金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

インド経済、ちょっと足踏みかな?

2007年02月27日 | 株式

インド最大の民間銀行Icici(ティッカーIBN)をポートフォリオに入れようと考えているが、タイミングとしては少し様子を見た方が良さそうだ。それは明日国家予算の発表があるし、州の選挙が控えている。インド株の調整がもう少し続く可能性があるからだ。今インドで大きな問題になっているのはインフレだ。ウオール・ストリート・ジャーナルでそのポイントをチェックしておく。

  • インドの貧弱なインフラのため国内・輸入商品とも流通が悪化してインフレが高まっている。またキーとなる健康指標例えば子供の栄養失調度合いを見るとインドは悪化している。
  • インド経済は年率9%という急なピッチで拡大しているが、インフレも6.6%という高い年率である。これが中国とインドの違いでインドは中国にあるような新しい道路や港湾設備、火力発電所等のインフラが不足しているので物価が安定しない。
  • 多くの国民は必要最低限の限界的な生活を送っているので、玉葱やレンティル豆(レンズ豆)の値段がほんの少し上がるだけで人々が困る。アブドゥル・カラーム大統領は「インフレのチェックを続けることは包括的な成長戦略にとって極めて重要な要素である」と述べている。

インドのことは勉強不足で余り知らなかったが、このカラーム大統領という人はムスリム家庭に生まれた人で、菜食主義、禁酒主義を保っている。またイスラムの経典とヒンズー教の経典双方を読むと信じられているということだ。

  • 食料の供給を改善するため、シン首相は豆類、粉ミルク、食用油の輸出禁止を発表し、パーム油・ひまわり油の輸入税を切り下げ、小麦の輸入量の拡大を検討している。
  • より議論になるのは地方の雇用保障政策の拡大である。これは農民に年100日の有償の仕事を与えるというもので、汚職や国の債務の増加につながるという批判に火をつけるものである。

余剰人員対策で仕事を作り出すことをMake-workという。そのようなプログラムはMake-work programだ。ところがこれはインドだけではなく日本でも結構あるのではないか?一つはお役所。もう一つは大企業の関連会社にもあるかもしれない。

  • モルガンスタンレー・ムンバイのアナリストは「政府は無料招待券を与えることに慣れている」「政府は大手国有企業の株式持ち分の処分が遅れている」と批判する。また「政府はもっとメーカーに投資インセンティブを高める政策を取るべきだ。国内の主要80社は380億ドルのキャッシュを手持ちしている」という。
  • エコノミスト達はインドが対内直接投資の機会を外国企業に開かないと現在の成長率を維持できないのではないかと懸念している。この意見の支持者は外資の小売業は古くてボロの供給チェーンを修復し、農産物の市場への搬送を早めると言う。しかし支配政党を率いるソニア・ガンディを含む他のものは生業的な小売店に対するインパクトに懸念を高めている。
  • IMFは国の負債がGDPの8割に達するという警告を発しあわせて補助金の削減等対策を示唆している。

インドは中国のように共産党一党独裁ではなく、開発優先で突き進む訳にはいかない。また多くの貧困層を抱えるためその補助対策が必要だ。ポテンシャルは高いが少しコレクションがあるかもしれない。これを機会に勉強を深めることにしよう。

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【追悼】 山本 健一郎氏

2007年02月27日 | 

一橋大学山岳部OBでヒマラヤニストだった山本 健一郎氏、ヤマケンさんの訃報に今朝接した。山本さんと直接お話したことはそれ程多くなかったが、会社と山の後輩として可愛がって頂いた。山本さんは少し前にバードソル達によるミニヤコンカ初登頂の記録を邦訳されている(ナカニシヤ出版・平成10年)。ご退職後も色々ご活躍されているなぁと思った次第だ(私は山本さんの署名入りのご本を頂いた)。

しかし私にとって山本さんの思い出が一番強いのは、私が銀行に就職した動機が山本さんがその銀行にいたからである。その頃15,6年程先輩の山本さんとは面識がなかったが、山本さんがリクルートのパンフレットをイラストで飾っていたのでその銀行に入行したのである。

山本さんは入行されてから、一橋大学山岳部(会)のメンバーとしてヒンズークシュ山脈に遠征された。その記録は「ロシュゴル氷河の山旅」という本になっている。入社前にカラコルム遠征を予定していた私は「会社に入ってもヒマラヤに遠征に行ける!!」という会社がどれ程魅力的に写ったことか!

残念ながら銀行時代にヒマラヤに遠征するという夢は果たすことが出来なかった。しかし山本さんを慕って入った銀行では海外駐在を含めて色々なことを経験することができ、それはそれで又一つの山登りだったなぁとも考えている。

アンナプルナに初登頂したフランスのモーリス・エルゾークに「人生にはまた別のアンナプルナがある」という名言があった。凍傷で手足に重大な損傷を受けたエルゾークだが、記憶が正しければ後に文化大臣になっている。彼はまさに別のアンナプルナに登ったのである。

山本さんの別のヒンズークシュが何であるか?を聞くチャンスはなかった。そしてもう永遠にない。しかし晩年までお元気に山を歩いておられたので幸せな人生だと思いたい。今はご冥福をお祈りするばかりである。

ところでこのブログを書くに際し、一橋大学山岳部のHPを探したが見当たらなかった。昔東京商大ど呼ばれた頃の同大学山岳部の活躍は日本の登山史に光芒を放っていた。私の検索が不手際であれば幸いだが、もし同校山岳部の活動が停滞している様であれば誠に惜しい話である。

コメント (1)
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