惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

『現代SF1500冊』

2005-06-21 21:23:31 | 本と雑誌
 夏至。晴れて、暑い。
 花盛りのアジサイがなんだか渇いているように見えるのは私だけでしょうか。雨を欲しがっているようです。
 英語の名前hydrangeaは「水の壷」という意味でしょうか。花の形が、ふくらみのある陶磁器のように見えたのかもしれません(西洋のアジサイは日本のものが中国経由などで渡ったものだといいます)。いずれにせよ、水に関係の深い花ではあります。

 書評用にと贈呈していただいた大森望著『現代SF1500冊 乱闘編1975~1995』(太田出版)を少しずつ読んでいます。時々刻々移り変わる現代SFのうねりを、その真っ只中から実況中継し続けたもの――といえばいいでしょうか。威勢のいい口調でどんどん新刊が紹介され、てきぱきと評価、位置づけがなされてゆくのが素晴らしい。

 ところで本書の「おわりに」で著者の大森さんが「同種のSF時評集としては、森下一仁氏の『現代SF最前線』(双葉社)が先行する。……対象期間は本書とかなり重なっていますが、とりあげている作品も評価も全然違うので、未読の方は本書と併せてぜひご一読をお薦めする」と書いてくださっています。そうなんです。本当に「全然違う」のには森下も唖然とします。
 大森さんの時評を読みながら「この月、オレは何を取り上げていたっけ」と思って『現代SF最前線』を開いてみると、大森さんが問題としているのとは全然違う作品を、それもたった一つか二つ取り上げてノンビリと紹介している。まるでパラレルワールドのSF時評みたい。

 少し言い訳をしますと、大森さんのはその月に出たSFを全部紹介するという方針ですが、森下は食指の動いたものを少しだけピックアップするという行き方だというのが、ひとつの理由。編集者との相談の上でもあったのですが、あまりたくさん取り上げるとひとつひとつの作品評に割ける行数が少なくなって、文章がおもしろくなくなる。それが嫌だったのです。それと、とても全部は読めないよ~という怠け心も、当然、ありました。
 もうひとついえば、作品との付き合い方の違いもあるでしょうね。大森さんはSFの流れを見据えながら、SFを読んで楽しむという読者(消費者)の立場に立って、ひとつひとつの作品を位置づけてゆく。私は自分の関心に引きつけてみたり、著者の目論見を憶測してみたり、あるいは(直接SFとは関係のない)社会の出来事と関連づけてみたり……ああでもないこうでもないという感じで小説を楽しもうとしています。そういうのが好き、というか、作品によって付き合い方を変えなきゃならないことが多いと感じているし、そうさせてくれるものに興味を引かれるのです。

 ま、そんなようなわけで、同じ時代のSFを取り上げても、まるで違う眺めをもたらす時評集となっています。大森さんがおっしゃるように、ぜひとも併せてお読みになってみてください。


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