今年2月に発刊された梅澤佑介氏の「民主主義を疑ってみる」という本は面白い本です。面白いという意味は現在のもやもやした政治の世界に色々な補助線を引いていくことで、もやもやの一部が晴れてくるからです。
たとえば今年の秋に選挙が行われる米国大統領選挙は、バイデン現大統領とトランプ前大統領の一騎打ちで、下馬評ではトランプがやや有利とも言われています。「議会への暴徒の乱入を先導し、民主主義への前代未聞の挑戦」と特別検察官に言われているトランプが、民主主義の卸元の国で多くの支持を集めることに違和感がありました。
しかしこの本を読んでいくと(まだ半分も読み進んではいませんが)色々なヒントに出会います。
民主主義草創期のアメリカを視察したフランスのトクヴィルは「エートスとしての民主主義」に着目します。エートスとは「社会の構成員によって共有されている意識、倫理的な心的態度」です。トクヴィルはアメリカの民主主義を観察して、人々は「自分の代わりに判断してくれる後見人を選挙で選出する」と喝破します。そしてこれにより人々は「指導されたいという欲求」と「同時に自由のままでありたいという願望」の両方を満たすことができます。
著者は「アメリカの民主主義社会にトクヴィルが下したこのような診断は、民主主義と独裁という一見相反する二つの統治形態が、実はぞっとするほど近いものであることを明らかにするものでした」と述べています。
本書を離れた私の考えですが、アメリカの大統領というのは、特に有事には非常に大きな権限を持つことができます。たとえば第二次大戦時の大統領の権限と日本の首相東条英機の権限を較べると大統領の権限の方が圧倒的に大きかったのです。
また現在のロシアによるウクライナ侵攻や中国の覇権拡大活動を「民主主義と専制主義の戦い」という非常に単純な図式で説明しようとする人々もいますが、トクヴィルの議論を見ると図式はそれほど単純ではなさそうです。
日本では自民党の裏金問題や小池知事の学歴詐称問題が問題になっています。これらは話は「政治家に何をやらせるか」という政策レベルの話ではなく「誰にやらせるか」という政治家の人格や能力に関わる話です。特に清潔好きな日本では、嘘つきとか金に汚い人は忌避されますね。
でも人格的に高潔な人を選び、その人に丸投げするのであればある意味の貴族制です、と著者は述べています。
中々面白い本ですよ。