惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

瓶障子

2019-01-07 21:29:02 | ことば

 今日も昨日と似たような一日。夕方の散歩は、図書館ではなく、郵便局方面へ出かけましたが。

 ただ、昨日と違ってお天気が良かったから、午後は日当たりの良い2階の部屋で本を読みました。

 明治時代を舞台にした作品を読んでいる時、昔、田舎の祖父が「瓶障子」という言葉を使っていたことを思い出しました。
 確証はないのですが、たぶん「ガラスの嵌め込まれた障子」という意味。普通にいえば、ガラス窓でしょうか。

 明治生まれで、田舎に暮らした祖父がガラス窓と出会ったのは、いつ頃なのでしょう。一般住宅よりも、学校などへの導入が早かったのかもしれません。だとすると、小学校の頃?
 いずれにせよ、開け閉めする窓には障子が使われるのが普通の世の中から、ガラス窓の世の中へと変化する時代を生きてきたのだと思います。
 「瓶障子」という言葉には、そんな時代の変化がこめられているような気がします。


きのこの日

2018-10-15 21:29:35 | ことば

 本日、10月15日は「きのこの日」であるらしい。
 このことを知った家の人が、「なんで10月15日なんだろう?」と首をかしげていました。語呂合わせではないみたいだし、何か故事来歴でもあるのでしょうか。私にはわかりません。

 で、ネットで調べると、1995年に日本特用林産振興会が制定した記念日だそうで、10月15日とした理由は、10月は天然のキノコが多く採れ、小売店の売場でもきのこコーナーが拡充される。そして「15日は一般に月の中日で慌ただしくなく消費者に対してきのこの良さをアピールするのに適していると思われます。よって10月15日を”きのこの日”と定めることを提唱し、制定に至りました」とのこと。
 季節的には10月が良く、15日あたりなら他のイベントも少なく、目立たせやすいだろうということのようですね。特にこの日でなければならないという理由はないといっていいみたい。

 なんとなくいいなあ。ちょっとアバウトな決め方であることを認め、無理に理由をこじつけたりしていない。ニヤニヤしてしまいました。

 ところで、日本特用林産振興会の「特用林産」とは聞きなれない言葉。何のことでしょう?

 林野庁の当該ページには次のようにありました――

特用林産物とは、食用とされる「しいたけ」、「えのきたけ」、「ぶなしめじ」等のきのこ類、樹実類、山菜類等、非食用のうるし、木ろう等の伝統的工芸品原材料及び竹材、桐材、木炭等の森林原野を起源とする生産物のうち一般の木材を除くものの総称です。

 つまりは、山に生えたもののうち、木材を除く資源や製品を指す言葉と受け止めていいのでしょう。林産物は、木材と特用林産物に分けることができるのですね。

 この季節、子どもの頃、拾って食べた椎の実なんかも特用林産物なのかな。山の幸(さち)もうれしいものです。


嘆き節

2018-09-19 20:45:05 | ことば

 今夜は大丈夫なようですが、このところ当地は2晩つづけて激しいにわか雨に見舞われました。

 朝、市民農園に行くと、昨日、耕したばかりの畝が雨に洗われ、崩れた形になっています。
 鍬をつかって直しているところへ、隣の畑のオジさんがやって来ました。

 「毎日、雨に叩かれて、大変ですよね」と言うと、オジさんは芽生えたばかりの大根か何かを指先で起こしながら、「毎日、叩かれて。仕事が終わったら、邪魔者あつかいされて。ヘヘッ」と、ぼやくのです。

 もう定年は過ぎて、畑仕事を楽しみにしているはずなのですが、サラリーマン時代のつらさを思い出したのでしょうか。

 その点、野菜作りはいいですよねぇ。他人にどうこうされることはなく、すべてが自然とのやりとりですから。


「光が見えるか」

2017-12-15 21:16:15 | ことば

 日の射さない、寒い、寒い一日。ひたすら仕事に励んでおりました。

 最近の出来事で印象が強いのは、ICANのノーベル平和賞受賞式で被爆者であるサーロー節子さんがおこなった演説。
 すさまじい被爆体験です。そして、そこで起こった奇跡が、不思議だけど、きっと人はそういうことに導かれるのだろうと思ってしまいました。

 倒壊した校舎の建物の下で身動きがとれない節子さんは、突然、左肩に誰かの手が触れるのを感じ、言葉を聞いたと言います。
 「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」
 その言葉に励まされ、助かったのだ、と。

 もしかしたら、自分自身の心の声だったのでしょうか。希望に向かって這い進む気力が、誰にもあると信じたい。
 節子さんは、その時に聞いた言葉を、世界の人々への呼びかけに変えました。
 「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
 心に刻んでおこうと思っています。同時に、光を見失わないようにしなくては。


続・国会答弁

2017-05-27 21:28:50 | ことば

 昨日の続きですが、最初の4月19日の安倍総理の発言が衆院のホームページに掲載されたので、確認のため引用しておきます――

安倍内閣総理大臣 そもそも、そもそもという言葉の意味について、山尾委員は、初めからという理解しかない、こう思っておられるかもしれませんが、そもそもという意味には、これは調べてみますと……(山尾委員「調べたんですね」と呼ぶ)辞書で調べてみますと、辞書で念のために調べてみたんですね。念のために調べてみたわけでありますが、これは基本的にという意味もあるということもぜひ知っておいていただきたい。
 そもそもという意味においては、私ももちろん、それは最初からという意味もあれば基本的にと、これは多くの方々はもう既に御承知のとおりだと思いますが、山尾委員はもしかしたらそれを御存じなかったかもしれませんが、これはまさに基本的にということであります。

 で、この発言は、自分で辞書を引いた上でのものではなかった、と。

 日本語は主語のない発言や文章が成立するわけですが、だからといって、主語があいまいなわけではありません。脈絡を聞き(読み)とる能力を共有しているので、なくても了解できるのです。
 安倍首相の「調べた」を、誰か第三者が調べたと受け取る人は、普通、いないでしょう。もし、誰かに調べてもらった結果を受け売りするとすれば、そのことを断るはずです。

 ひどい発言ですし、今回、閣議決定された答弁書も、どういうやり方で総理が「調べた」のかに触れていないので、答弁になっていないと思います。あきれました。情けなくてたまりません。

 写真は、今朝の我が家の庭の入り口。

 このところの高温でオウバイの枝がぐんぐん伸び、おまけに雨で濡れたものだから、低く垂れさがってしまいました。腰を折り曲げて、しゃがむようにしてでないと通れません。
 ということで、急遽、剪定しました。

 いずれやらねばと思っていたのですが、植物にうながされて否応なしにとりかかることになりました。
 おかげでスッキリ。通りやすくなりました。