今日は大晦日、外回りの掃除は昨日終わったので、靴の手入れをする。まずジムで使っている運動靴を洗って干した。次にビジネスシューズや皮のスニーカーにクリームを塗って磨いた。かかとのゴムが減っている靴があったので、専用の補填剤でかかと部分を成形する。補填剤はチューブに入っているゴムのようなもので、磨り減った部分にパテで盛り付けて一昼夜置くと固まる。
靴のかかとを成形しながら、最近エコノミスト誌で見たDown at heelという言葉を思い出した。意味は靴のかかとが減っているとみすぼらしく見えることから「みすぼらしい」という意味だ。四六時中靴を履いて暮らしている外国人の靴に対する思い入れは日本人と違うものがある。「足元を見る」という言葉があるが、欧米人は履物で人物を鑑定するという話を聞いたことがある。彼等は背広がみすぼらしいことよりも、靴が貧相なことを嫌がるようだ。日本人とアメリカ人では靴と背広にかけるお金の割合が違うという話を聞いたことがある。このように外国人と日本人では感覚が異なることが多い。
ところでDown at heelという言葉は日本の移民問題を取り上げた記事の中に出ていた。The town is certainly down at heel by comparison with the nearby capital.「その街は首都近郊と比べると確かにみすぼらしい」
その町とは群馬県の西新井町。サンヨーの下請工場が日系ブラジル人を雇用し、移民が増えていることで有名な町だ。エコノミスト誌は町はみすぼらしいけれども、少々エキゾチックな雰囲気があると報じている。
移民というと自民党の中川元幹事長が音頭を取る外国人交流推進議員連盟が向こう50年間で1千万人の外国人を移民として受け入れ、労働力不足を補うべきだという構想を打ち上げている。現在の移民者の数は220万人程度だから大変な増加だ。
移民の問題は別の機会に論じたいが、「労働力不足を補う」という日本人の経済的動機だけでは長続きしないし、良い移民政策ではないと私は考えている。理想論的ではあるが、諸外国に対して教育や仕事の機会を提供することで、諸外国の尊敬や共感を得ていく、そして多様な文化を受け入れることで自分達の精神を豊かにしていくというのが、一流国の条件ではないか?と私は考えている。
靴底の補修から話が広がったが、ブッシュ大統領のように靴を投げつけられることを避けるためにも、他国民を思いやる気持ちが必要だろう。