惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

リオ五輪開幕式

2016-08-06 21:00:12 | テレビ番組

 色彩とリズムに富んだ素晴らしい演出でした。
 選手団入場を眺めているだけで、楽しい。色々な国があり、色々な人がいて、国を逃れた人がいて、その国に残る人がいて。そんな世界の人々が集う祭典があることのなんとありがたいことか。

 4年後の東京五輪の開会式の出し物、ひとつ思いつきました。
 三波春夫さんの巨大なアンドロイドが「東京五輪音頭」を歌う!
 これは盛り上がりますよ。どなたが演出なさるかしれませんが、どうかこのアイデアを採用してください。

 夕方は市民プールへ。
 ここのところの晴天つづきでプールの水温が上がり、今日は32度。これ以上、上がらないで欲しいのですが……。


丸い地球の水平線に

2015-02-17 20:51:46 | テレビ番組

 中山千夏『芸能人の帽子』(講談社)を読み始めたところです。

 

 最初に書かれているのが、「ひょっこりひょうたん島」に出ていた頃のこと。千夏さんは「博士」の声を担当していましたね。

 

 この連続人形劇がNHKテレビで放映されたのは、1964年4月6日から1969年4月4日までだとか。私が中学に入った時から高校3年の春まで。たぶんターゲットはもっと下の世代だったのでしょうが、私も夢中になりました。クラブ活動のある日は無理だったけど、そうでない日は、必死で早い汽車に乗って帰宅し、午後5時45分からの放送を観たように思います。
 なぜ、それほどに惹きつけられたのか?
 千夏さんの記述に、その秘密を見たように思います。

 

 こんなふうに書かれています――

 

 二人の脚本家(森下註:井上ひさし&山元護久)が、毎回、呻吟の果てに絞り出す物語と会話には笑い死にしそうなとびきりの冗談と、そして果てしない自由への希望が横溢していた。(中略)多少とも管理の息苦しさに悩んでいたあの時代の子どもたちが、こぞって毎夕、あの十五分間を心待ちにしたのも、もっともだろう。

 

 まさにその通り! と叫びたくなりました。大学進学を目標にした学校生活に、私も息苦しさを覚えていたのです。

 

 それにしても、ここに描かれる放送局の空気は実に素敵。使命感と意味込みと遊び心とが混然とした現場の空気は、あの時代ならではだったかも。ただ、放映が終了して5年後、私が田舎の放送局に入った時も、その名残りは十分に残っていたように思います。
 あの雰囲気を知っているのと、そうでないのとでは、その後の人生観がずいぶん違ってしまうだろうなぁ。今でも「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングはたまに歌います。


捨てられた子供たち

2014-12-26 20:56:23 | テレビ番組

 今日から年越し準備。
 とりあえず年賀状の作成にとりかかりました。干支の回文考えて、決まったら(今年は家の人の回文が採用となりました)、図案をひねり出し、描いて、バソコンに取り込んで、修正して色をつけて(今、この途中)、印刷して、宛名書きをして、一言そえる。なんともややこしいことをやっているものです。

 

 夕方にはホームセンターまで行って、松飾りも買ってきました。
 だんだん進行してる。

 

 オンエアの時には観られなかった「大改造! 劇的ビフォーアフター」の「薪で支える家」を録画で観ました。
 高知県梼原町の山の中の一軒家。ふだんは住んでないようですが、育ったところなので、訪れた時、快適に過せるようにと、予算100万円でリフォームするという企画です。

 

 この家で育ったのは女2人、男1人の姉弟妹。この人たちが10歳前後の頃、両親は子供を見捨てて、姿を消したらしい。筆舌に尽くしがたい苦労をした家なのです。

 

 実は、私が高知で放送局に勤めていた頃、取材の途中に立ち寄った家(別の町でした)で、似たようなケースではないかと思える光景を見たことがあります。障子も襖も破れ放題、暗い土間の奥で、子供たちが鍋を掻き回していたのです。
 絶句してその場を立ち去り、その後、何の手立ても講じられなかったことが、今でも気になっています。

 

 そんなこともあって、この番組を観たのですが、3人が立派な人生を送っておられることに、まず涙。
 匠の工夫と、関係者の尽力で、費用をかけず素晴らしい家に生まれ変わったことにも、涙。
 仕上がりを見た3人の反応に、また涙。
 とにかく、たくさん泣かされました。

 

 捨てる神あれば、拾う神あり。とはいうものの、捨てる神はできるだけ少なくなる世の中であって欲しいものです。


『赤毛のアン』

2014-09-25 21:12:20 | テレビ番組

 テレビドラマ「花子とアン」が大団円を迎えようとしています。
 最初、明治・大正の児童向け読み物のことが少しでもわかればと思って見始めたのですが、そちらの参考にはほとんどならないまま、最後まで見続けてしまうことになりそうです。嘉納伝助氏に参ったのかな。

 村岡花子さんの訳した『赤毛のアン』は読んでいます。
 小学校5年生の時だったと思います。講談社の少年少女世界文学全集の1巻に入ってました。だから、少女小説だということも気にせずにどんどん読んでしまった。
 ちなみに『若草物語』もこの全集で読みました。

 少女を主人公にした小説で気に入ったのは、とりあえず、この2作品。
 後に、大学生の時にローラ・インガルスという少女の物語を読み、それまでになかったほど夢中になってシリーズ全巻を読むことになりますが……。
 あとはトーベ・ヤンソンの自伝的小説『彫刻家の娘』ぐらいかな。あ、石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』と『三月ひなのつき』があった!

 少女マンガはとてもよく読んだのですが、少女向け小説はあまり読みませんでした。SFにのめりこんだことが大きかった。ただ、SFでも、ゼナ・ヘンダースンとか、少女小説といってもおかしくないようなのがあり、そのあたりは好きでした。

 それはともかく。
 本好きの人が出て来るお話はいいですね。「花子とアン」の前に見た連続ドラマは「ゲゲゲの女房」だったし。
 どんどんこの手の物語が登場しますように。著名な作家とかだけでなく、オタクと呼ばれた人にも凄い一生を送った人がいるんですよ。ぜひ。


NHK経営委員会

2014-02-05 21:29:19 | テレビ番組

 このところ公共放送の経営陣のあり方について関心を覚えることが多くなりました。
 それで、経営委員会とはどんな感じなのか、ネットで公開されている1月14日の議事録を読んでみました。

 会議の様子がよくわかります。こういう情報公開はありがたい。

 読んでいて興味深く思ったのは、議事の中ほどよりやや下、百田尚樹委員が、

「例えば尖閣諸島や竹島の問題、あるいは靖国神社に関する極東軍事裁判や在日朝鮮人・韓国人に関わることなど、いろいろな意見がある中で、多くの人々は自分の考えを持つだけの知識を得る機会がないというのが現状だと思います。日本の公共放送として、現在の日本が抱えているさまざまな問題や歴史に関して必要最低限の知識を伝える番組があってもよいのではないかという気がしました」

 と発言したのを受けて、宮田亮平委員が、

「誤解があるといけないので確認しますが、経営委員は番組の話をしてはいけないのですか」

 と訊ねたところ、上村達男経営委員長代行が、

「番組編集の基本計画は議決事項であり、編成計画は報告事項になっています。番組について何も言わないで編集の基本計画は議決しますというのは変な話になります。経営委員は、個別の放送番組の編集その他の業務を執行できないということであり、番組に関する感想を述べてはいけないということではありません。褒めるのはいいけれども、けなしてはいけないということはないわけです。『視聴者の皆さまと語る会』で参加者の方々と議論するようなレベルの話であれば自由に意見を言っていいと理解しています」

 と述べています。

 百田委員は、

「そうすると私の意見は許容範囲内ですかね」

 と言い、長谷川三千子委員も、

「正しい国民的議論を引き起こすためにシンプルで正確な事実を伝えることは、教育という目標からも大切なことだと思います。(中略)そういう意味では、今の百田委員がおっしゃったようなことの実現は、難しいと思いますが目標として考えていただいてもいいのではないかと思います」

 と発言しているあたり。

 会長や理事の受け止め方にもよるかと思いますが、こういう形で番組編成や内容に圧力がかかることはありそうに感じました。

 〈ナンクロメイト〉3月号発売中。担当の新刊紹介欄で次の3冊を取り上げています――

  • モリー・バーンバウム 『アノスミア わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語』 (ニキリンコ訳、勁草書房)
  • 村上もとか 『フイチン再見![1]』 (小学館)
  • 埴沙萠 『足元の小宇宙 82歳の植物生態写真家が見つめる生命』 (NHK出版)
 

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