金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

Down at heel(イディオム・シリーズ)

2008年12月31日 | 英語

今日は大晦日、外回りの掃除は昨日終わったので、靴の手入れをする。まずジムで使っている運動靴を洗って干した。次にビジネスシューズや皮のスニーカーにクリームを塗って磨いた。かかとのゴムが減っている靴があったので、専用の補填剤でかかと部分を成形する。補填剤はチューブに入っているゴムのようなもので、磨り減った部分にパテで盛り付けて一昼夜置くと固まる。

靴のかかとを成形しながら、最近エコノミスト誌で見たDown at heelという言葉を思い出した。意味は靴のかかとが減っているとみすぼらしく見えることから「みすぼらしい」という意味だ。四六時中靴を履いて暮らしている外国人の靴に対する思い入れは日本人と違うものがある。「足元を見る」という言葉があるが、欧米人は履物で人物を鑑定するという話を聞いたことがある。彼等は背広がみすぼらしいことよりも、靴が貧相なことを嫌がるようだ。日本人とアメリカ人では靴と背広にかけるお金の割合が違うという話を聞いたことがある。このように外国人と日本人では感覚が異なることが多い。

ところでDown at heelという言葉は日本の移民問題を取り上げた記事の中に出ていた。The town is certainly down at heel by comparison with the nearby capital.「その街は首都近郊と比べると確かにみすぼらしい」

その町とは群馬県の西新井町。サンヨーの下請工場が日系ブラジル人を雇用し、移民が増えていることで有名な町だ。エコノミスト誌は町はみすぼらしいけれども、少々エキゾチックな雰囲気があると報じている。

移民というと自民党の中川元幹事長が音頭を取る外国人交流推進議員連盟が向こう50年間で1千万人の外国人を移民として受け入れ、労働力不足を補うべきだという構想を打ち上げている。現在の移民者の数は220万人程度だから大変な増加だ。

移民の問題は別の機会に論じたいが、「労働力不足を補う」という日本人の経済的動機だけでは長続きしないし、良い移民政策ではないと私は考えている。理想論的ではあるが、諸外国に対して教育や仕事の機会を提供することで、諸外国の尊敬や共感を得ていく、そして多様な文化を受け入れることで自分達の精神を豊かにしていくというのが、一流国の条件ではないか?と私は考えている。

靴底の補修から話が広がったが、ブッシュ大統領のように靴を投げつけられることを避けるためにも、他国民を思いやる気持ちが必要だろう。

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年の瀬に思うことなど

2008年12月29日 | 社会・経済

今朝(29日)の通勤電車は空いていた。余りに沢山のことが起きた1年が漸く終わろうとしている。今年の初めにこれ程の不景気が到来することを予測できた人はどれ位いるだろうか?私もこのブログや小さな雑誌で米国の景気後退や中国のスランプは予想していたが、これ程までの速度で世界経済がリセッションに向かうとは思わなかった。

来年の予想も難しい。今日日経ヴェリタスを見ると来年の日本の株価予想についても、極端に幅があった。確実なことは誰も分からないということだけが、確実なことだろう。

ただ米国の株式相場を見ている限り、恐怖指数と呼ばれるVIX指数も40代前半まで低下(これでも平常時よりかなり高いが・・・)してきた。市場は当面政府が何をしようとしているのかが読めてきて、一応ポジティブに見守っているようだ。オバマ新大統領の上級顧問アクセルロッド氏は「オバマ新大統領は6,750億ドルから7,750億ドル程度の範囲で経済刺激策を取るだろう」と先週テレビで話をしていた。日本円でいうと65兆円程度だ。

一方日本の景気刺激予算については12兆円の景気対策を含む補正予算政府案が先週まとまった。「これだけでは不十分だ」という意見も多いが、中川財務大臣はファイナンシャル・タイムズのインタビューで「この上景気刺激の追加予算を求めるのは、朝飯を食べる前に晩飯のメニューに悩むようなものだ」と牽制球を投げている。

揚げ足を取る訳ではないが、私など休日はまず晩飯に何を食べるかを考えて、昼飯のメニューを組み立てている(朝はパンとコーヒーに決めているので影響を受けない)。小出し小出しの予算ではいつまでも満腹感が得られず、馬力がでないかもしれない。

アメリカの大型財政発動は、結果として大量のドル札増刷を意味するから、ドルの相対的価値は下がる。もし日本が景気刺激と円高防止を一度に行おうと考えるなら、大量のお札を配るのが一番良い。それも一人1万2千円の定額給付金などではだめだ。もっと多額にもっと恒久的にお札を配る必要がある。だがいわれのないお金を配ることはできない。ではどうすると良いのか?

私は「老人医療や介護を極力公的負担でまかなう」高福祉国家への転換が一つの選択肢ではないか?と考えている。「国が老後の福祉を見る」ということであれば、高齢者やその予備軍は財布の紐を緩めることができる。当然税金や社会保険料を引き上げる必要があるが、それは消費税でまかなう。

国の経済規模や成り立ちが違うので、一概には言えないが国民の負担が高い北欧の高福祉国家(ノルウェイ、スウェーデン、フィンランドなど)が、一人当たりGDPで世界の上位を占めていることを見ると何かヒントがあるような気がする。

日本をどうしたいのか?という政治のメッセージがあるのかどうか?ということが、日本の最大の不確実要素かもしれない。来年も・・・・・・。

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風邪と運動

2008年12月28日 | うんちく・小ネタ

私は山に行かない週末は大体ジムで運動をしている。ただ冬場になって少し風邪気味の時などジムに行くかどうか迷う時がある。運動好きのアメリカ人達も同じような疑問を持っているようで、ニューヨーク・タイムズに「風邪の時に運動しても良いかどうか」という記事があった。

結論からいうと「鼻風邪程度であれば運動能力は低下しないし、風邪の治り具合に影響しない」ということだ。

結論よりもこの問題について小規模ながらも実験があったことが面白い。ボール大学の運動生理学者カミンスキーという人が18歳から29歳の男女45名の実験参加者を集めて、風邪のビールス(一番一般的なライノビールス)を投与して、風邪を引いた後の運動能力の変化などを調べた。それによると肺機能や全般の運動能力は風邪によって損なわれることはなかった。また運動をしても、しない場合に比べて風邪からの回復期間に変わりがないことも実験で分かった。

記事は運動愛好家の医者の話も紹介しているがある医者は「風邪気味でも運動をすると気持ちが良くなる。おそらく運動すると血管が拡張するからだろう」と述べている。

なおいずれの専門家も熱が高い時は胸に痛みがあるような重い症状の場合は運動を薦めていないので要注意。

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歴史物、既知と未知のバランス

2008年12月26日 | 本と雑誌

今年のNHK大河ドラマ「篤姫」は人気が高かった。私もほぼ毎回見た。何が面白いかったかを考えてみると、まず役者のバランスが良かった。篤姫の宮崎あおいや和宮の堀北真希、小松帯刀の瑛太などの若手陣と生島の松坂慶子、瀧山の稲盛いずみなどのバランスが良かった。また年の元頃は少し生硬に見えた若手俳優が回を重ねる度に役になじんでいくところも良かった。

歴史ドラマとして見た時は「良く知っている歴史的事実」と「番組が示した新しい解釈」のバランスが程よく取れていて知的好奇心をくすぐった点が人気を呼んだのではないだろうか?

「良く知ってる歴史的事実」というのは「通説」と言い替えても良いだろう。例えば「江戸城の無血開城を巡る薩長側と幕府の駆け引き」だ。私が知っている「歴史的事実」ではまず幕臣山岡鉄太郎が薩摩人益満休之助を連れて、一人で西郷を訪ね無血開城の大枠をまとめた。そしてそのお膳立ての上に西郷と勝海舟の会談が行われたいうもの。

何故「武力討伐派」だった西郷が無血開城に変わったか?という点については色々な推測がある。例えば「江戸に官軍が攻め込めば火消しの集団を使って火攻めにする」という脅しを勝が示唆したという説がある。また英国政府が「降伏している幕府に武力を振るうのであれば英国は幕府に付く」と西郷を脅かしたという説もある。

ドラマ「篤姫」では西郷が島津斉彬の書状の入った篤姫からの手紙を受け取り、恐懼して武力討伐を放棄することになっている。篤姫が西郷に手紙を書いたということは知っていたが、その影響力はどれ程あったのだろうか?ということになると疑問だ。むしろ英国大使の脅かし説の方が大きかったかもしれない。

維新物のように視聴者がある程度知識を持っている場合、「番組が示す新しい歴史解釈」や「作者が作った架空の人物」などをゆとりを持って受け入れることができるので、ドラマを深いレベルで楽しむことができる。

ところが「歴史的事実」に関する知識を欠くテーマについてドラマを見ると私のように「事実に拘る」人間は「これは事実か作者の創作か?」ということが気になって落ち着かないのである。

また歴史文学やノンフィクションについて極端に事実について知識がない場合は話そのものに対する関心がわかない場合もある。一から十まで知っている話では新たに読む必要がない。かといってある年齢になると全く知らない話には興味が涌きにくいのである。既知と未知の程よいバランスが知的好奇心をくすぐるのだ。だから私は頭が少しでも柔らかい内に知識のフロンティアを拡大しておく必要があると考えている。といっても私の頭は随分固くなってきているが。

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Burn out (イディオム・シリーズ)

2008年12月26日 | 英語

クリスマスシーズンなので、余り大きな経済ニュースもない。ゆっくりとニューヨーク・タイムズの読者投稿を読んだ。その中に英語が平明でとても読み易くしかも心温まる話があった。

投稿者は50代の女性。ドイツ銀行のアシスタント・バイス・プレジデントとして経費管理部門で働いていたが、その部門がアウトソースされたのでレイオフされてしまった。彼女は他で色々仕事を探すが、彼女の職歴に合う高いポジションの仕事はない。I was overqualified for available positions.と彼女は書いている。「私は求人ポストの対して必要以上の学歴や経験があった」という意味だ。このため彼女はホワイトカラー的な会社勤めをあきらめ、知り合いのペットの世話をしている人のもとで、ペット・シッターと犬の散歩係りとして働き始める。給料は当然ドイツ銀行で働いていた時よりも安い。しかし彼女は今の生活に非常に満足しているという。

そこで今日のイディオムBurn outが出てくる。彼女は会社勤めの日々を振り返り、I was burned out and needed a break.という。「私は精力を使い果たしていて、休息が必要だった」 Burn outとは文字通り「燃え尽きる」「エンストを起こす」という意味だ。

どうして彼女は今の生活に満足しているのか?彼女はI am a people person.なので、ペットの飼い主と色々話をする人間的な交流が楽しいし、ペットの世話で癒されるという。

People personとは「人の気持ちが分かる人、人付き合いの良い人」という意味だ。世知辛い年だったが、年の瀬にとても良い言葉に出合った。

私も来年はHe is a people personと呼ばれるような人間になりたいと思った。

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