谷川俊太郎「夜のバッハ」を読む(2020年10月05日、朝日カルチャーセンター福岡)
谷川俊太郎「夜のバッハ」(『ベージュ』、新潮社、2020年07月30日発行)を読んだ。
立ち枯れてしまった意味の大通りを
幼児の一団がよちよち歩いて行く
ほつれたセーフティネットにひっかかって
老爺が一人雀のようにもがいている
議会では夥しい法案が葬られ
台所では昔ながらの豆が煮えている
地下深くゴミと化した歴史は埋められ
ウェブは無数の言葉を流産している
終わりを先延ばしして物語は始まった
既に言われたこと書かれたことに
望ましい沈黙が象嵌されている
未来の真実は現在の事実を模倣するだろうか
夜のバッハが誰に聞かれるともなく
人々の耳に近くチェンバロで呟いている
受講生に感想を求めたところ、「一行目、立ち枯れてしまった意味、がいきなりわかりにくいのだけれど、いまの社会を憂えている」「いまの社会の状態を危惧している。反対する気持ちが表れている」「いまの社会の、ことばのあり方、ことばの形骸化について異議を唱えている」「現実と、バッハの神聖な音楽、精神性が対比されている」。
うーん、なんだか、おなじような感想がつづいてしまった。最後の感想は、いきなり結論のような感じで、抽象的だ。共通しているのは、この詩に「いま」を見ていること。そしてその「いま」をけっして肯定しているとは感じていないこと。
私は、受講生に感想を求めておいて、それを否定してしまうことになるのがちょっといやなのだが、こういう「要約」的な感想というものになじめない。バッハの精神性を持ちだしてくるのは的確だと思うけれど、ちょっと抽象的。もっと具体的感想を聞きたい。
とくにむずかしいことばはつかわれていないけれど、わからなかったところはないかな? ということから問いかけなおしてみる。
「幼児が突然出てくるところがわからない」
「なぜ台所で豆が煮えている、という描写が出てくるのかわからない」
「望ましい沈黙が象嵌されている、の望ましい、が何を指して言っているのかわからない」
あ、ちょっとおもしろくなってきた。
で、こんなふうに質問する。
「なぜ、幼児が突然出てくるかわからないということだったけれど、幼児の一団がよちよち歩いて行く、という様子はわかる?」
「それは、わかる」
「それじゃあ、この詩のなかに幼児とは反対のことばはない?」
「老爺」
「ほかに反対というか、対になることばはないかな?」
「一団(大勢)と一人」
「歩いていくともがいている(歩けないでいる)」
「感想のなかに、対比ということばがあったけれど、そこに注目すると、この詩からいろいろなものが見えてくると思う。一連目では幼児と老爺が対比するような形で書かれていることになると思う。二連目では、どうだろう。議会と対比されているのはなんだろう」
「台所」
「どうして?」
「議会は公的な場所。台所は公的ではない」
「議会ではことばがやりとりされる。台所では、ことばではなく豆が煮られている」
「議会では法案が葬られるけれど、台所では料理が完成する。未完成と完成」
「議会はウェブとも対比されている。でも、両方ともことばが飛び交うというのでは、共通している」
「対比なのに共通もある、ということだね」
「葬られると反対のことばは? 共通のことばは?」
「埋められる、は共通している」
「流産している、も共通するものがある。法案も赤ん坊も生まれてこない」
「夥しいと無数も似ている」
「葬られた法案と、ゴミと化した歴史も共通するかもしれないね。葬られ、ゴミとなってしまった法案。その歴史」
こう読み進んでくると、ことばの「意味」は「辞書」に書かれているだけの「定義」ではないということが、だんだん肉体の中に入ってくる。言い直されたり、あたらしいことばが追加されながら、「いいたいこと」がすこしずつ見えてくる。「いいたい」ことが形になってくる。
まだまだ、生まれる前の形だけれど。
一連目、二連目には、わりと具体的なことが書かれている。「幼児」「老爺」「台所」「豆」などは、すぐに目に浮かぶ。
これは「起承転結」でいえば、「起承」にあたる。だからいくらか似ている。そのために、また、わかりやすいと感じる。「わかる」というのは、ことばが重なり合い、それが「意味」に近づいていくことだと思う。
三連目は、調子ががらりと変わる。一気に抽象的になる。だからこそ「望ましい」もわかりについ。「望ましい」自体はわかるけれど、なぜ「沈黙」を修飾しているのか。修飾すること(ことばが結びつくこと)で意味がどう変わるのか、それがわかりにくい。
「終わりを先延ばしにして物語は始まった、というのは、わかったようでわからない矛盾した言い方だね。でも、物語、ということばはわかるよね。この物語に似たことばは、一、二連目になかったかな?」
「歴史。歴史は、物語」
「歴史って、何?」
「いままで起きたことを記録したもの」
「何で記録する?」
「ことば」
「既に言われたこと書かれたこと、というのは、既に言われたことば、書かれたことば、のことだね。歴史につながるね。ことばは、二連目の議会やネットにも関連している。議会、ネットでのことばは葬られたり、流産したりしている。でも歴史として書かれたことばは、葬られても、流産してもいない。そこにある。そこに、ことばはあるのだけれど、それだけが歴史の全てでもない。きっと書かれていないこと、ことばがある。書かれていないことばを言い直すと、どうなるかな?」
「沈黙」
「そうだね、沈黙にはことばがない。それは、議会に対する台所の豆みたいなものかもしれない。何か生活を支える実質的なもの。ことばに記録されないけれど、暮らしのなかで生きつづけていく命のようなもの。それが現実の世界にははめ込まれている。そのことばになっていない暮らし、いのちのようなものを、谷川は望ましい、と言っているだと私は思う」
最終連。
「未来と対比されているのは?」
「現在」
「真実と対比されているのは?」
「事実」
「でも、真実と事実、って違うもの?」
「?」
「歴史はくりかえすと言われることがある。繰り返しは、同じこと。おなじは、模倣、にもつながる。未来は、現在を繰り返し、事実を真実に高めるということかなあ。くりかえされ、生き残るもの、たとえば台所で煮える豆、というのは事実であると同時に、ものを料理して食べて人間は生きていくという暮らし方の真実を語っているかもしれない。バッハは、古典。古いもの。歴史。でも、その音楽はいまも聞かれている。それは、音楽のなかに、台所で煮える豆のよう真実、ことばにされることのない沈黙、のぞましい沈黙があるからかもしれない。呟く、というのは小さな声だね。小さな声は沈黙とは言えないけれど、聞こえにくい声。耳を澄まさないとわからない。いまもだれかの台所で、豆が煮えている。豆を煮ている人がいる。そういうことは、ことばにしてみないと、はっきりとは想像できない。でも、ことばにすると、はっきり見えてくる」
詩は、意識していなかったものを、ことばにすることで見えるようにするものかもしれない。
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