく、「小さい会社の人事」なのだ。
こういう人事をやる組織は、結局、大きくなれない。
どんどん小さくなる。
日本の崩壊が「学問」からはじまった、ということだ。


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高野尭『逃散』

2020-10-01 10:45:58 | 詩集


高野尭『逃散』(七月堂、2020年07月25日発行)

 高野尭『逃散』は、何を書いているのだろうか。たとえば「爪」。

茫洋のもなか
折をたたみ
爪をみている
地のいろはむ
瞳のわくでつくられる
あわいかげ、もや、くもり ひかり

 書き出しの「音」が不思議だ。「ぼうようのも」まで母音は「お」である。「なか」は「あ」である。その変わり目の「な」は「の」と呼び掛け合っている。この響きが「肉体」の奥を揺さぶる。内にこもったものが、爆発し、発散する(解放される)感じ。
 二行目からは「い」が交錯する。
 一連目の最終行では「お」「あ」「い」が「ま行」「か行」「ら行」のなかで動く。「や」の音のなかには「い」と「あ」がある。「もや」には「お・い・あ」が融合している。そのため、私の「肉体」には何か非常に迫ってくるものがある。
 こういう「音」の感じは、たぶん、人によって受け止め方が違うだろう。いやだなあ、と感じる人もいれば、気持ちがいいなあ、と感じる人もいるだろう。私は「揺さぶられる」と言っておく。
 二連目の後半。

なみだが群れる、枯れたか
眼づまりにめいり
不知火にくるう

 濁音の重なり「だ」「が」が乱れて「が・か」へと動き、その間に隠れている「れ」の重なりが、「め」の重なりにつながる。これは「え」の呼応ということもできる。そして「しらぬいにくるう」には「い」と「う」の交錯があるのだが、「くるう」と「う」がつづく響きは「ぼうようのも」と同じように、太く、深く、「肉体」を揺さぶる。
 「漢字」と「ひらがな」の組み合わせのなかに、見えるものと見えないものを重ねている。
 で、何が書いてある? 意味は?
 それは、関係がないなあ。

不在の母をにくむ
茫々はきらい
朱の紙をはきすてる

 「き」らい、は「き」すてるの「き」の音の強さ。それが、直前の「にくむ」と呼び掛け合う。「にくむ」は「きらい」に意味として重なり、それは「はく」「すてる」にも意味として重なるかもしれない。
 あえて、「意味」について語れば。
 でも、「意味」は、それぞれの人間が持っているもの(向き合っているもの)だから、私は、ときにはそれを気にかけない。どんなに「意味」を共有したとしても、どうせ他人、と思ってしまうのだ。私は「誤読」が大好きだが、「誤読」とは筆者の「意味」を無視して、私の「意味」を主張することである。きょうは、「意味」を考えずに、そこに、私とは違う人間がいると感じらるだけでとどめておく。(というのも「誤読」のひとつなのだろうけれど。)
 不誠実な向き合い方かもしれない。でも、誰に対してもすぐに誠実になれるわけではない。共感できるわけではない。何か感じるけれど、しばらく、何か感じたというだけの状態でおいておく。
 高野のこの詩集を読むと、そういう感じにさせられる。
 だから、まだ全部読んだわけではない。拾い読みしながら、この「音」は「肉体」に響いてくるなあ、と感じる。「意味」を拒絶して、私は揺れてみる。高野の詩は、書き出しの音が魅力的なことが多い。

しんやをわかつ舌頭の普通は
ただころしあう寂の音叉                        (寂寥)

さいなむいとぐちほどどこにもあり
北極にほうりなげ指環のありかもはかない               (逃避行)

しらずしらす裂開のうみはだれかの胸座がうずいてうとましい     (夢の異端)

 私は、那珂太郎の「音」を少し思い出している。その「音」は日本語の「音」なのだけれど、不思議なことに「カタカナ」とも親和する。「耳」で聞く「音」ではなく、「声」に出す「音」なのかもしれない。いや、「声」なのかもしれない。
 「傾性」という作品。

はじまりはちらばり
自虐につきすすむ
ちいさな悪魔小僧が
インヴィジブルに
草むらを徘徊していた

野鳩のくぐもる喉音が近づいて
くる秋に咲けないマリーゴールドを
おどろに悔みながらすすり哭く

 マリー「ゴールド」と「おどろ」の掛け合いがいいなあ、と思う。
 いま引用した部分では「くぐもる」「くる」の響きあいが、いちばん好きなんだけれどね。鳩の「ぐるぐる」という求愛の「声/喉音」が「もの」のように迫ってくる。

 「意味」ではなく「音/声」を追い続ければ、高野という詩人の「肉体」にであえるだろうなあ、という予感がある。
 でも、なぜ、最近の詩集はこんなに分厚いのか。「小説」よりもページが多そうである。詩集は、私は、80ページくらい、15篇くらいのものがいいなあ、と思っている。





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