惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

『時をかける少女』

2006-10-26 20:30:28 | 映画
 午後、渋谷のQ-AXシネマにて細田守監督のアニメ『時をかける少女』。

 Q-AXシネマは東急本店裏(BUNKAMURA入り口)から道玄坂方面へ少し坂を登ったところにある。ラブホテル街の一画というべきか。不思議な場所に映画館が出来たなという感じを受けました。
 設備は新しくて、気持ちがいい。

 映画そのものは……いいですなあ。オジさんも、もいっぺん高校生をやりたくなりました。階段を必死で駆け上ったらタイムスリップできるか?
 主人公の少女(紺野真琴)と、彼女を取り巻く少年たちの造形がみごとですね。セリフもいい。コミカルで、切なくて。心のときめきが素直に伝わってきます。チアキに「つきあおう」といわれた後の真琴の行動が実によくわかる。ああ、あんな気持ちを抱いた頃もあったっけなあ……。

 もはや「時かけ」というのは、ひとつのサブジャンルとして確立したのかもしれませんね。毎年、同じタイトルの、中味が異なる映画が作られてもいいんじゃないでしょうか。


『フラガール』

2006-09-24 21:20:25 | 映画
 昨夜はお江戸両国亭にて「第3回立川三四楼勉強会」。古典落語4題に新作・画用紙落語2題という盛りだくさんな内容。
 この日は他にも席を勤めてきたとかで、お疲れのはずなのに、かなりの熱演でした(といっても、持ち味の頼りなさがにじみ出るのであまりそんなふうには見えないのですが)。
 「長短」における、気の長い男の表現が素晴らしかった。栗饅頭を食べるところの巧さには目を瞠りました。古典と画用紙落語と、どちらに力を入れるべきか迷っているようですが、2つの方向は両立できるのではないでしょうか。どちらも頑張って欲しい。早く前座を卒業できる日が来ますように。

 今日は東宝シネマズ府中(最近はここに行くことが多い)にて李相日監督『フラガール』

 この映画は、南海キャンディーズのしずちゃんが一人、例のニタニタ顔で延々とフラダンスを踊る予告を見た時、内容もまったくわからないのに「観たい!」と思ったものでした。
 その後、常磐ハワイアンセンター設立時の実話をもとにしたものと知り、「う~ん」と迷ったものの、音楽がジェイク・シマブクロとわかって、「やっぱり観なくちゃ」となったのでした。
 彼の演奏は今までのウクレレのイメージを一新する驚くべきもの。映画の音楽も予想どおり素晴らしかった。殊にエンディングに流れるテーマ。

 映画自体の内容は「センス古いんでないの」と思いつつも、不覚にも大量の笑いと涙で攻められ完全に私の負け。
 でも、悔しいからあえて人には勧めません。富司純子が実に美しい。

 ホームページの「日本全国ご当地SF」、千葉に『ニューロマンサー』を、大阪に「エイやん」を追加しました。推薦くださったEASTさん、堀さん、ありがとうございました。皆様も候補を思いつかれましたらぜひご推薦を。


『女はみんな生きている』

2006-07-18 20:40:28 | 映画
 テレビの深夜映画を録画してあったのを観ました。コリーヌ・セロー監督のフランス映画『女はみんな生きている』

 いやあ、出てくる男がどれもこれもどうしようもない奴ばかり。ダメ亭主にバカ息子に非道の親父にパープー兄弟にヤクザたち。
 ここまで徹底すると、いっそ爽快ですね。フェミニズム映画というより、異なる生きものとして男を描いているといっていいかもしれません。とても人間とは思えない。

 これを観たフランスの男たちはどう反応したんでしょうね。
 たぶん、大部分はムキになって憤慨したりせず、「男のサガだからしかたないんだよ」と、女たちに微笑み返したのではないでしょうか。傑作。


『日本沈没』対談

2006-07-11 20:54:25 | 映画

 今日も昨日同様はっきりしない、蒸し暑いお天気。
 助かるのは、昨日から市民プールがオープンしているので、夕方、水の中で体を冷やせること。今年は室内プールに1度も出かけず、昨日が泳ぎ初めでした。すぐには水に慣れた感じがしなくて、どうも泳ぎがぎごちなくなります。筋肉が衰えているせいもあるのでしょうね。

 さて、第45回日本SF大会「ずんこん」私的レポート。今日でおしまいにしたいと思います。

 大会初日(土曜)の夕食はホテルで立食パーティー、食べ物の皿とコップを持ってあちこちうろうろ。遠くに見かけた知人を追いかけているうち、他の人と話し込んでしまい、結局、目的の人とは会えないこともありました。残念。
 その後、大浴場でまったりとして浴衣に着替え、深夜の企画に臨みました。

 午後11時半から午前1時までという、普段なら頭を枕にのせている時間に行なわれた「海洋SF」の部屋にゲストとして出席。店頭に並んだかどうかというギリギリのタイミングだった『日本沈没 第二部』について、ちょこっと語らせてもらいました。映画『日本沈没』も間もなく封切ということで、この本への関心も高まっているようです。ありがたい限り。

 出番が終わって部屋に帰ると、同部屋の方々が戻っていらしてたので挨拶。アニメ『ProjectBLUE 地球SOS』(原作は小松崎茂『地球SOS』)のプロモーションがてら参加なさった岡村天斎監督とアミューズソフトエンタテイメントのお2人。間もなく堺三保さんも帰室して、しばしアニメ談義。
 他の方々はさらにこの後の(もしかしたら夜明けまで続く)池田憲章さんの企画へ繰り出してゆかれましたが、私は布団にもぐりこませてもらいました。

 大会2日目(日曜)は朝食の後、またまた中央公民館へ移動してクロージング。暗黒星雲賞(大会のさまざまなものに対する不人気投票)に笑い、かつ喝采。この賞は長年コンベンションを継続しているからこそ生まれたものだと思いますが、参加して心に引っ掛かったことをきっちりと表明することでウサ晴らしが出来る。見事な企画だと思っております。
 今回は見づらかったタイムテーブルの印刷と、ホテルと中央公民館の間を遮断する車道&遠い横断歩道が槍玉に上がりました。

 クロージングの後は公開企画「『日本沈没』対談・小松左京vs樋口真嗣」。
 このところ車椅子での移動が主になっている小松さん、壇上に登るのに何人もに支えられ「大丈夫かな?」と思わせられましたが、なんのなんのマイクを握ると達者なもの、樋口監督にあれこれ質問したり、ジョークで笑いをとったり、1時間半の長丁場をものともしていませんでした。
 この対談、基本的には映画『日本沈没』のプロモーションの一環で、樋口監督は「ここだけの話ですが」をいくつも披露してくださる大サービスぶりでしたが、実はいちばんウケたのは、対抗馬ともいえる映画『日本以外全部沈没』に小松さんが「渡老人役で出ようか」と思ったというあたりだったりしたのは、やはり「ここだけの話」でしたね。

 SF大会のレポートはここまで。今回の旅のことで書きたいことが、あと1~2ありますが、またの機会に。


『プージェー』

2006-07-04 20:47:27 | 映画

 中田英寿選手、引退声明。
 彼には地球上で行なわれるサッカーの真髄が、その輝きがよく見えていたのだと思います。そして、そこに自分が参加できることの喜びと責任感とを身をもって感じていた。
 周囲の日本選手には、そうした世界レベルでの発想ができず、中田選手にとっては低い目標しか持っていないと感じられるような人が見受けられたのでしょう。それが彼を苛立たせ、強い要求をぶつける原因だったのではないでしょうか。
 そういう彼だからこそ、ヨーロッパで日本人が活躍する道を開くことができた。見事なサッカー人生だったと思います。
 これで我々の目の前から消えるような人物には思えません。きっとこれからも中田らしい生き方を見せ続けてくれることでしょう。

 午後、ポレポレ東中野で山田和也監督『プージェー』
 これもどうしても観たい映画でした。7日までの上映なので、ようやく間に合ったわけですが、観ることができて本当に良かった。

 人類の足跡を逆にたどる「グレートジャーニー」の関野吉晴さんがモンゴルで出遭った遊牧民の少女・プージェーとの交流を描くドキュメンタリ映画です。自転車でモンゴル高原を走っていた関野さんがたまたま見かけた馬上の少女。裸馬の肋骨のあたりまでしか足が届かないのに、見事に馬を乗りこなし、家畜を追っている。興味を覚えた関野さんが寄っていってカメラを向けると、険しい顔でにらみつけ、そっぽを向く。
 「写真を撮るのなら、こっちに来ないで!」
 これに関野さんはグラッとに来てしまうんですね。うっとりした顔で「凄いね。うちの娘に見せたいよ」。
 しつこくつきまとって、少女の住むゲル(円形のテント型住宅)について行き、家族に挨拶。こうしてプージェーたちとの付き合いが始まるのですが……。

 幼いながらも強烈な存在感を放つプージェー。父親は都会へ出稼ぎ、母親は馬泥棒を追ってひと月も家を空けている。家畜の世話は彼女の双肩にかかっているのでした。
 きつい性格は、幼女には重すぎる責任感から来ていたのでしょうか。母親が戻った時、つきまとって甘える姿が微笑ましいのです。そして、元気な祖母はいう――「遊牧民ではもう生きてゆけない。学校へ行かなくては」。
 翌春、関野さんが尋ねると、プージェーは親戚の家に下宿して小学校へ通うことになっていました。……

 山田監督は淡々とした演出を心がけ、ナレーションも廃し、必要最小限の説明を字幕でつけるだけ。あとは関野さんとプージェーたちの映像にすべてを物語らせる。
 しかし、思いもかけないドラマが待ち受けていました。とんでもない出会いを、関野さんはしてしまったものだ。

 自然と生きることの厳しさ。文明のもたらす影響。さまざまなことを考えさせ、そのすべてがプージェーという少女に結集してゆきます。傑作というにはふさわしくない(と思いたい)――とはいうものの、実に見事な作品でした。