今日(3月31日)ニューヨーク・タイムズのメディアのコラムで一番読まれていたのは、For photographers, the image of a shirinking pathという記事だった。簡単にいうとアマチュアが撮った写真が、雑誌等に使われるので、プロカメラマンが仕事が奪われているという話だ。この話題に関心を持った理由は、僕の同じ年のいとこがアメリカでプロのカメラマンをしているからだ。米国籍の彼とは滅多に合わないし、会っても難しい話はしない(というか彼はほとんど日本語が使えないので難しい話はできないのである)。だがやはり気にはなる・・・・
本題に戻すと記事は、ある米空軍に勤務する夫を持つ40歳の主婦のエピソードを紹介している。夫の転勤が多いので、彼女はフルタイムの仕事を持つことができなかった。しかし休暇でハワイに行った彼女は99ドルのコダックで撮った写真をFlickrというサイトにアップロードした。
Flickr、僕は使ったことがないけれどオンライン写真アルバムの大手だ。ご関心のある方はこちらへ→ http://www.flickr.com/。日本語版はこちら→ http://www.flickr.com/groups/nihongo/
さて暫くすると彼女のところにストック フォトグラフィの会社Getty Imagesから、「写真の利用料を払うから出版社や広告社に写真を使わせて欲しい」という連絡があった。利用料は家族を外食に連れて行くに十分な金額だったり、時としては住宅ローンの返済額に見合うほどのものだったりするという。
タイムズはPhoto District Newsという写真雑誌の編集長の「現在では金に困っていないプロの写真家はほとんどいない」という言葉を紹介している。プロの写真家が仕事が減っている理由は「写真広告の減少」「デジタル写真の普及」「ストック フォト市場の発展」だ。
僕もデジタル一眼レフの愛好者だが、デジタルカメラの普及はプロとアマの差を大きく縮めた。僕は写真は確率の芸術という面があると思っている。ある対象物を撮影する時、露出やシャッター速度等を色々変えて複数の写真を撮る。また動物など動く被写体を撮る時は、連続撮影モードでシャッターを切りまくる。そして後で一番良く撮れている写真を選ぶ。
フィルム時代はフイルム代金や現像代がかさむので、アマチュアがこのような撮影を行うことには限界があった。だがデジタルカメラになると、フイルム代も現像代もタダ。だからアマチュアでも沢山の写真の中から、良いものをピックアップすることが可能になった。これがプロ・アマの差を縮めたと僕は思っている。
デジタル時代に入って写真以外の分野でもプロとアマの差は縮まっている。例えば「ものを調べて書く」という作業もかなり差が縮まっているのではないだろうか?昨今はウイキペディアのようなオンライン百科事典があるから大概のことは簡単に調べられる~信憑性はかなり問題なのだけれどね。また信憑性に拘るならば官公庁のHPなどから、また必要に応じて多少の料金を払えばかなりプロフェッショナルな資料も簡単に入る時代だ。
タイムズの記事に戻ると、プロの写真家は「ハイチ地震」など事件・イベントへの特派員に活路を見出している。もっとも少ないチャンスの取り合いだろうが。
文筆で身を立てる表現者達は、巷に溢れる素人コメンテーター(つまり僕のようなアマチュア・ブロガー)との差をどこに見出していくのだろうか?恐らくそれは「出来事」を切り取り、社会の投影する時の切り口なのだろう。その切り口が確固たる歴史観や分厚い教養に裏打ちされていれば「売れる」コメントになるのだろう。
僕は勿論プロの文筆家でないが、時々小さな雑誌に寄稿している。インターネットを利用して資料を集めることは楽になったが、オリジナリティの確保にはかえって苦労するようになったと感じる時がある。つまり歴史観や教養が乏しい・・・ということだろうか?