新聞で見かけた「終の二択」(ワニブックス 紀平正幸著)という本を甲府に向かうあずさ号の中で読み切ってしまった。ライフステージにおける「二択」についてライフカウンセラーである著者の見解が示されている本で、個々の「二択」の判断については賛否のあるところだが、定年後に起きる幾つかの「選択の場面」に自分ならどう判断するか?ということを考える参考程度にはなる本、といっていいだろう。
恐らく、私はライフステージにおける「選択」に絶対の正解がない場合が多い、と考えている。「選択」はその人の健康・知識・経済状態・宗教観・リスクアピタイト(リスク選好度)によって異なる。この手の本に「危険」な要素があるとすれば、それはまず「正解のない問」に対してあたかも正解があるかのごとく説明するところにあるのだろう。
まず私の関心の高い「海外旅行・国内旅行」の問題から論じてみよう。
著者は「私の場合”旅行するなら海外か国内どちらが良いか”と聞かれれば、間違いなく「国内」と答える。」と述べる。そして「国内」が良いという理由として「どこに行っても日本語が通じる」「いつでも和食が食べられる」「病気になっても健康保険が利く病院がある」ということを掲げる。
そして「高齢になってきたら日本国内でじっくりと昔から伝わる文化、芸能に親しむことによって『幸福感』を味わえるのではないか?と考えている」と結んでいる。
これに対して私は「病気になっても健康保険が利く病院がある」こと以外は国内旅行を選択する絶対的な条件ではない、と考える。たとえば「いつでも和食が食べられる」ことが万人にとって旅行の絶対条件なのだろうか?日頃食べなれていないエスニックな料理を食べてみたい、という選択基準もあるはずだ。
「日本語が通じない」と不便をすることはある。私が台湾でバスに乗った時は、使えると思っていた「一日乗車券」(実は地下鉄オンリーだった)が使えず、小銭の出し入れに苦労していると後ろの台湾人が助けてくれたことがあった。見知らぬ旅人を助ける台湾の人の優しさが身に染みた。言葉が通じないことを「困った」ことと考えるか、「何とかやりくりする」ことを旅の楽しみと考えるかは、人それぞれなのだ、と私は考えている。
元々旅の楽しみの中には「未知との遭遇」「多様な考え方を持った人々と出会う喜び」という要素がある。不自由・不便もコントロール可能な範囲であれば「旅の楽しみ」だと私は考えている。といって私は「旅行に行くなら『海外』」と主張するつもりはない。私は「海外」に行くことも好きだし、「国内」に行くことも好きだ。そもそも「海外」or「国内」という選択肢の立て方に無理があると私は考えている。
次に「投資をするなら『株式』または『マンション』」という問題を論じてみよう。
筆者は「これは専門家である私でも選ぶことが難しい二択だ。なぜなら、私は「投資をしない」という選択をするからだ。だが「余裕資金としてまとまったお金があり、どうしても投資したい」というのであれば「株式投資」ではなく「不動産投資」を選ぶべきだ」という。
この「専門家」の見解に私はかなり疑問を持っている。そして「不動産投資に較べると株式投資はかなりギャンブル的な要素が強い。株価が上がるか下がるかは誰にも分らず「どの株を購入するか」は予測で投資する他方法がないからだ」という一文を読んで私は唖然とした。
どうも筆者は「投資」と「投機」の違いが分かっていないのではないか?という気がしてきた。株式投資は「値上がり」と「配当」を通じて企業の利益の一部を受け取るもので、長期投資はギャンブルではない。日本株だけを見ていると、バルブ崩壊前の高値には簡単に戻りそうもないが、米国株は確実に値を切り上げている。株式投資は長期的に経済成長の一部を家計に取り込む手段なのだ。一方不動産投資は株式投資に較べて安全なのだろうか?換金性は大丈夫なのだろうか?
これらの問題に言及することなく、不動産投資を勧めるのは如何なものだろうか?特に日本は人口減少の時代。空き家の数は現在の7百万戸から倍増するという予測もある。
いずれにしても、この問題も二者択一で選ぶべきではない。投資の一つの鉄則は分散投資である。ETFの形で不動産や企業株に分散するのが、現代の知恵というものだろう。
ということで、この本の論点の立て方には参考になるところがあるが、結論は自分で考えて判断した方が良い、と私は考えている。まあ、法燈明自燈明である。自分の道は自分の灯りで照らすしかないのである。
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